表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
177/222

第176話 ぽん、という応援

 ハーヴェスト戦の翌朝、湖上都市ミラージュの練習場には妙な音が増えていた。


 ぽん。


 ぽん。


 ぽん。


 子どもたちが口で言っている。


 観客席の端で、ハーヴェストの生徒も言っている。


 ミラージュの下級生も、照れながら真似している。


 ロイの小さな音。


 旗の進路を知らせる、五つの音の一つ。


 それが、いつの間にか応援の合図になっていた。


「俺、勝手に広まってるっす」


 ロイは顔を赤くしていた。


「大音量よりよほど広まっていますわね」


 レイナが言う。


「褒めてます?」


「褒めています。たぶん」


「たぶんが気になるっす」


 練習場の水面に、小さな波紋が広がる。


 ぽん。


 子どもが言う。


 スプラウトが反応して耳を揺らす。


 ミラーシュも水面から顔を出し、少し首を傾げる。


 旗が反応している。


 ノルが部誌に書いた。


 音、応援になる。


 応援、旗にも届く。


「これは報告書に書きますか」


 クララが聞く。


 コレットは真面目に考えた。


「書きます。ただし、観客誘導ではなく、観客と旗の共通合図として」


「また言い換え戦っすね」


 ロイが言う。


「あなたの音を守るためです」


 コレットが返す。


 ロイは一瞬黙った。


「俺の音、守るんすか」


「はい」


「うるさいから抑えるんじゃなくて?」


「抑える時もあります。でも、今回は守ります」


 ロイは照れたように笑った。


「そっすか」


 ぽん。


 今度はロイが本物の音を鳴らした。


 小さい。


 でも、練習場の端まで届く。


 子どもたちが歓声を上げた。


 ロイはさらに赤くなった。


「やりにくいっす」


「人気者ですわね」


「レイナ先輩、それは刺してるっす」


「少し」


 笑いが起きる。


 その笑いの中で、ネルだけが少し離れて湖を見ていた。


 俺は隣へ行く。


 近すぎず、遠すぎず。


 最近、それを意識しすぎている気もする。


「どうした」


「別に」


「別に、の顔じゃない」


 ネルは俺を横目で見た。


「顔の記録まで始めた?」


「主観記録の範囲で」


「便利な逃げ方」


「悪い」


 ネルは水面に映る自分を見ている。


 湖の反射は、表情を少しだけ違って見せる。


 本物のネルは無表情に近い。


 水面のネルは、少し迷っているように見えた。


「カルミアが応援されるの、変な感じ」


 彼女が言った。


「うん」


「前は、見下されるか、珍しがられるかだった」


「今も珍しがられてはいる」


「そうだけど」


 ネルは少し口を尖らせた。


「違う」


 その違いは、俺にもわかる。


 レガリアの観客席は、カルミアを物語の脇役として見ていた。


 下位校連合リーグの観客は、カルミアに自分たちの可能性を見ている。


 それは嬉しい。


 でも、重い。


「あんた、変わった」


 ネルが言った。


「俺?」


「うん」


「どこが」


「前なら、応援されるのを嫌がってた。たぶん。見られるのが嫌って顔して」


「今も、見られるのは得意じゃない」


「でも、逃げない」


 ネルの声は、少しだけ柔らかかった。


「レガリアの後だから?」


「それもある」


「エレナのこと?」


 その名前が出ると、胸が薄く痛む。


 薄い。


 でも、ある。


「それもある」


 俺は正直に答えた。


 ネルは湖を見る。


「嫌」


「うん」


「でも、今はそれだけじゃない」


「何が」


「あんたが、ここにいること」


 意味をすぐには掴めなかった。


 ネルは言葉を探している。


 彼女は、感情を雑に渡さない。


 だから、言葉が出るまで待つ。


「エレナのことがあっても」


 ネルはゆっくり言った。


「過去が戻らなくても」


「うん」


「あんたは今、第七部にいる。ロイの音を聞いて、コレットの報告書に文句言って、私に風を使わないって確認されて、ここにいる」


「うん」


「それが、嫌じゃない」


 水面の光が揺れる。


 俺は、少し息を止めた。


 ネルはすぐにこちらを睨む。


「今の、恋愛っぽく処理しないで」


「まだ何も言ってない」


「顔が言いそうだった」


「顔は難しい」


「難しくしてるのはあんた」


 いつもの調子に戻る。


 でも、今の言葉は消えない。


 それが、嫌じゃない。


 俺がここにいることを、ネルはそう言った。


 エレナのことが混ざっても。


 過去が戻らなくても。


 今が消えないまま。


「ネル」


「何」


「ありがとう」


「だから感謝に逃げない」


「逃げたつもりは」


「半分逃げてる」


「悪い」


 ネルは少しだけ笑った。


 ほんの少し。


 水面の反射だと、見間違いかもしれないくらい。


 でも、本物の方も笑っていた。


 練習場の向こうで、ロイの音がまた鳴る。


 ぽん。


 子どもたちが続く。


 ぽん。


 ぽん。


 小さな音が、湖の上に広がっていく。


 それは勝利の歓声ではない。


 でも、応援だった。


 下位校の生徒たちが、カルミアの方を見る。


 標準化審査局の職員も見る。


 見られている。


 でも、今の俺は逃げなかった。


 隣にネルがいた。


 部員たちの声があった。


 ロイの音があった。


 この視線は、俺を像にするものではない。


 道を少し広げる音だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ