第16話 一方向だけの盾
アルフ・メイナードは、負けた理由を嫌がらずに見る。
それが俺の第一印象だった。
たいていの人間は、自分の失敗を見る時に少し歪む。
言い訳を探す。
運が悪かったと言う。
相手が強かったと言う。
条件が悪かったと言う。
あるいは、必要以上に自分を責める。
だがアルフは違う。
彼は失敗を、机の上に置く。
向きを確認し、原因を分け、次にどこを見ればいいかを考える。
感情がないわけではない。
たぶん、ある。
ただ、それを先に置かない。
第七魔法競技部の部室で、リメルの反応実験の翌日。
アルフは作戦盤の前に立ち、一方向結界の配置図を六枚並べていた。
「リメルは守られるだけの旗ではない」
彼はそう言った。
「昨日の実験で分かった。リメルは結界を避けるのではなく、結界を利用する位置へ移動した。つまり、防御構造を理解し、自分で逃げ道を補完する」
「旗の方が賢い説が出てきたな」
ジャック・バーネルが窓枠で言う。
アルフは特に動じない。
「旗が賢いなら、それを前提にするべきだ」
「そこは否定しろよ」
「否定する材料がない」
ジャックが少し笑う。
アルフの淡々とした返しは、ジャックの挑発と相性がいい。火がつきそうで、つかない。ある意味、非常に防御的だ。
コレット・セインが作戦盤を覗き込む。
「リメル自身が逃げ道を作るなら、アルフ君の結界は全部を守る必要がない?」
「元から全部は守れない」
「そうだったわね」
「だから、リメルが逃げる方向を一つ残し、私は潰したい方向を一つだけ消す」
アルフは駒を置く。
リメルを示す青い駒。
攻撃方向を示す赤い線。
結界を示す透明な板。
「通常の旗防衛では、旗を中心に守る。だが私には全方位防御ができない。なら、旗を中心にしない。逃げ道を中心にする」
「逃げ道を守る」
ネル・アーレンが言う。
「またそれ」
「第七部の基本方針になりつつある」
俺が言うと、ネルは少し嫌そうな顔をした。
「逃げ道ばっかり作る部活って、どうなの」
「逃げ道がないと魔法を使うやつがいる」
「あんたでしょ」
「そうだ」
ネルは言葉に詰まった。
最近、俺が自分の危うさを先に認めると、彼女は少し困る。
たぶん、怒る場所がなくなるからだ。
ロイ・キャベルが手を上げた。
「じゃあ、僕の音は逃げ道を知らせる合図にもできますか」
「できる」
アルフが即答する。
「低音は集合、高音は進路変更、警告札は危険。これに加えて、リメル専用の短い合図を作る」
「リメル専用」
ロイの顔が明るくなる。
声も明るくなりかける。
リメルが布をぴんと立てる。
ロイは慌てて声量を落とした。
「リメル専用、いいですね」
リメルが布を一回揺らす。
同意。
たぶん。
クララ・ヴェルムが記録紙をめくる。
「リメルは音に対して、危険音よりも方向音への反応が強いです。ロイさんの高音に対し、逃走路変更の認識が進んでいます」
「リメル専用の音は?」
コレットが聞く。
「短い二連音がよいかと。古代旗は単発音を危険、連続音を誘導として認識する傾向があります」
「それ、どこ情報?」
ネルが聞く。
「昨夜読んだ地方旗管理規定と、リメルの反応記録からの推定です」
「また昨夜読んだの?」
「はい」
「寝てる?」
「必要分は」
「必要分って何時間?」
「三時間」
「少ない」
「研究期としては標準です」
「標準がおかしい」
クララは不思議そうな顔をした。
この人は、本気でそう思っている。
ノル・フェインが机に頬をつけたまま手を上げた。
「寝るのは……大事……」
「ノル先輩に言われると説得力が偏りすぎる」
ネルが言う。
ノルはすでに半分寝ていた。
説得する気はなさそうだ。
「一方向防御の実験をする」
アルフが言った。
「場所は練習場。攻撃役はジャック。支援でロイ。旗役はリメル。補助でルカ」
「俺も入っている」
「君はリメルの逃げ道を読む」
「仮入部だ」
「仮入部でも読む」
「最近、お前も押しが強くなってきたな」
「必要だから」
それだけ。
便利な言葉だ。
必要。
言われると断りにくい。
特に俺には。
*
練習場に出ると、空は曇っていた。
雨は降っていない。
だが、湿った風がある。
リメルはコレットの腕から降りると、自分でフィールド中央へ向かった。正式登録前の旗とは思えない堂々とした動きだ。
「最近、旗の方が部員らしくなってきたな」
俺が言うと、リリィ・クロフトが涼しい顔で返した。
「ルカさんより正式度が高いのでは?」
「事実を刃物にするな」
「毒舌担当ですので」
「だから正式担当にするな」
今日の実験は単純だ。
ジャックが軽い攻撃魔法を撃つ。
アルフが一方向結界で防ぐ。
ロイがリメル専用の二連音を鳴らす。
リメルが逃げ道を選ぶ。
俺が、リメルの逃げ道が詰まらないよう補助する。
単純。
書くと単純。
実際には、ジャックの攻撃魔法は味方の近くを通り、一番壊してはいけないものを狙いやすく、強敵相手ほど制御不能になる。
つまり単純ではない。
「俺の魔法、軽く撃つってのが一番難しいんだよな」
ジャックが指を鳴らしながら言った。
「なら撃つな」
俺が言う。
「それじゃ実験にならねえだろ」
「安全にはなる」
「退屈だ」
「安全と退屈なら安全を選べ」
「お前、本当に元競技者か?」
ジャックの言葉に、少しだけ胸が引っかかった。
元競技者。
そうだ。
俺は元競技者だった。
安全より勝利を選んだことがある。
たぶん何度も。
だから、今は安全を口にしている。
自分に言い聞かせるように。
「元だからな」
俺は答えた。
ジャックは少しだけ目を細めた。
それ以上は言わなかった。
コレットが実験開始を告げる。
リメルは中央。
アルフはその斜め後ろ。
ロイは左側。
ジャックは正面。
俺はフィールド外ぎりぎりの補助位置。
「開始」
ジャックが魔力を灯す。
軽い攻撃。
本人はそのつもりだろう。
だが、魔力はすでに少し暴れている。
リメルが震える。
「ロイ」
アルフが言う。
ロイが二連音を鳴らす。
ぱん、ぱん。
風弾を弱く二度。
高く、短い音。
リメルが右へ跳ねる。
アルフが結界を左前へ張る。
ジャックの攻撃は、リメルの元位置へ向かうと思われた。
だが、直前で曲がる。
味方の近くを通る癖。
今の味方は誰か。
ジャックから見て、実験で一番意識している相手。
アルフ。
攻撃がアルフの結界の外側をかすめ、リメルの逃げ道へ入る。
「アルフ、逆!」
俺は叫んだ。
一方向結界は、すぐには張り替えられない。
アルフは動けない。
リメルは右へ逃げた。
その先に攻撃が来る。
俺の指先が熱くなる。
魔法を使えば、風で逸らせる。
小さな風。
また、失うかもしれない。
「ロイ、警告じゃない! 二連を逆間隔!」
叫んだ。
ロイは一瞬戸惑った。
だが、すぐに鳴らした。
ぱん。
間。
ぱん。
さっきより間の空いた二連音。
リメルが反応する。
右へ逃げるのをやめ、支柱を地面に引っかけて急停止。
攻撃魔法がリメルの前を通過し、空を切った。
危ない。
かなり危なかった。
ジャックが舌打ちする。
「今の避けんのかよ」
「避けたのはリメルだ」
俺は息を吐いた。
魔法は使っていない。
記憶は、たぶん欠けていない。
ロイが顔を青くしている。
「今の、僕の音、合ってましたか」
「合ってた」
「でも、言われてからでした」
「最初はそれでいい」
ロイは頷いたが、悔しそうだった。
アルフは結界を解き、作戦盤に記録する。
「私の読み違いだ」
「ジャックが曲げた」
コレットが言う。
「違う」
アルフは首を横に振った。
「ジャックの攻撃が曲がることは既知。私は直線で来る可能性を高く見積もりすぎた」
「お前、失敗の受け止め方が淡々としすぎていて怖いな」
俺が言うと、アルフは少しだけこちらを見た。
「淡々としていないと、次の結界が遅れる」
その言葉は、妙に重かった。
彼の欠陥魔法。
一方向にしか張れない防御結界。
読み違えれば守れない。
だから失敗を悔やむ時間すら、短くしなければならないのかもしれない。
「もう一度」
アルフが言う。
「危険じゃないか」
コレットが聞く。
「危険だから、もう一度必要だ」
「アルフ君」
「次は、私が守る方向ではなく、リメルが逃げる方向を先に決める」
アルフはリメルを見る。
「君が逃げたい方向を、音で先に示してほしい」
旗に頼んだ。
アルフが。
自分で全部読むのではなく、旗に意思を返させる。
リメルが布を揺らした。
一回。
ノルがベンチからぼんやり言う。
「やるって……」
ジャックが笑った。
「旗に作戦頼むのかよ」
「頼む」
アルフは即答した。
「私一人の読みでは足りなかった」
「認めんの早いな」
「遅いと次も外す」
ジャックは少しだけ顔をしかめた。
たぶん、茶化しきれなかったのだろう。
二本目。
ロイが短い二連音を鳴らす。
ぱん、ぱん。
リメルは左へ跳ねる。
アルフは左を守らない。
右前へ結界を張った。
一瞬、逆に見えた。
だが違う。
リメルが左へ逃げるなら、攻撃はその逃げ道へ曲がる可能性が高い。
ジャックはそれを読んで、左を狙おうとする。
しかし彼の攻撃魔法は、一番壊してはいけないものを狙いやすい。
今、一番壊してはいけないものは、リメルそのものではない。
リメルが逃げるために空けた右側の支柱。
そこが崩れれば、逃げ道が消える。
アルフはそこへ結界を張った。
攻撃が曲がる。
右前。
結界にぶつかる。
防いだ。
リメルは左へ逃げ、無事に指定位置へ入る。
ロイが息を呑んだ。
コレットが小さく拍手する。
ジャックが舌打ちした。
「今のは読まれた」
「リメルが先に逃げ道を示した」
アルフが言う。
「私は、壊されると困る場所を守っただけだ」
「だけって言うな」
俺は思わず言った。
アルフがこちらを見る。
「今のは、かなり良かった」
彼は少し黙った。
表情は変わらない。
だが、ほんの少しだけ視線が揺れた。
「そうか」
「褒めた」
「受け取る」
短い。
でも、たぶん受け取った。
リメルがアルフの足元へ跳ねていき、支柱で靴先をこつんと叩く。
アルフはそれを見下ろした。
「君もか」
リメルが一回揺れる。
アルフはほんの少しだけ、口元を緩めた。
「受け取る」
コレットが嬉しそうに笑う。
ネルが小声で言った。
「アルフが笑った」
「少しな」
ロイが感動した顔で頷く。
「貴重です」
クララが記録紙をめくる。
「記録します」
「しなくていい」
アルフが即座に言った。
珍しく速い。
部員たちが笑う。
実験は続いた。
何度か失敗した。
ジャックの攻撃が想定外に曲がり、リメルが驚いてガレスの工具袋へ飛び込んだ。
ロイの二連音が間延びしすぎて、リメルが「休憩」と勘違いした。
アルフが守る場所を一つ間違え、俺が思わず前へ出かけ、ネルに襟を掴まれた。
「魔法使う気だったでしょ」
「使ってない」
「使う顔だった」
「顔で判断するな」
「する」
ネルは真顔だった。
俺は反論をやめた。
結果として、第七部の守備案は少しだけ形になった。
リメルが逃げ道を示す。
ロイが音で伝える。
アルフが壊されると困る方向を守る。
俺が詰まりそうな逃げ道を読む。
欠陥魔法を補い合う、というより。
欠けた部分を、旗まで含めて分担する。
それが第七部らしい守備なのかもしれない。
練習後、アルフは作戦盤に新しい項目を書いた。
旗の意思を前提にした守備。
その下に、少し考えてから追記する。
一方向だけでも、守れるものを選ぶ。
俺はそれを見ていた。
「いい言葉だな」
アルフはペンを止めた。
「そうか」
「部誌に書かれるぞ」
ノルがすでに書いていた。
「書いた……」
アルフは少しだけ目を閉じた。
「消してほしい」
「記録係は……消さない……」
「そうか」
諦めが早い。
リメルが作戦盤のその文字を叩いた。
こつん。
アルフはそれを見て、今度は消してほしいと言わなかった。
一方向だけの盾。
全部は守れない。
でも、守るものを選べば、確かに守れる。
その考え方は、アルフだけのものではない気がした。
俺も、全部は覚えていられない。
全部は守れない。
なら、何を残すか選ぶしかない。
それができるかは、まだ分からない。
でも、今日アルフは一つ選んだ。
リメルと一緒に。
俺は作戦盤を見ながら、少しだけ息を吐いた。
勝ち筋は、まだ細い。
でも、線は増えている。




