悪魔
鈴蘭の葉がさわさわと揺れる。少しだけ涼しくなりつつある風に、華岡麗は頬を緩めた。
あのミニスターが大立ち回りをした事件から一週間。厳しい夏の陽射しが、柔らかな秋の陽だまりに変わり始めていた。
「さて」
表情を少しだけ引き締めて、華岡は宿舎の方向へ歩き出す。その姿はいつもの真っ白な牧師用の服とは異なり、Tシャツに手袋、サロペットといった出で立ちである。
宿舎の手前、生い茂る草を目の前に腕を組んだ。
「Mr.どうしました?」
宿舎からちょうど出てきた骸骨幽霊、ミニスターがカタリと首を傾けた。
いつも通りのきっちりとした白いワンピースを着用し、使い込んだ茶色のブーツが光っている。
「あぁ、ミニスター。ここを畑にしようと思ってね」
日よけ帽を少しだけ持ち上げながら笑う華岡に、ミニスターははあ、と雑草まみれの地面を見た。
「また突然」
「タヌ吉さんから野菜の種を貰ったんだよ」
嗜めるようなその声色に、華岡は唇を尖らせた。
「植えるならここかなと思っただけさ」
なるほど、とミニスターは頷く。宿舎から目と鼻の先のこの場所なら、利便性が良さそうだ。
「それはとても良い提案ですね」
ミニスターが褒めると、華岡のくちばしのような唇がぱあっと開かれる。
「そうでしょう!いいと思ったんだよね」
弾んだ声でスコップを使い、畑の輪郭を掘る華岡を見ながら、ミニスターはカタカタと顎を動かした。
感情豊かに活動する華岡の背中を、空洞の瞳が見つめる。
本当に、よく笑うようになった。
土を掘り起こす姿を見ながら、ミニスターはここ数ヵ月で教会に住み着くようになった大型猫を思い出す。
彼女と出会ってから、教会に良い巡りが出来ている。
「神風、なのかもしれませんね」
それにしては暴風すぎますが、とミニスターはぽつりと呟いた。
ぐるりと一周掘り終え、見守られていた華岡は額の汗を拭った。
「よし!」
手袋を外し、指笛を吹く。その音が鳴り止まぬうちに、シュルリと何かが華岡の足元に絡みつく。
「やあ。この枠の中を頼むね」
ぎゅるぎゅると甘えた声を出しながら足にまとわりついていたイタチは、華岡から声をかけられるとその耳をぴくりと動かし、姿を消した。
雑草はみるみると刈り取られ、掘り起こした輪郭の外へ弾き出されていく。
仕事を終えたイタチは、また華岡の足元にぎゅるぎゅるとまとわりついた。
「ありがとう、助かったよ」
そう言って華岡はイタチの頬を撫でた。
イタチは嬉しそうに口を開け
ブツリ、と華岡の指を噛む。
そのままじゅるじゅると血を吸うイタチを、華岡は笑顔で撫で続けた。
血を吸ったイタチは、満足そうに華岡の指から牙を引き抜き、シュルリとどこかへ消えていく。
噛み口に絆創膏を貼りながら、華岡はきょろきょろと辺りを見渡した。
木々の間から、のっしのっしと小さい人形が大きな顔をして歩いてくる。
麻袋のような肌に、若葉のような緑の髪。深い青色をした鉱石のような瞳は、華岡をじいっと見つめている。
華岡は跪き、その人形にてのひらを向けた。
人形は、への字口のまま華岡のてのひらに自分の小さな小さなてのひらを当てる。
「お世話になります」
華岡が頭を下げると、人形はぐっと親指を上げる。
人形はそのままのっしのっしと刈り取られた地面に向かっていった。
てのひらサイズの人形の後ろを、スコップを持った華岡は追いかけた。
サロペットについた土埃を払い、農具を片付けていると、門の外に来客が見えた。
「ヤ」
そう言って胸元辺りまで手を挙げたピンク髪の男は、どこか不思議だが周囲に溶け込めるような格好をしていた。華岡はその男を見て「おや」と声を上げる。
「この間ぶりですね」
「ウン。ちょっと気になることがあってね。報告に来たんダ〜」
不思議な男、葵雫は、そう言いながら門を開ける。ぬるりするりと、ピンク色の髪と洋服の裾が揺れる。
「それはそれは、わざわざありがとうございます」
どうぞお茶をお出ししますよ、と華岡は宿舎に案内した。
壁に並ぶファイルを背景に、天音香子はぐっと伸びをする。
その大きな口がぱかりと開き、周りの空気を吸い込んだ。昼下がり、どうにも眠くなる時間である。
「吸われる吸われる」
そんなことを言いながら、ウルフカットの黒髪の男、一条夏鈴は天音の隣の机に資料をどっさりと置く。
うげ、という天音の顔を尻目に、一条はそれらの資料を黙々と読み始めた。爬虫類のような大きな目に、次々と資料が映し出される。
「よく読めるな」
「お前と違って頭で生き抜いてきてるからな」
その返しに素直に感心しつつ、天音は一条の資料を覗き込んだ。
「それ、猫の事件か?」
そう言いながら天音は少し苦い顔をした。数ヶ月前、華岡の腹に大怪我を負わせてしまった事件だ。よく覚えている。
「あぁ」
「なにか進展があったのか」
「あぁ、被疑者の精神状態が回復したらしい。聞き取り調査ができるくらいにな」
その言葉に、天音はガタリと立ち上がる。そのまま扉へ向かおうとする天音の腕を、一条は掴んで引きずり戻す。
「どこ行くんだよ」
「事情聴取」
「そんな顔のやつができるわけないだろ、座れ」
一条は天音から手を離し、ポンポンと座面を叩く。天音は不満そうな顔をしながらも、椅子に座り直した。
「澤平さんが話は聞いてくれてる」
そう言いながら、一条はパソコンの画面を天音に見せた。びっしりと文字が詰まったその画面には、片倉の様子が事細かに記載されている。
「センセーとはお前よりも長い付き合いだ。何とかしたいって思ってるよ」
怪異対策課の人間は全員、な。と一条は天音を見据えた。天音は閉じている口にキュッと力を入れた後、開く。
「……なにか、分かったのか」
天音のその言葉に、一条は頷く。
「前に教会におかしな女が訪問してきたと言っていただろ。そのときの女と、片倉が語った女の特徴が一致していた」
影の有無は確認できなかったそうだが、と一条は画面の該当箇所をカーソルでなぞる。確かに、特徴は一致している。天音はあの日の記憶を辿る。
「路地裏の場所も特定できた。近くの防犯カメラに特徴に一致する女も映っていた」
一条は話しながら、カメラの画像を天音に見せる。
そこには、あの日夕焼けに染まっていた女性が映っていた。
こいつだ。天音は確信し、一条に向かって頷いた。
「片倉に怪異を拾わせ、センセーの入院中に教会に訪問した女か」
一条は椅子に深く腰掛け、大きく伸びをした。目をつぶり、軽く眉間を押さえる。
天音はもう一度画像の中の女性を見た。
真っ白な日傘の下、彼女は緩やかに微笑んでいた。
「巨大うねうねさんが葦原市に向かう途中に防犯カメラがあってネ」
宿舎の椅子に腰掛け、葵はミニスターの拵えた紅茶を啜る。
「それに、妙なものが映っていたんダ」
持参したタブレットを机の上に乗せ、動画を再生した。
タブレットの画面は、真っ暗だった。画面全体が、うぞうぞと動く。どこか光沢感のある黒い画面が、ザリザリと音を立てた。その音が止み、真っ暗闇を抜けた先、ぷるりとした水まんじゅうのような何かが見えた。水まんじゅうの中心にある、黒い球体がぎょろりと動く。
それは、じっと防犯カメラを見つめた。
知っている
自分の肌が、ぞわりと粟立つのを、華岡は感じた。
黒い球体が、ぐにゃりと楕円に潰れた。
これを、この瞳を、僕は知っている
バサリ、と大きな音がして、画面が途端に明るくなった。
突き抜ける青空の下、半透明な眼球が数十個ひしめき合い、ふよふよと浮いていた。眼球の塊は黒い翼を器用に動かし、カメラの奥の人間をからかうように旋回する。
ギョロギョロと瞳を動かしながら塊は旋回を繰り返し、黒い翼を羽ばたかせ、消えた。
「……華岡さん」
動画を止め、葵は華岡の背中を擦る。
「真っ青だ」
そう言いながら、華岡の前にあるティーカップを握らせた。ほんのりと温かい紅茶の温度が、華岡の冷え切った手を温める。
華岡は震えながら、カップを両手で握りしめ、紅茶を一口、飲んだ。温かい液体が身体を通り、息を少し深く吸えた。
葵は華岡の背中をゆっくりと擦り続ける。
数分間それを繰り返した後、華岡は葵に微笑みかけた。
「ありがとう、もう大丈夫ですよ」
葵は華岡から手を離す。華岡は真っ青な顔のまま、深呼吸をした。息を吸って、吐いて。その呼吸に合わせて、ゆっくりと、言葉を紡いだ。
「この悪魔を僕は見たことがあります」
「十三年前、待雪の会を殲滅させた、悪魔です」
華岡はタブレットのディスプレイをじっと見つめた。
半透明の眼球の奥にある漆黒の瞳が、こちらを見つめていた。
くるりと、真っ白な日傘が夕暮れの中回る。
鼻歌交じりに公園を歩く黒髪の女性に、誰かが声をかけた。
「ご機嫌だね」
見上げると、いくつもの細胞を押し固めたような生物が、黒い羽根で浮き沈みしていた。細胞のような半透明の眼球の集合体を見つめ、彼女はにこりと笑う。
「ええ」
緑が生い茂る公園の大きな溜池の前で腰を下ろし、にこにこと彼女は池の中の自身を見つめた。
「今回は、大成功だったもの」
嬉しそうな女性に、集合体はぐるりと回転しながらふうん、と気のなさそうな声を出した。
「でも、やっぱり邪魔ね」
女性はそう呟き、溜池の水をぱしゃりと撫でた。池の中の女性がぐにゃりと歪む。
「邪魔なの?メアリ」
集合体はそう言いながら女性の周りをくるくると回る。いくつもの瞳が、ギョロギョロと動き回った。
「ええ、邪魔よ。だけど、使えるモノなの」
女性は集合体をじっと見つめた。集合体は瞳の動きを止め、またもやつまらなそうに宙を漂う。
集合体から溜池へ視線を戻す。不満を抱えているメアリと、目が合った。
「レイモンド様のためだもの、しょうがないわ」
彼女はそう言って、微笑んだ。池の中のメアリも、悲しそうに笑った。




