第172話 諦めた欠陥たち
ミラージュでの宿舎は、湖に面した古い研修館だった。
水面が近い。
窓を開けると、部屋の天井に湖の光が揺れる。
綺麗ではある。
でも、ずっと見ていると落ち着かない。
自分の影まで揺れている気がする。
「反射魔法の街って、精神に来るっすね」
ロイが天井を見ながら言った。
「ロイさんの声も反射していますわ」
レイナが耳を押さえる。
「普通に喋ってるっす」
「普通の基準が人と違います」
そのやり取りを横で聞きながら、コレットは参加校の資料を確認していた。
下位校連合リーグ。
六校。
それぞれに、低迷の理由が書かれている。
ミラージュ湖畔魔法学院。
反射魔法の制御不安定。実戦中の誤認識多数。
グレイベル魔法学校。
鉱山系重力補助魔法が標準競技に不適合。
ハーヴェスト実習校。
農作業向け広域成長促進魔法が旗に誤作動。
シェルポート学院。
潮流魔法が競技場外へ流れやすく減点多数。
リンドロウ補助魔法校。
補助魔法特化により旗奪得点力不足。
そして、カルミア魔法学園。
非標準魔法保有者多数。旗反応不安定。監査対象。
「まとめ方が雑」
ネルが言った。
「雑ですが、連盟資料としては典型的です」
クララが答える。
「標準競技への適合度で学校を見ています」
「それが全部じゃない」
「はい」
「でも、向こうには全部に見える」
「はい」
嫌な会話だった。
でも、正確だった。
夕方、合同説明会の後に、参加校同士の自由練習時間が設けられた。
自由練習とは名ばかりで、実際はお互いを観察する時間だ。
強豪校なら、牽制の場になる。
下位校同士だと、空気が少し違った。
牽制より先に、諦めがある。
どうせ自分たちは下位校だ。
どうせ強豪には勝てない。
どうせ連盟の評価は変わらない。
口には出さなくても、そういう空気が水面の湿気みたいに漂っていた。
ミラージュの代表補佐、セナ・ルークが水面足場で練習している。
彼女の魔法は、水面に自分の分身のような影を映すものだった。
反射を使って相手の視線をずらす。
うまく使えば強い。
でも、影が多すぎる。
本体と反射の区別が、本人にも一瞬遅れている。
足が止まる。
旗への接近が遅れる。
周囲の生徒がため息をついた。
「また反射酔い?」
「本番でそれやるなよ」
「どうせミラージュは会場点だけだろ」
セナは笑ってごまかした。
「ごめん。もう一回」
その笑い方が、少し痛かった。
失敗した時に、怒られないように先に笑う。
レイナがじっと見ていた。
「行くのか」
俺が聞くと、レイナは扇子を閉じた。
「行きますわ」
「喧嘩?」
「指導です」
「その二つ、たまに近いよね」
ネルが言う。
レイナは聞こえなかったふりをして、セナの方へ歩いていった。
俺たちも少し離れてついていく。
セナはレイナに気づいて、慌てて姿勢を正した。
「カルミアの」
「レイナ・エルディアです」
レイナは名乗る。
以前なら、家名をもっと強く出したかもしれない。
でも今は違う。
「今の反射、失敗ですわね」
直球だった。
セナの周囲の生徒が気まずそうにする。
セナ自身も笑おうとした。
「はい。うちではよくあるので」
「よくあるなら、記録なさい」
レイナが言った。
セナの笑顔が止まる。
「え」
「失敗を、曖昧に笑って流してはいけません。どの反射で本体を見失ったのか、どの足場で判断が遅れたのか、どの視線を恐れたのか。記録すれば、次に踏まない場所になります」
周囲が静かになる。
レイナの声は高慢に聞こえる。
でも、今の言葉は自分に向けてきたものでもある。
「失敗を笑われるのは腹が立ちます」
レイナは続ける。
「ですが、笑われる前に自分で捨てる方が、もっと腹が立ちますわ」
セナは、何も言えなかった。
その代わりに、足元の水面を見た。
反射した自分の顔が揺れている。
「記録したって」
彼女は小さく言った。
「評価は変わりません。ミラージュ湖畔は、上位ミラージュ本校の落ちこぼれです。反射魔法が売りなのに、その反射で酔う。笑われても仕方ないんです」
レイナの眉が上がった。
危ない。
俺は少し身構えた。
でも、レイナは怒鳴らなかった。
「仕方ない、という言葉は便利ですわね」
リリィが言いそうなことを、レイナが言った。
「自分を守る顔をして、未来を先に捨てます」
セナが息を呑む。
レイナは自分の赤い印を取り出した。
小さな赤い布片。
練習用の失敗跡だ。
「私は一度失敗しないと成功しません」
周囲の生徒が驚く。
そんなことを、普通はわざわざ言わない。
「だから、失敗を隠すと何もできません。腹立たしいですが、私は失敗を置きます」
レイナは水面足場の端に赤い布片を置いた。
「あなたも置きなさい。反射で酔った場所に」
セナは迷った。
周囲の視線を見る。
標準化審査局の腕章も遠くにある。
見られている。
ここで失敗を認めれば、評価が下がるかもしれない。
でも、笑って流しても、たぶん何も変わらない。
セナはゆっくり頷いた。
「置きます」
彼女は水面に小さな青い印を浮かべた。
反射酔いを起こした場所。
そこに、青い印が残る。
レイナは満足そうに頷いた。
「よろしいですわ」
その時、別の学校の生徒が近づいてきた。
グレイベル魔法学校の男子生徒だ。
腕が太く、制服の袖が少し破れている。
「失敗を置けば強くなるなら、うちはとっくに強豪だ」
声には棘があった。
でも、完全な敵意ではない。
何かを試すような声。
「鉱山の重力補助なんて、競技場じゃ減点されるだけだ。標準旗は重さを嫌う。俺たちの魔法は、最初から競技向きじゃない」
ミラが彼を見た。
山岳の筋力強化を中央で欠陥扱いされた彼女には、近いものがあるのだろう。
「名前」
ミラが言った。
「は?」
「名前」
「グレイベルのダン・ロウ」
「ダン。重いのは悪くない」
ミラの言葉は短い。
「持ち方」
ダンは少し苛立ったように笑う。
「持ち方で評価が変わるなら苦労しない」
「苦労する」
ミラは真顔で言った。
「でも、変わる」
そこへガレスが工具箱を持って近づいた。
「重いものは、下を壊す」
「何だよ」
「だから、周りを持つ」
ガレスは説明が足りない。
でも、ミラは頷いている。
ダンは困惑している。
俺は少しだけ笑いそうになった。
下位校同士の自由練習。
諦めた欠陥たちの集まり。
でも、その中で、何かが少しずつ動き始めていた。
ロイが小さく音を鳴らす。
水面に波紋が広がる。
セナの青い失敗印が、波で揺れた。
でも、消えなかった。
ノルが部誌に書く。
ミラージュ、反射酔い。
グレイベル、重さ。
どちらも、まだ欠陥とは決めない。
俺はその文字を見て、思った。
第七部だけではない。
閉じられた道は、他の学校にもある。
明日の試合は、ただ勝つだけでは足りない。
勝って、見せなければいけない。
欠陥を笑って流さない方法を。




