閑話 悩める子羊たち
「団長! 追いますか?」
「…いや」
そこで言葉を区切るヴィクトール。
そんなヴィクトールの姿を見ている彼の部下たちが、黙って次の言葉を待っている。
「標的を見失った。引き上げるぞ」
「「…は!」」
クヌートが走り去った後、まだ呆然としているヴィクトールに部下たちはそう声をかけてきたが、ヴィクトールは追わない選択をした。去り際に言われたクヌートの言葉は、ヴィクトールにとってまさに図星だったからだ。自分の中でその答えを出さない限り、ヴィクトールにはクヌートの前に姿を現すことはできなかった。
そんな団長の姿に、部下たちも困惑の色が隠せない。ノルドヴァル王国最強の騎士ヴィクトールを軽々とあしらうクヌートという謎の冒険者の存在に、彼らは戸惑っていた。彼らには、ヴィクトールの奥義がどんなものだったのか見えてもいないのだ。過去一度だけあった魔物の集団暴走の際に、先頭で奥義を使い魔物を次々と屠るヴィクトールの姿に、憧れと敬意を抱く騎士も少なくない。そんな絶対的象徴が目の前で敗れた事実を、彼らは受け止め切れていなかった。
フロストヘイムへ戻る道中、馬上でヴィクトールはずっと考えていた。
(あの男…クヌートは、俺と互角…いやそれ以上だった)
そう、クヌートからは攻撃はされていない。ただ一方的にヴィクトールの攻撃を、クヌートは受け続けていただけだ。防戦一方だったという考え方もできるが、実際に手を合わせたヴィクトールだからこそ解る。手加減をしていた訳ではないが、本気でも無かったという事に。ただ冷静に、誰も傷つける事もなく、クヌートはこの場を乗り切ったという事実だけが残っていた。
(それに最後の言葉)
誰の為に剣を振るのか、騎士とは何を守る者なのか、ずっと悩み続けていた事を騎士ではないあの男に見事に見抜かれた。ヴィクトールにとってそれは悔しくもあり、何処か清々しくもあったのだ。
「団長、あの男は…本当に捕まえなければならない罪人なんでしょうか?」
「…俺が決めることではない」
「村人たちは感謝していましたね…」
「…税吏から村を救ったと」
「……」
ヴィクトールはクレインフィールドでの事を思い出す。村人全員から聞くクヌートを称賛する言葉、それはここ数年、国を守っているはずの騎士団にすら向けられた事のないものだった。
(そうだ。あの男は、民を守った)
その事実をしっかりと受け止めて、ヴィクトールは空を見上げる。
(俺は…何をしている?)
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「それで、捕らえたのか?」
ノルドヴァル王城の謁見の間で、ヴィクトールは王の前で膝をついていた。
周囲の貴族たちが無言でヴィクトールをじっと見ている。そんな光景すら、ヴィクトールにとっては煩わしいものだった。
「…いえ。逃げられました」
「何!? 役立たずめ!」
「申し訳ございません」
「次は必ず捕えよ! さもなくば…わかっておるな」
「…御意」
ヴィクトールが失敗したと聞いた時、確かに一瞬だけ居並ぶ貴族の表情に変化が生まれた。驚愕、嘲り、不安など、様々な思惑が渦巻くこの場であからさまに表に出すものは居ないが、それでも頭の中では算盤を弾いている。ノルドヴァル王国最強の騎士ヴィクトールの失敗は、公にさらされる事はないだろう。それは王家の力の陰りを示すことになってしまうからだ、それでもいつでも自分の派閥が有利になるようにと、王城内部の貴族たちは今日も足を引っ張りあっている。
(くだらないな)
謁見が終わり、ヴィクトールは城の自室へと向かっていた。
この国の重役に就いている貴族は人質として妻を、あるいは長子を城に預けるのが決まりだ。アレクセイ三世は、次に失敗したら人質がどうなるか分からないと脅しているのだ。クヌートに冷水をかけられたヴィクトールには、この王城に居る事への疑問が沸いて止まらなかった。するとますます、騎士とは何かという疑問が強くなるのだった。
自室に戻ってきたヴィクトールは、剣の手入れを始めた。
黙々と剣を磨きながら、ヴィクトールは思考の海へと沈んでいく。
(俺は騎士だ。王家に剣を捧げ、民を守る騎士…)
ただヴィクトールが作業をする小さな音だけが、部屋の中に存在している。
(だが、王家は民を見ていない)
刃を研ぎ、油を染み込ませた布で刀身を拭き取る。
(俺は…誰の為に戦っている)
そこで、ヴィクトールの作業する手がピタっと止まった。止まってしまった。
(俺は騎士だ。騎士とは…何だ)
そこでヴィクトールの頭の中に、クレインフィールドでの光景が浮かんだ。クヌートの事を話す村人たちの表情、言葉。そして実際に戦ったクヌート本人に意識が向かう。自分の全力を受け止め、尚且つ悩みまで見抜いた男。まるで自分を導くかのように振る舞うその言葉に、何処か救われたと思った自分がいる事にヴィクトールは気づく。
(救う…救われた)
民を救い、また命を狙った自分まで救ったクヌートという男。彼はヴィクトールとは違い騎士ではなかった。ただの一介の冒険者。なのに官吏に逆らい、騎士に逆らい、そして民を救っているという事実に改めてヴィクトールは驚愕する。
(俺は…誰を救った?)
――コンコンコン。
ノックの音に、ヴィクトールは思考を止めて意識を現実へと戻した。
「入れ」というと、彼の妻であるエレオノーレが部屋に入ってくる。真っ赤な長い髪をした、切れ長の目の美人が颯爽とヴィクトールの元へと近づいて、じっと彼の顔を見た。
「あなた。何か悩んでいますね?」
「…ああ。わかるのか?」
「ええ。愛する貴方の事ですもの…話してくださる?」
ヴィクトールは経緯と共に、素直に感じた事をエレオノーレに全て話した。
愛する夫の滅多に見ない姿に胸が熱くなりながらも、エレオノーレは最後までただ黙って話を聞いていた。
「その方、悪い人だとはとても思えないわ」
「…俺もだ」
「ねぇ、貴方は貴方の心に従っていいのよ」
「心?」
「そう。貴方が本当に正しいと思う道を選んで。私なら大丈夫だから」
「いいのか?」
「もちろんよ。これでも騎士団長ヴィクトールの妻なんですからね」
エレオノーレは伯爵家の次女でありながら剣の使い手だった。一時期騎士団にも入団していた程の実力があり、今でも稽古を欠かしていない。ヴィクトールの枷になるくらいなら、エレオノーレはこっそり城から逃げ出しても構わないと夫に言っているのだ。
「…ありがとう」
「ふふ。吹っ切れたみたいね」
「ああ。色々と忙しくなりそうだ」
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「ヴェスタリアへの視察、ですか?」
「ええ。クララ様の護衛を兼ねて、新書をヴェスタリアまで届けて頂きたいのです」
ある日の午後、訓練の休憩中にグスタフから告げられた突然の提案に、早乙女蓮は戸惑っていた。今までならば必ず日帰りの範囲でしか行動させられる事が無かったからだ。だが、それを聞いた他のメンバーは喜々として、その提案を了承し始めた。
「はっ! 面白そうじゃないか!」
「そうね。偶には外国に行くのも悪くないジャン?」
「ずっとここにいるのも飽きてきたしなー。いいんじゃない? 早乙女ちゃん」
「みんながそう言うなら…」
早乙女蓮が初めて人を斬った次の日、彼女は部屋から一歩も出なかった。食事もとらず、一日中ベッドの上で泣いて――いや、正確には早乙女蓮本人にも理由は分からないが、そこに感情は全く無く、涙がただ止まらなかったのだ。
幸い訓練は休みとなっていたので、その日は問題はなかった。そして泣きつかれた彼女は気が付いたら眠りについており、次の日には普通に訓練に参加していた。それから、付近の村を襲う盗賊退治なども問題なく行うようになっていたのだ。
何故あんなにも悩んでいたのか、無力な者を守る為に力を振るうと決めたはずなのに、とあの時の事を思い出すと早乙女蓮は自嘲してしまう。あれはホームシックのような、一次的な気の迷いだと思うようになっていた。
(私は強くなって、魔王を倒して地球に帰る。その時は、功刀さんも一緒に)
そう。
戦う力を持たない功刀の為に、魔王軍に襲われている王国の人々の為に、
早乙女蓮は戦うと覚悟を決めたのだ。
(けど、視察か…)
クララ王女でよかったと胸を撫で下ろす。
早乙女蓮は一度だけ会った事があった。勇者四人で訓練中に、第二王女であるクララが見学に来たことがあったのだ。よく喋る天真爛漫な少女だと、早乙女蓮はクララの事を認識している。
だが、第一王子であるハインリヒの事は、少し苦手だった。クララと同じように一度だけ訓練を見学しに来たことがあったが、それからというもの、何かしらの理由をつけて、早乙女蓮にプレゼントをしてくるようになったのだ。それとなく聞いてみれば、ハインリヒからのプレゼントは全員に贈られているらしいが、頻度は早乙女蓮や氷室鏡華の女性陣のほうが多いようだった。
(ハインリヒ殿下の御心がわからない)
応えるかどうかは別として、いっそ愛の言葉を囁いてもらったほうが楽だと思うくらいの頻度で、贈り物攻勢を受けていたのだ。意図のわからないプレゼントほど、困惑するものはないのだと、早乙女蓮はほとほと困り果てていた。
(婚約者がいてもおかしくないお年のはずだけど)
だが、第一王子であるハインリヒはその複雑な出自から、まだ婚約者は決まっていないようで、執務の間に色々な女性と会っているという噂が城内に流れていた。
(…と、いけない。不敬だわ)
こんな事を考えていると知られたら不敬罪に問われて、それこそ何をされてもおかしくないと、早乙女蓮は思考を切り替える。元々俳優である彼女にとって、思考の切り替えは造作もない事だった。
「では、皆様引き受けて下さるという事で宜しいでしょうか?」
「勿論だ! 可憐なクララ殿下には指一本でも触れさせないさ」
「承知致しました。その旨、クララ殿下にお伝えします」
早乙女蓮がそんな事を考えているとは露知らず、天堂麗司がそう嘯く。
第一王女エリザベートに相手にされなかった彼は、勇者という立場を利用して王宮中の妙齢の女性に手を出しているという噂も早乙女蓮は聞いた事がある。真偽の程はわからないが、今の彼なら真実であってもおかしくはないと、早乙女蓮は思っていた。
(このままで大丈夫なのかな…)
――空を見上げた早乙女蓮の脳裏に浮かぶのは、訓練場で黙々と剣を振る功刀の後ろ姿だった。
これにて第四章が終了です!
そして誤字報告、ありがとうございます!
もうしばらくは、月、水、金、日の17時頃の更新とさせて下さい。
引き続き「斬られ役のおっさん」をよろしくお願いいたします!!




