第22話 静かな大音量
巡業列車に乗って三十分で、ロイ・キャベルは迷惑扱いされた。
早い。
かなり早い。
だが、正直に言うと、予想より少し遅かった。
最初の十分快は、ロイも頑張っていたのだ。
旧客室の長椅子に座り、膝の上で両手を握り、口を閉じ、背筋を伸ばし、いかにも「僕は音を出しません」という顔をしていた。
その顔がすでにうるさかった。
落ち着きがない。
目が動く。
肩が跳ねる。
窓の外に新しい景色が流れるたび、声を出しそうになる。
列車が橋を渡るたび、感想を言いそうになる。
車輪の音が変わるたび、試したそうになる。
ロイは発動音が大きい。
ただし、普段の本人もまあまあ大きい。
それでも、彼は我慢していた。
なぜなら、乗車前に連盟職員からこう言われたからだ。
「列車内での無許可魔法発動は禁止です。特に大音量、振動、火花、煙、召喚物、破壊、睡眠誘導、記録干渉、旗の自走暴走は厳禁です」
「うち宛ての注意、多くないっすか?」
ロイがその場で聞いた。
連盟職員は表情を変えずに答えた。
「一般注意です」
「本当に?」
「一般注意です」
たぶん、半分くらいは第七部向けだった。
大音量はロイ。
振動もロイ。
火花はレイナ先輩の一回目の失敗で起きる可能性がある。
煙はリリィの召喚で出る。
召喚物はもちろんリリィ。
破壊はガレス先輩とジャック。
睡眠誘導はノル先輩。
記録干渉はリメル。
旗の自走暴走もリメル。
ほぼ名指しだ。
「僕、我慢するっす」
ロイは乗車時にそう宣言した。
「列車では静かにします。静かなロイになります」
「それ、ロイなの?」
ネルが言った。
「ネル先輩、ひどいっす」
「静かなロイって、濡れてない水みたいなものでしょ」
「水は濡れてます!」
「ほら、うるさい」
ロイは両手で口を押さえた。
それから三十分。
よくもったほうだ。
発端は、列車が長いトンネルに入ったことだった。
旧客室の窓が一気に暗くなる。
車輪の音が壁に反響し、低く重なった。
ガタン、ゴトン。
ガタン、ゴトン。
音が車両の床を伝い、椅子の脚を震わせる。
ロイの目が輝いた。
まずい。
俺はそう思った。
「ロイ」
アルフも同時に言った。
「分かってるっす」
ロイは小声で答えた。
小声だった。
そこまでは良かった。
「分かってるんすけど、この反響、試合の合図に使えそうで」
「今は試すな」
「試さないっす。試さないっすけど、ちょっとだけ喉を震わせるくらいなら」
「それが発動の前兆だ」
アルフが冷静に指摘した。
ロイは口を閉じた。
だが、喉が鳴った。
ぐう、と。
小さい。
本当に小さかった。
いつもの彼なら、訓練場の窓を震わせる。
今回は旧客室の机が少し揺れただけだ。
ただ、列車はトンネルの中だった。
音は車両の壁を伝い、連結部へ抜け、後部補助車両の金属骨格を震わせ、なぜか前方車両へ跳ね返っていった。
ぐうううううん。
音が伸びた。
ロイの顔が青くなる。
「あ」
次の瞬間、天井の荷物棚から予備布が一枚落ちた。
リリィの膝に。
「……」
リリィは無言で布を持ち上げる。
ロイが両手を合わせた。
「すみませんっす」
「わたくしは寛大ですので、一度目は許します」
「ありがとうございます!」
「二度目は召喚物の餌にします」
「何を召喚する予定っすか?」
「分からないから怖いのでしょう」
そこで、旧客室の扉が勢いよく開いた。
車掌ではない。
制服の違う男子生徒だった。
昨日、駅でカルミアを笑った銀の歯車の校章。
彼は眉を吊り上げている。
「今の音、カルミアか?」
ロイが椅子の上で小さくなる。
大柄でもないのに、なぜか小さく見えた。
「すみません、ちょっとだけ」
「ちょっとでこっちの食器棚が鳴ったんだよ」
男子生徒は旧客室を見回し、鼻で笑った。
「後ろに隔離されてる意味、分かってる?」
ネルが立ち上がりかけた。
俺は彼女の袖を軽く引いた。
ネルは俺を睨んだ。
睨まれても困る。
ここで喧嘩をすると、ロイの音より面倒になる。
「悪かった」
俺が言う。
男子生徒の視線は、また俺を少し外した。
「誰だっけ」
「カルミアの雑用係」
「雑用係なら、そいつを黙らせとけ」
ロイの肩がびくりと動いた。
俺は、少しだけ返答に困った。
黙らせる。
簡単な言葉だ。
ロイの音は迷惑だ。
それは事実だ。
でも、黙らせれば解決するのか。
少なくとも第七部のやり方ではない。
「黙らせるんじゃなくて、調整する」
俺が言うと、男子生徒は呆れた顔をした。
「調整できてないから迷惑なんだろ」
「その通りだ」
「認めるのかよ」
「事実だからな」
男子生徒は、調子を狂わされたように口を閉じた。
そこへコレットが立った。
「ご迷惑をおかけしました。次からは発動確認を旧客室内で完結させます。必要なら、こちらで反響防止布を追加します」
「そんな布、あるのか」
男子生徒が聞く。
「ありません」
コレットは即答した。
「今から作ります」
「……は?」
「ガレスさん、車両の予備布と壊れた防振金具は使えますか」
「使える」
ガレス先輩が答える。
早い。
「クララさん、車両壁の古い音止め術式は読めますか」
「たぶん読めます。現代式ではなく、古い合図遮断文が混ざっています」
「アルフさん、一方向結界で音の逃げる向きを抑えられますか」
「完全には無理だ。だが、前方車両へ抜ける連結部だけなら抑えられる」
「ロイさん」
コレットはロイを見る。
「はいっす」
「黙るのではなく、小さく鳴らす練習をします」
ロイが目を丸くした。
「いいんすか」
「駄目なら、試合中も使えません」
コレットの声は静かだった。
「列車で迷惑になる音は、競技場でも味方を混乱させます。だからここで直します。怒られたことを、練習にします」
男子生徒は何か言いたげだった。
だが、こちらが反省しているのか開き直っているのか判断できないらしく、眉間に皺を寄せるだけだった。
「次やったら連盟に報告する」
「はい」
コレットは頭を下げた。
「報告される前に、こちらから調整記録を提出します」
「何なんだよ、お前ら」
男子生徒は吐き捨てるように言って、扉を閉めた。
旧客室に、少しだけ沈黙が戻る。
ロイは膝の上で拳を握っていた。
俯いている。
「俺、やっぱ列車では魔法使わないほうがいいっすね」
「違う」
ネルが言った。
即答だった。
ロイが顔を上げる。
「違うんすか」
「あんたが使わないと、試合で合図が足りない。だから、うるさくない使い方を探す」
「うるさくない俺って、俺なんすかね」
「知らない。でも、うるさいだけのあんたより便利」
「ネル先輩、励ましが釘っす」
「刺さるなら効いてる」
ロイは少しだけ笑った。
でも、まだ目は沈んでいる。
自分の魔法で迷惑をかけることには慣れているのかもしれない。
慣れていても、痛くないわけではない。
ロイは明るい。
大きい声で笑う。
失敗してもすぐ立ち上がる。
だから、見落としそうになる。
彼がどれだけ、自分の音に怯えているのか。
どれだけ、誰かに「黙れ」と言われることに慣れてしまっているのか。
「ロイ」
俺は言った。
「音って、消すものじゃないだろ」
「え?」
「合図にするなら、届かなきゃ意味がない。問題は、届く場所と届かせ方だ」
言いながら、少しだけ自分の言葉がコレットに似てきたと思った。
負け筋を机に広げる。
迷惑になった音も、机に広げる。
「静かにするんじゃなくて、必要なところにだけ大きくする」
「そんな器用なこと、俺にできますかね」
「できるかどうかは知らない」
「そこはできますって言ってほしいっす」
「嘘はよくない」
「正直が釘っす」
ロイが苦笑する。
その横で、ガレス先輩がすでに作業を始めていた。
予備布を長椅子から外し、壊れた防振金具を工具箱から取り出す。
ジャックが黙ってそれを手伝う。
「その金具、曲がってる」
「曲げ直す」
「折れるぞ」
「折れないところまで」
「折れたら?」
「直す」
「便利な言葉だな」
ガレス先輩は無言で金具を差し出した。
ジャックは受け取り、慎重に力を入れる。
壊さないように。
曲げる。
その動きが、以前より少しだけ丁寧だった。
クララは壁に浮かんだ古い文字を読み取っている。
「この車両、元は合唱用にも使われていたかもしれません」
「合唱?」
レイナ先輩が聞く。
「はい。古い巡業では、旗に歌を聞かせる儀式があったようです。音を完全に消すのではなく、後ろへ響かせる構造になっています」
「後ろへ?」
アルフが車両の連結部を見る。
「つまり、今のロイの音は前へ漏れたから問題だった。後ろへ逃がせば、前方車両への迷惑は減る」
「一番うしろだから、後ろは線路だけっすね」
ロイが言う。
「俺、後ろ向きなら鳴っていいんすか?」
「限度はあります」
コレットが真面目に言った。
「列車を脱線させない範囲で」
「その基準、怖くないっすか?」
「怖いので、小さく始めます」
コレットは机の上に紙を広げた。
音量。
方向。
反響。
合図の意味。
迷惑範囲。
それぞれの欄が作られる。
「ロイさんの音を三種類に分けます」
「三種類?」
「低音、短音、無声」
「無声って音じゃないっすよね」
「発動直前の喉の震え、床振動、旗布の揺れだけを使う合図です」
ロイはぽかんとした。
「俺、鳴らさない音を使うんすか」
「静かな大音量です」
コレットが言った。
ロイはしばらく考えた。
そして、ゆっくり笑った。
「何すか、それ。かっこいいっす」
かっこいいかどうかは分からない。
でも、ロイには刺さったらしい。
リメルが旗金具から跳ね下り、床に立つ。
旗布が少し揺れた。
「リメルにも聞こえるか試します」
コレットが言う。
「旗への合図が目的です。人間に聞こえなくても、リメルが分かれば意味があります」
「俺の音、リメル専用っすか?」
「一部は」
「専用っていいっすね」
ロイは単純に嬉しそうだった。
リメルは、偉そうに旗布を揺らした。
たぶん、専用扱いが気に入ったのだ。
「第一試験」
アルフが言った。
「前方連結部へ一方向結界を張る。ガレスとジャックは反響布を固定。クララは古い音路を読む。ロイは最小発動。リメルが反応したら成功」
「失敗したら?」
ロイが聞く。
ネルが答えた。
「また怒られる」
「現実的っす」
準備はすぐに始まった。
旧客室は狭い。
その狭さが、今は逆に役に立った。
ガレス先輩が布を壁に張り、ジャックが金具を押さえる。
レイナ先輩は見た目の悪い布のたるみを許さず、角度を直す。
「機能美というものがあるでしょう」
「音が漏れなければいい」
ジャックが言う。
「漏れなくても美しくないと嫌よ」
「列車の後ろで誰が見るんだ」
「わたくしが見るわ」
レイナ先輩は真剣だった。
リリィは召喚物を出さないように両手を膝の上で重ねている。
ただし、その指先から時々小さな煙が出るので、ネルに睨まれている。
ミラは荷物を固定し直していた。
列車の揺れで箱がずれないよう、山で使う結び方を教えてくれる。
ノル先輩は長椅子に寝転がっている。
「寝るなよ」
俺が言うと、彼女は目を閉じたまま答えた。
「寝てない。列車の夢を先取りしてる」
「それは寝てるのでは」
「半分だけ」
半分なら仕方ないのかもしれない。
クララが壁の文字をなぞる。
「音路、見えました。ここから後部へ抜けています。昔は後ろの旗台へ声を届けるために使ったようです」
「旗台?」
「屋根の後部に小さな旗台があったみたいです。今は閉鎖されていますが、音の道だけ残っています」
ロイの目が輝く。
「屋根に旗台!」
「上位校以外は禁止」
アルフが先に釘を刺した。
「分かってるっす。今は」
「今は、の部分が不安だ」
「未来への余白っす」
「違反への余白に聞こえる」
コレットが手を上げた。
「始めます」
旧客室が静かになる。
列車の音だけがある。
ガタン、ゴトン。
ガタン、ゴトン。
その隙間に、ロイが立つ。
いつものような大きな構えではない。
肩幅を少し狭くし、片手を喉の前へ置く。
音を出すのではなく、抑えるための姿勢。
「最小で」
アルフが言う。
「はいっす」
ロイは息を吸った。
喉がほんの少し震える。
音は、ほとんど聞こえなかった。
でも、床が微かに揺れた。
机の上の紙が、一ミリだけ動く。
リメルの旗布が、ぴくりと反応した。
「反応あり」
コレットが記録する。
ロイの顔が明るくなった。
「今の、聞こえたっすか?」
「聞こえなかった」
ネルが言う。
「でも、紙が動いた」
「リメルは分かったみたいです」
コレットの声に、ロイは両拳を握った。
声を出しそうになって、必死に飲み込む。
その顔があまりに分かりやすくて、俺は笑ってしまった。
「喜ぶ音も訓練が必要だな」
「そこまでっすか」
「列車内では」
「列車、厳しいっす」
第二試験は短音だった。
これは少し音が出る。
ただし、一瞬だけ。
ロイは慎重に発動した。
こ、と小さな音。
しかし列車の床は、それを拾って後ろへ流した。
前方連結部には、アルフの結界がある。
音は前へ抜けず、後ろへ抜ける。
旧客室の一番後ろの壁が、軽く鳴った。
リメルが二回跳ねる。
「成功」
コレットが言った。
ロイは今度こそ小さくガッツポーズした。
「俺、静かに鳴れたっす」
「変な日本語だな」
「でも分かる」
ネルが言った。
珍しく素直だった。
ロイは嬉しそうに彼女を見る。
「ネル先輩、今褒めました?」
「見間違い」
「耳で聞いたっす」
「じゃあ聞き間違い」
「音の人間にそれ言います?」
旧客室に笑いが広がる。
さっき怒られたばかりなのに、ずいぶん早い回復だ。
でも、ロイにはそれが似合っている。
沈むだけ沈んで終わるより、少しでも使い方が見つかったほうがいい。
第三試験。
低音。
これは一番危ない。
訓練場でも使っていた合図だが、列車の中では反響しすぎる。
前方車両へ漏れれば、また苦情が来る。
コレットは迷った。
「ここでやめる選択肢もあります」
「でも、試合で必要っすよね」
ロイが言う。
「はい」
「じゃあ、やります」
声は震えていなかった。
怖くないわけではないはずだ。
でも、逃げていなかった。
「低音は、出すというより落とす」
クララが壁の文字を読みながら言った。
「古い音路は、声を下へ沈めて後ろへ流す構造です。上に響かせると前へ漏れます」
「下へ沈める?」
ロイが首をかしげる。
ミラが床を指さした。
「山で声を遠くに飛ばすとき、上に叫ぶと散る。谷へ落とすと返る」
「谷へ落とす」
ロイは床を見た。
旧客室の床板。
列車の車輪。
線路。
その下には、流れていく地面がある。
「やってみます」
アルフが前方連結部へ結界を張り直す。
ガレス先輩が反響布の金具を押さえる。
ジャックが補助する。
レイナ先輩が布の角度を微調整する。
クララが音路の位置を指す。
リメルが車両の後ろ側へ跳ねる。
俺は無意識に息を止めていた。
ロイが喉を震わせる。
ぐう、と低い音。
さっきより大きい。
でも、広がらない。
床へ沈む。
旧客室の後ろへ流れる。
一番後ろの壁が、静かに鳴る。
音は、列車の外へ抜けた。
窓の向こう、過ぎていく線路へ。
前方から苦情は来ない。
荷物棚も落ちない。
リメルが三回跳ねた。
ロイは、固まっていた。
「……できた?」
「できました」
コレットが言った。
「低音、後方排出。前方漏れ、なし」
ロイの顔が、ゆっくり明るくなる。
今度は声を出さなかった。
ただ、両手を口に当て、目だけで笑った。
その様子を見て、ネルが小さく言う。
「うるさくないロイも、ロイじゃん」
ロイがばっとネルを見る。
ネルは顔をそらした。
「今のは聞き間違いじゃないっすよね」
「列車の音」
「絶対違うっす」
「じゃあ反響」
「逃がさないっす、その褒め言葉」
ロイは嬉しそうだった。
派手に喜ばないよう必死に抑えているのが、かえって分かりやすい。
そのとき、扉が控えめに叩かれた。
全員が固まる。
また苦情か。
コレットが扉を開ける。
立っていたのは、さっきの男子生徒ではなかった。
小柄な女子生徒だ。
同じ銀の歯車の校章。
彼女は少し気まずそうにこちらを見た。
「今の音、そっち?」
ロイの肩が縮む。
コレットが答えた。
「はい。調整中です。前方へ漏れていましたか」
「ううん。漏れてない。むしろ、後ろの線路に流れた」
女子生徒は旧客室の中を覗く。
「いい音路使ってるね。後部補助車両にそんな古い構造あったんだ」
クララの目が輝いた。
「分かるんですか」
「うち、工房系だから。音路と防振は少し」
女子生徒はロイを見た。
「さっきは兄がきつく言ってごめん。食器棚が鳴ったのは本当だけど」
「すみませんっす」
ロイは頭を下げる。
女子生徒は首を横に振った。
「今のなら大丈夫だと思う。後ろへ逃がせてる。前の車両では、床が少しだけ温かくなったくらい」
「温かく?」
クララが首をかしげる。
「古い音路が起きたのかも。長く使われてなかったんじゃない?」
リメルが旗布を揺らした。
女子生徒はそれを見て、少し驚く。
「その旗、動くんだ」
「はい。リメルです」
コレットが紹介する。
「忘れ物の旗です」
「変な登録名」
「はい」
コレットは少し誇らしげだった。
変と言われて喜ぶ部長もどうかと思うが、俺も嫌な気はしなかった。
女子生徒は車両の壁を見た。
「後部補助車両、うちは使ったことない。古いものが残ってるんだね」
「低優先参加校の待機場所ですから」
レイナ先輩が少し棘のある声で言う。
女子生徒は困ったように笑った。
「言い方は悪いけど、前の車両は改装されすぎて古い構造が消えてる。ここは、残ってる」
残ってる。
その言葉に、リメルの旗布が少しだけ光った。
「じゃあ、失礼。兄には、今の音は問題ないって言っておく」
「ありがとうございます」
コレットが頭を下げる。
女子生徒は去り際に、ロイへ小さく手を振った。
「音、大きいだけじゃないんだね」
扉が閉まる。
ロイはしばらく動かなかった。
「……聞きました?」
「聞いた」
俺は答えた。
「大きいだけじゃないって」
「聞いた」
「俺の音、大きいだけじゃないっす」
「そうだな」
ロイは、今度こそ声を出しそうになった。
だが、出さなかった。
代わりに、喉をほんの少し震わせる。
無声合図。
リメルが一回跳ねた。
旧客室に、静かな笑いが広がった。
リメルの旗布に、短い文字が浮かぶ。
静かな大音量。
ロイはそれを見て、胸を押さえた。
「リメル、今の記録してくれたんすか」
リメルは得意げに跳ねる。
「俺、これ忘れないっす」
ロイは言った。
そしてすぐに、俺を見た。
「あ、ルカ先輩に言うの、ちょっと無神経でした?」
「いや」
俺は笑った。
「忘れないって言えるのは、いいことだ」
言えるうちに言えばいい。
覚えているうちに、覚えていると言えばいい。
忘れるかもしれない俺がそれを羨ましいと思うのは、たぶん自然なことだ。
でも、ロイの言葉を嫌だとは思わなかった。
むしろ、少し救われた。
誰かが忘れないと言う。
リメルが一つだけ記録する。
旧客室が、それを後ろへ響かせる。
巡業列車の一番うしろで、ロイの音は少しだけ形を変えた。
黙るのではなく、届く場所を選ぶ。
大きさを消すのではなく、方向を持たせる。
それは、たぶん彼の最初の列車用戦術だった。
夕方、コレットは調整記録を連盟へ提出した。
題名は「後部補助車両における大音量発動魔法の後方排出試験」。
ロイは「かっこよくないっす」と不満を言った。
リリィは「役所に出すものはだいたい格好悪いですわ」と言った。
レイナ先輩は「せめて字を美しく」と清書した。
クララは古い音路の写しを添えた。
アルフは結界角度を図にした。
ガレス先輩は反響布の固定具を直した。
ジャックは壊さず手伝った。
ミラは荷物が揺れないよう、布の下に余った紐を挟んだ。
ノル先輩は寝ながら「音、夢の後ろへ行った」と言った。
意味は分からないが、たぶん重要なのだろう。
列車は夜へ向かって走る。
旧客室の窓の外には、暗くなり始めた平原が流れていた。
ロイは一番後ろの壁に耳を当てている。
「何してるんだ」
俺が聞くと、彼は小声で答えた。
「俺の音、どこまで行くのかなって」
「後ろだろ」
「後ろって、過ぎた場所じゃないっすか」
ロイは窓の外を見る。
「俺の音、過ぎた場所に残るんすかね」
意外なことを言う。
俺は少し考えた。
「残るかもしれない」
「迷惑じゃなく?」
「今日は、少なくとも迷惑だけじゃなかった」
ロイは笑った。
静かに。
「じゃあ、明日も静かな大音量、練習するっす」
「苦情が来ない範囲でな」
「そこそこ絶対、守るっす」
「その言葉、流行らせるな」
旧客室の奥で、ネルが小さく笑った。
リメルが旗金具で揺れる。
静かな大音量。
後部補助車両の古い音路。
低優先参加校の迷惑な音。
呼び方を変えれば、意味も少し変わる。
この列車には、そういうものが多いのかもしれない。
前の車両では邪魔なものが、後ろでは使い道になる。
消された構造が、旧客室ではまだ残っている。
忘れ物の旗が、ここではおかえりと言われる。
俺たちは一番うしろにいる。
でも、一番うしろだから見えるものがある。
ロイの静かな音が、列車の後ろへ流れていく。
誰にも怒られないくらい小さく。
でも、リメルには届くくらい確かに。
その音を聞きながら、俺は思った。
第七魔法競技部の旅は、たぶんこういう小さな調整の連続なのだろう。
欠陥を消さない。
黙らせない。
ただ、届く場所を探す。
ロイの音が、初めて列車の中で居場所を見つけた夜だった。




