閑話 女の闘い
(眠れないわ)
マリアはベッドから起き上がると、夜着の上に薄いショールを纏って部屋から出た。そのままなんとなく夜の廊下を歩いていると、見知った後ろ姿が遠くバルコニーにいるのが見えた。
(あれは、クヌート? それに…)
声をかけようとしたが、何やら親密そうに話をしていたので、マリアは躊躇する。それに、なんだかクヌートの顔が、普段より柔らかいような感じがしたのも、マリアが二の足を踏むことに加担していた。
――結果、マリアがとった行動は、ただ二人の話を盗み聞きすることになってしまったのだった。
足を止めたまま、遠く風に乗って聞こえてくる断片的な二人の声がマリアの耳に届いてくる。
「反省してくださいね。…もう置いていっちゃイヤですよ」
そう言った勇者サオトメの表情からは、クヌートへの好意が見え隠れしていて――
(…あぁ、敵わないなぁ)
――マリアは静かに拳を握ると、そのまま部屋に引き返そうとする。
(だって、お似合いじゃない)
自分と同じような年なのに少女のような可憐さもあり、尚且つ勇敢でクヌートと肩を並べて戦えるだけの実力がある。
同じ世界から召喚された勇者サオトメとクヌートが親しげに話をしているのを見て、クヌートに世話になりっぱなしの自分と比べてしまい、なに一つ叶うものがないと思ってしまっていたのだ。
――その時、そんなマリアに声をかける者がいた。
「あら、どうしたのー?」
「エラ…」
「そんな顔して、何があったのよ」
「ち、違うわよ…」
「何よ、今にも泣きそうな顔してるじゃない」
「そんな顔してないわよ」
慌てて目を逸らすマリアの視線の先には、バルコニーにいるクヌートと、去っていくサオトメの姿があった。そんなマリアの視線を追ったエラが、おおよその事情を察すると呆れたようにマリアに言い放つ。
「バカね」
「い、いきなり何よ」
「どーせ、あの娘と自分を比べて落ち込んだんでしょ」
「そ、そんなことないわよ」
「まったく、だったら早く伝えればよかったのに」
「だって、邪魔するわけにはいかないでしょう?」
「そういうところは乙女なんだから」
「や、やめてって」
うりうり、とマリアの頬を指でつつくエラに、涙目で抵抗するマリアだったが、心の中では感謝をしていた。エラが自分に気を使って、わざと明るく振舞っていることは、長い付き合いだからわかっているからだ。
それはエラも同様で、こんな時のマリアは全部自分のせいにしてしまうと知っている。だからこそ、エラはマリアの背中を押すために、いつもからかっているのだ。
(でも”勇者”ねぇ)
そんなエラもクヌートの正体を知ってからは、少し思うところがあった。今までクヌートは影に隠れて暗躍していて、その姿を自分と重ねて共感していた。
だが色々と吹っ切れたのか、最近は自ら表に立って、更にはあれだけ否定していた”勇者”に自らなろうとしている。そんなクヌートを見ていると、エラはどこか胸がもやもやしているのだった。
「マリアー」
「何よ」
「あまりもたもたしてるようなら、とっちゃおうかなー」
「え!? 今なんて?」
「なんでもないわよ。さ、寝ましょ」
「え、ええ」
エラに背中を押されながら、怪訝な顔をしたマリアは部屋に戻っていく。
――そんな二人の姿を、廊下の角から楽し気に見守る影があった。
「あらあら、面白いことになりそうですわね」
---
「ハァッ!!」
――一条の銀閃が閃き、兵士たちの持つ剣が宙を舞う。
すぐにカランカラン、と音を立てて剣が床に転がっていった。兵士たちの前にはドレス姿の一人のスラリとした女性が立っている。自分より遥かに逞しい体格の兵士たちを相手に、その女性はなにひとつ怯む様子もなく、剣を突きつけていた。
「これが最後ですわ。道を開けなさい」
真っ赤な長い髪をした女性が、切れ長の目で兵士たちをキッと睨む。その気迫に呑まれた兵士たちは、じりじりと後退りをしていく。だが、それが時間稼ぎにしか見えなかったドレス姿の女性は、すぐに剣を脇に構える。
「『疾風――』」
「「うわぁああぁぁっ!!」」
彼女がそう言いながら一歩踏み込むと、彼女の”本気”を見た兵士たちが、ここでようやく我先にと壁際に寄って道を開ける。それを見たドレス姿の女性――エレオノーレは内心で毒吐いていた。
(時間がないというのに…)
ここはノルドヴァル王国の首都にあるフロストヘイム城。クヌートという一人の冒険者と出会うことで騎士団長である夫、ヴィクトールは自らの在り方に自問自答を始め、ついに一つの結論を出したのだ。
――それは、”国”とは”民”であり、”民”のためにこそ”騎士”は戦うべきである、というものだった。
その決断にエレオノーレは共感した。今の”王家”の腐敗は酷くなる一方だったからだった。以前はもう少しまともだったように思えたが、近年になり我らが王が自国よりもルーンベルグを優先するようになっていったのを、エレオノーレは覚えている。急に人質をとるように、貴族たちの”家族”を城に住まわせるようになったのも同じ時期だった。
(ずっとおかしいと思っていたわ)
そして気がつけば、イザベラとかいう光明教会の女司祭が、城に入るようになっていた。それから更に王家はおかしな方向に進んでいき、民たちは重税に苦しみだしたのだ。
――そんな国の腐敗を見てきた夫の部下たちも、ヴィクトールの”決断”に賛同している。
そして、まだ腐っていない貴族たちや街の勇士とも密かに連絡取り合って、クーデターを計画していたのだ。だが、決行する直前になり、ヴィクトールは普段から夫と対立していた第二騎士団に連行された。妻であるエレオノーレを逃がすために、わざと捕まったのだった。
(あなた、待っていて)
エレオノーレが兵士たちの間を走り抜ける間も、城内のあちこちで剣戟の音が鳴り響いている。
――そう、クーデターは、決行されたのだ。
元々、ヴィクトールの部下たち第一騎士団の面々は、ノルドヴァル王国最強の騎士団である。たとえ数は少なくとも、他の騎士団とは一線を置いていた。それに加えてクーデターに向け、非番の時にはこっそりと魔物を狩りに行きレベルも上げている。
そこに”勇士”たち――冒険者ギルドが手を貸しているのだ。
「はっ! どうしたどうした! これならそこらの魔物の方がよっぽど手強いぜっ!」
隻腕の冒険者が逞しい右腕で戦槌を振るう度に、騎士や兵士が壁に叩きつけられていく。左目は眼帯で覆われていたが、残された右眼からは鋭い眼光が放たれていて、周囲の敵を威圧していた。
「ギルドマスターが国に逆らっていいと思っているのか!」
「はっ! 民を守らない国なんざいらんっ!!」
「くそっ! あの老いぼれを止めろ!」
第二騎士団の副長が兵士たちの後ろからそう命令するが、兵士たちの腰は引けている。
――そう、隻腕の冒険者はフロストへイム支部のマスターである、トルビョルンだった。
ヴィクトールから直接話を聞き、彼は喜々としてその”計画”に乗っかっていた。何故なら、ギルドには国民たちからの悲痛な依頼が増えていくばかりだったからだ。
母親の薬が買えない子供が、ギルドに直接助けを求めてくる事もあった。だが、ギルドとしては表立っては何もしてやる事が出来ない。こっそり備蓄の薬草を渡したところで気休め程度にしかならず、トルビョルンは歯痒い思いをする事が何度もあった。
だからこそ、ギルドマスター自らが先陣を切って、ヴィクトールに手を貸したのだった。
(子供にあんな顔させるような”国”なんざ必要ねぇよ!)
トルビョルンが兵士たちの目の前で、思いっきり戦槌を振り上げる――
「喰らえぃ! 『震地槌』ッ!」
「「うわぁあああっ!!」」
――それを床に叩きつけると、激しい揺れが起きて兵士たちはみな床に転がった。
「はっ! 軟弱者たちが!」
お互いの身体か重なり、身動きがとれずにもがいている様子を、トルビョルンは冷めた目で見ていた。
そんなトルビョルンの元に、エレオノーレが駆けつけてくる。
「マスター」
「お、姫さんか」
「主人の居場所がわかりました」
「わかった。案内してくれ」
二人は床に転がる兵士たちを無視して、城の地下にある牢屋へと向かった。エレオノーレが第二騎士団の詰所に向かって、騎士たちを”尋問”して、夫の居場所を吐かせたのだ。
地下牢に向かう途中、歯向かう兵士たちを容赦なく蹴散らしながら、二人は地下牢へと進んでいく。
(急がないと)
エレオノーレは焦っていた。あまり時間をかけすぎては、国王たちに逃げられてしまうかもしれないからだ。逆に言えば、王族さえ確保すれば、この戦いはこちらの勝利である。その為には旗印であるヴィクトールの存在は、必須だった。何故なら、この国を支える四つの公爵家の筆頭であるブラッドウルフ家にのみ、王族の血が流れているからだ。
かつてのブラッドウルフ家の当主、ヴィクトールの曽祖父であるジェラールの功績を称え、褒美として王家から王女が降嫁してきた。そのジェラールの血を継いでいるヴィクトールにも、当然ノルドヴァル王家の血が流れている。
正当な”血筋”と、民を救うという”大義名分”――
この二つが揃っているからこそ冒険者ギルドは、トルビョルンは力を貸すことにしたのだ。これならば、一応冒険者ギルド本部に対する名目が立つと、彼は判断したのだった。
――そして二人は、ようやく地下牢へと辿り着いた。
地下牢は、何処かジメジメしていて、ひんやりと冷えていた。北国であるフロストヘイムの地下牢は当然冷え切っており、この場に収監すること自体がある種の拷問である。故に、余程の重罪人しかここに入れられることはなかった。
――その一番奥の牢に、ヴィクトールは居た。
着ている騎士服は拷問でも受けたのか、ズタズタに切り裂かれている。その様子から見て、恐らく鞭で打たれたのであろう。そんな夫の酷い姿を見て、エレオノーレは悲痛な声を上げる。
「貴方! おケガは?」
「大丈夫だ。問題はない」
「おいおい。強がりはよせ」
「いや、本当だ。治されたからな…あの女に」
「誰にだ」
確かによくよく見れば、裂かれた服の下に見える肌には傷があるようには見えなかった。何処か苦々しい口調のヴィクトールにトルビョルンが尋ねると、ヴィクトールは訝しげに答える。
「イザベラだ…あの女、何を企んでいる」
---
(もう、この国に用はないわね)
フロストへイム城の内部がクーデターで大騒ぎになっている時、イザベラは城の中庭にある礼拝堂にいた。そこの奥にある一室は、司祭であるイザベラの部屋となっている。
ノルドヴァル王アレクセイ三世の”相談役”として、王の寝室の近くにも部屋を与えられているが、イザベラは既にそこを引き払っていた。足がつきそうなものは全て魔法鞄に詰めてある。例え”誰か”が部屋に入ったとしても、何の問題もなかった。
(充分に、皆に”救い”を与えることができたわ)
第二騎士団長に拷問されたヴィクトールを治療したのも、クーデターを長引かせるためだ。一滴でも多くの血が流れることこそ、彼女の目的だった。
そうして、イザベラは、自らの信じる”神”に両手を組んで祈りを捧げる――
「神よ…彼らの苦しみをお受け取り下さい。我らが救世主よ」
――恍惚な表情でそう呟くイザベラ。
彼女にとっては、苦しみ抜いた上に死ぬことこそが、”救い”だった。そうして、いつか”神”の元へと行き、皆が”一つ”になった時、真の自由がもたらされる。イザベラはそう信じて疑わなかった。
(だって生きることこそ罰でしょう)
ルミナスのせいで、望んでもいないのに勝手にこの世に生を受けさせれて、苦しみながら生きていかなければならない。それは、イザベラにとってはまさに拷問に等しかった。
見た目が気に入らない、という理由で親に捨てられてたイザベラは光明教会に拾われ、そこで偶然””本当の神”の存在を知ることになったのだった。
「あぁ、もうすぐよ…」
イザベラがそう呟きながら、床に敷いてある絨毯をめくると、そこには”転移陣”があった。イザベラは魔石を嵌めてから、礼拝堂に火を放つ。
「もうすぐアナタ様の元に――」
祈りを捧げながらイザベラが魔石に魔力を注ぐと、転移陣は赤く不気味に輝く――
「――ヴォイドグラム様」
――カッ、と転移陣が輝くと、もうイザベラの姿はなかった。
イザベラの放った炎が、礼拝堂ごと転移陣を静かに焼き尽くしていく。
まるで、血のような赤い炎が、真っ白なフロストヘイムの空に向かって登っていった。




