第173話 水面に映るチーム
ミラージュ湖畔魔法学院との試合は、午前十時に始まった。
水面競技場は、観客席まで湖の上に浮いている。
足場は揺れないよう固定されているはずなのに、視界だけが揺れる。
本物の旗。
水面に映る旗。
相手の影。
自分の影。
全部が二重に見える。
「酔うっす」
ロイが言った。
「始まる前から酔わないで」
ネルが返す。
「音も反射するんすよ」
「それは使える?」
「使えるか、やられるか、半々っす」
「正直でよろしいですわ」
レイナが言う。
コレットは作戦板代わりの小型板に、今日の方針を書いていた。
風は使わない。
反射を否定しない。
水面の揺れを記録する。
ロイは大音量禁止。小音反響のみ。
アルフは観客側からの反射視線を一方向遮断。
ネルは接触ではなく、反射の前後を読む。
リリィの召喚は水面反応次第。
レイナは失敗印を公式に置く。
「公式に置くんですのね」
レイナが確認する。
「はい。報告書に書ける形にします」
コレットが答える。
「失敗跡の設置は、危険経路の可視化です」
「よろしいですわ」
レイナは少し誇らしげだった。
ミラージュ側の旗は、水面から現れた。
青い魚のような旗獣。
布なのに水を泳ぐ。
名前は、水鏡旗ミラーシュ。
本体と反射を入れ替える性質がある。
ノルが眠そうに言った。
「あの旗、自分も迷う」
「自分も?」
クララが聞く。
「どっちが本当か、たまに忘れる」
旗まで迷うのか。
それは厄介だ。
でも、少しだけ親近感もある。
自分の名前がどこへ戻るのかわからない俺が、そう思うのは変かもしれない。
試合開始の鐘が鳴る。
ミラージュの選手たちは、一斉に水面へ魔法を落とした。
足場の周囲に、いくつもの反射像が生まれる。
セナの姿も三つに分かれた。
本体。
反射。
反射の反射。
昨日の自由練習より安定している。
青い失敗印が、水面の端に見えた。
彼女はそこを踏まない。
「記録、効いてる」
ノルが言う。
レイナが少し満足そうに顎を上げた。
でも、試合は甘くない。
ミラーシュが反射像を渡って逃げる。
アルフが防御を張ろうとした方向の逆に、影だけが滑った。
「どっちだ」
アルフが迷う。
「本体は水音が重いっす」
ロイが小さく音を鳴らした。
ぽん。
一つ目。
足場。
ぽん。
二つ目。
水面。
ぽん。
三つ目。
反射像。
ぽん。
四つ目。
旗。
ぽん。
五つ目。
観客席。
五つの小さな音が、水面に波紋を作る。
大きくない。
でも、違いが出る。
本体のミラーシュだけ、水面の返りがわずかに遅い。
「右奥、本体!」
ロイが叫ぶ。
大声ではない。
でも、通る声。
ネルが動く。
瞬間魔法はまだ使わない。
彼女は反射像の間を歩く。
速くない。
でも、迷わない。
「ネル、今の」
俺が言うと、ネルが短く返す。
「まだ」
まだ使わない。
一瞬の前を読む。
それが、今のネルの戦い方だ。
セナが水面の反射を増やす。
「ミラーシュ、左へ」
声は少し震えていた。
でも、昨日の笑ってごまかす声ではない。
自分で失敗した場所を記録した声だ。
ミラーシュが左へ泳ぐ。
同時に、反射像が三つ右へ走る。
観客席がざわめく。
標準化審査局の職員が何かを書き込む。
コレットも書く。
水面反射による視線誘導。
観客影響あり。
安全範囲内。
報告書の言葉が、試合中から並んでいく。
「アルフさん」
コレットが指示する。
「観客側からの反射だけ遮断してください。選手間の反射は残します」
「わかった」
アルフの一方向結界が、水面の外縁に立つ。
観客席の視線が水面へ反射して競技場中央へ戻る経路だけを弱める。
全部は遮らない。
試合を壊さないために。
でも、選手を像にしないために。
レガリア戦で学んだことが、ここで使われている。
ミラージュ側も驚いた。
「観客反射が減った?」
セナが言う。
「妨害?」
「違います!」
コレットが即座に声を出した。
「観客視線の過集中を防ぐ安全処置です。選手間の反射術式には干渉していません」
標準化審査局の職員が顔を上げた。
コレットはその視線を受け止める。
「報告書に記載します」
強い。
監督としての声だ。
セナは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「続行します!」
試合が動く。
ミラーシュは観客反射を失ったことで、本体と影の数を減らした。
逃げ道は狭くなる。
でも、その代わりに旗自身の迷いも減った。
ノルが言う。
「旗、少し楽」
「相手にも有利になる?」
ジャックが聞く。
「うん」
「なら、いい」
ジャックは今日は撃たない。
その判断も、報告書に書かれる。
レイナが赤い失敗印を水面足場に置いた。
一つ目。
反射像に釣られた場所。
二つ目。
足場の揺れで視線が下がった場所。
三つ目。
ネルが瞬間魔法を使うには早すぎる場所。
失敗印が増えるたびに、ミラージュ側の生徒がそれを見る。
笑わない。
むしろ、自分たちの青い印と照らしている。
下位校の観客席から、小さな声が上がった。
「あれ、わかりやすい」
「失敗を置いてるのか」
「うちでもできるかな」
レイナの耳が少し赤くなった。
ロイが音を鳴らす。
水面に五つの波紋。
アルフが観客反射を弱める。
クララが旗の本体線を読む。
ネルが、ついに言った。
「今」
瞬間魔法。
一瞬だけ、彼女の姿が反射と反射の隙間を抜ける。
ミラーシュの本体に触れる。
完全奪取ではない。
接触点。
でも、大きい。
ミラージュ側もすぐに返す。
セナが青い印を踏まないまま、反射を畳んだ。
ミラーシュが本体に戻る。
旗が迷わない。
その瞬間、俺はセナを少し見直した。
昨日より強い。
失敗を記録しただけで、全部が変わるわけではない。
でも、少なくとも彼女は笑ってごまかしていない。
試合は時間切れになった。
得点はカルミアがわずかに上。
旗接触点と安全運用点。
ミラージュは反射維持点で追い上げたが、観客反射過多の減点が響いた。
カルミアの勝利。
後半リーグ、一勝目。
でも、勝利の歓声は大きくなかった。
代わりに、観客席から拍手が広がった。
カルミアへ。
ミラージュへ。
水面に赤と青の失敗印が浮かんでいる。
セナがこちらへ来た。
悔しそうだった。
でも、昨日より顔が上がっている。
「負けました」
彼女は言った。
「でも、反射酔いの場所がわかりました」
レイナが頷く。
「よろしいですわ」
「次は勝ちます」
「さらによろしいですわ」
ロイが小声で言った。
「レイナ先輩、何目線なんすか」
「失敗目線です」
たぶん、新しい目線だった。
コレットはすでに報告書を書き始めている。
非標準機能運用報告。
第一戦。
水面反射下における音声経路拡張、一方向視線遮断、失敗位置可視化、瞬間接触。
重大事故なし。
観客影響、制御範囲内。
俺の風、使用なし。
その最後の一文を見て、ネルが頷いた。
「よし」
俺も頷いた。
勝った。
使わずに勝った。
それが、今日の一番大きな点だった。




