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第185話 召喚陣の向こう側

 保管施設の警報は、耳に刺さる音だった。


 ロイの音とは違う。


 人を戻すための合図ではなく、人を遠ざけるための音。


 廊下の水晶灯が赤く点滅する。


 保管室の扉が次々と封鎖されていく。


 標準化審査局の観測官が叫んだ。


「全員、指定区域から退避!」


 その声は正しい。


 危険なら退避するべきだ。


 でも、保管室の奥から聞こえた音は、壊れる音ではなかった。


 箱が内側から震える音。


 布がこすれる音。


 何かが、出たいと爪を立てている音。


 ノルが立ち止まる。


「多い」


「何が」


 ネルが聞く。


「名前、探してる旗」


 施設管理官が、封鎖扉の前で職員へ指示を出している。


 彼の顔は青い。


 保管している旗を守りたい。


 でも、どう守ればいいのかわからない。


 連盟職員は拘束具を準備している。


 それを見たノルが首を振った。


「箱、だめ」


「ノルさん」


 クララが声をかける。


「全部は見なくていいです。戻れなくなります」


「見ない。でも、聞こえる」


 リリィが自分の手元を押さえていた。


 彼女の足元に、召喚陣が勝手に薄く光っている。


 呼んでいる。


 いや、呼ばれている。


「リリィ」


 俺が言う。


「止めています」


 彼女の声は硬い。


「勝手に開こうとしています。非常に不愉快です」


 グレイが肩の上で低く鳴く。


 いつもの得意げな鳴き方ではない。


 警戒している。


「何が来そう?」


 コレットが聞く。


「旗です」


 リリィは言った。


「たぶん、旗の一部。こちらを出口だと思っています」


 召喚逸脱者。


 さっきクララが読んだ言葉。


 帰路を断たれた旗は、召喚逸脱者を通じて外へ出ようとする場合がある。


 リリィは原因ではない。


 出口にされかけている。


「止められるか」


 ジャックが聞く。


「完全には」


 リリィは唇を噛む。


「無理に閉じれば、向こう側で裂けます」


 旗が裂ける。


 その言葉に、ガレスが反応した。


「裂けるのは、よくない」


「わかっています」


 リリィの声が尖る。


 でも、怒っている相手はガレスではない。


 勝手に出口にしてくる状況そのものだ。


 コレットが判断する。


「開ける場合、安全条件を作ります。アルフさん、外へ出る力だけ弱めてください。完全遮断ではなく減速。ロイさん、小音で位置確認。ガレスさん、出てきたものを直接持たず、周辺を支える。ミラさん、重い反応が出た時だけ固定。クララさん、読める範囲で表層確認。ノルさん、名前を聞きすぎない」


「うん」


 ノルは頷いた。


 観測官が叫ぶ。


「許可していません!」


 コレットが振り返る。


「召喚陣を無理に閉じれば、保管旗が破損する可能性があります。施設管理官、判断を」


 施設管理官は一瞬だけ迷った。


 その間にも、保管室の箱が震える音は強くなる。


 彼は歯を食いしばった。


「開放型保護手順を認める。ただし、記録を残す」


「残します」


 コレットは即答した。


 リリィは深く息を吐いた。


「では、開けます」


 召喚陣が光る。


 いつものランダム召喚とは違う。


 もっと古い。


 もっと湿った光。


 土と布と古い名前の匂いがする。


 陣の中央から、細い旗紐が出てきた。


 布ではない。


 旗を支柱に結ぶための紐。


 色は褪せた赤。


 ところどころ切れている。


 紐は床に落ちると、すぐにどこかへ進もうとした。


 アルフの一方向結界が外へ出る力を弱める。


 ロイの音が位置を示す。


 ぽん。


 紐が震える。


 グレイが匂いを嗅ぎ、低く鳴いた。


「名前を探しています」


 リリィが言った。


「私に言わせないでほしいです」


 その声には珍しく、少しだけ痛みがあった。


 自分の召喚魔法が、誰かの迷子の出口になる。


 それは、彼女にとって気分のいいものではないだろう。


 ノルが部誌を開く。


「赤い紐。校旗じゃない。祭りの旗。歌があった」


「歌?」


 ロイが聞く。


「今は歌わない。歌う人、いない」


 紐が震える。


 ロイは一瞬迷ってから、小さく音を鳴らした。


 ぽん。


 応援の音ではない。


 迷子に場所を教える音。


 赤い紐の震えが少し弱くなる。


 クララが読解する。


「地域祭礼旗の結束紐です。旗本体は別保管。名前札は……剥がされています」


「また」


 ネルが言う。


 剥がされた名前。


 箱にされた約束。


 保管と封鎖の境界が、ここでも曖昧になっている。


 ガレスが紐の周りに小さな枠を置く。


 直接押さえない。


 周囲を持つ。


「ここなら、裂けない」


 紐はその枠の中で落ち着いた。


 施設管理官が息を呑む。


「拘束具なしで、落ち着いた」


「拘束されたかったわけではないのでしょう」


 クララが言う。


 観測官は何かを書き込んでいる。


 顔は険しい。


 でも、否定はできない。


 その時、別の保管室で箱が開いた。


 今度は連盟職員が押さえようとして、逆に布が跳ねた。


 廊下に青い旗片が飛び出す。


 水のように床を滑る。


「二つ目!」


 ロイが叫ぶ。


 大きすぎない声。


 でも、通る声。


 ネルが動く。


 瞬間魔法は使わない。


 旗片の進路を読む。


 ミラが足場を固定する。


 アルフが人の流れを止める。


 ジャックは撃たない。


 リリィは召喚陣を押さえたまま、グレイに指示する。


「迷子二号です。追いなさい」


 グレイが走る。


 青い旗片は廊下の窓へ向かう。


 外へ出たいのか。


 水が見たいのか。


 ノルが言う。


「港の旗」


「シェルポート?」


 俺が聞く。


「もっと古い。潮の名前」


 青い旗片が窓枠にぶつかる前に、ネルが手前へ入った。


 触れない。


 体で塞がない。


 ただ、進路の前に立って、逃げる先を変える。


「こっち」


 短い声。


 青い旗片は一瞬止まり、グレイの匂い誘導に沿って開放型保護布へ入った。


 成功。


 でも、警報は止まらない。


 保管施設の奥で、さらに複数の箱が震えている。


 施設管理官が呟いた。


「こんな同時反応は記録にない」


 クララが顔を上げる。


「帰路を断たれた旗が、第七部の非標準機能に反応しているのだと思います」


 観測官が言う。


「それは危険です」


「はい」


 クララは否定しなかった。


「でも、原因ではありません。道がないから、道に似たものへ集まっている」


 リリィの召喚陣が、まだ薄く光っている。


 彼女は苦い顔で言った。


「私は出口ではありません」


 グレイが肩へ戻り、彼女の頬に頭を押しつけた。


 リリィは少しだけ目を伏せる。


「でも、出口にされたものの気持ちは、少しわかります」


 その言葉は小さかった。


 たぶん、彼女自身の過去にも触れている。


 制御できない召喚。


 迷惑と言われた魔法。


 でも、今その魔法が、旗の迷子を傷つけずに受け止めている。


 コレットが宣言した。


「第七部は、保管旗の逃走を止めるのではなく、破損しない形で一時保護します。全行動を記録します」


 観測官は反論しなかった。


 できなかったのかもしれない。


 廊下の奥で、三つ目の箱が開く音がした。


 旗たちの反乱は、もう始まっていた。



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