第169話 標準化審査局
旧旗倉庫から戻ると、部室に通信板の呼び出しが入っていた。
相手はアストラム高等魔法理論学院。
ディオン・アルグレイ主任。
クララが通信板の前に座る。
「出ます」
コレットが頷く。
「記録します」
ノルが部誌を開く。
通信板に光が入り、ディオン主任の顔が映った。
研究校の主任らしく、相変わらず疲れた顔をしている。
ただ、今日はいつもより急いでいるように見えた。
「カルミア第七部、聞こえますか」
「聞こえています。クララ・ヴェルムです」
「よかった。時間がありません。先に言います。標準化審査局から、こちらにも照会が来ました」
部室の空気が固まる。
コレットがすぐに聞く。
「内容は」
「カルミア第七魔法競技部が閲覧した連盟標準化事業資料、古代旗術式模写資料、忘却契約関連構文、虚像固定関連構文の範囲確認です」
クララの表情が硬くなる。
「正規の閲覧範囲内です」
「もちろん、こちらはそう回答します。ですが、照会文の目的は範囲確認だけではありません」
「他に何を」
ディオン主任は通信板の向こうで紙を見た。
「カルミア側が、非標準魔法運用を競技外目的に使用している可能性の調査」
ネルが低く言った。
「つまり、私たちが危険な研究をしてるって言いたいわけ」
「そう見せたいのだと思います」
ディオン主任は否定しなかった。
「標準化審査局は、競技倫理という言葉を使っています。保留者運用、観客視線干渉、旗媒介接触、名の預託。どれも、言い方次第では危険行為にできます」
コレットが机に手を置く。
「旧第七運用班の時と同じ言葉です」
ディオン主任の目がわずかに動いた。
「そこまで見つけましたか」
「はい。カルミア部室と旧旗倉庫に、分散保存資料がありました」
通信板の向こうで、ディオン主任はしばらく黙った。
それから、深く息を吐く。
「なら、はっきり言います。標準化審査局の中には、カルミア関連資料を再び封鎖したい派閥があります」
再び。
その言葉が重かった。
「再び、ということは、過去にも」
クララが言う。
「ありました。標準型魔法制度を普及させる過程で、地方術式や古代旗術式の一部は危険例として閉鎖されました。多くは事故防止のためです。それ自体は、すべて悪意とは言えません」
ディオン主任は慎重に言葉を選んでいる。
「ですが、カルミアのケースは違う可能性が高い。欠陥判定保留者の再分類研究は、標準型制度の例外を増やしすぎる。そう判断した者たちがいた」
「例外が増えると困る」
リリィが言う。
「制度は綺麗な方が管理しやすいですからね」
「その通りです」
ディオン主任は苦い顔をした。
「ローエン・ミルツ局長補佐は、現行制度の保全を最優先する人物です。悪人と呼ぶのは簡単ですが、それでは見誤ります」
ジャックが壁際で言う。
「悪人じゃないなら、何だ」
「制度を守る人です」
ディオン主任は答えた。
「制度が人を救っている面を、彼は知っています。標準型魔法教育によって事故は減りました。地方差別も一部は減りました。無資格の危険術式も減りました」
「でも」
ネルが言う。
「その制度に合わない人は、欠陥になる」
「はい」
ディオン主任の声は静かだった。
「そして、彼はその犠牲を必要経費と見なす傾向があります」
悪意だけではない。
それが厄介だった。
悪い人間が悪いことをしているなら、倒せばいい。
でも、制度を守るために、誰かを閉じる。
その方がずっと現実的で、ずっと怖い。
コレットが聞く。
「後半リーグ三勝の条件も、彼の判断ですか」
「文書上は標準化審査局の合議です。ただ、ローエン局長補佐の影響が強いでしょう」
「三勝すれば、廃校は止まりますか」
ディオン主任はすぐには答えなかった。
それだけで、答えは半分見えていた。
「形式上は止まります」
「形式上」
「ただし、非標準魔法運用報告書に重大な問題があると判断されれば、別の審査が発生します」
ロイが頭を抱えた。
「勝っても書類で刺されるやつっすか」
「はい」
ディオン主任は申し訳なさそうに頷いた。
「だから、報告書が重要になります。曖昧な勝利、説明不能な旗反応、観客視線の無断利用、魔法暴走。すべて不利に使われます」
俺は自分の手を見る。
風。
使えば勝てる場面があるかもしれない。
でも、使えば俺が失うだけではない。
カルミアを閉じる口実になる。
ネルが俺の横に立った。
「だから使わない」
「うん」
「勝てない時でも?」
痛い問いだった。
でも、必要な問いだった。
「勝てない時でも、使わない道を探す」
ネルは俺を見て、少しだけ頷いた。
「今のは、逃げてない」
「よかった」
ディオン主任が通信板越しに言う。
「もう一つ。旧旗倉庫で何か見つけたなら、中央保管庫に完全記録があるはずです」
コレットが反応する。
「第七運用班最終記録ですか」
「はい。ただし、中央保管庫は標準化審査局の管理下です。正規手続きで閲覧するには、相当な成績と、研究校または認定校からの推薦が必要になります」
「後半リーグの成績」
クララが言う。
「それが閲覧権限にも関わる」
「可能性があります」
ディオン主任は頷いた。
「勝てば、廃校を止めるだけではなく、記録に近づける。負ければ、学校も資料も閉じられる」
わかりやすい。
わかりやすいほど、重い。
「アストラムは推薦できますか」
コレットが聞く。
ディオン主任は少し笑った。
「今すぐは無理です。ですが、後半リーグで第七部の非標準魔法運用が安全かつ有効であると記録されれば、研究校として推薦理由を作れます」
「作れる」
「はい。正しく作ります」
クララが深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は早いです。あなた方は、これからとても面倒な試合をしなければならない」
「いつもです」
ロイが言う。
ディオン主任は少しだけ表情を緩めた。
「それは心強いですね」
通信の最後に、ディオン主任は一つだけ警告を残した。
「ローエン局長補佐は、おそらくあなた方を潰したいわけではありません」
「違うんですか」
アルフが聞く。
「彼は、あなた方を例外として閉じたいのです。危険な例外、特殊な例外、制度の外に置くべき例外として」
例外。
欠陥。
不要。
保留。
言葉がまた並ぶ。
「だから、あなた方がするべきことは、自分たちが例外ではなく、機能であると示すことです」
通信が切れた。
部室には、重い静けさが残った。
コレットが作戦板に書く。
例外ではなく、機能。
ロイがそれを見て言った。
「かっこいいっすね」
「かっこよさで勝てるなら苦労しません」
レイナが返す。
「でも、旗印にはなりますわ」
ノルが部誌に書いた。
例外ではなく、機能。
閉じられた道は、試合でしか通れない。
勝って、説明する。
壊さず、示す。
俺はその文字を見て、少しだけ息を吐いた。
後半リーグの相手は、まだ見えていない。
でも、戦う相手は少し見えた。
人ではなく。
制度でもなく。
制度が閉じようとする道そのものと。




