第57話 新たな関係(6)
「海里!」
もう一度名前を呼ばれ、声のしたほうに視線を向けると、そこには見覚えのある人物の姿があった。
(あれって確か、同じクラスの……)
新学期初日に、海里に対して親しげに話しかけてきた人だということはわかったが、あれ以来全くといっていいほど接点がなかったために、名前すらうろ覚えの相手だ。
(確か名字は麻生さんだったよな……? 下の名前は思い出せないけど、海里と同中だったって言ってたのは覚えてる)
よく知りもしない人だけに、本当のところはどうかわからないけれど、あまり積極的に関わり合いになりたいタイプではない印象だった。
彼女は海里に会えたのが余程嬉しかったのか、弾けるような笑顔を見せている。
小走りでこちらに近寄ってくる彼女の後ろに数人の女子がいることから、友達と一緒にここを訪れていて、偶然俺たちに遭遇したらしいことが窺えた。
そしてもうひとつわかったことが。
(ああ、あの子海里のことが好きなんだな……)
海里が自分に気付いた瞬間の嬉しそうな笑顔。思いがけない偶然の出会いに瞳を輝かせている様子を見たら、いくら他人に興味がなくて鈍い俺でもさすがに気付く。
チラリと海里を見上げると、海里は感情の読めない表情で彼女たちのほうを見据えていた。
それは、いつもの明るく人懐っこい雰囲気とは違い、どこか緊張感を感じさせるものだった。
彼女自身に何か思うところがあるのか、それとも後ろにいる友達のほうと何かあったのか。
そう考えていた時、ふとさっき海里が話していたことを思い出した。
(あ、もしかしてあの中に元カノがいるとか……?)
海里は相手に告白されたから付き合ってただけ、みたいな言い方をしていたけれど、たとえ気持ちが伴っていなかったとしても、付き合っていたことは事実だ。
なんとなくモヤモヤしたものを感じていると、隣にいた海里がまるで彼女たちとの間を遮るような位置に移動した。
何も言わずに海里に背中を向けられるかたちになったことに、内心驚きを隠せない。
どうしたのかと聞く勇気すら持てず、かといって海里の背中を見つめているのも苦しくて、そっと目を伏せる。
するとすぐに場違いなほどにハイテンションな声が聞こえてきた。
「偶然だねー! こんなとこで海里に会えるなんて思わなかったよ。今日は付き添い? 自分が興味のないことでも付き合ってあげてるなんて、海里ってやっぱり優しいよねー」
悪意はないのだろうが、妙に引っかかる言い方をされ、気持ちが沈む。
ここを選んだのは海里だし、海里が好きな場所だと言っていたのに、俺と一緒にいるだけでこんな風に言われるなんて思ってもいなかった。
「そういうんじゃないから。むしろ俺が凛音に付き合ってもらってんの。水族館に来たかったのは俺のほうだし。──そっちは友達と来てるんでしょ? あっち戻んなくていいの?」
そう言いながら、海里が少し離れた場所からこちらの様子を見ている友人たちのほうに視線を向けている。
俺には暗にさっさと戻れと言っているように聞こえるが、海里の表情まではわからないため、その言葉の真意は不明だ。
「全然大丈夫。みんなも行ってきていいって言ってたし。なんなら一緒に回ろうって話もしてたんだ。人数多いほうが楽しいし、海里も知ってる人ばっかだからさー」
どうやら俺のことは完全に眼中にないらしい。
もしくは海里のオマケ程度に思われているのか。
すっかり自分の中で勝手な予定を立てている彼女は、海里に夢中で俺のほうを見ようともしていない。
最早気配を消して海里がどうするつもりか見守るしかないな、と考えていると、突然海里が振り返り、俺の手を掴んで歩き出した。
「悪いけど、今日は凛音と二人だけで楽しみたいから、遠慮して」
すれ違いざまにそう口にした海里の表情は、あきらかに苛立ちを含んだものだった。
「え、ちょっと! 何なの!?」
彼女は海里にこんな態度をとられるなんて考えてもいなかったのか、何を言われたのか理解できずに困惑しているようだった。
俺は俺でどうしたらいいのかわからないまま、黙って彼女の横を通り過ぎる。
一応クラスメイトだけれど彼女とは話したこともないし、たった今まであからさまにいないものとして扱われていただけに、ここで声をかけるのも憚られた。
彼女が大きな声を出したせいか、あちこちから視線が向けられているのがわかって居心地が悪い。
それに気付いてしまったら、一刻も早くこの場を離れたくて、俺は何も言わずに黙々と足を動かした。
海里は俺の手をしっかりと握ったまま、一度も振り返ることなく歩き続ける。
どんな表情をしているのかわからないけれど、なんとなく気持ちに余裕がなさそうな態度が気になった。
水族館の出入口付近まで来てようやく立ち止まる。
やっと俺のほうを見てくれた海里は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「海里」
名前を呼ぶと、すぐにハッとした表情になり、苦笑いする。
「……ゴメン。結局イルカショー見れなかった」
海里が本当に謝りたかったのはこの事ではないんだろうなと思いながらも、俺はあえて気付かなかった振りをして言葉を返した。
「謝るようなことじゃないから大丈夫。もう二度と見れないってわけじゃないし」
「でも……!」
「俺のことは気にしなくていいから。イルカショーはまた次の機会ってことで、楽しみに待ってる」
海里が気にしないよう、できるだけ軽い調子でそう言ったのに、海里は何故か不満そうな顔をする。
俺にはその原因に思い至らず、困惑する羽目になっていた。




