第41話 責任は誰のものか
翌朝、最初に責任という言葉を口にしたのは、ジャックだった。
「俺のせいだろ」
食堂の長い机。
グラナートの宿舎食堂は、朝から整然としていた。
席順。
配膳順。
片づける方向。
全部に線が引かれている。
カルミアの面々は、その線を守ろうとして少しずつずれている。
ロイは皿を持ったまま、置く位置で迷っていた。
ミラが無言で皿の場所を直す。
レイナ先輩はパンの角度まで整えようとして、ネルに「そこまでする?」と言われた。
リリィは「食事まで訓練の顔をしていますわね」と小声で毒を吐いた。
クララは食堂の壁に古い文字がないか探していたが、グラナートの壁は見事に現代契約で埋まっていた。
ノル先輩は朝食を前にして寝そうになっている。
ガレス先輩は黙って全員の水を置いた。
アルフは昨日の記録板を見ている。
コレットは手帳を開いていた。
リメルは食堂内の旗待機区域にいる。
そこから、こちらを見ていた。
傷。
使い道。
その文字は、朝には消えていた。
でも、全員の中に残っている。
そんな状態で、ジャックが言った。
俺のせいだろ。
食堂の空気が、少しだけ止まる。
ロイが皿を置く手を止めた。
ネルが顔を上げる。
レイナ先輩の眉が動く。
コレットはペンを止めた。
「昨日の一点」
ジャックは続ける。
「俺の誘導が読まれた。撃てない線も通られた。後半の傷は作れたけど、点は取れてねえ。俺がもっと使えりゃ、違っただろ」
声は荒くない。
それが逆に重かった。
昨日のように怒っているのではない。
冷静に、自分へ刃を向けている。
「違うっす」
ロイがすぐ言った。
声は少し大きい。
周囲のグラナート生徒がちらりと見る。
ロイは慌てて声を落とした。
「違うっす。俺の音も遅れました。前半、反響でずれたっす」
「それは前半だろ」
ジャックが言う。
「一点取られたのは、リメルが触られたから」
ネルが低く言った。
「あたしが届かなかったからだよ」
「ネルさん」
コレットが言いかける。
だが、ネルは止まらない。
「訓練標的には触れた。本物には届かなかった。後半は触れたけど、点じゃない。最初に触れなかったのはあたし」
「それなら、わたくしの一度目も処理されましたわ」
リリィが言う。
「いいえ、わたくしではなくレイナさんですわね。失礼」
「わざとかしら」
レイナ先輩が冷たく言う。
「半分」
「便利に使わないで」
軽いやり取りに見えたが、レイナ先輩の顔も硬い。
「わたくしの一度目は、前半では無視された。後半も、捨てる判断をしなければ邪魔になっていたわ」
「それは判断できた」
アルフが淡々と言う。
「判断できたことを、責任の項目に入れるべきではない」
「では、あなたはどうなの」
レイナ先輩がアルフを見る。
「基準線を固定されました」
アルフは即答した。
「前半の押し潰しは、俺の基準線が読まれたことが大きい。後半の仮設も、一度しか機能していない」
「一度は機能した」
ロイが言う。
「一度しか、だ」
アルフの声は変わらない。
でも、少しだけ硬い。
「あの一拍を二回作れなかった」
責任が机の上に増えていく。
ジャックの攻撃。
ロイの音。
ネルの接触。
レイナ先輩の一度目。
アルフの基準線。
きりがない。
「ミラの紐も滑った」
ミラが自分で言った。
「公式地面、読み違えた」
「わたくしの召喚も踏まれましたわ」
リリィが小袋から銀の糸を出す。
「後半は役に立ちましたけれど、前半の紙片はただ踏まれました」
「読めないことを記録するだけでは足りませんでした」
クララが言う。
声が悔しそうだ。
「グラナートの競技場は現代契約が強すぎました。古層を見つけられなかった」
「夢、硬すぎ」
ノル先輩がパンを持ったまま言った。
「起きてる?」
俺が聞くと、彼女は頷いた。
「半分。ノルも、鉄旗の夢を読めなかった」
ガレス先輩が短く言う。
「壊す場所、なかった」
「それは仕方ない」
俺が言うと、ガレス先輩は首を横に振った。
「探しすぎた」
彼も責任を置く。
全員が、自分の失敗を机に置いていく。
食堂の机は広い。
でも、責任はすぐにいっぱいになる。
「俺も」
俺は言った。
全員がこちらを見る。
「風を使わなかった」
ネルの目が細くなる。
「それ、昨日は残ったものって言った」
「そうだ」
「じゃあ責任にするの?」
「見方によっては」
俺は言った。
言いながら、胸が痛む。
「風を使っていれば、前半の接触を避けられたかもしれない。リメルをもっと早く逃がせたかもしれない。魔法を使わなかったことは、残ったものでもある。でも、負けた理由の一つでもある」
ネルは黙る。
怒っている。
でも、すぐには言い返さない。
彼女も分かっているのだろう。
俺が魔法を使わなかったことは、良かった。
記憶を失わなかった。
風の前兆を共有できた。
でも、勝つためには、使ったほうがよかった場面があったかもしれない。
事実は、一つの色ではない。
「やめましょう」
レイナ先輩が言った。
意外だった。
責任論を止めたのは、レイナ先輩だった。
「このままだと、朝食が冷めるわ」
「理由そこ?」
ネルが言う。
「そこも大事よ」
レイナ先輩は真剣だった。
「責任を語るなら、せめて食べてからにしなさい。空腹の責任論は、たいてい品がないわ」
ロイが小さく笑った。
少しだけ、空気が緩む。
だが、コレットは手帳を閉じなかった。
「いいえ」
小さな声。
でも、全員が止まる。
「今、少しだけ続けます」
レイナ先輩がコレットを見る。
「部長」
「責任論は、放っておくと誰かを潰します。でも、止めるだけだと、次に使えません」
コレットの指先は震えていない。
昨日の試合後より、少しだけ落ち着いている。
「だから、分けます」
彼女は手帳に線を引いた。
責任。
その下に、三つの欄。
原因。
担当。
使い道。
「責任は、誰か一人が背負うものではありません。原因を見つけるためのものです。担当を決めるためのものです。次に使うためのものです」
ミラが頷いた。
「荷物表」
「はい」
コレットは頷く。
「責任も荷物です。全部まとめて背負うと、潰れます」
ジャックが小袋に触れる。
全部背負うと、直せない。
ガレス先輩の言葉が、ここにも戻ってくる。
「では、最初に」
コレットは手帳を見る。
「ジャックさんの攻撃」
ジャックの肩が少し動く。
「原因。誘導距離は一度機能したが、前半は撃てない線をグラナートに通られた。後半の攻撃は一度しか使えなかった」
彼女は書く。
「担当。ジャックさん、アルフさん、ルカさん。使い道。撃てない線を相手の通路にしないため、宣言後に線を移す練習。誘導距離を二回目以降も変化させる」
ジャックは黙って聞いている。
自分だけではない。
担当にアルフと俺が入っている。
それが少し意外だったのか、こちらをちらりと見た。
「次。ロイさんの音」
ロイが背筋を伸ばす。
「原因。観客席の反響で無声合図が遅れた。担当。ロイさん、アルフさん。使い道。競技場ごとの反響確認を試合前に行う。音を出さない合図も増やす」
「音を出さない合図」
ロイが真剣に頷く。
「静かな大音量のさらに静かなやつっすね」
「名前は後で」
アルフが言う。
「はいっす」
「ネルさんの接触」
ネルが顔を上げる。
「原因。本物の鉄旗の重心が訓練標的と違った。前半は届かず、後半は接触成功したが得点にはならなかった。担当。ネルさん、ミラさん、ルカさん。使い道。触るだけでなく、触ったあと何をするかを決める」
ネルの指が止まる。
「触ったあと」
「はい」
コレットは言った。
「昨日は触ることが目標でした。でも次は、触ったあとに旗をどう動かすかが必要です」
ネルは少し悔しそうに笑った。
「どんどん増えるね」
「はい」
「いいよ。次は触ったあと」
その声には、まだ悔しさがある。
でも、少し前を向いた。
「ルカさん」
来た。
全員の視線がこちらへ向く。
「原因。魔法を使わなかったことでリメルを守れなかった可能性がある。一方で、魔法使用前兆を共有し、記憶喪失を避けた。担当。ルカさん、ネルさん、リメル、コレット。使い道。魔法を使う、使わないの二択にしない。風の前兆を共有したあと、代替行動を三つ用意する」
「三つ」
俺は繰り返す。
「はい。ネルさんへ一秒渡す。ロイさんの合図へつなぐ。アルフさんの仮設線へ移す。最低三つ」
逃げ道ではない。
戻る道。
魔法を使う前の道。
「分かった」
俺は言った。
「練習する」
ネルが小さく頷く。
責任の話なのに、少しだけ胸が軽くなった。
責められていないからではない。
責任が、使い道に変わったからだ。
コレットは次々に分けていく。
レイナ先輩の一度目。
ミラの紐。
リリィの召喚。
クララの読めない記録。
ノル先輩の硬い夢。
ガレス先輩の壊す場所がない状況。
アルフの基準線。
リメルの記録過多。
全部、原因、担当、使い道に分ける。
それは、責任を薄める作業ではなかった。
むしろ、はっきりさせる作業だった。
誰が何を見ればいいか。
誰が何を練習すればいいか。
どの失敗を、次にどう使うか。
朝食は少し冷めた。
レイナ先輩は不満そうだったが、最後まで止めなかった。
むしろ、途中から字の乱れを直すためにコレットの横で補助していた。
全員分の責任表ができたころ、食堂のグラナート生徒たちが何人かこちらを見ていた。
珍しいのだろう。
朝食の席で、敗北の責任を表にしている下位校。
変な部だ。
俺もそう思う。
でも、たぶん必要だった。
「部長」
ジャックが言った。
声は低い。
「俺のせい、って言うのは」
コレットは彼を見る。
「言ってはいけないわけではありません」
「いいのかよ」
「はい。でも、そのあとに分けてください」
コレットは手帳を指す。
「どの原因が自分のものか。誰と持つか。次にどう使うか」
ジャックはしばらく黙った。
「面倒だな」
「はい」
「でも、全部俺のせいって言うよりは」
彼は言葉を探す。
「……まだ、ましか」
ガレス先輩が頷く。
「直せる」
ジャックは小袋に触れた。
「そうだな」
短い返事。
でも、以前なら出なかった返事だった。
「では、食べましょう」
レイナ先輩が言った。
「今度こそ」
「はい」
コレットが頷く。
朝食は冷めていた。
でも、食べられた。
責任論で胃が重いはずなのに、不思議と食べられた。
ロイはパンを噛みながら言った。
「責任って、まずいものだと思ってたっす」
「おいしいものではないわ」
レイナ先輩が言う。
「でも、切り分ければ食べられることもあるのね」
「食べ物に例えますの?」
リリィが言う。
「朝食中ですもの」
レイナ先輩は当然のように返す。
ミラが頷いた。
「大きい荷物も、小さく分ける」
「食べ物も荷物も責任も、全部ミラ理論に吸収されていくな」
俺が言うと、ミラは少しだけ誇らしそうにした。
「便利」
便利だ。
その通りだ。
食後、コレットは責任表の写しを作った。
部の記録に入れるためだ。
題名は、敗北責任表。
レイナ先輩が顔をしかめる。
「もう少し美しい題名にしなさい」
「では」
コレットは少し考えた。
そして、書き直す。
敗北の使い道表。
レイナ先輩は満足そうに頷いた。
「そちらのほうがいいわ」
リメルが旗待機区域から跳ねてきた。
食堂内なので、ゆっくり。
旗布が揺れる。
そこに文字が浮かんだ。
分ける。
今日の記録は、それだった。
責任を分ける。
荷物を分ける。
負けを分ける。
分けることで、薄めるのではなく、使える形にする。
コレットはその文字を見て、少しだけ笑った。
「はい」
彼女は言った。
「分けます。分けて、使います」
その声は、昨日より少し強かった。
第五章の最初の朝。
俺たちは、責任を誰か一人に背負わせずに済んだ。
そのかわり、全員が少しずつ背負うことになった。
軽くはない。
でも、持てる。
敗北は、まだ痛い。
鉄旗の傷は、まだ細い。
それでも、使い道を考え始めた。
負けた翌朝にできることとしては、たぶん上出来だった。




