第184話 土地と旗の約束
翌朝、クララは古代旗保管施設の閲覧室にいた。
もちろん、自由に入れたわけではない。
コレットが確認書を三枚書き、学園長からの保全依頼写しを添付し、アストラムのディオン主任から緊急推薦を取り付け、標準化審査局の観測官を同席させたうえで、ようやく許可が出た。
書類で橋を架ける。
最近のコレットは、本当にそれが上手い。
閲覧室は静かだった。
石の壁。
湿度を一定に保つための水晶。
木製の長机。
そして、古い旗布を広げるための白い台。
クララは台の前に立ち、深呼吸した。
「読みます」
手順は、もう彼女の一部になっている。
「対象は、オルディナ古代旗保管施設公開閲覧範囲内、土地契約旗基礎資料。許可者は施設管理官および連盟同席観測官。読解範囲は一枚目から三枚目まで。個人名、現存地権、封鎖指定、カルミア旧第七運用班に直接接続する内容が出た場合、停止します。読解結果は仮説として扱います」
施設管理官は頷いた。
観測官も渋々頷く。
クララは一枚目を開いた。
古い文字。
現代の競技規則とはまったく違う、柔らかい線。
彼女の目が追う。
「土地契約旗は、場所と共同体の名前を結ぶ媒体です」
クララが読みながら説明する。
「旗を立てることで、ここに誰がいるか、何を守るか、何を分け合うかを記録した」
「旗は境界線?」
アルフが聞く。
「境界でもあります。でも、壁ではありません。むしろ、ここからここまでを一緒に覚えるための目印です」
一緒に覚える。
ノルが部誌に書く。
「競技旗は、その簡略化と儀式化です。土地を奪うのではなく、旗を奪う。共同体同士の争いを競技に変えたもの」
「だから旗奪競技」
ロイが言う。
「そうです」
クララは二枚目を開く。
「古い競技旗は、単なる得点対象ではありません。学校、地域、部隊、共同体の名前を一時的に預かる」
名前を預かる。
俺の胸が反応した。
名の預託。
忘却契約。
戻り目印。
全部が同じ根を持つ。
「旗が壊れると、名前も壊れるのか」
ジャックが聞く。
「壊れるというより、戻り道が失われることがあります」
クララは慎重に答える。
「だから古い旗は、処分ではなく保管される。保管自体は必要です」
「でも、箱にされた」
ノルが言った。
クララは頷く。
「はい。必要な保管と、名前を閉じる保管は違います」
施設管理官の表情が少し動いた。
彼は年配の男性で、旗を道具としてではなく大事に扱う人に見えた。
少なくとも、粗末にはしていない。
「我々は閉じ込めているつもりはない」
管理官が言った。
「破損した旗を外に出せば、旗自身も周囲も傷つく」
「わかります」
クララはすぐに答える。
「だから、どの旗が眠りたいのか、どの旗が名前だけでも外に置かれたいのか、区別が必要です」
管理官は黙った。
その発想は、今までなかったのかもしれない。
保管するか、廃棄するか。
公開するか、封鎖するか。
その二択ではなく、旗ごとに違う。
第七部の欠陥魔法と同じだ。
三枚目は、古代旗の眠りについての資料だった。
クララの声が少し低くなる。
「旗を眠らせる場合、名前を完全に削除してはならない。名前は旗の帰路である。帰路を断たれた旗は、夢の中で道を探す」
ノルが顔を上げた。
「夢」
「はい」
クララは続ける。
「帰路を断たれた旗は、記録係、夢見、歌い手、音持ち、または召喚逸脱者を通じて外へ出ようとする場合がある」
部屋の空気が止まった。
記録係。
ノル。
夢見。
ノル。
歌い手、音持ち。
ロイ。
召喚逸脱者。
リリィ。
まるで、第七部が呼ばれているような記述だった。
観測官がすぐに言う。
「やはりカルミアの非標準魔法が」
「違います」
クララが珍しく強い声を出した。
「これは、旗が外へ出る経路の記述です。カルミアが原因という意味ではありません。むしろ、帰路を断った保管方法が原因です」
観測官が黙る。
クララは栞に手を置いたまま続けた。
「第七部は反応しやすいだけです。原因ではありません」
その言葉は、大事だった。
俺たちは、また原因にされかけていた。
旗が逃げる。
第七部がいる。
だから第七部が悪い。
そうではない。
旗に帰路がないから、帰路に似たものへ寄ってくる。
ノルの夢。
ロイの音。
リリィの召喚。
俺の名の反射回避。
それらは原因ではなく、道の端だ。
クララは三枚目の端で止まった。
栞が震えたからだ。
「ここから先は封鎖指定に触れます」
彼女はすぐに栞を挟んだ。
「停止します」
観測官は少し安心したように見えた。
でも、施設管理官は違った。
「今の続きを読むには、どの権限が必要だ」
彼が聞いた。
観測官が驚く。
「管理官」
「私は、この施設の旗を守る責任がある。帰路を断った保管が暴走の原因なら、知らないままでは守れない」
管理官の声は静かだが、強かった。
クララは答える。
「連盟旗管理部門上位権限、または標準化審査局封鎖解除権限です」
「標準化審査局」
管理官は観測官を見る。
観測官は視線を逸らさなかったが、答えもしなかった。
ローエン・ミルツ。
また、その名前が見えない場所にいる。
閲覧室を出ると、廊下でリリィが待っていた。
グレイが肩の上で落ち着かない。
「どうした」
俺が聞くと、リリィは無表情で言った。
「召喚陣が勝手に反応しました」
「何が出た?」
「まだ止めています」
その瞬間、遠くの保管室から警報が鳴った。
短く、鋭い音。
施設管理官の顔色が変わる。
ノルが部誌を抱えた。
「また起きた」
今度は、一つではない。
廊下の向こうで、複数の旗管理箱が同時に震え始めていた。




