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第33話 一方向では足りない

 アルフ・メイナードは、失敗しても顔に出ない。


 たぶん、出していないのではなく、出る量が少ない。


 ロイならすぐ分かる。


 ネルも分かりやすい。


 レイナ先輩は分かりやすくないふりをして分かりやすい。


 ジャックは怒りでごまかす。


 リリィは毒で隠す。


 クララは目が泳ぐ。


 ミラは少しだけ固まる。


 ノル先輩は寝る。


 ガレス先輩は黙って直す。


 コレットは手帳を強く握る。


 俺は、たぶん嫌な顔をする。


 アルフは、少しだけ目を細める。


 それだけだ。


 だから、彼が本当に悔しがっていると気づくまで、少し時間がかかった。


 合同基礎訓練の二日目。


 グラナートは、カルミアに「防衛基礎」を提示した。


 提示、という言い方が正しい。


 教える、ではない。


 手取り足取りではない。


 グラナートの生徒が実演し、カルミアが同じ手順を試す。


 できなければ記録される。


 できれば次へ進む。


 淡々としている。


 優しくはない。


 だが、意地悪でもない。


 そこが逆にきつい。


 馬鹿にされているなら反発できる。


 親切すぎるなら甘えられる。


 グラナートは、ただ基準を置く。


 届くか届かないかは、こちらの問題。


「防衛基礎、第三項」


 案内役兼訓練補佐の男子生徒が言った。


 彼の名前は、昨日ようやく聞いた。


 セド・ランヴァルト。


 グラナート二年。


 指揮伝達班所属。


 硬い。


 名前以外が全部硬い。


「複数方向誘導への対応。想定敵旗は、正面攻撃を囮に側面から突破する。防衛側は旗の逃走線を保持しつつ、味方選手の退避を阻害しないこと」


 ロイが小声で言う。


「説明も試験みたいっす」


「聞こえている」


 セドが言った。


「すみませんっす」


「謝罪は不要。発言を記録するほどではない」


「記録される場合があるんすか」


「ある」


 ロイは口を押さえた。


 グラナートは怖い。


 訓練場には、鉄旗四号と二体の訓練標的が置かれていた。


 鉄旗四号は指揮に従う。


 訓練標的は敵役。


 一体は正面から。


 もう一体は側面から。


 防衛役はアルフ。


 彼の一方向結界で、リメルの逃走線を守る。


 その横で、俺とネル、ロイが補助に入る。


 ジャックは攻撃禁止。


 コレットの判断だ。


「何でだよ」


 ジャックは不満そうだった。


「今日は防衛基礎です。攻撃で崩す練習ではありません」


「攻撃も防衛だろ」


「それは別の日にします」


 ジャックは舌打ちした。


 だが、従った。


 最近の彼は、舌打ちと反抗が必ずしも同じ意味ではなくなっている。


 ガレス先輩は訓練場の端で、壊れた金具の予備を見ている。


 ミラは紐の配置。


 レイナ先輩は合図用の一度目。


 リリィは召喚物が出ても邪魔にならない位置。


 クララは訓練場の契約標識。


 ノル先輩は眠そうに鉄旗を見ている。


 リメルは中央奥。


 アルフはその手前に立った。


 彼の魔法は、一方向だけの結界。


 全方位は守れない。


 壁を作れるのは一面だけ。


 だから、何を守るかを決める。


 これまでは、それが強さになった。


 全部を守ろうとしない。


 逃走線を守る。


 選ぶ。


 だが、グラナートの訓練は、選ぶことそのものを揺さぶってきた。


「開始」


 セドの声。


 正面標的が動く。


 速い。


 アルフは正面に結界を張る。


 薄い壁が立ち上がる。


 標的がぶつかり、止まる。


 成功。


 そう思った瞬間、側面標的が動いた。


 リメルの逃走線へ。


 ロイの無声合図。


 ネルが動く。


 だが、側面標的のほうが速い。


 アルフが結界の向きを変えようとする。


 遅い。


 一方向結界は張り直しに一拍必要だ。


 その一拍の間に、側面標的がリメルの横へ入る。


 リメルが跳ねる。


 逃走線が消える。


「停止」


 セドが言った。


 訓練が止まる。


 アルフは結界を解いた。


 表情は変わらない。


 目だけが少し細い。


「防衛失敗」


 セドが記録する。


「原因。正面攻撃への過剰反応。側面突破への結界転換遅延」


 淡々としている。


 正しい。


 だから痛い。


「もう一度」


 アルフが言った。


 声はいつも通りだった。


 だが、俺は少しだけ違和感を覚えた。


 早い。


 彼にしては、再試行の要求が早い。


「許可」


 セドが答える。


 二回目。


 今度はアルフが側面を警戒する。


 正面標的が動く。


 アルフはすぐには結界を張らない。


 待つ。


 側面を見ている。


 正面標的がリメルに近づく。


 ロイの合図。


 ネルが正面へ入る。


 しかし、標的が予想より重い。


 ネルの一瞬では止まらない。


 アルフが正面へ結界を張る。


 その瞬間、側面標的が動く。


 また遅れる。


「停止」


 セドの声。


「防衛失敗。原因。側面警戒による正面対応遅延。結界転換遅延」


 同じ言葉。


 結界転換遅延。


 一方向では足りない。


 そう言われているようだった。


 アルフは何も言わない。


 でも、目がさらに細くなる。


 三回目。


 アルフは結界を張らずに、リメルの逃走線を先に動かそうとした。


 つまり、守る方向を固定するのではなく、守る対象を移動させる。


 発想は悪くない。


 だが、リメルは命令通りに動かない。


 自分で鉄旗四号を見て、半拍遅れた。


 その間に、正面標的と側面標的が同時に来る。


 アルフはどちらかを選ぶ。


 正面。


 側面が抜ける。


「停止」


「防衛失敗。原因。旗自律行動への対応不足。二方向同時圧への処理不足」


 セドの声は同じ。


 淡々としている。


 ロイが小声で言った。


「きついっす」


 誰も否定しなかった。


 四回目。


 五回目。


 六回目。


 失敗が続く。


 アルフは怒らない。


 声を荒げない。


 ただ、失敗ごとに自分の手元の記録板へ線を増やしていく。


 結界転換遅延。


 防衛方向選択ミス。


 逃走線固定失敗。


 味方退避線阻害。


 リメル自律行動の読みに失敗。


 側面突破への対応不足。


 正面囮への反応過多。


 文字が増える。


 それでも顔に出ない。


 だから、余計に怖かった。


「休憩」


 コレットが言った。


 アルフは首を横に振る。


「もう一回できる」


「休憩です」


 コレットの声が少し強くなる。


 アルフは彼女を見る。


 しばらく沈黙。


 そして、頷いた。


「了解」


 休憩時間、アルフは訓練場の端に座り、記録板を見ていた。


 俺は隣に座る。


「話しかけてもいいか」


「構わない」


「悔しいか」


 聞いてから、少し直球すぎたと思った。


 だが、アルフにはこれくらいでいい気もした。


 彼はしばらく記録板を見ていた。


 そして答えた。


「かなり」


 かなり。


 アルフの口から出ると、重い。


「顔に出ないな」


「出す余裕がない」


「余裕があるから出ないんじゃなくて?」


「逆だ」


 彼は記録板に指を置く。


「一方向なら守れると思っていた。全部を守れないなら、守るものを選べばいい。今までは、それで成立した」


「してた」


「だが、グラナートは選ばせてくれない。正面を守れば側面が抜ける。側面を守れば正面が抜ける。逃走線を守れば退避線を塞ぐ。退避線を守れば旗が捕まる」


 彼の声は静かだ。


 でも、内容は荒れていた。


「一方向だけでも、守れるものを選ぶ」


 俺は言った。


 第16話の頃、アルフが見つけた言葉だ。


 彼は頷く。


「その言葉は、間違っていない」


「うん」


「でも、今は足りない」


 足りない。


 その言葉は、彼にとってかなり痛いはずだ。


 欠陥魔法。


 一方向だけの結界。


 それを否定しないために、守るものを選んできた。


 だが、強豪校はその選択を潰す。


「足りないなら」


 俺は言いかけて、止まる。


 簡単に言えばいい場面ではない。


 足りないなら仲間を使え。


 足りないなら工夫しろ。


 それは正しい。


 でも、今のアルフが聞きたいのは、そんな雑な慰めではないだろう。


 単独判断禁止。


 俺は少し考えた。


「足りないって、言えるのは強いと思う」


 アルフがこちらを見る。


「それは慰めか」


「半分」


「残りは」


「事実」


 ネルの言い方がうつってきた。


 アルフは少しだけ目を伏せた。


「足りないと認めなければ、次を決められない」


「そうだな」


「だが、認めると、自分の魔法がまた欠陥に戻る感じがする」


 その言葉は、静かに刺さった。


 欠陥ではなく、別の使い方。


 そう見つけてきたものが、強い相手の前でまた欠陥に戻る。


 それは、かなりつらい。


 ロイの音も。


 ネルの一瞬も。


 レイナ先輩の一度目も。


 リリィのランダム召喚も。


 ミラの停止も。


 みんな、同じ危うさを持っている。


 使い方が見つかっただけで、欠点が消えたわけではない。


 強い相手は、それを容赦なく突いてくる。


「戻る道を問え」


 クララの声がした。


 振り返ると、彼女が立っていた。


 手には読む棒ではなく、手帳。


「聞いていたのか」


「少し。すみません」


 クララは真面目に頭を下げる。


「でも、契約文の言葉を思い出しました。忘れた者に、忘れたことを責むな。戻る道を問え。欠陥に戻ったように感じるなら、戻る道を問うべきです」


 アルフは少し考える。


「どこへ戻る」


「一方向だけでも、守れるものを選ぶ、です」


「それでは足りない」


「はい」


 クララは頷いた。


「だから、戻ったうえで足します。戻るのは、同じ場所に止まることではありません」


 クララらしい理屈だ。


 でも、悪くない。


 アルフは記録板を見る。


「戻ったうえで、足す」


「はい」


 そこへミラが来た。


「結界、一つ。紐、もう一つ」


 アルフが彼女を見る。


「紐で守るのか」


「守らない。道を示す」


 ミラは床に紐を置く。


「アルフの結界は、逃げる道を守る。ミラの紐は、戻る道を見せる」


 ロイも来る。


「俺の音で、どっちの道か合図するっす」


 レイナ先輩が言う。


「わたくしの一度目は、囮にします。正面攻撃を相手に見せるのではなく、アルフの選んだ方向を味方に見せるために」


 リリィが迷子一号を転がす。


「偶然で転がった方向を、予備の退避線にしますわ」


 ガレス先輩が短く言う。


「壊れた床、使う」


 ジャックは腕を組んだまま言った。


「俺は撃たねえ。けど、撃たない線を危険線にする」


 ネルが最後に言う。


「あたしが一瞬で、足りないところを渡る」


 コレットが手帳を開く。


「アルフさんの結界を増やすのではなく、周りが方向を増やします」


 アルフは全員を見た。


 表情は大きく変わらない。


 でも、目の細さが少し変わる。


「一方向では足りない」


 彼は言った。


「だから、一方向を中心にする」


 その言葉に、コレットがすぐ反応する。


「中心」


「全方位を守ろうとしない。俺は一方向しか守れない。なら、その一方向を基準線にする。他の退避、合図、紐、危険線を、そこから組む」


 アルフの声が少しだけ速くなった。


 彼の中で、何かが組み直されている。


「守るものを選ぶだけではなく、選んだ方向を全員に渡す」


「いい」


 ミラが言った。


「それなら、荷物表みたいにできる」


「防衛表っすね」


 ロイが言う。


「また表が増える」


 ネルが呆れたように言うが、嫌そうではない。


 休憩後、アルフはセドに再試行を求めた。


「内容を変更したい」


「申請内容」


 セドが聞く。


「一方向結界を単独防衛ではなく、基準線として運用する」


 セドは少しだけ目を細めた。


「許可。記録する」


 再試行。


 正面標的。


 側面標的。


 リメル。


 配置は同じ。


 変わったのは、アルフの結界の扱いだ。


「基準線、左」


 アルフが言った。


 結界が左側に立つ。


 守るための壁ではある。


 だが、それだけではない。


 ロイの無声合図が左を示す。


 ミラの紐が結界の延長線上に置かれる。


 レイナ先輩の一度目の火花が、結界の端で弾ける。


 リリィの迷子一号が、その手前へ転がる。


 ジャックが「撃たない」と宣言し、右側を危険線から外す。


 ネルが右から回り込む。


 ガレス先輩が床の古い留め具を踏んで音を出す。


 クララが契約標識の安全範囲を読み上げる。


 ノル先輩が寝言で「左、硬い。右、少し柔らかい」と言う。


 俺は、アルフの基準線を見て指示を出す。


「リメル、右へ逃げろ。左は守られてる。右は空いてる」


 リメルが跳ねる。


 正面標的が来る。


 側面標的も来る。


 結界は一方向だけ。


 全ては守れない。


 だが、全員が結界の方向を基準に動いた。


 リメルの逃走線が消えない。


 ネルが一瞬で側面標的の進路をずらす。


 ロイの合図が反響を避ける。


 ミラの紐が戻る道を示す。


 標的はリメルに触れない。


「停止」


 セドが言った。


 全員が息を止める。


「防衛成功。ただし、側面標的との距離が危険域に近い。改善余地あり」


 成功。


 アルフは結界を解いた。


 顔は変わらない。


 でも、息が少し長く吐かれた。


「成功です」


 コレットが言った。


 ロイが小さく拳を握る。


「やったっす」


 ネルがアルフを見る。


「一方向、足りた?」


 アルフは首を横に振った。


「足りない」


 少しだけ間を置く。


「でも、足りないまま使えた」


 それは、かなり第七部らしい言葉だった。


 足りないものを、足りるふりはしない。


 足りないまま、周りと組む。


 コレットが手帳に書く。


 一方向結界。


 単独防衛ではなく基準線。


 足りないまま使う。


 リメルが旗布を揺らす。


 今日の記録は、すぐに出た。


 基準線。


 アルフはそれを見た。


 そして、小さく頷いた。


「悪くない」


 アルフの「悪くない」は、かなり良いという意味だ。


 たぶん。


 訓練後、セドがアルフに近づいた。


「君の結界は、全方位防衛には不向きだ」


 容赦がない。


 アルフは頷く。


「知っている」


「だが、基準線としての運用は記録価値がある」


 褒めているのか。


 やはり硬い。


「グラナートにはない発想だ」


 これは、たぶん明確な評価だった。


 アルフは少しだけ目を細めた。


「ありがとう」


 セドは頷いた。


「ただし、公式戦では二方向以上から崩す」


「だろうな」


「対応を準備せよ」


「する」


 短いやり取り。


 でも、何かが少し変わった。


 グラナートは、第七部をまだ弱い相手として見ている。


 それは変わらない。


 だが、記録価値がある発想として見た。


 無関心よりは、ずっといい。


 宿舎に戻る途中、アルフは俺に言った。


「失敗は多かった」


「そうだな」


「かなり悔しい」


「顔には出てない」


「出す練習も必要か」


「いや、それは好みでいいんじゃないか」


 アルフは少しだけ考える。


「では、記録に出す」


「君らしい」


 その夜、アルフは自分の記録板を清書した。


 失敗原因。


 結界転換遅延。


 防衛方向選択ミス。


 逃走線固定失敗。


 味方退避線阻害。


 そして、その下に新しい項目。


 改善案。


 一方向結界を基準線化。


 味方の合図、紐、火花、危険線、戻る道を基準線へ接続。


 足りないまま使う。


 コレットはそれを部の記録に写した。


 リメルの旗布には、基準線の文字。


 昨日の接点。


 その前の触った。


 少しずつ、鉄旗との戦い方が増えていく。


 勝つとはまだ言えない。


 でも、触った。


 接点を見た。


 基準線を作った。


 俺はアルフの記録を見ながら思う。


 一方向では足りない。


 それは事実だ。


 でも、足りないまま使える。


 その発想は、俺にも必要なのかもしれない。


 勝つと言えないまま。


 怖いまま。


 忘れるかもしれないまま。


 そのまま使う。


 完全になってから競技に戻るのではなく、足りないまま中に入る。


 アルフの結界は、一方向だけだった。


 でも、その一方向が、みんなの動く基準になった。


 なら、俺の弱い仮目標も。


 勝つって言える場所へ行く、という情けない言葉も。


 何かの基準線にはなるのかもしれない。


 リメルが旗布を揺らす。


 基準線。


 その文字は、硬いグラナートの夜の中で、まっすぐに光っていた。


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