第6話 勝ち筋は誰かが見つける
練習後の第七魔法競技部は、反省会というより事故現場の検分に近かった。
青い練習旗は机の上。
その周りに、部員十二人。
中央にはアルフ・メイナードが広げた作戦盤。
左側にはクララ・ヴェルムが積み上げた古い資料。
右側にはノル・フェインがいつの間にか書いた記録紙。
そして床には、ロイ・キャベルの発動音で落ちたらしい棚の小物が三つ。
ガレス・モルンが黙って拾っていた。
「すみません……」
ロイが小さく言う。
小さい。
本当に小さい。
今日一日で、彼の声量は少しだけ人間の生活圏へ近づいた。
ガレスが拾った小物を確かめる。
「壊れてない」
ガレスが短く言った。
ロイの顔が明るくなる。
「本当ですか!」
窓が鳴った。
ガレスは無言で拾った小物を押さえた。
「すみません……」
また小さくなる。
上がって、下がる。
忙しい後輩だ。
「結論から言う」
アルフが作戦盤の前に立った。
「今日の練習で分かったことは三つ。一つ、ロイの音は相手の意識誘導に使える。二つ、ネルの一瞬魔法は魔法そのものより、タイミング指定と組み合わせた時に効果が高い。三つ、ルカは魔法を使わなくても旗の逃走路を読める」
ジャックが窓際から口を挟んだ。
「四つ目」
「俺の攻撃は読まれると面倒」
「それは以前から分かっている」
「言い方がむかつくな」
「事実だ」
ジャックが笑う。
アルフは揺れない。
この二人は、水と油というより、石と火花だ。ぶつかるたびに音が出るが、どちらもあまり減らない。
「五つ目」
リリィ・クロフトが毛玉使い魔を膝に乗せたまま手を上げた。
「私の召喚は相変わらず不安定です」
「自分で言うのか」
俺が言うと、リリィはにこりと笑った。
「他人に言われる前に言う方が、主導権を握れますので」
「毒舌の戦術化だな」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「でも受け取っておきます」
膝の上の毛玉使い魔が、小さく鳴いた。
青い練習旗が少し反応する。
クララがそれを見逃さなかった。
「やはり、リリィさんの召喚体と青旗には古代契約上の共鳴があります」
リリィが毛玉を持ち上げる。
「この毛玉が?」
毛玉は何も分かっていない顔をしていた。
「本当に?」
「外見で判断するのは危険です。古代魔法では、小型召喚体はしばしば契約媒介として使われました」
「契約媒介」
ネルが眉を寄せる。
「つまり何?」
「旗と話すための通訳、あるいは鍵です」
ノルが机に頬をつけたまま、ぼんやり言った。
「この子……夢では足が長かった……」
全員が毛玉を見る。
丸い。
足はほとんど見えない。
コレットがノルの方へ身を乗り出した。
「夢の中の姿と現実の姿が違うってこと?」
ノルは小さく頷いた。
「旗のそばだと……古い形になる……かも……」
「かも、か」
俺が呟くと、ネルが横から言った。
「この部、かもとたぶんで動いてるから」
「そのうち壊れるぞ」
「もう何度も壊れてる」
ガレスが小物を棚に戻しながら、静かに頷いた。
頷くな。
説得力がありすぎる。
「でも、今日の練習は壊れませんでしたわ」
レイナ・オルコットが椅子に座り、背筋を伸ばしたまま言った。
「正確には、致命的には壊れませんでした、ですけれど」
「品のある言い換えで不穏さを足すな」
「事実ですわ」
「アルフが増えた」
「失礼ですわね」
アルフが淡々と口を開く。
「私は失礼とは思わない」
「そこは思ってくださいまし」
「分かった。努力する」
レイナが珍しく言葉に詰まった。
この部の会話は、たまに誰が勝っているのか分からなくなる。
コレットは作戦盤を見つめていた。
さっきから、口数が少ない。
練習場では笑っていた。
俺が魔法を使わなかったことに礼を言った。
けれど部室に戻ってから、彼女は少し青白いままだ。
敗北幻視。
負ける未来だけが見える魔法。
今日見た未来は潰せた。
それでも、見たものが消えるわけではないのだろう。
俺が魔法を使い、誰かの名前を忘れる未来。
旗が奪われる未来。
それを彼女は、どれくらいの鮮明さで見たのか。
俺はコレットの名前ではなく役職で呼んだ。
「部長」
俺が呼ぶと、コレットは少し遅れて顔を上げた。
「何?」
「大丈夫か」
言ってから後悔した。
俺らしくない。
ネルがこちらを見る。
リリィが少し楽しそうに目を細める。
ジャックがにやつく。
やめろ。
全員、見るな。
コレットは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「大丈夫よ」
「大丈夫そうには見えない」
「……そう?」
「そう」
コレットは手元の部誌に視線を落とした。
そこには、今日書かれた俺の名前がある。
ルカ・ヴァレン。
仮入部。
黒いインクは乾き始めていた。
「敗北の未来はね」
コレットが静かに言った。
「見えている間より、見終わった後の方が残るの」
部室が少し静かになる。
「倒れるところ。奪われるところ。誰かが泣くところ。作戦が壊れるところ。そういう場面だけが、何度も戻ってくる。実際には起きなかったとしても、一度見た未来は、頭のどこかに残ってしまう」
ジャックが言った。
「なら、なおさら見ない方がいい」
いつもの軽さはなかった。
コレットは首を横に振る。
「見ないことは選べないわ。勝手に見えるもの」
「面倒な魔法だな」
「ええ」
「そんなの抱えて部長やってんの、馬鹿じゃねえの」
ロイが焦った声を出す。
「ジャック」
けれどコレットは怒らなかった。
むしろ少し笑った。
「そうかもしれない」
「否定しろよ」
「でも、誰かがやらないと、第七部はなくなっていたから」
その言葉は、軽くなかった。
ガレスが黙ってコレットの前に温かい茶を置いた。
いつ淹れた。
この先輩は静かすぎて、時々空間をすり抜けているように見える。
「ありがとう」
コレットが茶を受け取る。
ガレスは頷いて、また棚の方へ戻った。
「部長は」
アルフが言った。
「敗北を見る。だが勝利は見えない。なら、勝ち筋は別の者が提示する必要がある」
全員の視線が、なぜか俺に向いた。
俺は即座に言った。
「見るな」
「俺を見るな」
「今日提示した」
アルフが言う。
「一回だけだ」
「一回できたことは、再現可能性を検証する価値がある」
「研究対象にするな」
クララが眼鏡を押し上げる。
「研究対象としては興味深いです」
「するなと言った」
「では観察対象」
「言い換えの問題じゃない」
ネルが腕を組む。
「でも、あんたがいた方が回るのは事実でしょ」
「一回の練習で決めるな」
「一回でも分かることはある」
「たとえば」
「あんたは口が悪い」
「お前に言われたくない」
「あと、見てるところが変」
「変?」
「普通、旗を見るなら旗だけ見る。相手を見るなら相手だけ見る。でもあんた、旗が何を怖がってるかとか、ロイが何に反応するかとか、私が魔力を出せない後に何が残るかとか、そういう変なところを見る」
変なところ。
言い方は雑だが、たぶん褒めている。
半分くらいは。
ネルは少しだけ視線を落とした。
「欠陥魔法ってさ」
「普通の授業だと、できないことばかり見られるのよ。持続できない。制御できない。標準式に合わない。危ない。役に立たない。そういうの」
部室の空気が変わった。
誰かが笑う場面ではなかった。
「でも、今日あんたは、魔力が切れた後の私に、布を蹴れって言った」
「事実だからな」
「そう。事実。魔力がなくても、足は残ってた」
ネルの声は少し低い。
ネルは自分の足元に一度目を落とした。
「それ、たぶん私は自分で見てなかった」
俺は返す言葉を探した。
皮肉は出てこなかった。
ネルはそれを言うと、すぐに顔を上げた。
「まあ、むかつくのは変わらないけど」
「最後で台無しにするな」
「照れ隠しです」
リリィが横から言った。
ネルが即座に振り向く。
「違う」
リリィはさらに笑みを深めた。
「では、恋愛未満の不器用な信頼表明」
「もっと違う!」
部室が少し騒がしくなる。
ロイが「恋愛ですか!?」と大きめに言い、レイナが「品がありませんわ」と眉をひそめ、ジャックが面白そうに笑い、ミラが真面目な顔で「信頼は大事」と頷いた。
俺は額を押さえた。
「この話、続ける必要あるか」
「ないわ」
コレットが笑った。
さっきより少しだけ顔色が戻っている。
けれど次の声は、少し真面目だった。
「でも、ネルさんの言うことは大事。第七部がやるべきことは、欠陥を消すことじゃない。欠陥の後に残っているものを見ること」
「標語みたいだな」
「今の、部誌に書いておきます?」
クララが真面目に聞く。
「やめて」
コレットが即答した。
珍しく早い。
ノルが眠そうに手を上げた。
「でも……記録はした……」
「ノル先輩?」
「部誌の余白に……」
コレットが慌てて部誌を覗き込む。
そこには眠そうな字で、こう書かれていた。
欠陥の後に残っているものを見ること。
発言者、コレット・セイン。
備考、本人は照れていた。
「ノル先輩」
コレットが頬を赤くする。
「消して」
「記録係は……消さない……」
「そこだけ職務に忠実なのね」
部室に笑いが広がった。
小さな笑い。
大きすぎないロイの笑い声。
ネルの吹き出す音。
リリィの含み笑い。
レイナの控えめなため息。
ジャックの短い笑い。
ミラの穏やかな声。
コレットの少し困った笑顔。
俺は、その中に座っていた。
仮入部。
逃げ道あり。
責任は薄い。
いつでも撤回できる。
そう思っていたはずなのに、部誌に名前を書かれ、練習で指示を出し、部員の笑い声の中にいる。
距離の取り方を間違えたかもしれない。
いや、最初から間違えるように誘導された気もする。
主に部長に。
「ルカ君」
その部長が、俺を見る。
「少しだけ、次の練習メニューを一緒に考えてくれる?」
「少しだけ、の意味をお前たちは拡大解釈する」
「今回は本当に少しだけ」
「信用できない」
「でも、必要なの」
ずるい言い方だ。
必要。
その言葉は、俺にとって軽くない。
誰かに必要とされた記憶は、魔法を使うたび削れていく。
なら新しく必要とされることは、補充になるのか。
それとも、失うものを増やすだけなのか。
分からない。
分からないが、コレットの目はまっすぐだった。
俺は観念して手を伸ばした。
「……作戦盤を見せろ」
コレットが嬉しそうに作戦盤を差し出す。
「ありがとう」
「礼を言うのは、まだ早い」
「どうして?」
「たぶん、口を出すとむかつくことを言う」
ネルが即座に言った。
「もう慣れた」
「慣れるな」
俺は作戦盤を見る。
今日の配置。
攻撃側五人。
守備側五人。
青旗の逃走ルート。
ロイの音の範囲。
ネルの一瞬魔法の使用点。
アルフの結界方向。
コレットの位置。
俺が魔法を使いかけた地点。
線を引く。
一つ。
二つ。
三つ。
俺は線を引きながらロイを見る。
「まず、ロイの音を合図として使うなら、全員が音の意味を共有していないと駄目だ。単に大きいだけだと、味方も混乱する」
ロイが真剣に頷く。
「音の種類、変えられるか」
「たぶん……発動する魔法を変えれば、少し」
「じゃあ三種類。集合、逃走路変更、危険。まずそれだけ」
「はい」
次にネルへ視線を移す。
「ネルは、一瞬魔法を直接旗に使うより、環境に使った方がいい。布、土、影、道具。魔力が切れた後に物理で続けられる配置を作る」
ネルが黙って聞いている。
「むかつく?」
「今は言わない」
「それはどうも」
「あとで言う」
「言わなくていい」
アルフが作戦盤を覗く。
「私は?」
俺はアルフの一方向結界の線を指で叩いた。
「お前は結界を張る前に、誰を守るかじゃなく、どの未来を消すかを決めた方がいい」
「どの未来」
「部長が見た負け筋の中で、一番消したい場面を一つ選ぶ。全方位は守れないんだろ。なら、全部守ろうとするな」
アルフはしばらく黙った。
それから頷く。
「合理的だ」
「それは褒めてるのか」
「褒めている」
「分かりにくい」
「努力する」
コレットがじっと作戦盤を見ていた。
「私は?」
聞かれた。
部長としてではなく、一人の欠陥魔法持ちとして。
そういう聞き方だった。
俺は少し迷った。
「お前は」
言いかけて、言葉を選ぶ。
雑に言うべきではない。
たぶん。
「見た負け筋を、全部自分で抱えようとするな」
コレットの指が作戦盤の端を握った。
「でも」
「見えるのはお前だけでも、潰すのは全員でやる」
部室が静かになった。
言った後で、また俺は後悔しそうになった。
踏み込みすぎた。
仮入部の距離ではない。
逃げ道を自分で狭めている。
けれど、言った言葉は戻らない。
コレットはしばらく作戦盤を見つめ、それからゆっくり頷いた。
「……うん」
小さな返事だった。
「そうする」
その声は、少しだけ震えていた。
ガレスが新しい茶を置く。
今度はコレットだけでなく、俺の前にも。
「飲め」
短い命令。
「なぜ」
「喋った」
「喋ると茶が出るのか」
「喉」
「説明が少ない」
でも、俺は茶を受け取った。
温かい。
作業棟のスープほどではないが、部室の古い空気の中では十分だった。
ノルが部誌に何かを書き足している。
見ようとしたら、彼女はすっと隠した。
「何を書いた」
「秘密……」
「記録係が秘密を作るな」
「未来の自分が読むから……」
不穏だ。
だが、今は追及しなかった。
青い練習旗が机の上で揺れている。
どこか満足そうに。
この旗は、何を覚えているのだろう。
カルミアが名門だった頃か。
第七部がまだ第七という番号に意味を持っていた頃か。
それとも、忘れられた誰かの名前か。
俺は自分の名前が書かれた部誌を見た。
ルカ・ヴァレン。
仮入部。
まだ、薄い文字だ。
いつ消えてもおかしくない。
でも今は、そこにある。
俺は作戦盤に線を引いた。
「次」
「明日は、ロイの音を三種類に分ける練習からだ」
ロイが真剣な顔で頷く。
「はい」
「ネルは布と土と影」
「はいはい」
「返事」
「はい」
「アルフは部長の負け筋を一つ選んで消す練習」
「了解」
「コレットは、見た未来を三語で共有しろ。長く説明しようとすると抱え込む」
「三語?」
「旗、右、ロイ。みたいに」
コレットは少し考え、それから頷いた。
「分かった。やってみる」
ジャックが面白そうに言った。
「で、俺は?」
「お前は撃つな」
「は?」
「明日は撃つな」
「攻撃役に撃つなって、喧嘩売ってんのか」
「撃たなくても相手に撃つと思わせる練習をしろ。お前の攻撃は危険すぎる。撃たない時間も武器にしないと、試合では使えない」
ジャックは俺を睨んだ。
しばらく。
それから、にやりと笑った。
「いいじゃん。むかつくけど、面白い」
「むかつく率が高いな、この部」
「褒め言葉だろ?」
「違う」
ネルが横から言う。
「半分くらい」
「お前も定着させるな」
笑い声。
部室の空気が少し軽くなる。
コレットの顔色も、少しだけ戻っていた。
俺は茶を飲んだ。
温かい。
苦い。
少しだけ落ち着く。
勝ち筋は見えない。
コレットには、負ける未来だけが見える。
でも、勝ち筋は誰かが見つければいい。
今日、俺はそれを言ってしまった。
言った以上、少なくとも明日までは。
仮入部を続ける理由ができてしまった。




