閑話 エリザベートの誤算
(わたくしは、一体いつから間違えていたのかしら)
ルーンベルグの王宮の外れには、罪を犯した王族を幽閉する為の塔がある。『静謐の塔』と呼ばれるそこに、ルーンベルグの第一王女エリザベートは監禁されていた。
天童麗司たち勇者が揃ってゼノビア侵攻を失敗した挙句、その内の二人が敵側に寝返った責任を取るというのが表向きの理由だった。
――だが、事はそんな簡単な事態ではない事を、エリザベートは理解している。
(クララがあんなに抜け目がなくなっていたとは思わなかったわ)
一時期、ずっと勇者である天童麗司とばかり過ごすようになり、他の貴族の妙齢の子女たちを宛がっていた事は、”影”からの報告で聞いている。”貴重な戦力”である勇者をもてなすこと自体は問題なかったので、エリザベートはいっそクララに接待役を任せることにしたのだ。
そして、勇者たちが訓練を終えて、満を持してゼノビアへ侵攻をかけたところまでは問題はなかった。だが、政務の間に勇者たちの育成計画を立てつつ、王や教会が下手に口を出せないように牽制する忙しない日々を過ごしている内に、少しずつ状況が変わっていたのだ。
勇者たちが出発する頃から、周囲の人間が自分を見る目が変わってきていることに、エリザベートは気付けなかった。どこか人との距離に違和感は感じていたが、エリザベートは元々ルーンベルグの王宮では良くも悪くも目立っているので、基本的には人とは平等に接している。
裏を返せば、等しく一定の距離感をとった付き合いをしていたので、”それ”に気付いた時には既に手遅れだった。
――じわじわと王宮内に広がっていく、とある噂。
それを聞いた時に、初めてエリザベートは自分の立場の危うさを感じたのだが、その時には既にもう遅かった。第一王位継承権を持っていたエリザベートを追い詰める罠が、既に首筋まで迫っていたのだ。
曰く――エリザベートは勇者の力を利用して、王を排そうとしている。
曰く――エリザベートは”勇者の為に”という名目で、貴族たちに資金提供を仰いだが、それを着服している。
曰く――エリザベートは天童麗司に心底惚れ込んでいて彼に貢いでいるが、それを隠す為に敢えてクララに接待させている。
曰く――エリザベートはそんなクララに嫉妬をしていて、陰で嫌がらせをしている。
――などという、根も葉もない噂が使用人から下級貴族に出回り、それがいつの間にか中級貴族にも広がっていた。上級貴族はさすがにそんな簡単に流言には引っかからないが、それが回っているということ自体が、エリザベートが王宮内を掌握できていないという証になってしまう。
――自らに迫る見えない刃に気付いた時、もはやエリザベートにはどうする事も出来なかった。
信頼できる側近たちですら疑心暗鬼になっていて、エリザベートの影響力は瞬く間に落ちていく。そして、エリザベートの肝煎りであった「勇者召喚によるゼノビア侵攻作戦」が、”一人の男”によって阻止されたという報告があった時、エリザベートの立場は地に落ちた。
しかも、”その男”を追放したのは、いつの間にかエリザベートという事になっていたのだ――
(もしかしたら、”彼”を見抜けなかった時点で間違っていたのかもしれないですわね)
――ふと鉄格子越しに夜空を見ながら、エリザベートは思わず自嘲の笑みを浮かべる。
新兵並みのステータスしか持たない役立たずだった筈の「勇者の付き人」。そのクヌギという男が勇者四人を撃退したという報告が上げられた。にわかには信じられない話だったが、”影”の報告に間違いなどある訳がなく王国に重大な損害を与えたとして、エリザベートは近衛兵を率いたクララによって捕らえられたのだ。
(いえ、あの子だけでは、ここまでの計画は立てられないでしょう…)
その際、用意周到なことに「第一王位継承権をクララに譲れ」という国王の勅命まで持っていた。そこまでの手際がエリザベートの知るクララにあるはずがなく、間違いなく”誰か”が裏で糸を引いていると、エリザベートは確信していた。
(こんな事が出来るのは、”あの子”しかいませんわね…見事にやられましたわ)
人懐っこい笑顔で、人の懐に入り込むのが妙に上手だったルーンベルグ王国第一王子ハインリヒ。だが、ふとした時に見せる無機質な目が、ずっとエリザベートには気になっていた。
その裏に何かを隠しているとエリザベートの勘が告げていたのだが、いつしか仕事に忙殺されていて、その事から目を背けていた。きっと油断していたのだろう、その結果が今の自分なのだと、エリザベートは独りごちる。
(…無駄な時間を過ごしている場合ではないのに)
エリザベートは思わず拳をぎゅっと握りしめた。一刻も早く自分の元に世界を一つにまとめなければという、脅迫にも似た想いは日に日に強くなっている。だが、それとは裏腹に今のエリザベートには何も打つ手がなかった。焦燥感を胸に、ただただ空を見ることしか、今の彼女には許されていない。
(レオンにも、心配をかけているでしょうね)
ルーンベルグ一国の手によってこの世界を平和へと導く、という子供じみた自分の理念に共感してくれた、幼馴染でもあるレオンハルト。国王ではなく、第一王女である自分に剣を捧げ、騎士としての忠誠を誓ってくれた彼は今どうしているだろうかと、エリザベートは思いを馳せる。
――すると、部屋から出る唯一の入り口からノックの音が聞こえてきた。
すぐにガチャリと鍵が外れる音がする。エリザベートが返事をする前に入ってきたのは、先程まで思考の中心にいた自らの妹、クララだった。クララは嫌らしい笑みを浮かべながら、エリザベートに話しかけてくる。
「お姉さま、今日のお加減はいかがですか?」
その表情は愉悦にまみれていて、エリザベートの記憶にあるかつての可愛い妹の面影は微塵も感じられない。そんな変わり果てた妹の様子を見て、ふとエリザベートは疑問に思う。
(…クララは”こんな娘”だったかしら)
幼い頃は隙を見つけては自らの下にやってきて、「お姉様!」と慕ってくれたクララ。「大きくなったら、お姉様と共にこの国をより良い国にするんだ!」と、口癖のように言っていたクララ。そんな彼女が、まるで人が変わったみたいに、いま目の前で自分を見下している。
(待ちなさい…そんな話、何処かで聞いたような……)
エリザベートはそんな記憶の取っ掛かりを探ろうとするが、目の前の妹はそれを許してはくれなかった。心底楽しそうに、クララはエリザベートに話しかける。
「今日はお姉様に、いい話があるのよ」
「いい話?」
「そう! とてもいい話!! きっと喜んでくれるわ!!」
「そう。それで、話って何?」
「フフフ…あのね――」
勿体ぶったクララの口元が、三日月のように大きく弧を描くと、エリザベートは嫌な予感がした――
「――明日、近衛騎士団が、ゼノビアの悪魔に”特攻”をかけるのよ」
――外れて欲しい時ほど、悪い予感というものは良く当たるもので、エリザベートはクララの言葉を理解できなかった。いや、理解したくなかった。今にも真っ白になりそうな頭で、辛うじてクララに問いかける。
「どういう、こと?」
「だから、レオン兄に、ゼノビアの悪魔たちをやっつけてもらうの! 勝ったらお姉様に恩赦を与えるっていったら、とても喜んでいたわ! ね、いい話でしょ」
歪んだ表情でけらけらと笑う”クララ”。本当に、いま目の前にいるのは、かつて一緒に過ごした妹なのだろうか。ぼんやりとした頭でエリザベートはそう考える。そんなエリザベートの呆然とする姿に満足したのか、クララは一つ頷くとエリザベートの耳元に口を近づけた。
「でもね、勝てなかったらまとめて”責任”を取らせるって言ってあるから…ね、お姉様、みんな死んじゃうかも」
耳元で悪魔のように囁くクララの声は、もはや嫌悪以外の何物でもなかった。それを見たエリザベートは、まるで交渉の場にいるかのように意識を変える。相手はもはや愛する妹ではなく”敵”なのだとはっきり認識を切り替えて、エリザベートは”クララ”に命令をする。
「…やめさせなさい」
「は? お姉様、今なんて?」
「無謀な作戦はやめさせなさいといったのです。”勇者四人”が敵わなかった相手を、近衛騎士団で倒せるとは思わないわ」
「バカね。お姉様が知らない間に、光明教会が新しい神の祝福に目覚めたのよ」
「祝福ですって?」
「そうよ。神の加護によって、新たな力を授かる祝福よ! 神の兵となれば、魔族なんて目じゃないわ!」
「そんな話は聞いたことないわ」
「フフフ、惨めね。お姉様は引きこもっている間に、世界は変わっているのよ」
あくまで自らを見下したまま、クララはエリザベートに背を向けた。そして、用は済んだとばかりに扉の方へとツカツカと歩いていってしまう。そんなクララの背に向けて、エリザベートは凛として声をかけた。
「待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」
「ムダよ、これは次期女王としてのワタシの決定事項ですもの。そんな権限は今のお姉様にはないわ」
「だからって、近衛騎士団を使い捨てるなんて大問題でしょう!」
「勝てば問題ないでしょう? それに、まだまだ手はあるもの」
「クララ…貴女いったい何を考えているの?」
「フフフ…ナイショよ。ではお姉様、ごきげんよう」
エリザベートは思わず手を伸ばすが、クララは振り返ることもなく扉を開けて部屋から出ていった。無情にもガチャンと施錠をする音だけが響き渡り、エリザベートは力無く伸ばしていた手を下ろす。
(クララ…いいえ、ハインリヒ。あなた達はいったい何を企んでいるの)
クララの”いい話”が衝撃的すぎて、クララとの会話中にエリザベートの頭の中で生まれた小さな”疑問”は、もはや完全に忘れ去られてしまっていた。変わり果てたクララの背後にいるはずの”弟”の顔が思い浮かぶと、エリザベートは自らの無力さに唇を噛んだ。
そのままよたよたと窓際まで歩いていくと、エリザベートは夜空を仰ぐ――
(レオン…グスタフ…どうか無事でいて)
――先程までそこにあった筈の月は雲に覆われてしまい、どこにも見つけられなかった。




