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第98話 期待されるのが怖い

 リリィ・クロフトは、計画を立てるのが好きだ。


 たぶん。


 本人は「好きではなく、必要なので」と言うかもしれない。


 けれど、彼女は予定表をきれいに書く。


 荷物の配置も決める。


 練習時間の隙間も埋める。


 冗談のような顔で、逃げ道まで計算している。


 だからこそ、自分の召喚が計画通りにいかないことを、誰より嫌っている。


 翌朝、リリィは控室の机に小さな作戦表を広げていた。


 迷子一号。


 グレイ。


 匂い追い。


 フィーニス。


 封印布。


 ロイの小音。


 それぞれを細かく線で結び、右端に「使う場合」「使わない場合」「事故った場合」と三列に分けている。


 事故った場合。


 その欄だけ、やけに広い。


「広くないか」


 俺が言うと、リリィは平然と答えた。


「私の人生、だいたいここに入りますので」


「重い冗談だな」


「軽い本音です」


 軽い本音。


 そういう言い方ができる時点で、軽くはない。


 グレイは皿の上でぷるぷるしている。


 迷子一号はその隣で動かない。


 石と灰色の綿くず。


 リリィの計画通りにいかない召喚の、今のところの成果だ。


 強い使い魔ではない。


 派手な契約獣でもない。


 でも、旗痕跡を追う。


 その小さな性質が見つかったせいで、作戦に使える可能性が出てきた。


 それがリリィを、昨日から少し落ち着かなくさせている。


「使えそうですね」


 リリィは自分で言った。


「よかったな」


 ジャックが軽く言い、すぐに空気を読んで口を閉じた。


 リリィは笑う。


「はい。よかったです。使えなければ迷惑で、使えれば怖い。人生、選択肢が豊富ですね」


 ジャックは本気で困った顔をした。


「悪い」


「謝るの早いですね。第七部の流行ですか」


「いや、今のは俺が雑だった」


 リリィは少しだけ目を瞬かせた。


 ジャックが素直に謝るのは、まだ珍しい。


「雑な自覚がある危険物は、少し安全ですね」


「褒めてんのか」


「半分くらい」


 いつもの返し。


 でも、そのあとリリィは作戦表の「使う場合」を見て、すぐに笑みを消した。


 コレットはそれを見逃さなかった。


「リリィさん」


「はい」


「今日の作戦検討、止めますか」


 リリィはすぐに返さない。


 作戦表を見ている。


 使う場合。


 使わない場合。


 事故った場合。


 たぶん、彼女は全部を考えたい。


 考えなければ怖い。


 でも、考えるほど怖くなる。


「止めません」


 彼女は言った。


「でも、作戦に決定もしません」


「わかりました」


 コレットは記録する。


 リリィ、検討は続行。決定は保留。


「部長さん、その文面便利ですね」


「便利です」


「みんな便利に負けている」


 リリィは笑った。


 ロイが小さく手を上げる。


「俺の音、グレイに反応しましたよね」


「しました」


 クララが答える。


「フィーニスの旗痕跡ほどではありませんが、ロイくんの小音にも弱反応がありました。山で作った五種合図のうち、完了音への反応が一番安定しています」


「完了音に?」


 ロイが少し嬉しそうになる。


 リリィがすかさず言う。


「グレイ、終わりたいんですかね」


「ひどい」


「冗談です」


 グレイがぷるりと震える。


 冗談がわかったのか、ただ震えただけかは不明だ。


 クララは続ける。


「グレイは旗痕跡へ向かいますが、単独では遅すぎます。ロイくんの小音で向きを少し補助できる可能性があります」


 コレットが記録する。


 グレイ、旗痕跡追跡。ロイ小音で微誘導可能性。


 リリィの表情が硬くなる。


 可能性。


 その言葉が増えるほど、期待も増える。


 期待が増えると、失敗した時の落差も増える。


「リリィ」


 ネルが呼んだ。


「何ですか、直球担当」


「怖い?」


 直球だった。


 リリィは一瞬だけ笑い、すぐに黙る。


 いつものように茶化せなかった。


 それだけで、答えが出ていた。


「怖いです」


 彼女は言った。


 控室の空気が少し変わる。


 リリィは作戦表を見る。


「使えないと言われるのは慣れています。迷惑だと言われるのも、まあ、かなり飽きましたけど慣れています。でも、使えるかもしれないと言われるのは、慣れていません」


 声は軽くない。


「使えるかもしれない。期待されるかもしれない。作戦に入るかもしれない。それで、やっぱりだめでしたとなったら」


 彼女はグレイを見る。


「また、迷惑になります」


 誰もすぐには言い返せなかった。


 違う、と言うのは簡単だ。


 でも、簡単に否定すると軽くなる。


 リリィはその可能性を、本当に怖がっている。


 使えないことより、使えるかもしれないことが怖い。


 期待されて、失敗して、やっぱり迷惑だと言われること。


 それは過去の再演だ。


 フェルン先生がいたら、どう言っただろう。


 セラなら。


 ユアンなら。


 俺たちは、第七部としてどう扱うべきか。


 コレットが静かに言った。


「期待ではなく、選択肢として置きます」


 リリィが顔を上げる。


「選択肢」


「はい。使わない選択肢も、使う選択肢も、事故時に中止する選択肢も置きます。リリィさんが選ぶ前に、私たちは期待として押しません」


「でも、勝つためには使いたくなるでしょう」


「なります」


 コレットは正直に言った。


 リリィの笑みが少しだけ戻る。


「正直ですね」


「はい。使えそうだと思っています。フィーニス攻略の鍵になるかもしれません」


 コレットはそこで一度止めた。


「でも、鍵だからといって、無理に回すとは限りません。鍵穴が本人の傷口なら、使いません」


 リリィは黙った。


 言葉が届いたのか、困っているのか、両方か。


 ガレスが短く言う。


「道具じゃない」


 リリィが振り向く。


 ガレスはグレイを見ている。


「使うなら、持ち主が持つ」


「持ち主」


「リリィ」


 リリィは少しだけ目を伏せた。


「石と綿くずの持ち主ですか。肩書きが増えました」


「悪くない」


「ガレス先輩が言うと、そう聞こえるから困ります」


 グレイがぷるぷるする。


 迷子一号は動かない。


 でも、机の上にいる。


 登録外ではなく、持ち主のいるものとして。


 クララが少し控えめに言った。


「私は、記録したいです」


 リリィの目が、少し鋭くなる。


 クララはすぐに続けた。


「でも、記録したいから使ってほしいわけではありません」


 言い直しではない。


 先に置いた。


「あなたの召喚は、古代旗との関係でとても重要です。迷子一号もグレイも、偶然では片づけられない可能性があります。私はそれを知りたい。でも、その知りたい気持ちは、あなたに無理をさせる理由にはなりません」


 クララは、かなり努力して短く話していた。


 それでも長い。


 でも、必要な長さだった。


 リリィは少し困ったように笑う。


「クララ先輩、研究者としては欲望が隠せていませんね」


「はい」


「人としては?」


「止めます。あなたが嫌なら」


 リリィは返事をしなかった。


 代わりに、迷子一号を指で転がす。


 石は少しだけグレイのほうへ寄る。


 グレイはぷる、と震える。


「困りますね」


 彼女は言った。


「みんな、私を雑に扱わないので」


 ネルが首を傾げる。


「雑がいいの?」


「慣れています」


「慣れてるのと、いいのは違う」


 また直球。


 リリィは少しだけ息を詰め、笑った。


「ネル先輩の言葉、たまに短剣ですね」


「刺した?」


「少し」


「ごめん」


「謝るの早い」


「流行ってるから」


 リリィが笑った。


 笑いながら、少しだけ肩の力が抜ける。


 その日の午後、セラが作戦検討用の空き庭を貸してくれた。


 フィーニスはいない。


 旗痕跡もほとんどない場所だ。


 リリィが落ち着いてグレイと迷子一号を扱えるように、あえて何もない庭を選んだらしい。


「白すぎますね」


 リリィが言う。


 セラは真面目に返す。


「清掃基準内です」


「相変わらず、そこは譲りませんね」


「はい」


 リリィは少し笑った。


 セラとの会話にも、少しずつ棘以外のものが混じり始めている。


 空き庭では、グレイの基本行動を確認した。


 旗痕跡がないと、ほとんど動かない。


 迷子一号にぶつかると止まる。


 ロイの完了音に少し反応する。


 ネルが手を近づけると震える。


 ガレスが水を置くと、なぜか少し寄る。


「水にも反応?」


 ロイが驚く。


 ガレスは頷く。


「水は大事」


「万能理論にしないでください」


 リリィが笑う。


 でも、グレイは本当に水のほうへ少し寄った。


 クララが記録する。


「湿度反応かもしれません」


「つまり、ほこりですね」


 リリィが言う。


「グレイです」


 セラが言った。


 リリィは少し驚いて、セラを見る。


「仮名を守るんですか」


「仮名でも、記録名です」


「真面目」


「はい」


 セラは頷いた。


 その真面目さが、今日は少しだけ頼もしい。


 グレイは弱い。


 あまりにも弱い。


 でも、弱いからこそ、誰も雑に扱えない。


 強い使い魔なら、命令すればいい。


 グレイは命令しても、たぶん動かない。


 匂いがあれば少し進む。


 音があれば少し揺れる。


 水があれば少し寄る。


 その程度だ。


 でも、その程度の反応をみんなで見ていると、リリィの表情が少しずつ変わった。


 期待される怖さから、観察する側の顔へ。


 自分の召喚を、自分で見ている顔へ。


「これ」


 リリィが言う。


「作戦に使うなら、かなり面倒ですね」


 コレットが頷く。


「はい。速くない。強くない。命令に従うわけでもない」


「褒めるところがありません」


「あります」


「どこに」


「フィーニスが嫌うものに反応する。ロイくんの小音で少し補助できる。迷子一号と一緒に置くと止まりやすい。水で誘導できる可能性もある」


 リリィは笑った。


「面倒な長所ですね」


「第七部向きです」


 コレットは真顔だった。


 リリィは少しだけ吹き出した。


「それ、褒め言葉として受け取る部活、ここくらいですよ」


「はい」


 空き庭の端で、ユアンがそれを見ていた。


 今日も肩に狐がいる。


 彼はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「クロフト」


「何ですか、狐の台座さん」


「その呼び方やめろ」


「検討します」


「しないやつだろ」


「よくご存じで」


 ユアンは少し呆れたあと、グレイを見た。


「期待されるの、嫌か」


 リリィの笑みが止まる。


 ユアンは続ける。


「昔、君は期待されてなかった。少なくとも、俺はそう思ってた。出すな、止めろ、またか、って」


 彼は肩の狐を撫でる。


「でも、今はこいつらが期待されてる。たぶん、それもきついんだろ」


 リリィはしばらく黙った。


「ユアン」


「何」


「急に人の内面を読まないでください。似合いません」


「悪い」


「謝るのも似合いません」


「じゃあどうしろ」


「狐に謝らせてください」


 狐が小さく鳴いた。


 ユアンは困った顔をする。


「今のが謝罪だ」


「雑ですね」


「君に言われたくない」


 リリィは少し笑った。


 それから、小さく言う。


「嫌です」


 ユアンが見る。


「期待されるのは、嫌です。怖いです。でも、期待されないまま終わるのも、たぶん嫌でした」


 言葉が、空き庭の白い床に落ちる。


 誰も拾い急がない。


 リリィは続けた。


「だから、困っています」


 コレットが記録板を抱え直す。


「書いていいですか」


 リリィは少しだけ笑った。


「書くんでしょう」


「許可があるなら」


「あります」


 コレットが書く。


 リリィ、期待されることを怖がる。


 期待されないまま終わることも嫌だったと認める。


 困っている。


「困っている、便利ですね」


 リリィが言う。


「はい」


「また便利に負けました」


 その日の訓練は、作戦決定なしで終わった。


 決めなかった。


 ただ、確認した。


 グレイは弱い。


 迷子一号はほとんど動かない。


 ロイの音と水と旗痕跡に、ほんの少し反応する。


 リリィは期待されるのが怖い。


 でも、期待されないまま終わるのも嫌だった。


 その二つを同じ紙に置いた。


 夜、控室でリリィは作戦表を書き直した。


 使う場合。


 使わない場合。


 事故った場合。


 その三列の横に、新しい欄が増えていた。


 選ぶ場合。


「いい欄だな」


 俺が言うと、リリィは得意そうに笑った。


「でしょう。逃げ道ではなく、選ぶ道です」


 ネルが少し嬉しそうにした。


 自分の言葉が残ったからだろう。


 リリィはその欄に、ゆっくり書いた。


 作戦に入れるかどうかは、公式戦前に自分で決める。


 グレイと迷子一号を餌にしない。


 使う場合は、匂い追いを「旗を傷つけるため」ではなく「旗の境界を見るため」に使う。


 失敗した場合は、迷惑ではなく中止。


 その最後の一行を見て、俺は少し息を吐いた。


 迷惑ではなく中止。


 これもまた、言葉の置き換えだ。


 ただの慰めではない。


 中止なら、次がある。


 迷惑だと、そこで人ごと閉じられる。


 リリィはペンを置いた。


「これで、少しだけ怖くなりました」


「逆じゃないのか」


「見える怖さになったので」


 彼女は笑う。


「見えない怖さよりは、ましです」


 ロイが小さく完了音を出した。


 コン。


 グレイがぷるりと震え、迷子一号にぶつかって止まった。


 リリィはそれを見て、今度は穏やかに笑った。


「弱いですね」


 悪口ではない。


 期待でもない。


 ただの観察。


 その距離で、自分の召喚を見られるようになったことが、今日の一番の前進だったのかもしれない。


 俺は記録板の隅にある言葉を見た。


 選ぶ道。


 それは、リリィにとってまだ細い。


 でも、ちゃんと道だった。


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