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第183話 旗の夢

 事情聴取は長かった。


 標準化審査局の観測官は、こちらが何かしたと決めつけているわけではなかった。


 少なくとも、表面上は。


 だが、質問はすべて同じ方向へ向いていた。


 ノルの夢記録は保管旗に影響を与えたか。


 クララの読解は旗布の自走を誘発したか。


 ロイの音は逃走経路を誘導したか。


 リリィの召喚獣は旗布を刺激したか。


 ルカ・ヴァレンの風系魔法は使用されたか。


 最後の質問だけ、俺ははっきり答えた。


「使っていません」


 ネルが横で即座に言う。


「私も確認しています」


 コレットが記録を出す。


「発生時、第七部は旗管理箱に未接触。風魔法反応なし。ロイの音は逃走後の位置確認目的で、小音域に限定。アルフの結界は一般客流入制御。リリィのグレイは追跡のみ」


 観測官は一つずつ確認していく。


 こちらに記録があるせいで、雑に疑えない。


 それでも、最後にこう言った。


「今後、古代旗保管施設内での独自判断は控えてください」


 コレットは答えた。


「一般客に危険が及ぶ場合、安全行動を優先します」


「規則を優先してください」


「事故防止も規則です」


 観測官は黙った。


 書類の一方向結界は、今日も機能していた。


 聴取が終わった頃には、夜になっていた。


 宿舎は保管施設の隣にある石造りの建物だった。


 窓からは、旗柱広場が見える。


 昼間、灰色の布が巻きついた旗柱も見えた。


 今は何もない。


 でも、そこだけ空気が少し違って見える。


 ノルは夕食の途中から静かだった。


 眠そうなのはいつも通りだ。


 でも、今日は少し違う。


 寝るのを怖がっている。


「夢、来る?」


 俺が聞くと、ノルはスープを見つめたまま頷いた。


「たぶん」


「嫌?」


「うん」


 ノルが嫌だと言うのは珍しい。


 部室で失われた試合を見た時も怖がっていた。


 でも、見た。


 今回は、最初から嫌だと言っている。


 クララが椅子を寄せる。


「見ない選択もあります」


「でも、旗が呼ぶ」


 ノルは部誌を抱える。


「無視すると、たぶんもっと起きる」


 もっと起きる。


 旗が逃げる。


 保管箱が開く。


 名前を剥がされた布が、帰りたいと動く。


 コレットは少し考えた。


「見るなら、手順を決めます。戻り言葉は部誌。クララさんが栞。アルフさんが外部干渉遮断。ロイさんは小音で呼吸確認。ネルさんとルカさんは」


「見てる」


 ネルが言う。


 俺も頷いた。


 宿舎の談話室を使うことにした。


 連盟には、夢記録を行うと事前報告した。


 黙ってやればまた疑われる。


 報告すれば観測される。


 どちらも嫌だが、記録を残す方を選んだ。


 観測官が部屋の隅に立つ。


 露骨に邪魔だ。


 でも、コレットは彼にも確認書へ署名させた。


 夢記録への不当介入をしない。


 緊急時以外、発言しない。


 夢記録の解釈は仮説扱い。


 観測官は不満そうだったが、署名した。


 ノルは長椅子に横になる。


 部誌を胸に置く。


 白い花は今日は別ページに挟まれている。


 旧旗倉庫の道標写しもある。


 部誌がずいぶん重くなった。


「戻り言葉」


 クララが確認する。


「部誌」


 ノルが答える。


「嫌なら」


 ネルが言う。


「戻ってきて」


「うん」


 ノルは目を閉じた。


 しばらく静かだった。


 ロイの小さな音が、呼吸の間隔を測る。


 ぽん。


 静かな音。


 応援ではなく、戻るための音。


 やがて、ノルが喋り始めた。


「暗い」


 夢の声。


「箱。布。札。名前、折られてる」


 クララが書く。


 コレットも書く。


「旗、いっぱい寝てる。寝たい旗もいる。寝たくない旗もいる。起きたら壊れる旗もいる」


 観測官が何か言いかけたが、コレットが視線で止めた。


 ノルの声が少し震える。


「灰色の旗、村の名前。剥がされた。村、もうない。でも、名前はまだある。帰る場所、地図から消えた」


 土地契約旗。


 村の名前。


 地図から消えた場所。


 ノルの眉が寄る。


「旗は道具じゃない。約束。場所と人の約束。試合の旗も、もとは約束」


 クララのペンが止まりかける。


 彼女の専門に深く関わる言葉だ。


 旗は道具ではなく約束。


「誰かが、約束を箱にした」


 ノルの声が低くなる。


「危ないから。古いから。標準じゃないから」


 標準。


 また、その言葉。


「旗、怒ってる?」


 俺が小さく聞く。


 ノルは首を横に振った。


「怒ってるのもいる。泣いてるのもいる。寝てるのもいる。忘れられたいのもいる」


「忘れられたい旗もいるのか」


「うん」


 それは意外だった。


 全部を戻せばいいわけではない。


 旧旗倉庫の言葉と同じだ。


 戻すな。


 閉じるな。


 旗にも、それぞれ違う。


「灰色の旗は?」


 クララが聞く。


「忘れられたくない」


 ノルの声が少し濡れる。


「名前だけでも、どこかに置いてほしい」


 部屋が静かになる。


 観測官も何も言わない。


 ノルの手が部誌を握った。


「他にもいる」


 空気が重くなる。


「競技旗。古い。使われなくなった。壊れたからじゃない。標準に合わないから。箱の中で、試合の音を聞いてる」


 ロイの音が一瞬だけ揺れた。


 試合の音を聞いている旗。


 使われなくなった競技旗。


「起きたい」


 ノルが言う。


「でも、起きたら逃げる。逃げたら、カルミアのせいになる」


 観測官の表情が変わった。


 たぶん、それは彼も考えていたことだ。


 旗が逃げる。


 近くにカルミアがいる。


 疑いは向けやすい。


 誰かがそれを利用するかもしれない。


「ノル」


 クララが栞に手を置く。


「深くなっています。戻れますか」


 ノルの呼吸が少し乱れた。


「名前、いっぱい」


「戻り言葉」


 ネルが言う。


 ノルは部誌を握る。


「部誌」


 ページが一枚めくれた。


 ロイが小さく音を鳴らす。


 ぽん。


 ノルの呼吸が戻る。


 目が開いた。


 涙は出ていない。


 でも、顔色は悪かった。


「旗、いっぱい」


 彼女は起き上がって言った。


「逃げるかも」


 観測官が初めて、自分から聞いた。


「どの旗が」


 ノルは彼を見た。


「名前を、箱にされた旗」


 観測官は黙った。


 コレットが記録を閉じる。


「夢記録として提出します。ただし、解釈は第七部にも共有します」


 観測官は反論しなかった。


 その夜、オルディナの保管施設では、まだ何も起きなかった。


 でも、眠っている旗たちの気配が、街全体に広がっている気がした。


 旗は道具ではない。


 約束。


 名前。


 場所。


 そして、試合の音を聞いている。



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