第56話 新たな関係(5)
俺は誰とも付き合ったことがないけれど、『好き』という気持ちだけはよく知っている。
けれど煌斗に恋していた時のことを考えると、あの頃感じていた胸の高鳴りより、ずっと抱え続けていた痛みのほうが鮮明に思い出される気がして苦しくなった。
煌斗と話したことで、あの時の気持ちは過去になったと自分でちゃんと認識できてはいるものの、好きという気持ちが必ずしも幸せな感情ばかりではないことを知っているだけに、海里の言葉にどういう反応をしたらいいのかわからない。
「こんなとこでするような話じゃなかったね、ゴメン。──えっと、次は何見よっか? イルカショーって何時だったっけな」
海里は俺が言葉を返さないことで何かを察したのか、すぐに話題を変えてくれた。
いつもどおりの表情の中に滲むなんとも言えない気まずさ。
何でもスマートにこなす海里の不器用な一面を垣間見た気がして、なんだか少しだけ気が抜けた。
俺もこれ以上この話を掘り下げる気はないので、何事もなかった振りで言葉を返す。
「……イルカショー見たいかも。水族館自体、幼稚園のバス遠足以来だし、イルカショーもあんまり記憶に残ってないから」
「え、なんか意外。凛音の家って仲が良い家族だから、こういうところとかしょっちゅう来てるのかと思ってた」
「確かに小学生くらいまでは結構色んなとこに連れて行ってもらってたけど、……水族館はないな」
「もしかして海より山派だったってこと?」
その問いかけに、俺は一瞬言葉に詰まった。
どちらがどうとかは特にない。
キャンプにも行ったし、海水浴にも連れて行ってもらった。
俺自身は小さい頃からあまり活動的な子供ではなかったけれど、父親はアクティブな人だし、その影響もあるからアウトドアも嫌いではない。
「特にこだわりはないよ。できればのんびり出来る場所のほうが好きってだけで」
今日は休日だから多くの人で賑わってはいるけど、深海にいるみたいな薄暗い空間で、水槽を眺めながらぼんやりするのは結構好きだ。
幼い頃に色々あったせいで水族館に縁がなくなってしまったが、久々に来ると結構楽しい。
「家族で出かける時の候補に水族館が入らなかったのは、水族館に初めて行った時に俺が大泣きしたからだと思う」
「え!? どういうこと? 何があったの?」
焦ったような表情の海里に苦笑いしながら、今となっては笑い話でしかない水族館での思い出を披露した。
「幼稚園のバス遠足ってさ、親も一緒に参加するんだけど、その時は父さんが参加しててさ、行き先は水族館だったわけ」
「うん」
「父さんは若い頃、釣りが趣味だったらしくて、魚にも詳しかったから、張り切って魚の解説をしてくれたんだけど……。俺にわかりやすいようにって思ったのか、説明が全部寿司ネタで」
「あ、察し……」
「当時、元の姿を知らなかった俺にはそれが結構衝撃でさ。魚だけでもショックだったのに、巨大なタコが動いてる姿を見たら怖すぎて泣いちゃって、水族館を楽しむどころじゃなくなったんだよね。……まあ、俺はそのこと、あんまり覚えてないんだけど」
余程怖かったからなのか、それとも幼かったせいか、俺にはその時の記憶はない。
けれど、家に帰ってから父は母から散々注意され、父も俺にトラウマを植え付けてしまったことを後悔していたようだ。
それ以来我が家では、水族館に行こうという話になったことはない。
ちなみにこの話は、小学校の高学年くらいの時に、母がこっそり教えてくれた。
父はいまだにそのことを気にしてるという話と一緒に。
「今は全然平気だし、むしろ笑い話でしかないんだけどさ」
全く気にしていないことを伝えるために笑顔でそう言い切ると、不安そうにしていた海里の表情が少し緩んだ。
「……それだったら良かったけど、苦手なとこに連れて来ちゃったのかと思って、マジで焦った」
「大丈夫だよ。むしろ連れて来てくれてありがとう。ほぼ初めてだから、滅茶苦茶楽しい」
その言葉で、海里がやっと笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、イルカショーのところに移動しよっか。席は特に決まってないみたいだから、早めに行って席を確保しておいてもいいかも。その前になんか飲み物とか買ってかない? 確か屋外に移動する途中に売店があったと思うから」
「うん、そうしよう」
水槽の前から離れ、二人で並んで歩きながら、イルカショーが行われる屋外に移動する。
今日は天気が良いからか、外の売店には行列ができていて、注文するまでまだ時間がかかりそうだった。
「イルカショーまであと三十分くらいあるし、混んでても充分間に合いそうだね」
「間に合わなくても大丈夫。べつに次の回でもいいし」
そこまで言って、ふと今日の主旨を思い出した。
「あ、もしかして次の予定っていうか、何か考えてたことあった?」
「一応ね。でも予定変更でも全然大丈夫。俺は凛音と一緒にいられればいいし、凛音が楽しんでくれたらそれだけで嬉しいし」
思わず見惚れてしまいそうになるほど甘い視線と笑顔を向けられ、俺はどう反応していいのかわからず言葉に詰まる。
「今日行けなくても、また次にすればいいだけだから」
何の反応も見せない俺をどう思ったのか、海里は本当に気にしていないかのように、あっさりとそう言った。
海里がどういう気持ちで今の言葉を言ったのか。
俺にはその真意はわからない。
でも、『次』という言葉は、予想以上に俺の心に重く沈んでいく。
(海里の気持ちに応えられるかどうかもわからないのに、学校以外の場所でこんな風に一緒にいていいのかな……)
わかっていたことなのに、なんだか急に後ろめたい気持ちにさせられた俺は、それを誤魔化すかのように、列の先頭へ視線を移した。
その時。
「海里!」
突然聞こえた海里を呼ぶ声に、俺と海里は驚いて視線を合わせることになった。




