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鈴蘭の咲く教会  作者: 八朔しろ
第二章
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5/8

妖狸

狸が転がっている。

教会に向かう長い階段の道中、ごろりと置物のように。

本物をこんなに間近で見たのは初めてかもしれない。狸をじろじろと観察しながら天音香子(あまねきょうこ)は携帯電話を取り出す。

 『はい。御心教会です』

数コールの後、ハキハキとした男性の声がする。元気そうで。天音の口元が自然と緩む。

 「牧師さーん」

 『……天音さん?やっとちゃんと役職覚えられたんですね』

 「おうおう、すっかり元気になっちゃって」

 『それで、なんですか?わざわざ電話をよこすなんて』

 「あのねえ、教会の階段途中にひっくり返ってんのよ。狸が」

ぶつり、と電話が乱暴に切られる。

数分もしないうちに、階段を真っ白な服を身に纏った牧師、華岡麗(はなおかれい)が何かを持ちながら駆け下りてきた。

「ちょっと離れててくださいねー!」

そう声をかけられて天音は素直に階段の端に寄った。目の覚めるような青が、目の前を駆け抜けていく

ああ、バケツかあれ。あんな青いの見たの小学校以来だな。

そんなことを考えていると

ばっしゃーん

夏に相応しい音と共に、目の前の狸が濡れ雑巾になった。




「いやはや、いやはや、助かりました!」

教会内の華岡の膝の上で、半乾きの雑巾もとい狸は軽快に喋る。

「暑い暑いとは思っておりましたが、よもやこれ程までに暑いとは!いやはや、いやはや!道半ばでくたばるところで御座いましたな!色んな意味で!いやはや、いやはや!そちらの屈強なお方!感謝いたしますぞ!」

「こちらは天音香子さんですよタヌ吉さん。女性です」

「いやはや!そうでございましたか!いやあ近くで見るとお綺麗な御方で!さぞかし御人気なのでしょうな!」

「すっげえ喋るじゃんこの、ぞう、狸」

さっきまで階段にあった置物とは思えないくらいに口の回るタヌ吉は、いやはや!いやはや!と笑う。

そもそも狸って喋るものだったか?

そう思いながら華岡に目を向けると、華岡はタヌ吉の首元を保冷剤で冷やしながら口を開いた。

「天音さん、こちらはタヌ吉さんです。人間とお話できる妖力を持った化け狸さんで、この辺りの狸を取り纏めされているんですよ」

「いやはや、人語を理解できる程の妖力でお恥ずかしいのですがな!はっはっは!」

首元の冷たさに目を細めながら、タヌ吉は軽快に笑う。

人生の中で、どう転んだら化け狸と出会い、仲良くなる要素があるのだろう。

考えることも馬鹿らしくなってきて「ああ、そう」と気の無い返事をして天音は教会の椅子に深く座り直した。木製の直角椅子がゴリゴリと骨に当たる。

「それで、今日はどうしていらっしゃったんですか」

「おお、そうでしたそうでした。聞くに華岡様。お怪我で病院にいらっしゃったとか。いやはや、いやはや!狸界隈ではそのお話でもちきりでしてな!昨日退院されたとのことで、本日は退院祝の御品を持ってきたのです!」

タヌ吉は涼をとりながら華岡を見上げる。ぽん!と腹を叩くと、コロンとタヌ吉の腹の上から茶色い小瓶が転がり落ちた。

あぶねっ!と言いながら天音は椅子からダイブしてそれをキャッチする。

 「いやはや、いやはや!なんとも頼もしい御方ですな!」

タヌ吉は焦りもせずにハッハと笑う。こいつ。拾わなかったらどうするつもりだったんだよ。

天音は立ち上がり、華岡に小瓶を渡す。

 「狸に代々伝わる塗薬でしてな!傷跡を綺麗にツルンと治してくれますぞ!」

体に傷があると標的になりますからな!ツルンと綺麗に!良い薬ですぞ!とタヌ吉はうんうんと頷く。

全く、よく口の回る狸だ。と天音は息を吐く。きっちりしっかりな骸骨霊のミニスター、ミュゲが見たらどう言うか。

 「……あれ?」

天音は辺りを見回す。

 「華岡、ミュゲは?」

その質問に、華岡は困ったように微笑む。

 「タヌ吉さんが、前にミニスターを見た時に気絶してしまわれて。それからはタヌ吉さんご訪問のときは宿舎にいるようお願いしてるんです」

いやはや!いやはや!お恥ずかしい!とタヌ吉はポンポンと笑う。なんでふてぶてしいんだこいつ。ミュゲを追いやっておいて。天音は顔を顰めた。

 「それで、タヌ吉さん。他の御用事は何でしょう」

ポケットに薬をしまいながら、華岡は言う。

 「僕なんかに、わざわざお祝いを持ってくるほどではないでしょう」

にこにこと笑う華岡に、ぎょろりと狸の目が動いた。いやはや、いやはや。と言いながら体を震わせ、華岡の膝から飛び降りる。

 「やはり華岡様には敵いませんな。鋭い御方です」

ぺたんと床に体を付け、タヌ吉は額を下げる。先程とは少し違う真剣な声に、空気がピリ、と締まる。

 「実は、私の仲間たちが最近行方不明になっておりましてな。それで、お助けいただけないかとお尋ねしたのです」

タヌ吉は額を上げ、その真ん丸な瞳で華岡と天音を見つめた。

張り詰めた空気の中、ぐぅ〜と長めの音が教会内に響き渡った。




 「いやはやいやはや!すみませんな!」

丁寧に掃除されたテーブルの上に置かれた大量の素麺を目の前に、タヌ吉は軽快に笑う。

 「どうにもこうにも!腹が減ってしまいまして!面目ない!」

 「いいんですよ。ご飯ついでにお話を聞かせてくださいね」

華岡はにこにこと笑いながら切り揃えた野菜や茹で上がった肉を大皿に乗せた。素麺の横にゴトンゴトンとそれを置く。

 「これ、どうやって食うの」

 「素麺の上に適当に好きなもん乗せるだけですよ」

 「ほーん」

冷やし中華みたいなもんか、と天音は素麺をつぎ分ける華岡の腕を見ながら思う。日本人離れした真っ白なその腕は、隠されてる時よりも太くしっかりしているように見える。

 「男なんだなぁ、牧師さん」

 「え、なんだと思ってたんですか」

こわ。と言いながら、華岡はタヌ吉の分は野菜と肉類まで取り分けてやる。どうぞ、と渡すと、タヌ吉はいやはやありがたい!と言いながら山程の野菜と素麺をいっぱいに頬張る。

もっきゅもっきゅと幸せそうなタヌ吉を見ながら、天音は口を開く。

 「狸ってダメなもんとかないの?」

 「基本雑食ですからな!何でも食べますぞ!」

ペロリですな!とタヌ吉は口元を舐めながら笑う。大きな口から鋭い歯が見えた。

 「しかし、最近は食べ物が減っておりますからなぁ。特にたんぱく源が減っておりまして、ほんっとーに腹を空かせているものが多いのです」

 「それは大変。うちも庭の虫なんかが出たら少し溜めてとっておきますね」

 「いやはやありがたい!華岡様は慈悲深くていらっしゃる!」

よく分からない世間話を聞きながら、天音は素麺を啜った。冷えた野菜と、適度な脂身の肉が、さっぱりとした素麺と合っていて美味い。

食べ進める手はそのままに、彼らの話を引き続き聞く。

 「それで、行方不明というのは」

 「ああ、そうでしたそうでした!いやぁ、普段でしたらまあ食べられたり事故にあったりしたのだろうなと思うくらいなのですがな!今回はかなりまとまった日付で何匹もいなくなっておりましてな」

そう言うとタヌ吉はぱたたたと足で耳を掻く。顔の毛づくろいをしながら、ううむと続ける。

 「なんとなく怪しいところは突き止めているのですが、自然の摂理でただただ狩られているのでしたら手出しできませんからな。兎にも角にもイカにもタコにも。そこで、華岡様の手を借りて中を覗ければ、と思った次第でして」

 「なるほど、覗くだけですか」

 「はい、覗くだけです。そちらの司法機関にはお手数かけたくありませんので」

華岡はちらと天音を見る。天音は何も聞いてないよ、というジェスチャーをしながら素麺を啜る。喉越しの良い麺が、口内に消えていく。

 「……わかりました。行きましょう」

華岡がそう言うと、タヌ吉はうんうんと頷いた。それに合わせてお腹がぐうぐうと鳴る。

 「腹が減ってはなんとやらと言いますからな!これを平らげてから向かいましょうぞ!」

にこにこと笑うタヌ吉を横目に、香子はおかわりの素麺をよそった。



 のどかな田園地帯を、ゴトゴトと角ばったワゴンが駆け抜けていく。そんな時代錯誤の車の中から、天音は声を上げた。

 「あちい!」

 「エアコンの効きあまりよくないんですよね」

窓開けていいですよ。と言われて、天音は窓開けのレバーをぐるぐると回す。この時代にこれを回すとは思わなかった。窮屈な助手席で、そんなことを思う。

 「お、見えてきました。あれですな!」

サイドブレーキの後ろ辺りに乗っかったタヌ吉は、そう言いながら立ち上がる。

田園地帯の奥の方に、トタンでできた家のようなものが見えた。恐らく、倉庫か何かだろう。

近くに車を停め、倉庫に近づく。

 「前にここまで来たときは、南京の鍵がかかっておりましてなあ」

ほれここに、とちょいちょいと華岡に抱え上げられた狸がドアノブの上を示す。

錠を通して施錠するための穴に、今はなにもかかってはいなかった。

 「おや、ラッキー」

 「閉め忘れたんですかな」

そんなことを言いながら、華岡は扉を開ける。タヌ吉を抱えてずんずんと中に入っていく。

 「おい……あー開けちゃった」

天音はしょうがない、という顔で後に続いた。

倉庫内には、むわりとむせかえるような青臭さと獣の香りが充満していた。無機質なテーブルの上には、ぽつんとカセットコンロと小鍋が置かれている。

天井からは、同じ花のスワッグがだらんと垂れ下がっている。紫色の釣鐘型のその花は、生気なくこちらを見下ろしていた。

 「なんだ、これ」

天音は鼻から下を腕で覆いながら呟いた。周りを見渡すと、倉庫の隅にぽつんと大きなビニール袋が見える。

その中には、いくつもの茶色の毛のようなものが、折り重なっているように見えた。

 「……うぇ」

想像し得る狸の結末に、天音は顔を白くしながら先程よりも強く口元を抑えた。

早くここを出たい、そんなことを考えながら顔を上げた瞬間に


バチリ


耳の後ろで音がして、天音は気を失った。




 大丈夫ですか、と声をかけようとして後ろを振り返ると、天音の長身がぐらりと傾くのが見えた。そのままゆっくりと音を立てて地面に崩れ落ちる天音を、華岡は呆然と見つめる。

倒れた後ろに、見ず知らずの男が立っていた。

天音さん!と声を上げ、華岡が駆け寄ろうとすると、男は動くな!と天音の首元にナイフを当てた。

男はタヌ吉を見つめながらぶつぶつと呟いた。

 「やっと見つけた」

 「やはり足りなかったのだ、普通の狸では。喋る狸なら大丈夫なはずだ」

 「鍵を開けておいたらそのうち来ると思ったんだ。予定外のやつもいるが。問題はない」

一通りブツブツと言い終えると、タヌ吉を抱いている華岡を睨み、大声を出した。

 「その狸をこっちに寄越せ!そうしたら女は返してやる!」

華岡より先にタヌ吉が口を開く。

 「私の何が目的ですかな?」

 「薬だ。お前は薬になる。だから必要なんだ」

男の目はギラギラと輝いている。

ふす、とタヌ吉は鼻から息を漏らした。華岡を振り返り、静かに言う。

 「このまま、私を彼に渡してくれますか」

 「……分かりました」

華岡はそう言って、男に向き直る。

 「狸を手渡しでお渡しします。ナイフをしまってください」

男は天音に向けたナイフをしまい、立ち上がる。

華岡が男にタヌ吉を手渡した瞬間


ポン


大きな音が鳴り、タヌ吉のいた場所に壮年の男性が出現する。

突然の重量の変化に、男はバランスを崩して尻もちをつく。共倒れになったタヌ吉は地面とぶつかる寸前に本来の姿に戻り、ひらりと地面に着地した。

その瞬間、華岡は男の股間目掛けて躊躇なく足を振り下ろした。

 「うお、割とえげつないですな華岡様」

タヌ吉はその光景を見て毛を逆立たせた。そんなタヌ吉を尻目に、華岡は悶絶している男のポケットを探る。

お目当ての物を見つけた華岡は、それを犯人の首元にあてがった。

バチリ

いやな電気音と共に、男はスタンガンを食らって気を失った。



 「いやあはは!おみごとですな!」

そう言ってタヌ吉は華岡に尻尾を振って駆け寄ってくる。華岡ははあ~と息を吐いて地面に座り込んだ。

 「あ、天音さん!天音さん……!」

 「気を失っているだけのようです。大丈夫ですぞ」

そうタヌ吉から言われて、華岡は天音の手を握る。温かく、しっかりと脈打っているのを確認してよかったと呟いた。

 「ところで華岡様」

タヌ吉はくたりと伸び切っている犯人を見つめながら声をかけた。

 「この方の行方、我々に任せてもらってもよろしいでしょうか」

じゅるり、と大きく舌なめずりをする男の、眼は爛々と輝いている。

華岡はそんなタヌ吉を見て、はい。と力強く頷いた。

 「ご自由にどうぞ」

そう言うと、華岡は天音を担ぎ上げた。だらりと脱力している彼女を、車まで運ぶ。

車を発進させると同時に、狸の鳴き声が響き渡った。




 「いやはや、いやはや!お世話になりました!」

あの事件から数日後。ぽんぽんと笑いながらタヌ吉はその尻尾を緩やかに振った。

なんだか初めて見た時より、つややかでふくよかになった気がする。階段も易々と登ってきたようだし。

眉を顰める天音を横目に、華岡は良かったですとにこにこと笑う。

 「本当に色んなことが一気に!一気に解決しましたぞ!はっは!いやはや!いやはや!流石は華岡様ですな!」

これはみなからのお礼です!とタヌ吉は首から下げていた風呂敷を下ろす。

ぽん!と風呂敷を肉球が叩くと、野菜と果物が風呂敷からもりもりと溢れ出す。

タヌ吉と同じくらい積み上がった品々は、どれも瑞々しくよく熟れていた。

 「食べると身体が大きくなりますからな!大きく元気に!生きるためには必須ですぞ!」

はっは!とタヌ吉は笑う。その大きな口からは鋭い牙が覗いていた。

 「さすれば天音様、あなた様にも大変お世話になりましたからな。何かありましたらいつでも助太刀しますぞ」

タヌ吉はそう言って、天音の元に駆け寄る。にぱ!と大口を開けて笑うので、天音は私はなにも、と手を振る。刑事として恥ずかしくも気絶させられていたし、役に立てなくてすまなかったなと恐縮していた。

そんなふたりを見て、華岡はふふ、と笑う。

 「タヌ吉さん、天音さんの匂いも覚えておいていただいたほうが良いのでは」

 「おお、そうですな!そうですな!」

華岡の提案に、タヌ吉はうんうんと頷く。

 「天音さん、ハンカチとか持ってますか?」

 「え?ああ、まぁ」

そう言って天音がハンカチを取り出すと、華岡はそれをタヌ吉さんに差し上げてくださいといった。

 「え、なんで?」

 「いいからいいから、お守りみたいなものです」

にこにこと笑う華岡に首を傾げつつ、まあお前が言うならと、天音はタヌ吉にハンカチを渡す。

 「ありがたく、頂戴いたします。皆々どもにも、共有します故」

そう言ってタヌ吉は深々と頭を下げた。少しの沈黙の後、ではでは!と顔を上げてにぱ!と笑う。

ぷりぷりと触れる尻と尻尾を見送りつつ、天音は呟いた。

 「そういえば、あの男どうしたんだろうな」

華岡は少しの沈黙の後にこりと笑った。





 「さあ」





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