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第42話 表に入らない名前

 敗北の使い道表は、食堂の長机に広げられていた。


 朝食の皿が片づけられたあとも、誰もすぐには席を立たなかった。いや、正確に言えば、立てなかった。


 負けた翌朝に、責任を誰か一人へ押しつけずに済んだ。


 その事実だけなら、かなり上出来だと思う。


 けれど、上出来なものには、だいたい次の面倒がついてくる。


 表ができた。


 なら、表を使わなければならない。


 使うなら、空欄が見える。


 空欄が見えると、そこに何を入れるべきかが、嫌でも分かってくる。


「ジャックさんの誘導距離は、今日の午後にもう一度測ります」


 コレットは羽根ペンを動かしながら言った。


 小さな手に対して、ペンの軸は少し長い。


 それなのに、字はいつも整っている。


 部長の字だ。


 部費請求書を書き、練習予定を書き、廃部回避の嘆願書を書き、そして敗北の使い道まで書く字。


「測るって言ってもよ」


 ジャックが椅子の背にもたれた。


「昨日のあれ、鉄旗相手だからズレたんじゃねえのか。普通の的で測って意味あるか?」


「あります」


 アルフが淡々と答えた。


 彼の前にも、小さな紙束が置かれている。


 紙束というより、失敗束だ。


 昨日の試合で読めなかった方向、間に合わなかった結界、固定しすぎた基準線。その全部が、几帳面に並べられていた。


「基準値がなければ、ズレたかどうかも分からない」


「ああ、そういうやつか」


 ジャックは分かったような、分かっていないような顔をした。


 でも、逃げなかった。


 以前のジャックなら、こういう話が始まった瞬間に舌打ちして席を蹴っていたかもしれない。


 今は、壊れた支持金具の欠片を指先で転がしている。


 昨日、ガレス先輩が壊し、あとで直した訓練場の一部。


 責任と修理の、変な記念品。


「で、俺はどうすりゃいい」


「撃つ前と撃った後を分けてください」


 コレットは表を指した。


「昨日は、撃つ前の危険ばかり見ていました。でも、撃った後にも使い道があります。相手が一拍止まる。味方が動ける。旗が迷う。その一拍を、誰が使うかを決めます」


「俺、撃った後、だいたい怒られる準備してるんだけど」


「それも表に入れます」


「入れんな」


「必要です。撃った後に怒られる準備をして動きが止まる、という欄です」


「最悪の欄だな」


 ネルが笑った。


「でも本当じゃん。あんた、撃ったあと毎回『やべえ』って顔するし」


「するだろ。やべえんだから」


「じゃあ、その顔を合図にすればいい」


「俺の罪悪感を戦術化すんな」


「便利なものは使う」


 ネルは当然のように言った。


 強い。


 敗北の翌朝に、他人の罪悪感まで部品として扱えるのは、かなり強い。


 ただ、責任表の空気は暗くなりすぎなかった。


 そのこと自体が、コレットの作った表の効能なのだと思う。


 原因。


 担当。


 使い道。


 失敗をこの三つに分けると、失敗は少しだけ会話できる形になる。


 泣くほど重くても、怒鳴るほど痛くても、紙の上に置ける。


 紙の上に置ければ、誰かの胸の中だけで膨らみ続けるよりはましだ。


「ロイさんは、発動音の反響確認を午前中に」


「おう!」


「声が大きいです」


「おう」


 ロイは小さな声で言い直した。


 小さな声でも、普通の人間の返事よりは少し大きい。


「でもさ、コレット部長。反響確認って、具体的にどうやるんだ?」


「通路、訓練場、控え室、屋外。四か所で、同じ合図を使って音の遅れを確認します。昨日は軍事校の構造に反響を読まれていました。次からは、こちらが先に読みます」


「なるほど! 先に迷惑を知る!」


「言い方」


 リリィが冷たく突っ込んだ。


「でも実質はそうですね。自分がどの程度迷惑かを把握してから迷惑をかけるのは、社会性です」


「リリィ先輩、それ褒めてる?」


「褒めています。かなり」


「やった!」


 ロイは素直に喜んだ。


 ロイは強い。


 たぶん、リリィの言葉を正面から受け取れる人間は、世界にそう多くない。


「ネルさんは、接触後の行動」


 コレットは次の欄を示した。


「昨日、鉄旗に触れました。でも、触れた後に何をするかまでは決めきれていませんでした」


「分かってる」


 ネルは腕を組んだ。


 怒るかと思ったが、怒らなかった。


 代わりに、少しだけ唇を尖らせる。


「触った瞬間、思ったより硬くて、思ったより熱かった。あれ、ただの鉄じゃない。旗なのに、持ち主の命令で固まってる感じがした」


「命令で固まっている」


 クララが反応した。


「その表現、使っていいですか」


「いいけど、変な論文にしないでよ」


「変な論文ではありません。正しい論文です」


「なお悪い」


 ネルはため息をついた。


 でも、少し笑っていた。


 昨日のネルは、鉄旗に触った。


 触っただけでは勝てなかった。


 けれど、触れたという事実が表に入ったことで、次の動きが生まれる。


 接触後、引くのか。


 押すのか。


 声を出すのか。


 味方に任せるのか。


 たった一瞬しか魔力が持たないネルにとって、その一瞬のあとに何を残すかは、魔法そのものより重要かもしれない。


 俺は、自分の欄を見た。


 ルカ。


 原因。


 魔法を使わなかった。


 担当。


 ルカ、ネル、アルフ。


 使い道。


 風の前に三つの代替手段を確認する。


 自分の名前が表にあるのは、妙な気分だった。


 責められているようでもあり、許されているようでもある。


 たぶん、そのどちらでもない。


 扱われている。


 失敗を、戦術として扱われている。


 人間として扱われているかどうかは、少し怪しい。


 でも、第七魔法競技部では、だいたいみんなそうだ。


 人間であり、戦術であり、荷物であり、合図であり、失敗であり、居場所でもある。


「ルカさん」


 コレットが俺を見た。


「はい」


「昨日、二回とも『風』と言いました」


「言ったな」


「使いませんでした」


「使わなかったな」


「それは残ったものです」


 コレットは、俺の欄の端に小さく書き足した。


 風を言えた。


 使わなかった。


 短い二行。


 それだけで、胸の奥が少し引っかかった。


 俺は昨日、魔法を使わなかった。


 だから記憶を失わなかった。


 だから勝てなかった、とは言い切れない。


 使っても勝てたとは限らない。


 使わなかったから、ネルが「要らない」と言えた。


 使わなかったから、鉄旗の傷はネルの傷として残った。


 魔法を使わないことにも、責任がある。


 同時に、使わなかったから残るものもある。


「嫌な表だな」


 俺は正直に言った。


「はい」


 コレットは真面目に頷いた。


「でも、必要です」


「そこは否定してくれてもよかった」


「嫌だけど必要、という欄も作れます」


「やめてくれ。人生が全部そこに入る」


 ガレス先輩が小さく頷いた。


 頷かないでほしい。


 重みが出る。


 それから、しばらく表は順調に埋まっていった。


 レイナ先輩の「一度目の失敗」は、軍事校相手には見せる前に押し潰された。だから次は、一度目を隠すのではなく、どこで見せるかを決める。


 ミラの荷物表は、戦術荷物と生活荷物に分けられた。本人は「責任荷物」という項目を作ろうとして、リリィに「名前が重すぎます」と止められた。


 ガレス先輩は、壊す対象の候補を三つに限定することになった。候補が多いと、守るために壊すはずが、壊すために壊す形になるからだ。


 リリィの迷子一号は、なぜか表の端に石ころの丸を描かれた。


 ノル先輩は眠そうにしながら、記録欄に「夢で確認」と書いた。


「夢で確認って、普通に書いていいんですか」


 俺が聞くと、ノル先輩は目を半分閉じたまま答えた。


「普通じゃないから、第七部」


「説得力がひどい」


「でも、鉄旗、まだ話したそうだった」


 その言葉で、少しだけ空気が変わった。


 鉄旗。


 命令を待つ獣。


 昨日、ネルが傷をつけた旗。


 グラナート軍事校の誇りで、同時に、命令され続けるもの。


 負けた相手を考えると、悔しい。


 でも、相手の旗を考えると、悔しさだけでは済まない。


 クララが紙の端を押さえた。


「旗は道具にあらず。証人なり」


 列車で読んだ古代契約の一節だ。


「鉄旗が証人なら、昨日の試合で見たのは、勝敗だけではありません。誰が命令し、誰が命令を待ち、誰が命令から一拍外れたか。それも、旗は見ています」


「一拍外れた」


 アルフが呟いた。


「そこが次の使い道か」


「たぶん」


 俺は言った。


「あいつを奪うんじゃなくて、動かす。命令のままじゃない一拍を増やす」


「それは、勝ちなの?」


 ネルが聞いた。


 まっすぐな質問だった。


 競技としては、旗を奪わなければ大きな得点にはならない。


 命令系統を崩しても、それだけで勝ちになるとは限らない。


 俺は答えようとして、少し詰まった。


 すると、コレットが先に言った。


「勝ちに繋がる負け方です」


 その声は静かだった。


 静かすぎた。


 さっきまで表を読み上げていた部長の声ではなく、何かを見ている人の声だった。


 俺はコレットを見た。


 コレットは表を見ていなかった。


 食堂の窓の向こうを見ていた。


 そこに何かがあるわけではない。


 グラナートの整った中庭と、まだ朝の光を受けて鈍く光る石畳があるだけだ。


 でも、コレットの目は、そこではない場所を見ていた。


 敗北幻視。


 勝つところではなく、負けるところを見る魔法。


 コレットは瞬きをした。


 ほんの一瞬、表情が抜け落ちる。


 小さな部長の顔から、部長らしさだけが消えた。


 残ったのは、ただの女の子だった。


 負けを見るのが怖い女の子。


「コレット?」


 俺が呼ぶと、コレットははっとした。


「はい。大丈夫です」


 大丈夫。


 便利な言葉だ。


 便利すぎて、信用できない。


「今、何か見たのか」


「……少しだけです」


 コレットは羽根ペンを置いた。


 置き方が、いつもより慎重だった。


 まるで、ペンの音で何かが壊れるのを恐れているみたいに。


「次の練習で、ジャックさんの誘導が遅れます。アルフさんの仮設基準線が、半歩早く出ます。ロイさんの無声合図を、ミラさんが見落とします」


「全部失敗じゃねえか」


 ジャックが顔をしかめる。


「はい」


 コレットは小さく頷いた。


「全部、失敗です」


「それ、いつもの負け筋だろ。潰せばいい」


 ネルが言った。


 彼女の声は強かった。


 でも、コレットはすぐには頷かなかった。


「はい。潰します」


 そう言ってから、少しだけ間を置く。


「でも、わたしは、負けるところだけを先に見ます」


 食堂が静かになった。


 それは、俺たちが知っていたことだ。


 コレットの魔法は、敗北幻視。


 負ける未来を見る。


 勝つ未来は見えない。


 だからこそ、負け筋を潰す。


 言葉にすれば簡単だ。


 でも、言葉にしただけで、人間が平気になるわけではない。


「昨日も、そうでした」


 コレットは続けた。


「押し潰されるところは見えました。リメルが捕まるところも、何度も見えました。ジャックさんが撃てなくなるところも、アルフさんの線が足りないところも」


 彼女は表の上に手を置いた。


 小さな手だ。


 紙の白さに、指先の色が少し浮いて見える。


「でも、ネルさんが鉄旗に傷をつけるところは、見えませんでした」


 ネルが目を細めた。


「それ、いいことじゃないの?」


「いいことです」


 コレットはすぐに答えた。


「とても、いいことです。わたしの魔法が全部ではないということです。負けの中にも、見えない残りがあるということです」


「じゃあ」


「でも」


 コレットの声が少し揺れた。


「見えないんです」


 その一言で、ようやく分かった。


 コレットにとって、見えなかった傷は希望であると同時に、恐怖でもある。


 負けだけを見る。


 勝ちに繋がる何かは見えない。


 仲間が残す細い傷も、相手の旗が一拍迷う瞬間も、使い道も、残ったものも、幻視の中には映らない。


 彼女は、勝てる理由を知らないまま、負ける理由だけを抱えて部長をしている。


「わたしは、負けを持ち込みます」


 コレットは言った。


「試合の前に、練習の前に、みんなの前に。これが起きます、あれが起きます、こうすれば潰せます、と言います。でも、言っているわたしには、勝つところが見えません」


 誰も笑わなかった。


 誰も茶化さなかった。


 ロイでさえ、口を閉じていた。


「勝つところが見えないのに」


 コレットは一度、言葉を飲み込んだ。


 飲み込んで、それでも吐き出した。


「勝とう、と言うのが、怖いです」


 声は小さかった。


 でも、食堂の端まで届いた。


 俺の胸にも届いた。


 痛いところに届いた。


 俺は、勝つと言えなかった。


 競技を嫌いになった理由も、たぶんまだ全部思い出していない。


 魔法を使うたびに記憶をなくす俺は、勝つために失っていいものを選べない。


 コレットは、勝つところが見えない。


 それでも負けるところを見て、部長として表を作る。


 俺たちは、ずっと彼女の幻視を便利に使っていたのかもしれない。


 負け筋が分かる。


 なら潰せる。


 戦術としては正しい。


 でも、その負け筋を最初に見る人間が、どこに立っているのかを、あまり見ていなかった。


 アルフが紙束を閉じた。


 音は小さい。


「部長」


 コレットが顔を上げる。


「はい」


「表が一つ足りない」


「足りない、ですか」


「ああ」


 アルフは、敗北の使い道表を自分のほうへ少し引き寄せた。


「この表には、部長の欄がない」


 コレットの肩が、ほんの少し動いた。


 それは驚きというより、見つかってしまった、という動きだった。


「わたしは、表を作る側なので」


「違う」


 アルフは即答した。


 いつもの淡々とした声。


 けれど、否定ははっきりしていた。


「作る側でも、表に入る」


「でも、わたしの失敗は」


「敗北幻視が勝利を見せない」


 アルフはコレットの言葉を待たずに言った。


「原因はそれだ」


 コレットが黙る。


 アルフは続けた。


「担当は、部長一人ではない。部長、俺、ルカ、全員」


「全員」


「負け筋を変換するのは部長だけの仕事ではない。構造にするのは俺の仕事だ。魔法を使うかどうかの判断を一人で抱えないのはルカの仕事だ。見えなかった傷を報告するのは、ネルの仕事だ。旗の反応を書くのはノルとクララの仕事だ。持てる形に分けるのは、ミラの仕事でもある」


「ガレス先輩は?」


 なぜか俺が聞いていた。


 アルフは少し考えた。


「壊れそうなところを先に見る」


 ガレス先輩が静かに頷いた。


「リリィは?」


「予定外を表に残す」


「ロイは?」


「暗くなりすぎた空気を壊す」


「俺の役割、雑じゃない!?」


 ロイが小さめに叫んだ。


 でも、みんな少し笑った。


 コレットも、ほんの少しだけ笑った。


 その笑いは、かなり細かった。


 けれど、消えなかった。


「使い道は」


 アルフは羽根ペンを取った。


 他人の表に勝手に書くのは、彼にしては珍しい。


 いや、アルフだからできるのかもしれない。


 必要な線を引く。


 足りないところに、基準を置く。


「見えた負けを、一人で持たない」


 彼はそう書いた。


 次に、もう一行。


「見えなかった傷を、必ず記録する」


 さらに、もう一行。


「敗北幻視の外側を探す」


 書き終えると、アルフはペンを置いた。


 コレットはその文字をじっと見ていた。


 自分の名前が表に入った。


 原因。


 担当。


 使い道。


 彼女自身が、敗北の使い道表に入った。


「……わたしが、原因みたいです」


 コレットが小さく言った。


「原因と犯人は違う」


 アルフは言った。


「第七部では、そこを分ける」


 昨日の朝に始まった考え方だった。


 誰のせいか、ではなく。


 何が起きたか。


 誰が持つか。


 どう使うか。


 それを、コレット本人にも適用する。


 当たり前のことのはずなのに、当たり前にするのは難しい。


「部長」


 ネルが言った。


 その声は少し乱暴で、でも、いつもより柔らかかった。


「あたし、昨日触ったところ、覚えてる。硬かった。熱かった。あと、ちょっとだけ震えた」


「震えた?」


「うん。傷がついたとき、鉄旗がほんの少し震えた。怖がったのか、怒ったのか、分かんないけど。あんたが見えなかったやつ、あたしが見た」


 コレットの目が、ネルを見た。


 ネルは気まずそうに視線をそらす。


「だから、そういうのは言う。見えないなら、見たやつが言えばいいでしょ」


「……はい」


 コレットは頷いた。


「お願いします」


「お願いされるほどのことじゃないし」


「お願いです」


 コレットはもう一度言った。


 ネルは耳のあたりを少し赤くして、そっぽを向いた。


「分かった」


 レイナ先輩が腕を組む。


「つまり、部長は敗北を見る。私たちは、敗北以外を見つけて報告する。そういうことね」


「はい」


「美しくはないけれど、悪くないわ」


「レイナ先輩の美しい基準、いつもよく分かんない」


 ネルが言うと、レイナ先輩は胸を張った。


「分からなくてもいいの。私が分かっているから」


「強い」


 リリィがぼそっと言った。


「根拠がない自信は、たまに根拠より役に立ちます」


「あなた、それ褒めているの?」


「かなり」


「なら許すわ」


 レイナ先輩も強い。


 この部は、強さの種類が多すぎる。


 クララが表を覗き込んだ。


「敗北幻視の外側を探す、というのは、古代契約的にも重要です」


「どういうこと?」


 俺が聞く。


「古い旗契約では、予見は命令ではありません。予見は、道の一部を照らすものです。でも、照らされた道だけを道だと思うと、旗は逃げます」


「旗は逃げる」


「はい。旗は道具ではなく証人なので。命令だけに従う旗は強いですが、証人としての旗は、命令の外側も見ています」


 クララの説明は、いつも少し難しい。


 でも、今日は分かる気がした。


 コレットの幻視は、敗北を照らす。


 だから、そこを潰す。


 でも、照らされていない場所にも、何かがある。


 ネルの傷。


 ロイの沈黙。


 ジャックの撃たなかった顔。


 俺の、風を言って使わなかった二秒。


 そういうものは、敗北幻視には映らない。


 だからこそ、みんなで見つける必要がある。


「わたし」


 コレットはゆっくりと言った。


「敗北幻視を、部の真ん中に置きすぎていたかもしれません」


「必要だっただろ」


 ジャックが言った。


「俺みたいなのがいるんだから」


「ジャックさんだけではありません」


「今の流れなら俺だけでよかっただろ」


「全員です」


 コレットは少しだけ、いつもの部長の顔に戻った。


「でも、真ん中に置くなら、支えも必要でした。わたしが見た負けだけを中心にするのではなく、見えなかったものを戻す場所が必要でした」


 彼女は表の上に、新しい欄を作った。


 見えなかったもの。


 そこに、まず一行目を書く。


 鉄旗の傷。


 二行目。


 鉄旗の震え。


 三行目。


 風を言って、使わなかった。


 四行目。


 リメルが押し潰される前に逃げた。


 五行目。


 ジャックが撃たなかった。


 六行目。


 アルフが線を捨てた。


 七行目。


 負けたあと、責任を分けた。


 それは、表というより、細い火種の一覧だった。


 勝利ではない。


 誇れる結果でもない。


 でも、消えていないもの。


 負けの中で、まだ燃え残っているもの。


「これ」


 ミラが表を見て言った。


「荷物の底に残ってるやつ」


「どういう意味?」


 ネルが聞く。


「山で荷物を落としたとき、全部なくなったと思っても、底に一つだけ残ってることがある。火打ち石とか、紐とか、干し肉とか。それがあると、次の日まで行ける」


「干し肉と鉄旗の傷、同じ扱いなんだ」


「大事」


「それはそう」


 ミラは真剣だった。


 真剣すぎて、誰も否定できない。


 ガレス先輩が短く言った。


「残ったものは、使う」


 レイナ先輩が頷く。


「残り物ではなく、残ったものね」


 その言葉を、コレットが表に書き足した。


 残り物ではなく、残ったもの。


 レイナ先輩が満足そうにした。


「よろしい」


「自分の言葉が採用されたときの顔が派手だな」


 俺が言うと、レイナ先輩は当然のように返した。


「派手で何が悪いの」


「何も悪くないです」


「ならよし」


 コレットは表を見つめたまま、しばらく黙っていた。


 俺たちも黙った。


 沈黙は、さっきまでの重い沈黙とは違っていた。


 誰か一人が抱えているものを、みんなで紙の上に移すための沈黙だった。


 やがて、コレットが小さく息を吐いた。


「わたし、勝つところは見えません」


 その言葉は、さっきよりも少しだけ安定していた。


「でも、見えないものを、みんなが見てくれるなら」


 彼女は俺たちを見た。


 一人ずつ。


 ネル、ロイ、アルフ、ジャック、ガレス先輩、レイナ先輩、ノル先輩、ミラ、リリィ、クララ。


 最後に、俺。


「わたしは、負けを見る役を続けられます」


 それは、前向きな宣言だった。


 同時に、かなり痛い宣言でもあった。


 負けを見る役を続ける。


 そんな役、本当なら誰にも押しつけたくない。


 でも、コレットの魔法はそういう形をしている。


 欠陥魔法。


 そう呼ばれるものを、俺たちは急に綺麗な才能にはできない。


 痛いものは痛い。


 怖いものは怖い。


 でも、怖いまま使う方法を探す。


 それが第七魔法競技部だ。


「じゃあ、決まりだな」


 俺は言った。


「コレットは負けを見る。俺たちは、負け以外を探す。見つけたら報告する。報告しなかったら、表に怒られる」


「表に人格を与えないでください」


 コレットが困ったように言う。


「リメルだって旗なのに人格あるし」


「リメルは旗です」


「旗なのに人格あるだろ」


 そのとき、旗待機区域にいたリメルが跳ねた。


 旗布に文字が浮かぶ。


 表。


 短い。


 何が言いたいのか分からない。


「リメル、表になりたいのか?」


 俺が聞くと、リメルは左右に揺れた。


 違うらしい。


 ノル先輩が眠そうに通訳する。


「表に入る、だと思う」


 リメルは縦に揺れた。


 正解らしい。


 コレットがリメルを見た。


「リメルも、ですか」


 リメルの旗布に、また文字が浮かぶ。


 見た。


 次に。


 傷。


 そして。


 怖い。


 食堂の空気が、また少し変わった。


 リメルも見ていた。


 鉄旗の傷を。


 そして、怖かった。


 カルミアの忘れられた旗が、グラナートの命令される鉄旗を見て、何を感じたのか。


 俺には分からない。


 でも、怖いという文字は、ただの戦術記録ではなかった。


「リメルの欄も要るな」


 俺が言うと、コレットは真剣に頷いた。


「はい」


 リメル。


 原因。


 鉄旗の傷と恐怖を見た。


 担当。


 リメル、ノル、クララ、コレット。


 使い道。


 旗が怖がるものを、旗の側から記録する。


 コレットは書いた。


 リメルは旗布を揺らした。


 どことなく誇らしそうだった。


「どんどん表が増えるな」


 ジャックが言う。


「そのうち、食堂の壁全部表になるぞ」


「なったら貼ります」


 コレットは真面目に答えた。


「やる気だ」


「部長はやる気です」


「知ってた」


 俺たちはまた少し笑った。


 笑えた。


 負けた翌々日の朝に、笑えた。


 そのことも、見えなかったものの欄に入れていいのかもしれない。


 コレットは新しい紙を取り出した。


 題名を書く。


 敗北の使い道表・補助欄。


 見えなかったもの。


 それから、一番上に自分の名前を書いた。


 コレット・セイン。


 彼女はその文字を見て、少しだけ眉を寄せた。


 自分の名前を、表の中に入れる。


 部長としてではなく。


 責任者としてだけでもなく。


 負けを見る一人の部員として。


「書けました」


 コレットは言った。


 声はまだ細い。


 でも、折れてはいなかった。


「では、今日の練習計画を修正します」


「もう働くのか」


 俺は思わず言った。


「はい」


「少し休んでもいいんじゃないか」


「休む欄も作ります」


「そういう意味じゃない」


 ミラが手を上げた。


「休む欄、必要」


 ガレス先輩も頷いた。


「必要」


 レイナ先輩が言う。


「美しく休むべきね」


 ロイが言う。


「静かに休む練習もできるな!」


 リリィが言う。


「休息まで練習化するのは、かなり末期ですが、今の部には必要です」


 ネルが言う。


「五分だけでいいから座ってなよ。あんた、今にも紙に吸い込まれそう」


 クララが言う。


「古代契約にも休息条項はあります」


 ノル先輩が言う。


「寝るの、得意」


 アルフが言う。


「休む担当は全員。使い道は、判断の誤差を減らすこと」


 最後に、ジャックが言った。


「休め、部長。命令じゃねえけど」


 コレットは、困ったようにみんなを見た。


 それから、少しだけ笑った。


「分かりました」


 彼女は椅子に座り直した。


 さっきまで座っていたのに、座り直した。


 部長として前のめりになっていた体を、一度、自分のために椅子へ預ける。


 それだけの動きが、妙に大きく見えた。


 リメルがそっと跳ねた。


 旗布に今日の記録が浮かぶ。


 表に入る。


 コレットはそれを見て、静かに頷いた。


「はい」


 彼女は言った。


「わたしも、表に入ります」


 敗北を見る部長。


 勝つところが見えない部長。


 それでも勝とうと言う部長。


 その名前が、ようやく敗北の使い道表に入った。


 負けは、まだ怖い。


 勝ちは、まだ見えない。


 でも、見えないものを誰かが見つけるなら。


 見えた負けを誰かと分けられるなら。


 コレット・セインは、部長でいられる。


 俺たちは、その表を囲んで、午後の練習予定をもう一度組み直した。


 勝つための表ではない。


 負けをなかったことにする表でもない。


 負けの中に残ったものを、次へ持っていくための表。


 それが、第七魔法競技部の新しい荷物になった。


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