第72話 山を降りた足
グライフ山岳魔法学校の校舎には、廊下が少なかった。
というより、俺たちが廊下だと思っているものが、ここでは廊下ではない。
岩壁に沿った足場。
屋根のある細い通路。
階段というより梯子に近い段差。
建物と建物をつなぐ吊り橋。
どこまでが校舎で、どこからが崖なのか、正直よく分からない。
ルミナリアの廊下は、姿勢を正せと迫ってきた。
グライフの通路は、足元を見ろと命令してくる。
従わないと、本当に危ない。
「この学校、移動だけで競技じゃない?」
ネルが低い声で言った。
彼女は壁側を歩いている。
谷側はミラに譲られていた。
いや、譲られたというより、ミラが自然に谷側へ立った。
落ちそうな荷物を自分の内側へ入れるように。
「競技」
案内役のタリアが振り返る。
「山では、移動できない者は競技できない」
「でしょうね」
ネルは素直に頷いた。
噛みつかない。
それだけで少し珍しい。
この学校では、ネルの一瞬の魔力より、足の置き方の方が先に問われる。
それが本人にも分かっているのだろう。
「ロイ、音」
タリアが言った。
ロイはびくっとする。
「出てました?」
「靴底」
「靴底」
「踵から落としてる。板が鳴る。谷に響く」
ロイは慌てて足元を見る。
「すみません」
「謝るより、足裏全体」
タリアは自分の足を見せるように、一歩置いた。
音がしない。
いや、まったくしないわけではない。
木が小さく受け止める音だけがある。
ロイが真似する。
ぎし。
板が鳴った。
ロイの顔が悲しくなる。
「俺、足も鳴ります」
「鳴らない足はない」
タリアは短く言った。
「鳴らし方を選ぶ」
ロイは、その言葉を胸にしまうように頷いた。
「はい」
声援の手前の音を覚えたばかりのロイに、今度は山の足音が来た。
忙しい。
でも、悪くない忙しさだ。
通路の先で、山岳校の生徒たちが訓練していた。
大きな荷を背負い、斜面を上がる。
岩に打ち込まれた取っ手を掴み、横へ移る。
二人一組で、片方が荷を預け、もう片方が受ける。
魔法の光は短い。
必要な瞬間だけ、筋肉の上に走る。
派手な詠唱はない。
観客向けの輝きもない。
生きるために使う魔法が、そのまま競技へ入っている。
ミラは、その訓練を黙って見ていた。
タリアも、それに気づいている。
でも、何も言わない。
沈黙にも種類がある。
今の沈黙は、見せている沈黙だ。
ほら、覚えているか。
そう聞かれている気がした。
「ミラ」
訓練場の端から声が飛んだ。
男の声。
低く、少し粗い。
振り向くと、灰色の制服を着た男子生徒が岩場から下りてきていた。
肩幅が広い。
腕に古い傷がある。
荷を背負っていないのに、背中に何か乗っているような立ち方をしている。
山の人間は、荷物がなくても荷物の形が残るのかもしれない。
「ガルドのミラだ」
周囲の生徒がざわつく。
その声には、懐かしさもある。
驚きもある。
そして、少しの棘もある。
男子生徒は、ミラの前で止まった。
「久しぶり」
ミラが言う。
「ベイル」
ベイルと呼ばれた男子生徒は、ミラの荷物を見る。
二つ。
片方は自分のもの。
もう片方はたぶん、誰かの補助荷。
持ちすぎではない。
でも、少なくもない。
「中央の荷物は軽そうだな」
ベイルが言った。
周囲の空気が少し固くなる。
タリアは止めない。
ミラも、すぐには答えなかった。
「カルミア」
ミラは短く言う。
「中央じゃない」
「山を降りたら同じだ」
昨日、タリアも同じようなことを言った。
でも、ベイルの声にはもっと棘があった。
「山を降りて、平地の学校に行って、欠陥魔法の部に入ったって聞いた。筋力強化を危険だから抑えろって教わってるのか」
「使い方を考えてる」
「考える?」
ベイルが笑う。
「山では、考えてる間に落ちる」
ミラの指が、荷物の紐を握る。
ネルが一歩前へ出かけた。
俺は腕で止めた。
ネルが睨む。
「なんで」
「ミラの場所」
小声で言うと、ネルは歯を食いしばって止まった。
白旗の庭で覚えた距離は、山でも必要だ。
ただし、こちらの方が風が強い。
「考える」
ミラは、もう一度言った。
「落ちないために」
「落ちないために、山を降りたのか」
ベイルの言葉が鋭くなる。
「中央に尻尾を振ったやつが、山の落ち方を教えるつもりか」
空気が止まった。
中央に尻尾を振った。
その言葉は、思っていたより重かった。
ただの悪口ではない。
山を捨てた。
自分たちの魔法を捨てた。
平地の評価に合わせた。
そういう意味が、いくつも乗っている。
ミラは、顔を変えなかった。
変えなかったが、荷物の紐を握る指が白くなっている。
「私は」
ミラが言いかける。
そこで、タリアが静かに口を挟んだ。
「ベイル」
「何だよ」
「客だ」
「客なら、山の言葉を聞くべきだ」
「山の言葉と、ただの傷つける言葉は違う」
タリアの声は低かった。
強い。
ベイルは一瞬黙る。
でも、引かなかった。
「タリアは甘い。ガルドのミラは、昔から背負えた。誰より重い荷を持てた。崖で一番速かった。それが今は、平地の部で回収される前提の欠陥魔法扱いだ」
ミラの目が、わずかに揺れた。
「あいつらに言われたんだろ。使いすぎるな。危ない。倒れる。助けが必要だって」
ベイルは俺たちを見る。
俺たち全員を。
「山では、倒れるまで持つやつがいるから、荷が届く。動けなくなるまで登るやつがいるから、冬を越せる。そういう魔法を、危ない欠陥にしたのは平地の基準だ」
誰も、すぐに返せなかった。
その言葉には、正しさがある。
完全ではない。
でも、正しさがある。
俺たちはミラの魔法を、危険な切り札として見てきた。
使った後に動けなくなる。
回収が必要。
だから、負け筋になる。
それは競技として正しい。
でも、山では違う意味がある。
動けなくなるまで持つことが、誰かを助ける場面がある。
山の生活が、そういう魔法を必要としてきた。
ベイルは、それを奪われたように感じているのかもしれない。
ミラが山を降りたことで。
中央の言葉で、自分たちの魔法が欠陥と呼ばれることで。
「でも」
レイナが静かに言った。
全員が彼女を見る。
レイナは、ルミナリアで覚えたばかりの名乗りを胸に、山の通路に立っていた。
「動けなくなる人を、回収する人も必要です」
ベイルが眉を寄せる。
「何?」
「山で、倒れるまで荷を持つ人がいるなら、その人を迎えに行く人も必要です。倒れたままにすることを、誇りとは呼べないはずです」
レイナの声は礼式庭より少し硬い。
でも、逃げていない。
ベイルは彼女を睨む。
「平地の礼式女が山を語るな」
レイナの肩が動いた。
ネルが今度こそ前へ出そうになる。
しかし、ミラが手を上げた。
止めた。
自分で。
「ベイル」
ミラの声は低かった。
「レイナは、私の部」
「部?」
「第七魔法競技部」
ミラは、荷物を一つ床に置いた。
谷側ではない。
壁側。
落ちない場所。
それから、ベイルを見る。
「私は、山を捨ててない」
「なら、なぜ降りた」
「勝つため」
「何に」
ミラは、少しだけ黙った。
その沈黙に、風の音が入る。
答えが一つではないのだろう。
山で勝てなかったもの。
自分の魔法の後遺症。
中央の評価。
カルミアの居場所。
背負い方が分からなかった荷物。
「落ちることに」
ミラは言った。
ベイルの表情が変わる。
「私は、山で強かった。でも、落ちた」
周囲の山岳校生徒が静かになる。
タリアも、何も言わない。
「筋力強化して、荷を持って、崖を上がって、動けなくなった。あの時、私は自分が重いと思ってなかった。荷物も、自分も、軽く見た」
ミラの声は淡々としている。
でも、淡々としているほど重い。
「軽く見たから、落ちた」
ベイルは、唇を結ぶ。
何か知っている顔だった。
過去の出来事。
ミラが山を降りるきっかけになった何か。
この場で全部は語られない。
でも、輪郭だけが見えた。
「カルミアで、私は回収される前提を学んだ」
ミラは、俺たちを見る。
特にガレスを。
「それは、弱いことじゃなかった」
ガレスは、ただ頷いた。
「背負う」
「うん」
ミラは、またベイルを見る。
「倒れるまで持つ人がいる。倒れた人を背負う人もいる。どちらも山」
タリアが、わずかに目を細めた。
その言葉を、彼女はちゃんと聞いていた。
ベイルは、まだ納得していない顔だ。
「きれいな言い方だ」
「きれいじゃない」
ミラは即答した。
「動けなくなるのは、怖い。背負われるのは、悔しい。回収が遅れると、寒い。山で倒れると、石の匂いが近い」
ベイルの顔から、少しだけ棘が消えた。
経験のある言葉だからだ。
ミラは、綺麗に飾っていない。
山の痛みを、山の言葉で言っている。
「でも、私は今、その怖さを作戦に入れる。カルミアで、そうする」
「中央の部で?」
「カルミア」
「同じだ」
「同じじゃない」
ミラは、首を横に振る。
「そこには、ガレスがいる。コレットがいる。ルカがいる。ネルがいる。みんな、私が重いことを知って持つ」
俺は、少しだけ胸が詰まった。
重いことを知って持つ。
列車の中でミラが言った言葉だ。
それが、今度は俺たちへ向けられている。
俺たちは、ミラの荷物を軽いとは思わない。
軽くしようとも言わない。
重いと知ったうえで、持つ。
たぶん、それがこの章の中心に来る。
「山を降りた足は」
ベイルが言う。
「山で鈍る」
ミラは、自分の足元を見る。
厚い靴。
カルミアで使ってきた靴。
山岳校の靴とは少し違う。
「確かめればいい」
ミラが言った。
「何を」
「私の足」
ベイルの目が鋭くなる。
タリアが息を吐いた。
「訓練路を使う?」
「使う」
ミラが答える。
俺たちは顔を見合わせた。
いきなり訓練路。
到着してすぐ。
荷物を置く前。
山では、話し合いより足を見せる方が早いのかもしれない。
「公式ではない」
タリアが確認する。
「ただの足慣らし。魔法は短く。落下防止索あり。カルミア側が望まないなら、やらなくていい」
コレットがミラを見る。
「ミラが決めて」
ミラは頷いた。
「やる」
「分かった」
コレットは帳面を開く。
「ただし、条件を決める。動けなくなるまで使わない。落下防止索をつける。ガレスを回収役に置く。ルカとアルフは線と位置を見る。ロイは音を抑える。ネルは走らない」
「なんであたしだけ名指し」
ネルが言う。
「走る顔してた」
「してない」
「してた」
レイナとロイが同時に頷いた。
ネルは舌打ちした。
「してたかも」
認めるのが早くなった。
成長だ。
たぶん。
俺はミラを見る。
「本当に大丈夫か」
ミラは、いつものように短く答えた。
「怖い」
大丈夫、ではなかった。
でも、嘘でもなかった。
「怖いけど、やる」
その言い方に、白旗の時のレイナを少し思い出した。
救われていない。
でも、逃げなくてもいい距離に来た。
ミラも、同じなのかもしれない。
山へ戻ったわけではない。
山を捨てたわけでもない。
ただ、山を降りた足で、もう一度山の道に立つ。
タリアが案内した訓練路は、校舎の裏手にあった。
裏手と言っても、崖の中腹だ。
細い岩棚。
打ち込まれた取っ手。
斜めに走る木の足場。
最後に、三メートルほどの段差を上がる短い壁。
山岳校の生徒たちは、これを軽い足慣らしと呼ぶらしい。
俺は、何度か言葉の意味を疑った。
「軽い?」
ロイが同じ疑問を口にする。
「軽い」
タリアが答える。
「落下防止索あり。荷なし。距離短い」
「山の軽い、怖いです」
「平地の軽いは、柔らかすぎる」
タリアは悪気なく言った。
ロイが少し傷ついた顔をした。
レイナが小声で言う。
「文化差です」
「文化差で済みますか」
「済ませましょう。今は」
ミラは落下防止索を腰に巻いた。
ガレスが金具を確認する。
一つずつ。
引く。
戻す。
音を聞く。
「固い」
「大丈夫?」
ミラが聞く。
「大丈夫。少し固い方がいい」
ガレスは最後に、索の余りを結ぶ。
「落ちたら、引く」
「うん」
「落ちる前も、声」
「うん」
「声が出ない時もある」
ミラが言う。
ガレスは頷いた。
「見てる」
それだけだった。
ミラは、少しだけ目を伏せた。
「ありがとう」
ベイルは、そのやり取りを見ていた。
何も言わない。
でも、さっきほど露骨な棘はない。
山では、回収役の手つきも見られる。
ガレスの手は、たぶん山の人間にも伝わる。
直す手。
壊さない手。
落ちたものを、割らないように持つ手。
「始め」
タリアが言った。
ミラが走り出す。
速い。
平地で見るミラの速さとは違う。
重い体を力で前へ押すのではなく、斜面に体を預ける速さ。
足を置く。
膝を抜く。
手をかける。
肩を入れる。
岩棚を横へ進む。
山岳校の生徒たちが、ざわめいた。
「鈍ってない」
誰かが言った。
ベイルの顔が険しくなる。
ミラは、最初の岩棚を抜けた。
次の木の足場。
足場が少し揺れる。
ロイが息を飲む。
音は出さない。
偉い。
ミラの靴が、板の上で低く鳴る。
タリアが目を細めた。
「足音、重い」
悪い意味ではなさそうだった。
重さを知って置いている音。
ミラは、段差の前で一瞬止まった。
壁。
三メートル。
取っ手はある。
でも、普通に上がるにはきつい。
ここで筋力強化を使うのだろう。
ミラの肩に、淡い光が走る。
短い。
強い。
山岳校の生徒たちが、前のめりになる。
ミラが跳んだ。
壁の取っ手を掴む。
体を引き上げる。
もう一段。
足をかける。
上がる。
速い。
けれど、光が少し長い。
長い。
俺は、嫌な予感がした。
「ミラ」
声をかける前に、ミラの動きが一瞬止まった。
肩の光が消える。
上半身は上がっている。
足が、下に残っている。
動けなくなったわけではない。
でも、力が抜け始めた。
「索」
ガレスが言う。
短い。
俺とアルフが同時に反応する。
アルフが一方向の結界を張る。
谷側。
俺は風を使わない。
使いたくなる。
ここで風を使えば、少し支えられるかもしれない。
でも、ミラの章だ。
それに、風を使えば記憶が落ちる。
戻り言葉はある。
でも、今はまだ使う場面ではない。
ガレスが索を引く。
ミラの体が、壁から離れすぎないように止まる。
ミラは歯を食いしばり、自分の足をもう一度置いた。
動く。
まだ動く。
彼女は最後の一段を上がり切った。
上の足場に膝をつく。
息が荒い。
タリアが手を上げる。
「停止」
訓練路が止まる。
ミラは上の足場で膝をついたまま、しばらく動かなかった。
山岳校の生徒たちは、声を出さない。
ベイルも、黙っている。
ガレスが索を固定し、上へ登る。
彼の登り方は速くない。
でも、確実だった。
ミラの隣へ行き、何も言わずに水筒を出す。
「水」
ミラが受け取る。
「動けるか」
「少し」
「降りる?」
「背負われる」
ミラは、はっきり言った。
その声が、訓練場に届いた。
ベイルの顔が変わる。
背負われる。
山で、その言葉を自分から言うのは、たぶん簡単ではない。
ミラは、悔しそうだった。
でも、隠さなかった。
ガレスは頷く。
「背負う」
彼はミラの前に膝をついた。
ミラが腕を回す。
ガレスが立ち上がる。
ゆっくり。
重さを軽く見ないように。
重いと知って、持つように。
山岳校の生徒たちは、まだ黙っていた。
その沈黙は、さっきまでとは違う。
嘲笑ではない。
驚きでもない。
見ている。
背負われるミラと、背負うガレスを。
ベイルが、低く言った。
「自分から背負われるって言うのか」
ミラは、ガレスの背中で顔を上げた。
「言う」
「悔しくないのか」
「悔しい」
「なら」
「悔しいけど、落ちるよりいい」
ミラの声は、訓練場にまっすぐ落ちた。
「落ちたら、みんながもっと重くなる」
ベイルは、何も言えなかった。
タリアが、静かに頷く。
「それは山の言葉だ」
ミラは、少しだけ目を閉じた。
認められたのか。
試されたのか。
まだ分からない。
でも、少なくとも今の言葉は、山の上で落ちずに残った。
ガレスがミラを背負って降りてくる。
ゆっくり。
足元を見て。
索を確認しながら。
俺たちは下で待っていた。
ネルは、唇を噛んでいる。
走って助けに行きたかったのだろう。
でも、行かなかった。
レイナも、手を握っている。
ロイは、音を出さないように札を押さえている。
コレットは、帳面を開いていない。
先にミラを見る。
成長として書くか、負け筋として書くか。
その順番を、ここでも守っている。
ガレスが降りきると、ミラを岩壁側のベンチへ下ろした。
ミラの足は、まだ少し震えている。
全身が動かなくなる一歩手前。
いや、もう少し進んでいるかもしれない。
でも、彼女は落ちなかった。
自分で背負われると言った。
それは、山を降りた足が鈍った証拠なのか。
それとも、山を別の形で覚え直した証拠なのか。
答えはまだ出ない。
「ミラ」
コレットが近づく。
「書いていい?」
ミラは、息を整えながら頷いた。
「いい」
「先に、成長として」
「うん」
コレットは帳面を開く。
「ミラ、山岳訓練路で筋力強化を短時間使用。限界前に索と回収役を受け入れる。自分から背負われると宣言。落下回避」
そこで一度止まる。
「負け筋としては」
ミラが言う。
「光が長かった」
コレットが頷く。
「うん。壁の前で光が長い。疲労が早い。崖旗ルベオ相手だと、追いすぎた時点で回収が間に合わない可能性」
アルフが付け加える。
「谷側への結界は一方向だけなら機能する。ただし、ルベオが上へ逃げた場合、守る方向を変えられない」
クララが、慎重に手を上げる。
「山岳校の筋力補助は、発光が短いです。ミラの強化は出力が強すぎる可能性があります。中央基準で欠陥、山基準で過剰実用、という見方ができるかもしれません」
ミラがクララを見る。
「難しい」
「すみません」
「でも、少し分かる」
クララの顔が明るくなる。
「本当ですか」
「強すぎる荷物」
「はい!」
クララが勢いよく頷く。
「強すぎる荷物です!」
「嬉しそうに言うな」
ネルが突っ込んだ。
緊張が少しだけほどける。
ベイルは、まだ離れた場所に立っていた。
その顔には、納得はない。
でも、最初のような一方的な敵意でもない。
タリアが彼の横に立つ。
「どう見る」
ベイルは、しばらく黙った。
「鈍ってる」
ミラの肩が動く。
ベイルは続けた。
「でも、落ち方は覚えた」
その言葉に、タリアが少しだけ笑った。
「それも山だ」
ベイルは不満そうに顔を背ける。
「まだ認めたわけじゃない」
「誰も、今すぐ認めろとは言ってない」
タリアはそう言って、俺たちを見る。
「夕方、崖旗ルベオの観察時間を設ける。追わない。見るだけ。ミラは休む」
「休む」
ガレスが即座に言った。
ミラは少しだけ不満そうだったが、今回は反論しなかった。
「休む」
自分でも言った。
それを聞いて、ベイルがまた少しだけ表情を変える。
山では、休むと言うこともまた、重いのかもしれない。
訓練場を離れる時、ミラはガレスの背中にまだ半分体重を預けていた。
完全に歩けないわけではない。
でも、無理に自分で立たない。
それを山岳校の生徒たちが見ている。
ミラは見られていることを分かっていた。
恥ずかしいはずだ。
悔しいはずだ。
それでも、背負われることをやめなかった。
俺は、その後ろ姿を見ながら思った。
山を降りた足は、たしかに変わったのかもしれない。
でも、変わった足でしか立てない場所もある。
ミラは、山へ戻るために来たのではない。
山を捨てていないことを証明するためだけでもない。
彼女は、自分の重さを知った足で、もう一度崖旗を見るために来た。
中央に尻尾を振った。
その言葉は、まだ消えない。
消えないまま、次の観察時間へ持っていく。
荷物を軽く見ない。
言葉の重さも、魔法の重さも、自分の体の重さも。
山は、全部見ている。
そしてたぶん、崖旗ルベオも。




