第83話 山に返される音
ロイ・キャベルは、山の音を集め始めた。
本人は「集めている」と言わない。
「聞いています」
そう言う。
でも、俺には集めているように見えた。
作業場の金具を叩く音。
補助帯の革が伸びる音。
足場の板が湿っている時の音。
乾いている時の音。
荷縄が擦れる音。
岩に靴底が乗る音。
遠い川の音。
下から吹き上げる風の音。
山岳校の短い笛。
タリアの足音。
ベイルが荷を背負う時の息。
ガレスが金具を直す時の低い「こん」。
ミラが立ち上がる前に、ほんの少し毛布を握る音。
ロイは、それらを聞いていた。
聞いて、時々真似しようとした。
だいたい失敗した。
「ちん」
朝の作業場で、ロイが短く鳴らす。
金具の確認音。
悪くない。
ベイルが頷く。
「今のは使える」
ロイの顔が明るくなる。
「本当ですか」
「大きくするな」
「はい」
顔がすぐ引き締まる。
この数日で、ロイは明るくなる速度と引き締まる速度が両方上がった。
山では、調子に乗っている時間が短い方が安全だ。
「次、上の反響場」
タリアが言った。
「反響場?」
ロイが聞く。
「音を試す場所」
タリアは作業場の外を指す。
「山では、音が道になる時がある。逆に、落石になる時もある」
ロイの顔が固まった。
「落石」
「小さい音でも、場所が悪いと石が落ちる。大きい音でも、場所が良ければ遠くの人へ届く」
ネルが腕を組む。
「ロイのための場所じゃん」
「怖い言い方しないでください」
ロイは本気で怯えている。
無理もない。
彼の欠陥魔法は、発動音が大きすぎる。
平地では迷惑。
礼式庭では脅かす危険。
山では、もしかすると物理的に危ない。
落石。
反響。
足場の揺れ。
山は音を返す。
返された音が、どこへ行くか分からない。
「行くか?」
ベイルが聞く。
ロイは、すぐには答えなかった。
胸元の札を握る。
小さな札。
発動音を抑えるための道具。
ガレスが直し、クララが古式文字を読み、ロイが何度も失敗しながら使っている札。
「行きます」
ロイは言った。
声は小さかった。
「音が変って、早めに言う練習をします」
昨日の作業場で出た言葉だ。
早めに言う会。
ネルは嫌そうに言ったが、必要そうだとも言った。
ロイは、それをちゃんと持っている。
「じゃあ、行く」
タリアが案内を始めた。
反響場は、校舎の上層にあった。
崖に半円形に削られた場所。
岩壁が弧を描き、音が中央へ戻ってくる構造になっている。
観客席ではない。
訓練場でもない。
山で使う合図の強さ、向き、長さを試す場所らしい。
足元には白い線がいくつも引かれている。
立つ位置。
鳴らす向き。
聞く位置。
避けるべき場所。
「ここでは、大きい音を出してもいいんですか」
ロイが恐る恐る聞く。
「いい場所と悪い場所がある」
タリアが答える。
「だから、まず聞く」
聞く。
山では、何度もそこへ戻る。
見る前に、聞く。
走る前に、聞く。
鳴る前に、聞く。
「ミラは?」
ロイが周囲を見る。
ミラは反響場の入口近くに座っていた。
ガレスが横にいる。
まだ長く立てないが、見学に来た。
「聞く」
ミラは言った。
「音?」
「ロイが、どこで怖いか」
ロイの表情が少し変わる。
「俺が怖い?」
「うん」
ミラは頷く。
「ロイの音が怖い場所と、ロイが音を怖がる場所、両方」
ロイは、少しだけ黙った。
自分の音が怖い場所。
自分が音を怖がる場所。
似ているようで、違う。
でも、どちらもロイには大事だ。
「分かりました」
彼は小さく答えた。
反響場には、山岳校の生徒が数人いた。
タリア。
ベイル。
ロウナ先生。
それから、音響係の男子生徒、名前はハルク。
小柄で、耳に小さな金属具をつけている。
彼はロイを見ると、まず口ではなく胸元の札を見た。
「発動音抑制具?」
「はい」
ロイが答える。
「自作?」
「ガレス先輩とクララ先輩に、かなり助けてもらって」
「音、見てもいい?」
ロイは少し迷った。
自分の音を見られる。
それは、ミラが足を見られるのと似ているのかもしれない。
でも、彼は頷いた。
「はい」
ハルクは、反響場の中央に小さな石を置いた。
音を受ける石だという。
音が強すぎると、石に刻まれた線が震える。
危険な方向に反響すると、赤く光る。
便利だ。
少し怖い。
「まず、いつもの小音」
タリアが言う。
ロイは頷き、胸元の札に触れる。
息を吸う。
「ちん」
小さな音。
反響場の岩壁に当たり、すぐに戻ってくる。
ちん。
ちん。
少しだけ遅れて、二つ三つ重なる。
ロイの目が開く。
「返ってきます」
「山だから」
ハルクが言う。
「一回鳴らすと、一回じゃ終わらない」
ロイは、音を聞いている。
自分の音が戻ってくる。
いつも彼の音は、出した瞬間に周囲から責められるものだった。
ここでは、山が返す。
責めているわけではない。
でも、増える。
ロイの音が、ロイだけのものではなくなる。
「怖い?」
ミラが入口から聞いた。
ロイは少し考える。
「少し」
「早め」
ガレスが言う。
ロイは頷く。
「音が返ってくるのが、少し怖いです」
ロウナ先生が頷いた。
「記録する。初回小音反響、本人に軽い恐怖」
ロイは少し恥ずかしそうにした。
でも、逃げなかった。
早めに言った。
「次」
ハルクが、立つ位置を少し変える。
「同じ音を、岩壁へ向けて」
ロイは位置を変えた。
白い線の上。
今度は岩壁が近い。
「ちん」
同じ小音のはずだった。
でも、戻り方が違う。
ちん、ちん、ちん。
高い音が重なり、少し耳に刺さる。
受け石の線が淡く震えた。
ロイが肩を跳ねさせる。
「今の、嫌です」
早い。
すぐ言った。
タリアが頷く。
「いい。そこは嫌で正しい」
「嫌で正しい」
ロイが繰り返す。
「はい」
ハルクが石を見る。
「危険ではない。でも、長く聞くと足が急く。合図には向かない」
「足が急く音」
ロイは真剣に頷く。
「俺、それ出したくないです」
「なら、位置を覚える」
ベイルが言う。
「山では、音の良し悪しは本人の気合じゃなく、場所で決まることがある」
ロイの顔が少しだけ救われたようになる。
「俺のせいだけじゃない?」
ベイルは、少し渋い顔をした。
「お前のせいもある」
「はい」
「場所のせいもある」
「はい」
「だから、聞け」
「はい」
ロイは頷いた。
自分のせいだけではない。
でも、自分のせいでもある。
場所も悪い。
でも、場所のせいだけではない。
この山は、責任を一つにまとめさせない。
ミラの重さもそうだった。
ガレスの回収もそうだった。
ロイの音も、そうらしい。
「次は」
ハルクが少し迷った。
タリアがロウナ先生を見る。
ロウナ先生は、ロイを見る。
「大音量を試す」
ロイの顔が固まった。
「大音量」
「抑制具を外せとは言わない。だが、山で暴発する前に、反響場で危険な音を知っておく必要がある」
理屈は分かる。
でも、ロイの顔から血の気が引いている。
彼は、大きな音を出したくない。
声援の手前まで来た。
必要な音を覚え始めた。
道具の音も聞けるようになった。
だからこそ、また大音量に戻るのは怖い。
「やめてもいい」
タリアが言った。
ロイは、すぐには答えない。
胸元の札を握る。
手が少し震えている。
「ロイ」
ミラが呼ぶ。
「何でしょう」
「怖い?」
「怖いです」
早い。
ちゃんと言えた。
ガレスが頷く。
「早い」
ロイは、少しだけ笑いそうになった。
でも、すぐ真面目になる。
「怖いです。でも、知らない方がもっと怖いです」
その答えに、ロウナ先生が小さく頷いた。
「では、条件を置く」
条件。
山では何でも条件になる。
それが救いでもある。
「立つ位置は中央。受け石を三つ置く。全員、耳保護。ロイは発音前に『大きくなる』と宣言。発音後、すぐ札を押さえる。危険反響が出たら、ハルクが遮音布を下ろす」
ハルクが厚い布を持ち上げる。
山で使う遮音布らしい。
魔法繊維が織り込まれている。
ロイは何度も頷いた。
「大きくなる、って言います」
「言ってから鳴る」
タリアが確認する。
「はい」
俺たちは耳保護具をつけた。
ミラも。
ガレスも。
ネルは嫌そうな顔をしながら、しっかりつけている。
「ロイ」
ネルが言った。
「何ですか」
「大きくなったら、あとで怒る」
ロイの顔が少しだけ崩れた。
「怒るんですか」
「でも、今はやれ」
ネルはそっぽを向いた。
「知らないで本番で鳴られる方が嫌」
ロイは、深く頷いた。
「はい」
彼は中央に立つ。
胸元の札。
受け石三つ。
岩壁。
反響場。
山の耳が、全部こちらを向いているようだった。
ロイは息を吸った。
「大きくなります」
宣言。
早めに置いた。
それだけで、少しだけ安全が増える。
そして、彼は魔法を発動した。
「ち」
最初は小さかった。
次の瞬間。
ぎゃん。
音が跳ねた。
反響場の岩壁に当たり、何倍にもなって戻る。
ぎゃん。
ぎゃん。
ぎゃん。
耳保護具越しでも、胸が震える。
受け石の一つが赤く光った。
危険反響。
ハルクが遮音布を下ろす。
布が音を受ける。
鈍い衝撃。
しかし、反響の一部が横へ抜けた。
上の岩棚で、小さな石が崩れる。
かつ、かつ、かつ。
落石。
小さい。
危険な規模ではない。
でも、本当に石が落ちた。
ロイの顔が真っ白になる。
彼は札を押さえ、口を閉じた。
音は止まる。
反響が遅れて消える。
反響場に、重い沈黙が落ちた。
「すみません」
ロイが言った。
声が震えている。
「すみません、俺」
「止まれ」
タリアの声が飛ぶ。
叱る声ではない。
指示の声だ。
ロイは口を閉じる。
「今、謝罪を重ねると音が乱れる」
タリアは言う。
「まず、呼吸」
ロイは震えながら頷いた。
息を吸う。
吐く。
胸元の札を握る。
もう一度、息を吸う。
「怪我は?」
ロウナ先生が確認する。
ハルクが岩棚を見る。
「小落石。安全範囲内。受け石一つ赤。遮音布、半分吸収」
「記録」
ロウナ先生が言う。
「大音量発動。危険反響発生。小落石あり。本人、即時停止。謝罪過多傾向。呼吸指示で停止」
ロイは、うつむいている。
手が震えている。
ネルが近づこうとして、止まった。
ミラが入口から言う。
「ロイ」
ロイは顔を上げない。
「はい」
「怖かった?」
「怖かったです」
声が小さい。
「音が」
ミラが続ける。
「変って、いつ分かった?」
ロイは、少しだけ顔を上げた。
考える。
震えながら。
「最初の『ち』の後です」
「言えた?」
ロイは首を横に振った。
「言えませんでした。もう跳ねてました」
「じゃあ」
ミラは言う。
「次は、『大きくなる』じゃなくて、『跳ねそう』も言う」
ロイの目が少し揺れる。
「跳ねそう」
「うん」
「大きくなる前に?」
「跳ねる前に」
ロイは、唇を噛む。
「分かるでしょうか」
ハルクが答えた。
「分かるようにする」
彼は受け石を指差す。
「今の最初の『ち』で、中央石が先に震えた。本人の喉より、札より、石が早かった。次は石を見ろ」
「石」
「音を出す前に、石を見る。震えたら『跳ねそう』」
ロイは、受け石を見る。
赤い光はもう消えている。
でも、彼にはかなり怖く見えているはずだ。
「俺、石を見る余裕、あるでしょうか」
「ないなら、誰かが見る」
タリアが言う。
「音は一人で持つな」
その言葉に、ロイの顔が変わった。
音は一人で持つな。
ミラの荷物。
ガレスの回収。
全部とつながる。
ロイの音も、一人で持つものではない。
「誰が」
ロイが言う。
「見るんですか」
俺は口を開きかけた。
でも、その前にネルが言った。
「あたしが見る」
ロイが目を丸くする。
「ネル先輩が?」
「何」
「いや、意外で」
「やっぱやめる」
「すみません!」
ロイが慌てて頭を下げる。
ネルは不機嫌そうに受け石の方へ行った。
「あたし、魔力一瞬だから、出す前の揺れとか見るのは得意。たぶん」
「たぶん」
ロイが不安そうに繰り返す。
「文句ある?」
「ありません」
ネルは受け石の前に立つ。
真剣な顔だ。
「あんたは音を出す。あたしは石を見る。跳ねそうなら言う」
「はい」
「あんたも、喉が変なら言う」
「はい」
「謝るのは後」
「はい」
ロイは頷いた。
さっきより、少しだけ顔に色が戻っている。
大音量を起こした。
小落石も起こした。
それは消えない。
でも、そこで終わらない。
音を一人で持たない。
跳ねそうを早めに言う。
謝罪は後。
条件が増える。
山は、危険を条件に分ける。
「もう一回やるか?」
ロウナ先生が聞いた。
ロイは、すぐには答えない。
恐怖が顔にある。
当然だ。
ミラが言う。
「やめてもいい」
ロイはミラを見る。
「ミラ先輩は、昨日、もう一足場って言いました」
「うん」
「俺も、もう一音」
ネルが小さく息を吐いた。
「変な対抗心出すな」
「対抗心じゃないです」
ロイは受け石を見る。
「次の足場まで、みたいなものです」
その言葉で、ガレスが頷いた。
「もう一音」
ロウナ先生は少しだけ目を細めた。
「条件を増やす。抑制具あり。中央位置。音量を上げようとしない。発動前に石を見る。ネルが石を見る。ハルクが遮音布。危険なら中止」
ロイは頷く。
「はい」
彼はもう一度、中央へ立った。
さっきと同じ場所。
でも、同じではない。
ネルが受け石を見ている。
ハルクが遮音布を構えている。
タリアが岩棚を見ている。
ミラが入口で聞いている。
ロイは一人ではない。
胸元の札。
息。
石。
喉。
山。
彼は全部を一度見た。
「跳ねそうなら、言います」
宣言。
そして、息を吸う。
受け石が、ほんの少し震えた。
ネルが叫ぶ。
「跳ねそう!」
ロイは、音を出す前に口を閉じた。
発動しかけた魔法が喉の奥で止まる。
小さな、変な音が出た。
「っ」
それだけ。
反響はしない。
落石もない。
ロイは、目を見開いている。
「止まった」
自分で言った。
驚いた声。
「止まりました」
ネルが受け石から顔を上げる。
「出る前に止めた」
ロイは、胸元の札を握りしめた。
「初めてです」
その一言が、反響場に落ちた。
大きな音ではない。
でも、重い。
彼の魔法は、いつも出てから問題になった。
鳴ってしまってから謝る。
驚かせてから笑う。
壊してから落ち込む。
でも今、出る前に止めた。
自分一人ではない。
ネルが石を見た。
ハルクが布を構えた。
タリアが条件を置いた。
それでも、止めたのはロイだ。
「記録」
ロウナ先生が言う。
「危険反響予兆。ネル・アーレン、受け石振動確認。ロイ・キャベル、発音前停止成功」
コレットが、遠くで帳面に書いている。
いつの間に来ていたのか。
さすが部長。
「成長」
彼女が小さく言った。
ロイは、少しだけ泣きそうな顔になった。
でも、泣かない。
代わりに、深く息を吐いた。
「怖かったです」
早めに置く。
「でも、止まりました」
それも置く。
「もう一回は、今日は無理です」
さらに置く。
ロウナ先生が頷く。
「よい判断。訓練終了」
ロイの肩から、力が抜けた。
ネルが受け石から離れる。
「疲れた」
「ありがとうございます」
ロイが言う。
ネルは顔を背ける。
「別に」
「石、見てくれて」
「音で落石されたら嫌だから」
「はい」
ロイは笑った。
「それでも、ありがとうございます」
ネルは、少しだけ耳を赤くした。
「うざ」
いつもの言葉。
でも、声は柔らかかった。
反響場を出る時、ロイは一度だけ振り返った。
岩壁。
受け石。
遮音布。
小さな落石の跡。
「俺の音」
彼が言う。
「危険でした」
「うん」
俺は頷く。
「でも、止まった」
「うん」
「必要な音と、危険な音の間に、跳ねそうな音がありました」
いい分類だと思った。
ロイらしい。
「次は?」
俺が聞く。
ロイは少し考えた。
「跳ねそうを、早めに言います」
「うん」
「あと、一人で持ちません」
その言葉は、山に来てから何度も形を変えているものだった。
ミラの体。
ガレスの怖さ。
登攀具の壊れ目。
ロイの音。
全部、一人で持つと落ちる。
「ミラ先輩」
ロイが入口のミラへ駆け寄る。
足音が少し大きい。
タリアが「踵」と言い、ロイはすぐ直した。
「さっき、止まりました」
「見た」
ミラが言う。
「聞いた」
「怖かったです」
「うん」
「でも、止まりました」
「うん」
「俺の音も、回収できますか」
ミラは、少しだけ目を細めた。
「できる」
短い答え。
ロイの顔が、ぱっと明るくなる。
「本当ですか」
「うん。出る前に、拾う」
出る前に拾う。
音を回収する。
また変な言葉が増えた。
でも、山ではたぶん正しい。
危険な音が落石になる前に。
誰かを驚かせる前に。
ロイ自身を傷つける前に。
出る前に拾う。
「じゃあ、俺」
ロイは胸元の札を握る。
「次は、音が落ちる前に、拾います」
ネルが横から言う。
「詩みたいに言うな」
「だめですか」
「だめじゃないけど、うざい」
「なら、少しだけにします」
ロイは真面目に頷いた。
反響場の訓練は、夕方まで続かなかった。
ロウナ先生が止めたからだ。
大音量の訓練は、精神的にも山にも負荷が大きい。
今日は、危険反響を知り、発音前停止を一度成功させた。
十分。
山では、十分なところで止めるのが大事だ。
作業場へ戻ると、コレットが正式に記録を読み上げた。
「ロイ、大音量魔法で危険反響を発生。小落石あり。本人、即時停止。ただし謝罪過多傾向。二回目、ネルの受け石確認により発音前停止成功。必要な音、危険な音、跳ねそうな音の三分類を得る」
ロイは小さく頷いた。
「負け筋」
コレットは続ける。
「山では音が反響して増える。ロイ本人が抑えても、場所によって危険化する。謝罪が連鎖すると音が乱れる。本人単独では予兆を見落とす可能性」
「対策」
ロイが自分で言った。
コレットが少し驚いて、続きを促す。
「受け石役、または聞く役を置く。跳ねそうを早めに言う。謝罪は後。必要な音だけ。危険なら出る前に拾う」
作業場が静かになる。
そして、ガレスが頷いた。
「いい」
ロイは、今度こそ少し泣いた。
本当に少しだけ。
ネルが見ないふりをした。
ミラも見ないふりをした。
俺も見ないふりをした。
山では、見ないことも時々支えになる。
夜、外に出ると、崖は暗かった。
遠い川の音がする。
反響場の方からは、もう何も聞こえない。
ロイは、俺の隣で胸元の札を触っていた。
「ルカ先輩」
「何」
「俺、音が嫌いでした」
「うん」
「今も、嫌いな時があります」
「うん」
「でも、今日の止まった音は、少し好きです」
音が出なかったのに、音。
変な言い方だ。
でも、分かる。
出る前に拾えた音。
誰も落とさなかった音。
山に危険として返されずに済んだ音。
「いいんじゃないか」
俺は言った。
「出なかった音を好きでも」
ロイは少し笑った。
「変ですね」
「第七部だから」
「便利な言葉ですね」
「便利に使ってる」
ロイは、崖の暗闇を見る。
「明日から、もっと聞きます」
「うん」
「俺の音だけじゃなくて、みんなの音も」
「うん」
「誰かが重いって言う前の音とか、怖いって言う前の音とか」
それは、かなり大きなことを言っている。
ロイは気づいているのだろうか。
音は、発動音だけではない。
怖さの前。
重さの前。
落ちる前。
壊れる前。
早めに言うための、さらに前。
ロイがそれを聞けるなら、第七部の回収はもっと早くなる。
「頼む」
俺が言うと、ロイは少し驚いた顔をした。
「はい」
そして、嬉しそうに頷く。
山に返される音は怖い。
でも、返ってくるから分かることもある。
ロイの大音量魔法は、今日、小さな落石を起こした。
それは消えない。
でも、その後で、彼は出る前に音を拾った。
必要な音。
危険な音。
跳ねそうな音。
そのあいだを聞き分ける練習が、ここから始まる。
山は、足だけではなく、音も見ている。
そしてロイは、ようやく自分の音を、一人で背負わなくていいと知り始めていた。




