第58話 新たな関係(7)
しばらく無言のままでいると、俺たちがいる出入口付近がにわかに混み始め、俺たちはこの場からの移動を余儀なくされた。
建物から出て、敷地内にある庭園へ足を進める。
ここは人工的に造られた大きな池の周りに遊歩道があり、水族館の入園チケットがなくても自由に散策できるようになっている場所だ。
木陰に設置してあるベンチには、休憩しているらしい人たちの姿がちらほら見えたが、今日は少し暑いせいかそれほど人は多くなく、奥に進むにつれ人影はほとんどない状態だった。
「座ってちょっと話そう」
俺の提案に海里が頷く。
館内を全て見終わったわけではないので、もう一度展示スペースに戻ってもいいのだが、海里のこの様子では仕切り直すのは無理だろう。
海里の言うところの『デート』はまだ始まったばかりで、滞在時間を考えると帰るにはあまりにも早すぎるが、さっきも言ったとおり水族館にはまた来ればいいだけだから、そこはたいして気にならない。
俺的にはさっきの彼女たちともう一度顔を合わせる可能性があるところに戻ってまで見たいものがあるわけじゃないので、むしろこういう場所でゆっくり話せるほうがありがたい。
途中にあった自動販売機で飲み物を買い、あまり人が通らなそうな奥まったところにあるベンチに向かう。
二人で並んで座り、それぞれ喉を潤しながら一息ついたところで、海里が躊躇いがちに口を開いた。
「……凛音はさ、ああいうこと言われて嫌じゃないの?」
海里の言う『ああいうこと』が何を指しているのかすぐに察しがついたものの、わざわざ口にしたい内容でもないため答えに詰まる。
嫌じゃないと言えば嘘になるが、それはすでに煌斗の時で経験済みで、海里のように目立つ人と一緒にいる以上、こういうことがあるのは仕方ないというか、気にするだけ無駄だと思うことにしているのだ。
一瞬、そのまま正直に答えようかとも思ったが、わざわざ煌斗のことを話題に出すのもどうかと思うのでやめておく。
俺は浅く息を吐くと、いつもより重く感じる口を開いた。
「……俺だって、何とも思ってないわけじゃないよ。でもあれは海里のせいじゃないし、海里が謝る必要のないことだって思ってるから。──だから気にしないでほしいんだ」
「でも俺は、俺のせいで凛音が侮られたり、嫌な思いをしたりするのが嫌だし、そんな思いをさせた自分が許せない」
まだ納得のいかない様子の海里に、俺はあえてのんびりとした口調で答える。
「あのさ、俺は俺のことよく知りもしない人間にどうこう言われるより、海里がいつまでもこのことを気にしてるほうが嫌だな」
その言葉に海里がハッとした表情になった。
「さっきも言ったけどさ、水族館はまた来ればいいし、イルカショーは次のお楽しみでいいじゃん。関係ない人のことで俺たちがギクシャクして、これ以上そのことに時間を使う必要はないと思うから」
「……うん、そうだね」
海里が同意してくれたことで、やっと俺の言いたいことが伝わったのがわかってホッとする。
「それにさ、俺、こうやって自然に囲まれた場所でのんびりするの結構好きだから、こういう時間も楽しいよ?」
問いかけるようにそう言うと、海里はやっと笑顔を見せてくれた。
「俺も。凛音と一緒ならどこでも楽しいし、こんな風にゆっくり二人で過ごせて嬉しい」
緩やかに吹く風を受けて気持ち良さそうな顔をする海里をぼんやり見つめる。
(そういえば入学してからずっと学校では海里と一緒にいるけれど、外でこんな風に会って話すこともなかったな……)
そんな今更なことを考えていると。
俺の視線を感じたのか、海里がちょっと照れたような、はにかんだ顔をした。
「……そんなに見つめられると、嬉しいけどなんか照れ臭いかも」
「他人から見られるのなんて、慣れてるだろ」
「勝手に見てくる人の視線と、好きな人から見つめられるのじゃ全然違うし」
『好きな人』という言葉に、今度は俺のほうが気恥ずかしい気持ちにさせられる。
フイッと視線を逸らせると、海里がクスリと笑った気配がした。
「……そのリアクション。ちょっとは俺のこと意識してくれてるってことなのかな?」
「え?」
「なんか前と反応違う気がするし」
その指摘に、なぜかさっきの女の子たちの中に海里の元カノがいるのかな、なんてモヤモヤしてしまったことを思い出す。
「…………俺の反応が違うのは、海里とちゃんと話すようになったからだろ」
自分でもあれがどういう気持ちから来たものなのかよくわからない以上、他に答えようがない。
「確かにそうかも。前はこんなに話してくれなかったっていうか、まともに相手にしてもらえてなかったからね」
「それでも懲りずに俺のとこに来てただろ」
「だって俺、凛音と同じ学校で同じクラスだってわかった時から絶対凛音の側にいるって決めてたし。たぶん違うクラスでも突撃してたと思うけど」
その状況を想像して、思わず眉をひそめた。
もしそんなことになっていたら、変な方向に悪目立ちして、厄介なことになっていた可能性もある。
「……そう聞くと、同じクラスで良かったって思うよ」
「なんか俺とは違う理由な気がするけど、同じクラスで良かったって言ってもらえて嬉しいな」
同じ理由ではないけれど、海里に対して感謝していることは嘘ではない。
それと同時に、これまでほとんど関心を向けてこなかったことへの罪悪感のようなものが湧いてくる。
今更だとは思うけれど、俺はやっぱり海里のことを知らなすぎて、申し訳ないと思えるレベルだとあらためて自覚していた。
恋愛対象として見れるかどうか以前の問題な気がしていると、隣に座っている海里が突然、至近距離で俺の顔を覗き込んできた。
「なに……?」
あまりの近さに戸惑う俺に、海里が真剣な眼差しを向けてくる。
そこにはいつもとはあきらかに違う感情の色が見えた気がした。
「もっと俺のことちゃんと意識して」
「え?」
「……俺と一緒にいる時は、俺のことだけ考えて。今すぐ同じ気持ちを返してほしいなんて言わないから、俺をちゃんと見てよ」
不意に唇に落とされた柔らかな感触に、俺は自分の身に何が起こったのかわからず呆然とした。




