怪異対策課
「どわー、ぎりっぎりー!」
自分のデスクにどかっと腰を下ろしながら、天音香子は大きく息を吐く。
隣の鮫島キヨは天音に負けず劣らず大きなため息をついた。
「姐さんって余裕とかないんすか」
「あるある、見ろよこの机をよ!」
天音はそう言いながら自分のデスクをどうだと言わんばかりに披露する。
その机に書類はひとつもなく、事務用品だけが整列していた。
「どうよどうよ、これが大人のヨユーってやつですよ」
「大人のフツーってやつっすよそれ」
「うるせえ」
鮫島の肩を軽く殴ると、鮫島は嫌そうに笑った。
「メスゴリー」
奥のデスクから男がひょっこり顔を出す。
「警部が呼んでる」
「なんだ」
「やらかしたんじゃないすか」
「やめろ、覚えしかない」
天音は鮫島を小突いた後、別室へ向かった。
「異動、っすか?」
予想外の言葉に天音は顔を青くした。怒られることは多々あれど、まさか左遷させられるまで悪いことをしていたのか自分は。
自覚がないのが恐ろしい。
真っ青の天音に、捜査一課の警部は慌てたように言葉をかけた。
「違う違う!そういう形の異動ではなくてね!ただの部署異動みたいなもんだよ!」
「よ、よかったぁ。私やらかしたかと……」
「君はよく働いてくれてるよ。仕事持ちすぎていつも書類に潰されてるくらいにね」
泣きそうな顔の天音を見て、警部は困ったように笑む。
「今仕事一区切りついてるでしょう、だからこのタイミングで異動がいいかなと思ってね」
「一区切りつくように急かしたのは警部では」
「まあ、まあ」
警部は笑いながら落ち着いて、というようなジェスチャーをする。
「それで、君の異動部署なんだけど」
「怪異対策課だよ」
「……天音香子くんか」
ずしりと重たい声に、天音の気持ちもぐっと引き締まる。
「怪異対策課、警部。彩雲一色だ。異動後は君の直属の上司になる。宜しく頼む」
表情筋をぴくりとも動かさないまま、彩雲は言葉を紡ぐ。動きがなさ過ぎて眉間の皺さえ固定されている気がする。
そんな金剛力士像のような彩雲の隣には、亜麻色の髪をした水晶の目を持つ男が立っていた。見慣れた牧師服も、いつもよりかっちりして見える。最近は朗らかに笑っていることの多いその顔は、彩雲と同じように表情を失っている。
「知っているとは思うが、彼は華岡麗。怪異対策課の外部協力者だ」
天音が見つめていることに気付いてか、彩雲は華岡を紹介する。華岡はぺこりと頭を下げた。何も喋らない。よそ行きのスタイルとも違うその感じに、天音はなぜか居心地の悪さを感じた。
「君と彼が仲がいいと一条から聞いている。片倉の事件の連携も見事だったと。相性の良い者が対策課にいたほうがいいだろうとの判断で、澤平と交換での異動になった」
「クソみたいな理由でしょう、断っていいですよ」
「私は喋ることを許可していないはずだが」
彩雲からそう言われ、華岡は口を真一文字に閉じる。あ、表情ないんじゃないわあれ。ミュゲから怒られた時と同じ顔してら。そんなことを思いながら天音は彩雲に向き直る。
「わざわざ異動前にこのようにお話があるとは、随分と丁寧なんですね」
「……怪異対策課は少し特殊だからな」
そう言って彩雲は椅子に深く腰掛けなおす。
「本来なら幽霊電車の」
「彩雲警部」
「ああ、すまない」
華岡がじろりと睨むと、彩雲は軽く両手を上げた。忘れてくれ、と言われ、天音はとりあえずはあ、と返答する。
「とにかく、受け入れてくれて嬉しいよ。今後もよろしくお願いする」
無骨な手が天音に向けて差し出される。受けて天音が手を握ると、ぐっと力強く握り返された。
華岡は、その光景を眉を寄せたまま見つめていた。
澤平から怪異対策課の説明があるので、このまま待機しておくようにと言い残し、彩雲は対策課を出た。部屋には、華岡と天音だけがぽつりと残される。
無言で荷物を整理し、部屋を出ようとする華岡に、天音は声をかけた。
「華岡」
「……なんでしょう」
むつり、とした顔で華岡が振り返る。分かりやすいな、と思いつつ天音は続ける。
「なんか、拗ねてね?」
「いいえ」
「嘘じゃん、顔が拗ねてるじゃん」
「……拗ねてはいません」
華岡は天音に向き直った。空のような青い瞳が、ゆらりと揺れる。
薄い唇が開いて、閉じる。天音から視線を外し、華岡は対策課のドアを開けた。
おい、と華岡を追いかけるも、到着した澤平に話しかけられ遮られる。
そのまま華岡は、その場を去った。
「あ、ごめんね。華岡先生とお話あった?」
「……いえ、大丈夫です」
説明お願いします。そう言って天音は対策課のドアを閉めた。
「さて。怪異対策課についてなんだけど、まあ君はもう割と対策課のようなことをやっているから業務説明はいらないかな」
そう言って澤平は笑う。
「華岡先生とも仲が良いなら、彼の話も聞いているでしょう」
澤平は喋りながらひとつの資料を戸棚から出す。そこには十数年前の日付と共に【待雪の会集団死亡事件】と書かれていた。
香子はそのファイルを見て首を捻る。その様子を見て、澤平は目を丸くした。
「……聞いてないの」
「なんの話ですか」
「えー、参ったな。俺から話すには重すぎる話なんだけど」
澤平は呟きながら事件ファイルを開く。
「これは十三年前に起こった一応解決済みの怪異事件。新興宗教の信者がほぼ全員死亡した事件だよ」
資料にはおびただしい血痕が付着した部屋の写真が添付されていた。何部屋も何部屋も、同じような状況が続いている。天音はその写真を見て顔をしかめた。
資料の最後には、生存者の写真が貼り付けられていた。その長い淡褐色の髪の少女は、髪の間から覗く生気のない淡い青色の瞳でこちらを見つめている。
「唯一の生存者が、教会の神様として扱われていた少年だった」
少年……?
天音は改めて写真を見直した。長い髪と装飾のついた服装、中性的な顔の少年は、先程と変わらずこちらを見つめている。
その水晶のような瞳に、吸い寄せられる。天音の胸の奥がざわざわとざわめいた。
説明をしてくれている澤平の声が、遠く感じる。
知っている、私は。この瞳を。
写真の下にある名前を、見た。
「……この大量殺害を実行した怪異は、まだ見つかっていない」
「だから私達にとって、彼は保護対象者なんだ」
もちろん、外部協力者でもあるけどね。と澤平は華岡麗という写真の下の文字をなぞる。
「影のない女の話は、教会の地縛霊から聞いている。だから、いい加減に君を怪異対策課に異動させろという話になった」
華岡先生は最後まで反対していたけどね、と澤平は苦笑する。
「まあ、そういうことだから頼むよ」
ぽんと肩を叩かれ、澤平は対策課を後にする。
部屋には、天音と開かれた事件ファイルだけが残された。
教会の門の前で、天音ははたと立ち止まる。
怪異対策課のこと。集団死亡事件のこと。新興宗教のこと。
色々考えながら歩いていたら、自然と足が御心教会まで伸びていた。
いつもなら、キラキラと輝く髪を携えた牧師が、少し困った笑顔で迎えてくれるのだが、今日は姿が見えない。
門に手をかけようとして、躊躇う。
今日は、今日ばかりは、歓迎されていない気がする。
踵を返そうとした天音のズボンの裾を、何かがくんっと引っ張った。
「……フラワー?」
門の内側から、陶器のような小さな手を伸ばし、精霊が懸命に裾を引っ張っていた。
引っ張るタイミングに合わせて、がしゃがしゃと門が揺れる。
何事ですかと言いながら、真っ白なワンピースを着た骸骨が奥の教会から駆けてくる。
骸骨のミニスター、ミュゲは天音を見るとカタカタと骨を揺らした。
「香子」
ミニスターはフラワーを抱え上げ、教会の門を開ける。
「来てくれて、感謝します」
さあ入って。その言葉に従うように、天音は教会の門をくぐった。
いつもの宿舎のリビングテーブルが、いつもよりもほんのりと暗く見える。
Mrを呼んできますね、とミニスターは天音を座らせて宿舎の奥へ向かう。フラワーは机の上に登り、香子の指をギュッと握った。
ぱんぱんに膨れ上がったフラワーの陶器の肌を、香子は人差し指で撫でる。
重量のある足音と共に、宿舎の奥から見知った顔が見える。その亜麻色の髪と、空色の瞳だけは、十三年経っても変わらない。
「……こんばんは」
いつもの牧師服とは違い、いくらか軽装の華岡は気まずそうに笑った。
「……おう」
「今日は遅かったので、いらっしゃらないのかと」
そう言われて、腕時計を見る。短針は七の近くを指していた。
「夕ご飯、お済みですか?」
アイスティーをテーブルに置きながら、ミニスターが天音に問いかける。答える代わりに天音の腹が鳴った。どんな時にでも、腹は減るものなんだなと思う。
「何か軽く作りましょうか」
「冷蔵庫に鶏肉が半端に余ってたよ」
「まあ、それは朗報ですね」
ミニスターは奥の台所に消える。カチャカチャと生活音のする中、華岡は天音と向き合って座った。
「すみません、驚かれたでしょう」
眉尻を下げたまま、華岡は笑む。
「話そうとは、思っていたんですが」
透き通った青い瞳が、伏せられる。薄い唇が、開いて、閉じる。
数回それを繰り返した後、華岡の口から言葉が零れる。
「これ以上、あなたを巻き込みたくなかった」
カラン、とアイスティーの氷が鳴る。
天音の口元がきゅっと結ばれたかと思うと、次の瞬間盛大に緩んだ。
その場の空気を打ち消すような豪快な笑い声が宿舎を包む。
「いまさら何を言うかと思えばお前……!」
なあフラワー?と天音は涙を拭きながら問いかける。フラワーは天音の真似をするかのようにころころと笑い転げていた。
ミニスターがカタカタと顎を鳴らしながら天音の前に丼を置く。
「今まで自分が巻き込んでると思ってたのかよ」
なあ、ミュゲ?と問うとミニスターは本当に、と優しい声で同意した。
「言っただろう、みんなを救いたいんだ」
天音は華岡を真っ直ぐ見る。鷹のような目が、彼を射抜いた。
「頼む。私にも手伝わせてくれ」
先程まで真一文字に閉じられていた口は、優しく弧を描いていた。
ああ。
本気なんだ、この人。
華岡は息を吐き、答えた。
「わかりました」
天音はありがとう、と目を細めた。
「……さて、話も終わったし飯食わして」
そう言いながら天音はミニスターの持ってきたレンゲを握る。うまそう、親子丼じゃん!と言いながら丼を掻き込む天音に、華岡は眩しそうに瞬きをした。
窓の外の鈴蘭の葉は、月明かりを受けてキラキラと輝いていた。
「あ、お前!そう!言い忘れてた!」
天音はもごもごと親子丼を頬張ったまま口を動かす。
「……食べ終わってから喋ってください」
「いーや!食べ終わってからじゃ遅いね!」
そう言いながら天音はごくりと親子丼を飲み下す。結局食べ終わってるじゃないですか、と華岡は呆れた声を出した。
「流石にさあ!事件のことはお前の口から聞きたかったんだけど!」
悲しかったんだけど!と天音は唇を尖らせる。華岡はその態度に眉をひそめた。
「だから、言おうとはしたんですって。ちょっと、覚悟足りなくて」
「でももう怪異対策課では言うべきだっただろ!気まずかったって澤平さんと!」
「うるっさいなあ!いいでしょ、誰から聞いても!」
「あ!開き直り!そういうとこ良くないんだ~!」
「レンゲで人を指すな!」
賑やかな食卓に、ミニスターはカタカタと骨を鳴らす。フラワーは退屈そうに欠伸をした。
白熱灯の温かい光が、宿舎を包む。その光は、数時間、消えることはなかった。




