うねうねさん
“ 1:風吹けば名無し
19××/××/××
小さいころ、ばあちゃんちに一週間くらい泊まりに行ったことがあるんだよね
すげー田舎でさ、田んぼの中にぽつぽつと家があるようなとこ
ほんとに何もなかったから、あぜ道っていうの? ああいうとこをうろうろしたりして遊んでたわけ
ある日、田んぼの用水路眺めてたらさ、メダカに混じってなーんか長くて白いものがうねうね一緒に泳いでたんだよね
妙に気になって、水の中に手を突っ込もうとしたの
そしたら、突然後ろから手を捕まれてさ
振り向いたら、すっげー黒髪の綺麗なお姉さんが立ってて
「触っちゃだめだよ」って言ったんだよね
そのお姉さん、綺麗だけどめちゃくちゃ怖くてさ
そのまま走って家まで帰ったの
あとでばあちゃんから聞いたんだけど、その白い長いものはうねうねさんって言うらしくて
触ると精気を吸われちゃうから触っちゃダメなんだと聞かされた
お姉さんはこの村にある大きな神社の巫女さんなんだって
なんか、田舎の村ってやっぱりこういう変な生物とかいるんだなって
今日鯖についてたアニサキス見ながら思い出したわ ”
青々とした鈴蘭の葉は、今日も元気に教会を一面に彩っている。
涼やかな見た目とは裏腹な酷暑に、教会の牧師、華岡麗は顔をしかめた。
「今日は一段と暑いですね」
華岡の横の骸骨霊、ミニスターはカタカタと骨を鳴らす。
そんな彼女をじろりと横目で見ながら、華岡はシャツの腕を捲る。
「君には気温は関係ないだろう」
「骨が焼けるようです」
「こっちは身が黒焦げになりそうだよ」
夏用のベストを脱ぎ捨ててミニスターに投げやると、ミニスターは首を少し傾けた。
「Mr.外で作業をするのですから身なりはきちんと」
「ああ、僕に君と同じようにずっとここで化け出る存在になっていいというのなら、着るけど!」
「……失礼、やはり骨と身は焼け方が違うみたいですね」
「水分量もね」
少し不機嫌そうに華岡は裏手の水道へ向かう。踏み付けられたマンホールがボコン、と鳴った。音に驚いてぴょいと跳ねた小さな陶器のような精霊を「フラワー」と呼んで掬い上げる。
「どこにいたかと思えば。ここで涼んでたのかい」
フラワーは何も言わずによじよじと肩によじ登った。華岡の首にある冷却材にピタっと身を寄せる。
「暑いね、存分に涼みなさい」
そう言いながらズルズルと水道につながるホースを入口まで運ぶ。デッキブラシを持ったミニスターが入口の石畳で待っていた。
「……今日人が来る予定ないよね」
「大丈夫です、Mr.が魔法使いだと言えば信じてくれますよ」
「そりゃまた変な噂がつきそうだ」
華岡は口の端をヒクリと上げながら散水ノズルのスイッチを押した。
ザアッという音と共に、ノズルの先から水が噴き出し、石畳を大きく濡らした。
「わぷっ!?」
大きな水飛沫を顔面に浴び、天音香子は体をびっしょりと濡らした。目の前には大きな水槽があり、その中で優雅に女性が泳いでいる。脚のあるはずの場所は、見る度に色の変わる鱗でびっちりと覆われ、まるで鯵や鰯のようだ。
少し離れたところで、一条夏鈴がゲラゲラと笑っているのが見える。その爬虫類のような瞳はぐっと歪められ、ヌラリとした長い黒髪は……今はない。ばっさりと切られた髪は、今は風を受けて軽やかに動いている。
「最高の涼じゃねえか、よかったなー美人に水かけられて!」
「いらんそんなオプション!おいどうすんだもう着替えねえんだけど!」
「暑いから乾くだろ」
「乾くまで女を水浸しにさせとく気か!」
「不注意のお前が悪いだろ」
こいつ……!と拳を握ったところで、天音の後ろから「どうぞ」という声がする。振り向くと、黒髪の青年がタオルを差し出していた。
リネン生地の上下セットアップを、少し大きめに着こなしているその青年、梅田白雪は、ガラガラと運ばれていく美しい人魚を横目に「女性には好戦的なんですね」と呟いた。
天音はお辞儀をしながらタオルを受け取る。
「葦原市からこちらまで輸送いただき、感謝します」
梅田がきっちりした角度でお辞儀をするので、天音も慌ててそれを返す。
「稲藻里町までの輸送でも、何度か水を被られたのでは」
「あー、ええと」
「もう輸送中はこの女水着で居ましたよ」
「こら!おい!」
笑いながら言う一条に、天音は慌ててしーっと人差し指を立てる。梅田は「まあ、致し方ないですね」と苦笑した。
「なんならここでも水着でいいのにネ」
梅田の後ろから派手なピンク色の髪の男が声をかける。もみあげのあたりだけ水色のその男は、和洋折衷な着回しでスラリと立っていた。
「見たかったナ〜、美人サンのナイスバディ」
へらへらと笑いながら男は細腕を振る。梅田はじろりと男を睨んだ。
「葵さん」
「おっと、怒られる」
こわいこわい〜と、視線を受けた男、葵雫は大げさに体を震わせた。外部協力者もいろんな人がいるんだなぁと、天音は水滴を拭いながら思う。
自分たちの警察署がある葦原市から、別区域の怪異対策課のある稲藻里町への人魚輸送が今回の仕事。やっと終わったと息を吐く。
皮肉にも本日は晴天なり。温度も高く、本当にこのまま立っておくだけで洋服は乾いてしまいそうだ。
そうであっても、濡れた服は嫌なものだが。顔を顰める天音に、梅田が気まずそうに声をかける。
「……あの、嫌でなければ自分の予備の服貸しましょうか」
丈感は合わないかもしれないんですが、と続ける梅田の声に、天音の嬉しそうな声が重なる。
「いいんですか!あざっす!必ずクリーニング出して返しますんで!」
太陽を背にしたピカピカの笑顔に、梅田は思わず目を細めた。
見慣れない警察署の一室に、一条はぐるりと辺りを見渡した。怪異対策課でもこんなに違いがあるものなのかと少し驚く。葦原市の怪異対策課は、小さな倉庫を無理矢理一室にしたような形だが、稲藻里町の怪異対策課は図書室のようだ。広めにあてがわれた部屋に、沢山の事件ファイルと文献が並んでいる。さすがは歴史の長い対策課だなと焼けた背表紙達を見つめながら一条は感心した。
「すみません、助かりました!」
満点の笑顔と共に、先程とは違う服装の天音香子が入ってくる。なにもかもでかいなこの女、と一条はかなり丈の短くなっているリネンのシャツを見ながら思う。
「いえいえ、着ることができて良かったです」
びしゃびしゃの服を天音から受け取り、カーテンレールにかけながら梅田はにこりと笑う。
「女の子に冷えは大敵だからネ~」
だらりと椅子に座った葵はのほほんと笑う。長い桃色の髪が、窓からの光を浴びて淡く煌めいた。
聖職者というのは、こういうものなのか?とその透ける髪を見ながら天音はぼんやりと自分の市の牧師のことを思い出す。
「それ、今追ってる怪異事件ですか?」
数脚の椅子と長机の前に設置されたホワイトボードを見ながら、一条は問う。そこには『巨大うねうねさん討伐』と書かれていた。
「そうそう!なんか妙に都市伝説が活性化しちゃってネ。ただそろそろ全部狩り終わるから大丈夫ヨ~」
ただうねうねさんってと言いかけた葵の言葉を電子音がかき消す。
『梅田巡査部長、葵神職、いらっしゃいますか』
「はい」
「いるよ」
声を発した電話機に向けて、二人は返事をする。
『緊急事態です。巨大うねうねさんが一匹、用水路を使って管轄外へ逃亡しました』
その行き先を聞き、四人は顔を見合わせた。
緑地帯の多い少し涼しげな公園の奥、溜池の水が、全て白くぬらぬらと動いていた。
天音から呼び出しを受けた華岡は、眉をひそめながら四人に駆け寄る。
「お、来たな」
フランクに手を上げる天音に、華岡はますます眉間の皺を濃くした。
「隣町の怪異がこっちの公園に逃亡してきたと聞いて来てみれば……なんですかその恰好」
「まあ色々あったんだよ」
貴女ね、と言いかけた華岡の言葉は、天音の胸元に光る十字架を見て引っ込んだ。何だよ、首を傾げる天音に、華岡は澄ました顔で何でも。と返す。
「……仕事中ですよね。お腹見えそうですよ」
「だから致し方無いの!うるさいな!」
言い合う二人に、あの、と梅田が声をかける。
「葦原市の外部協力者の方でしょうか」
華岡は言い合いを中断し、梅田ににこりと笑いかける。
「ご挨拶遅れまして、申し訳ございません。華岡麗と申します。教会の牧師でして、葦原市怪異対策課の外部協力をしております」
笑顔のまま丁寧に頭を下げる華岡を見ながら、天音は余所行きスタイルだと口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。
「ご丁寧にありがとうございます。自分は、稲藻里町怪異対策課の梅田白雪です。あちらにいる派手な髪の男が、こちらの外部協力者の神職、葵雫です」
そう言いながら梅田は葵の方に視線を向ける。対策課では掴みどころのない笑顔をしていた葵は、今は真剣な面持ちで溜池を見つめていた。
華岡は「ええ、そうでしょうね」と葵に近づく。
「葵君、お久しぶり」
「あ、華岡サン!お久しぶり~」
華岡が視界に入ると、葵の顔はぱっと明るくなる。派手な髪が歓迎するように揺れた。
「ごめんネ。ツメが甘かったみたい」
迷惑をかけます、と葵が頭を下げると、華岡はいやいや、お互い様だよ。と胸の前で手を振る。
「むしろ早期発見ありがとうございます。おかげでこちらには被害が出ていませんよ」
「巨大うねうねさんは近付かなければ襲ってこないからね。規制区域にしておけばしばらくは安心だヨ」
討伐に関してはちょっとややこしいんだけどね〜と葵はひらひらと手を振る。
「まあでも、手がない訳じゃない。華岡サンのとこの教会を借りることになるけど」
葵はそう言いながら華岡をじっと見下ろした。
「あの教会、まだネット繋がらないままかナ?」
教会の宿舎がこんなに賑やかになったことは、ここ十年はないだろうとミニスターは息を吐く。
少なくとも、人間が五人もここに集まったことは確実にない。そんなことを思いながら紅茶を人数分作って配膳する。
「お淑やかなレディ、ありがとう」
葵はそう言ってにこりと笑う。ピンク色の髪がサラリと揺れた。
梅田も合わせてありがとうございます、と頭を下げる。こちらは目線が合わないので恐らく見えていないのだろう、とミニスターは考察する。
「いやー教会に着替え置いてて助かったわ」
そんなことを言いながら天音がずかずかと部屋に入ってきた。我が物顔で所定の椅子に落ち着く天音の前に、ミニスターは紅茶を置く。
「……センセーお淑やかなレディと住んでるんすか」
じゃあこのゴリラ見てびっくりしたでしょ、と一条はふてぶてしく椅子に座る天音を指差す。華岡は何も言わずに苦笑した。いつもは軽く怒るであろう天音も、一条から指差されて苦笑している。
「なるほど、黒髪には霊感が宿らないんでしょうか」
真面目な声でそんなことを言うミニスターに、見えている三人はぶはっと吹き出す。一条と梅田は、顔を見合わせて首を傾げた。
「やめろよミュゲ、わざとだろ!」
「すみません、軽いジョークでこんなになるとは」
「ヤー、面白いレディだね!」
葵は涙を拭きながらさて、と手を一度叩いた。
「始めようか、巨大うねうねさん討伐出張編だ」
稲藻里町には、昔から様々な伝承がある。そのひとつが、うねうねさんという土地神である。
水の綺麗な用水路に住み着き、白くて長い紐のような姿で移動をする。人間が接触をすると精気を奪うが、触れさえしなければ害虫を駆除し、田畑の作物をうんと美味しく育ててくれる。
町と土地神は共生し、今でもお互い過不足なく過ごしている。
「これが、土地神としてのうねうねさん。この話はネットの掲示板にも書き込まれて、インターネットのホラーが好きな人は知っているくらいの認知度になッタ」
ホワイトボードにキュッと書き記しながら葵は続ける。
「それで、今回の巨大うねうねさん。これは最近インターネットの掲示板で流行っている都市伝説だ。うねうねさんからの派生という感じだネ」
葵はホワイトボードに大きなホースのようなものを描く。ホースの先にはギザギザの歯が描かれ、吹き出しで『ばぁ』と付け足される。
「巨大うねうねさん自体は都市伝説としてありはしたんですが、そこまで知名度も無かったため具現化していませんでした。しかし、今回どこかでこの巨大うねうねさんの話が盛り上がって活性化し、具現化してしまったようなんです」
梅田はプリントアウトした掲示板を机の中央に置く。そこには巨大うねうねさんの生態や性格などが詳しく記載されていた。
「土地神であるうねうねさんとの大きな違いは、人を感知すると襲い掛かる好戦的な性格であること。それと、他の怪異を感知すると逃げ出すほど臆病であること。用水路移動なことは変わりませんが、水質は問わず動き回るようです」
「その性質を利用して、稲藻里町では怪異を使って追い込み漁みたいに討伐してたんだけどネ」
一匹だけなぜか想定のルートを辿らなくてネ~と葵は難しい顔をする。
「……それで?その討伐っていうのは何やりゃいいんだ?」
組んだ手を机に置き、天音は尋ねる。
「あ、そうそう。巨大うねうねさんは都市伝説だからネ。ネット環境がないとちょっと弱くなるのさ」
葵は『ばあ』の隣に教会を描き、矢印を引く。
「だから教会に巨大うねうねさんを誘導して、弱体化させル」
「僕達はその誘導をうまくやるってことですね」
「ソ」
話が早くて助かるヨ、と葵は満足そうににっこりと笑う。
「でもここ、怪異いんだろ。そしたらここに入らないうちにそのでけーウナギみたいなの逃げんじゃね?」
一条はホワイトボードの巨大うねうねさんを指しながら問う。
そうなんだよねーと葵も顎に手を当てる。
「怖いものがいるのに入らなきゃいけないようにするってことですよね、要は」
それなら、と梅田は続ける。
「より怖いもので追い詰める、とか?」
「あー、やらかした時に怒られるなら優しい人に言いに行くもんな!」
「いやそれは然るべき人に言いに言ってくださいよ」
「……梅田くんには言いに行かないかも」
「そんな人を捕まえるのも得意かも」
「逃げ場ないじゃん、こわ」
梅田と天音の軽口を遮るように、華岡は軽く咳払いをする。葵はニコニコと笑いながら、巨大うねうねさんのイラストの隣に幽霊のシルエットを描いて『怖いぞ〜』と描き足す。
「そんな都合のいい怪異、居ないですようちには」
華岡は困ったように眉尻を下げる。いつの間にか香子の肩によじ登っていたフラワーが激しく頷いていた。天音はフラワーを撫でながらそうだよなーとつぶやく。
「実際、フラワーとミュゲしかいねえし」
華岡はにこりと笑う。
「いますよ、たくさん」
直後、宿舎全体がガタガタと騒がしく動く。なんだ!?と天音は辺りを見回した。
一条と梅田も、目を丸くして身構える。
キッチンのカトラリーが音を立て、派手に音楽が流れ出す。フラワーは楽しそうに天音の肩から飛び降り、机の上で踊り出した。
紅茶の追加は勝手に注がれ、捜査資料にようこそ!という文字が浮かぶ。
ミニスターはため息を吐きながらパン!と大きく手を打った。
一瞬で全ての音は消え、しんと静まりかえる。フラワーもいそいそとミニスターの服のポケットに収まる。
「いるにはいるんですけど、追い込めるほど強い怪異は居ません」
百年以上の歴史のある稲藻里町と同じようにはいきませんよ、と華岡は葵を見た。葵はそうだねー、とのほほんと返す。
「じゃあどうすんだよ」
一条は頬杖をつきながら机をコンコンと叩く。その場はシンと静まり返り、机のノック音だけが響いた。硬直したその空気に、天音はガタッと椅子から立ち上がる。
「ちょっと!!!!タバコ!!!!」
鞄の中からガサガサと一式取り出し、天音は転がるように宿舎の外に出た。
紫煙がゆらりと夕空に昇る。少しひんやりとした風を浴びながら、天音は大きく有害な煙を吸い込んだ。肺が満たされると共に心が少しだけ弛まる気がする。薄く目を開けながら、ゆっくりと煙を吐く。
「香子」
名を呼ばれて、天音は肩を跳ねさせながら振り向いた。見上げると、骸骨がかたりと首を傾げる。
「大丈夫ですか」
「びっっっくりした、お化けかと」
「お化けですよ」
ミニスターはカタカタと顎を震わせる。天音も煙草を咥え直しながら口元を緩めた。
「会議、進んでる?」
「いいえ、貴女が出ていったのでブレイクタイムに入りました」
「そっか」
わさわさと、鈴蘭の葉が揺れる。じりじりと、煙草の灰が長くなる。
「……ミュゲはさ、この教会に、どのくらいいるの?」
「……忘れてしまいました」
風が、ミニスターのスカートをふわりと膨らませ、萎ませる。
「十年程前、Mr.が来る以前までは、ずっと一人で居ましたから」
「他のとこに行くつもりはなかったの?」
「香子、地縛霊というものは、この土地に張り付けられているものなんですよ」
ミニスターはスカートを少し上げる。カシャカシャと、ブーツの中の骨が鳴る。
「この土地に未練があって、ここに留まってしまった。そのはずなのに、その未練すらも忘れて、動けなくなってしまっている」
だから霊なのに足がある。とミニスターは呟いた。きゅる、とブーツが音を立てる。
「……いい、ブーツだね」
私は好きだよ。と天音はミニスターを見上げる。ミニスターはスカートを少し持ち上げて、優雅にその脚を交差させて膝を曲げた。その穏やかなカーテンシーに、天音はタバコを咥え直し拍手する。
「Mr.と初めて会ったときも、ブーツを褒められました」
貴方達は本当に、よく似ているとミニスターはふわりとスカートを整えた。
「十数年前、この教会でシスターの霊が追いかけてくると噂になっていましてね。その時に怪異対策課と、Mr.と出会ったんです」
「へー、そういやミュゲも幽霊だもんなあ」
そう相槌を打ちながら、天音はこれまでの事件を思い出す。なるほど、ここもそもそも事件と関わっていた場所なのか。
「人を追いかけたりしたことはないんですけどね。もしかしたら肝試しに来た誰かが、私を見て驚いたのかもしれませんね」
頬骨に手を当て、ミニスターは骸骨をカタリと傾けた。
「怪異対策課が訪問してきたときは、なんだかお話が通じそうだと思ったんです。だから私、あの石畳を駆け下りて、麓まで降りて行ったんです」
「麓って……まだ訪問者見えてないじゃん」
「ふふ、香子。私たちを見える人間はね、私達からしたらある程度遠くからでも分かるんですよ」
だから気をつけなさい、とMr.から渡されたでしょう。とミニスターは天音のネックレスを指差す。これ、まじの魔除けだったのか。香子は少し肝を冷やしながら十字架を撫でる。
「それで、麓の皆さんをこの教会にお連れして」
「……まって」
思い出話に花を咲かせるミニスターを、天音が制する。
「麓まで、行けるの?」
「今は行けませんよ。その時は、なんだか噂が広まっていて、活動範囲が広くなっていたのですが」
話すミニスターの眼窩を、香子はじっと見つめる。
「それだ」
「ミニスターを外に連れ出す?!」
宿舎のドアを勢いよく開け、意気揚々と提案する天音に、華岡が素っ頓狂な声を上げた。
「そう!ミュゲを都市伝説で強くして外に出して、巨大うねうねさんを教会に追い詰めるんだ!」
天音はホワイトボードのお化けを消し、大きなよくわからないものを書き直した。かろうじて人型をしているそれを見ながら、華岡は眉を寄せた。
「そんな簡単にいきますかね……ここにはネットの環境がないんですよ」
その華岡の言葉に、天音は待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべる。
「ネットだけだと、そうだな。でも、口伝の噂ならどうだ?麓の町で都市伝説が広まれば、この教会も少しは影響を受ける」
華岡が初めてミュゲに出会ったとき、彼女は麓にいたんだろう?とにやにやとした顔を天音は華岡に近づける。華岡はぐ、と押し黙る。確かに、あの時彼女は地縛霊の移動できる範囲を超えていた。
「外に出ることさえできれば、ネットの情報も吸収する。ネットと麓の町でミュゲの噂を法螺を混ぜながら流せば、彼女は今回の巨大うねうねさんの脅威になれるはずだ」
「なるほど、バフ掛けだネ」
「どっちかっていうと武装強化じゃねーか?アーマー着込むみたいな」
天音の意見に、葵と一条は同調する。どうだと言わんばかりの天音の顔を押しやり、そのまま華岡は彼女を椅子に座らせる。梅田はホワイトボードをひっくり返し、『幽霊巨大化作戦』と書き込んだ。
「いや~、面白くなってきたネ!」
「だろ?!つえーやつカスタムしようぜ!」
あれやこれやと賑やかに話始める四人を横目に、華岡はため息をつく。ちらりとミニスターの方を見やれば、彼女は少しだけ体を傾けた。
「……嬉しそうだね、君」
「皆様のお役に立てることが、聖職者の役割ですから」
「そうかい」
まあ、君がそう言うなら、いいか。そう微笑みながら、華岡も会議に加わった。
「でけーウナギと同じように、既にある都市伝説の亜種とかどうだ?」
「それなら噂も広がりやすそうですね」
一条の提案をホワイトボードに書き足しながら、梅田は頷く。
「女の霊って、口裂け女とか、花子さんとか?」
天音は言いながら首を傾げる。華岡は始終不思議そうな顔をしながら紅茶を啜っている。
「ネットで流行らせるなら、もっとメジャーでレディにぴったりのものがある」
葵は立ち上がり、ホワイトボードに『八尺様』と書き記した。一条と梅田はあぁ、と手を打つ。天音と華岡は首を傾げた。
「確かに、インターネットの怪談としてはかなりメジャーですね」
「ネ。しかも八尺様っていうのは、白いワンピースと白い女優帽のイメージがある。レディの装いにぴったりだ」
葵のその言葉に、天音と華岡はあぁ、成る程とミニスターを見上げる。白いワンピースに修道女を思わせるような白いヴェールは、なんとなくその怪異と近いものなのだろうなと感じる。
「サタンにゴッドあり。ニャルラトホテプにノーデンスあり。巨大うねうねさんに聖なる八尺様あり、だネ」
葵がミニスターに向かってウインクすると、ミニスターはまあ、と口元に手を当てた。
「聖なる八尺様の投稿については、こちらに任せてください。得意分野ですので」
この人がね、お白雪が葵を示しながら立ち上がる。葵もにーっと笑ってピースしながら後に続いた。
「掲示板に投稿したら知らせるネ~!」
「とりあえず、また動きが出るまで待機で。よろしくお願いします」
白雪は教会の面々にぺこりと頭を下げる。派手なピンク色の髪を靡かせ、葵は宿舎の扉を開けた。満点の星空の中、二人は教会を後にする。そんな二人の後姿を見送りながら、一条はふわ、と欠伸をする。
「俺は一旦署に戻って寝るわ。天音はどうする?」
「ここに着替えあるし、教会に泊まろうかな」
天音が華岡に視線を送ると、華岡はしょうがないですね、というように頷いた。それを横目に、一条はひらひらと手を振って宿舎を後にした。久方ぶりの静寂に、ミニスターはパンッと手を打つ。
「さて、夕飯は何にしましょうか」
「あっさり食べられるものがいいね」
「冷や汁風ご飯はどうでしょう」
「いいね」
話し合う二人に、天音はひょっこりと頭ごと割って入る。
「なぁ、電話借りていい?」
「いいですけど……誰にかけるんです?」
首を傾げる華岡に、天音はニヤニヤと笑って答えた。
「好奇心の馬鹿共♡」
夜が明けて、また日が傾きかけた頃。教会の麓で天音は声をかけていた三人組に手を挙げて答えた。
「おう、どうだ調子は」
「バッチリです!」
真ん中の青年が、親指を立ててウインクをした。肩上で切りそろえた紫の髪が、元気に揺れる。
大学生とは元気なものだ、と天音は青年、藤姫統司を見ながら思う。隣の黒髪の青年は、ズレた眼鏡を持ち上げながらスマートフォンのディスプレイを見せる。
「SNSでも順調に拡散されてます」
黒髪の青年、加藤典明のスマートフォンを言われるがままに覗き込むと、そこには白を基調としたデザインに、『聖なる八尺様、襲来!』とでかでかと文字が書かれていた。なんだかちぐはぐな印象を受けるが、これが逆に目につくのかもしれない。
「夢色列車のときの記事を元に作ってみたんだけど、結構よくできてると思うんだよね〜」
ウェーブがかった髪を耳にかけながら、目黒朔間は少し得意げに話す。独特なセンスではあるが、インプレッションはかなり稼いでいるので、上手い方なんだろうと天音は頷いた。
「掲示板のほうがもっと凄いですけどね」
「まあ、あれが下敷きにあるからこっちが成功したのは確実だしね」
「いや~ほんとにね。めちゃくちゃ面白かったし」
三人が口々に語る掲示板の噂は、昨夜葵が匿名掲示板に投稿したものだ。巨大うねうねさんから助けてもらったという冒頭で始まったそれは、一晩で多くの人々が閲覧していた。
「そう言ってもらえると作者冥利に尽きるネ!」
声のした方向に天音が視線を向けると、派手な髪を揺蕩わせ、葵がゆるゆると手を振った。隣に立つ梅田もぺこりとお辞儀をする。一条は少し後ろで大きく欠伸をしていた。
「町を中心に噂を拡散していただいた方ですね?ご協力ありがとうございます。あなた方のお陰で迅速に対応できそうです」
梅田は三人に改めて頭を下げた。三人は驚きながらも、いえいえと頭を下げる。
「……なんか、ドラマみたいですね」
藤姫が口元を緩めながら天音に耳打ちする。ぴかぴかに光るその瞳は、好奇心で埋め尽くされていた。ぎりぎりワクワクが抑えられてないな、と苦笑しながら天音は藤姫にひそひそと返した。
「多分、もっとテンション上がると思うぞ」
その声に被さるように、階段をこつこつと降りる音が響く。
皆が教会に視線を集める中、華岡がにこりと笑った。その後ろには、彼の頭一つ分ほど大きい薄いベールを被った骸骨が、ぬらりと立っている。
一条の眠そうな目が見開かれた。梅田も驚いた表情で口元を押さえている。目黒と加藤は顔を見合わせ、もう一度ミニスターを見、藤姫は先程よりもキラキラとした顔で華岡の後ろを見つめている。
「な、なんだありゃ……」
こぼす一条に、天音は見えるようになったかとにやにやと笑う。
「彼らに見えるということは、上手くいっているみたいだネ」
一同の驚き顔を見ながら、葵はうんうんと頷く。
ミニスターはカタリと首を動かし、眼前の町を見渡す。意味もなく開いては閉じるミニスターの手を、華岡が優しく握る。
「ミニスター」
「大丈夫、信じて」
華岡にエスコートされ、ミニスターは一歩足を踏み出した。
歩く度に、彼女はぐんぐんと空に近づいた。ベールは黒く変色し、地面に引きずるように伸びていく。簡素なワンピースには細かな金の刺繍が施され、司祭の服のような、花嫁のドレスのような、ずるりと重たい布に変質していった。
「ウン、我ながらいいデザインだね~」
そう言いながら、葵は片目を瞑って指の枠の中にミニスターを納めて満足そうに頷いた。頭三つ分ほど大きくなったミニスターを見上げ、華岡は目を細める。
夕焼けを背負う彼女の姿は、神々しくも不気味で――見つめる華岡に、ミニスターは首を傾げる。黒いベールがさらりと揺れる。
「でっかくなったな~」
そう言いながら笑う天音に、ミニスターはふふと笑いながら口元に手をあてる。
「腰は抜かさなくて大丈夫ですか、メインクーン」
「おい」
掘り返すな、昔のことを。と天音は恥ずかしそうに眉を寄せる。そんなやり取りを、藤姫は目を輝かせながら見つめていた。
「ええと、でははじめますか」
驚きで固まっていた梅田が、時間を取り戻したように喋りだす。
「巨大うねうねさん追い込み漁、決行です」
「あーあー、こちら天音。聞こえるか」
『教会班聞こえます!どうぞ!!!!』
抱えていた無線から元気な声が返ってきて、天音は苦笑交じりに息を吐く。
「教会班大学生組~、何もするなよ~」
『はーい!』
「一条、梅田さん、そっちよろしくな」
『はい』
『ちゃんと見張っとくわ』
わいわいとした大学生の声から、梅田の声が覗く。
『もう一度作戦を確認します。公園から御心教会まで、ミニスターと華岡さんが巨大うねうねさんを追い込む。途中に横道に反れる水路があるので、そこを天音さんと葵さんが妨害。教会で巨大うねうねさん弱体化を確保。間違いないですか?』
「おっけー、大丈夫」
『東側、所定位置についたヨ』
『こちら追い込み側、準備できてます』
「よし、じゃあ始めるか」
『了解、では始めます』
天音は華岡の合図を聞き、無線を胸ポケットにしまった。入れ替わりでポケットから西洋人形が這い出る。
「あ、ごめんフラワー。そこにいたのか」
肩によじ登り、ペチペチと天音の頬を不機嫌そうに叩くフラワーを天音はごめんごめんと撫でた。
『西に移動しました、天音さん!』
イヤホンから華岡の声が響く。返答をしながら、天音はヘルメットを被る。
「飛ばされるなよ」
バイクのハンドルを握りながらフラワーに声をかけると、彼女は頷いて天音の服の中に潜り込む。
目の前の水路が、ずるずると乳白色に染まり
それは大きな口を開けて、天音を見下ろした。
「おっと、よく見なデカブツ。ここにちゃーんといるぜ」
天音はそう言いながら服の隙間から顔を出しているフラワーを指さした。
フラワーは誇らしそうにべーッ!と舌を出す。
ピタリと動きを止めたそれは、ずるずると水路に吸い込まれるように戻っていった。
「こちら天音!正規ルートに戻した!」
『こちら華岡。ミニスターも感知しました。追い込みます』
華岡の声を聞きながら、天音は次の地点へバイクを走らせた。
『こちら葵~。最後の脇道も無事妨害したヨ~』
無線から、呑気そうな相棒の声が聞こえて梅田は少しだけ口の端を緩める。
この性格が本当に、この仕事においては強い。
『こちら華岡。麓まで追い込み切りました。ミニスターも教会の水路へ登っていく怪異を感知しています』
今度は落ち着いた男性の声が無線から響く。水面に朝露が落ちるような、澄んだ声。聖職者、というのも納得だ。
来る。
見学している大学生たちが十分に離れていることを確認し、一条と梅田はあらかじめ開けておいたマンホールの傍に立つ。
覗き込んだ水面が、ゆらりと揺れる。
ぼこ、ぼこと教会の水路が音を立てた。
「こちら梅田!巨大うねうねさん、教会に到着しました!」
無線に叫ぶと同時に、真っ黒な大穴から、真っ白な物体が飛び出してきた。
大学生たちの大声を背に、一条と梅田はそれに銃を構える。
飛び出してきた巨大うねうねさんは、大きくのたうち回りながら、太陽を穿つように上へ上へと伸びていく。
それは、ぐんぐんと天に伸び
みるみる小さくなって、べちゃりと地面に着地した。
手の平よりも小さくなって地面に這いつくばっているそれに、二人は駆け寄る。
ああ、なんだか。哀れだな。太陽に溶かされた蝋細工の翼を、梅田は思い出した。
うにうにと未だにもがいているその怪異を見て、一条は眉をひそめる。
「ミミズみてえ」
「そうですね」
梅田はピンセットで怪異をつまみながら、じっくりと観察する。
ネットの悪意と好奇心で創られた偽物は、ぷらりとピンセットにつままれ垂れ下がっている。
「まるで、虫だ」
ぴちぴちと跳ねるその怪異を、梅田は瓶の中に押し込んだ。
美しい朝日が、容赦なく天音の顔を照らす。固いベッドから身を起こし、凝り固まった身体を解すように伸びをした。いい天気だ。自分でカーテンを開けた記憶はないが。
カーテンの傍では小さな座敷童がつやつやと肌を輝かせている。褒めてと言わんばかりに胸を張っているフラワーを、天音は抱え上げて優しく撫でた。
フラワーはくすぐったそうに笑うと、天音の肩によじ登り髪を結い始める。
昨日、巨大うねうねさん討伐後。一応怪異の見張りとしてもう一泊することになったのだ。
といっても、ミニスターは眠らないので本当に緊急要員のようなものなのだが。
大あくびをしながら部屋の扉を開けると、掃除を始めようとしていたミニスターと鉢合わせた。
「おはよ~」
呑気にそう言って手を振る天音に、ミニスターはカタリと首を動かす。
「……身支度を済ませてから部屋を出てください、香子」
「えぇー、大丈夫だよ」
「いけません、年頃の女性が他人に見せて良い恰好ではありませんよ」
ぴしゃりと言うミニスターに、天音は唇を尖らせながら扉を閉めた。身支度をしっかりと整え、ダイニングルームへと向かう。
「おはようございます、天音さん」
先にダイニングルームでコーヒーを飲んでいる華岡が声をかける。
「おー、おは」
「いやはや!いやはや!天音様もこの教会にお引越しされたのですかな?」
天音が言い終わるより先に、椅子に乗っているクッションが喋りだす。
いや、こんなうるせえクッションはねえわ。天音はそう思い直し再度椅子の上を見直す。
「……タヌ吉?」
「いかにもたこにも!とにもかくにも!タヌ吉でございますな!」
いやー、覚えて下さっていて光栄です!とタヌ吉はつやつやの尻尾を動かしながら喋る。
華岡はにこにこと笑って天音に座るように促した。
タヌ吉の隣に腰掛け、天音は問いかける。
「なんでいんの?」
「怪異の処理をしてもらったんですよ、彼に頼むのが一番簡単ですからね」
そう言って華岡は空の瓶を振って見せた。昨日、怪異が入れられていた瓶である。処理?と天音がタヌ吉を見ると、彼はにぱっと笑って見せた。奥にある犬歯がぎらりと光る。
「いやはや、早速お役に立てて何よりですな!」
「本当に助かりました。お口直しにたんと食べていってくださいね」
そう言って華岡は一口サイズに切り分けられてフレンチトーストをタヌ吉の前に置く。おお!遠慮なく頂きますな!と言うやいなや、タヌ吉はがつがつとフレンチトーストを食べ始めた。バターとシロップのいい香りが天音の鼻をくすぐる。
「……貴女にもありますよ」
そう言って華岡は、別皿に盛られたフレンチトーストを天音の前に置く。黄金色のシロップがたっぷりかかったそれに、天音は思わず感嘆の声をあげた。
「すげえ、丁寧な飯」
「なんですかそれ」
「うまそうってこと」
首を捻る華岡を尻目に、天音はフレンチトーストにかぶりついた。じゅわ、と甘味と程よい塩味が口の中いっぱいに満たされる。
「うまー、幸せ」
「それはよかった」
華岡はくしゃりと笑いながらコーヒーを天音の前に置いた。隣のタヌ吉は、既に皿を舐めている。
「いやはや、いやはや!天音様のようなお方がこの教会に常駐されると、かなり用心棒になりますな!」
「タヌ吉さん、天音さんは一時的に宿泊しているだけで、ここに住んではいないんですよ」
「そうなのですか?いやはや、早とちりでしたな!」
たは!と声を上げながら、タヌ吉は椅子から飛び降りる。
「ではでは、私はおいとま致しますな!ごちそうさまでございました!」
「こちらこそ、また秋に色々とれましたらご報告しますね!」
「おお、それはそれは!楽しみにしております故~!」
では~!とタヌ吉はぷりぷりとお尻を振りながら去っていく。
その後姿を見ながら、天音はフレンチトーストを飲み込んだ。
「巨大うねうねさん討伐、完全終了?」
「はい、お疲れさまでした」
華岡はにっこりと笑って頭を下げる。天音も慌てたように頭を下げた。
「聖なる八尺様の話も、具現化する効力がなくなるようにしてくれたようです」
朝から葵君から電話がありまして、なんでもデマを流したとか?なんだか良く分からない話をされていました。と華岡は首を傾げながら言った。忘れてた、こいつおじいちゃんだった。天音はそう思いながらコーヒーを啜る。
「かっこよかったけどな、八尺様のミュゲ」
「彼女に変な影響が出たら嫌ですよ僕」
「まあ、それもそうか」
天音はコーヒーカップを置いて大きく伸びをする。
「今日何曜日だっけ」
「日曜日ですね」
「……もう少し休んでいってもいい?」
「ご自由にどうぞ」
僕は礼拝の準備がありますので、と華岡は笑いながら席を立つ。
牧師様は大変だねえ、と呟きながら、天音は甘い蜜をたっぷりと吸ったパンを頬張った。
田んぼのあぜ道の、浅い水路。
うね、うねと何かが蠢いていた。
それは、ミミズのような、それよりも太いような、白い、何かだった。
麦わら帽子を被った、幼い少女が、その何かに手を伸ばす。
「だめだよ」
その言葉と共に、少女の腕を白く骨ばった手が制止するように引っ張った。
バランスを崩して倒れそうになる少女を、その手の主が支える。
「危ないよ、これを触ったら」
柔らかい声で囁かれた少女が見上げると、鮮やかなピンク色が目に入った。
青年はにこりと笑い、少女の腕から手を離す。
「さあ、もうお家に帰りなさい」
そう言って青年は帽子の上から少女の頭を撫でる。ぱたぱたと走っていく少女を見送った後、青年はうねうねと蠢くそれを見つめた。
「おかえり、うねうねさん」
白い怪異は、ぴちゃりと跳ねた。葵はそれを見て、くすりと笑った。




