第167話 保全する手
部室に戻ると、コレットは鍵を作戦板の前に置いた。
全員がそれを見る。
旧旗倉庫の鍵。
たぶん、ただの鍵ではない。
金属部分に古い旗の紋様が刻まれている。
柄のところには、小さな羽根と閉じかけた旗。
セイン家の旧印と、よく似ていた。
「開けに行く前に、保全します」
コレットが言った。
ロイが勢いよく手を上げる。
「先に見ないんすか」
「見ます。でも、先に今ある資料を守ります」
「開けたら何か起きるから?」
ミラが聞く。
「はい。何か起きる可能性があります」
クララがすぐに頷いた。
「旧旗倉庫が旗道に関係するなら、資料同士が反応するかもしれません。読む前、触れる前、移動する前の状態を記録しておく必要があります」
「証拠能力」
リリィが言う。
「珍しく私の好きな言葉が出ました」
「好きなんだ」
アルフが驚く。
「嫌いな相手に突きつける時だけ好きです」
グレイが鳴いた。
「あなたは証拠能力が高いです」
グレイは誇らしげだった。
コレットは役割を分けていく。
「ノルさんは部誌に現在時刻、資料の所在、全員の確認を記録してください。クララさんは読解済み部分と未読部分を分けて封印。レイナさんは失敗跡の再現図を作成。ロイさんは音で反応した資料がないか確認。ガレスさんは箱と戸棚を壊さず固定。アルフさんは一方向結界で外部からの干渉を遮断。リリィさんとグレイさんは匂いと欠片反応の確認。ミラさんは重い資料の移動補助。ジャックさんは」
「撃たない」
ジャックが先に言った。
「はい。撃たずに警戒してください」
「了解」
ジャックはそれで納得した。
自分が何をしないかを決めることも、今の彼には役割になっている。
「ネルさんは、ルカさんを見てください」
コレットが言う。
ネルは即答した。
「見てる」
「俺の役割は?」
俺が聞くと、コレットは少し考えた。
「主観記録です。あと、風を使わない判断」
「使わないのが役割か」
「今は、とても大きな役割です」
反論できなかった。
レガリア戦で、俺は風を使ってしまった。
あれがなければ、ネルが危なかったかもしれない。
でも、使ったことで失ったものもある。
今は、使わないことが必要な場面だ。
部室が一気に作業場になる。
ロイは小さく音を鳴らし、資料の反応を見る。
以前なら音が大きすぎて紙が飛んでいた。
今は違う。
五つの短い音。
高い音。
低い音。
布に沈む音。
紙に反る音。
鍵に触れる音。
「鍵、少し返ってくるっす」
ロイが言った。
「何が」
「音っす。普通の金属より、中に空洞がある感じ」
クララが鍵に近づく。
「内部に小さな術式があるかもしれません。まだ読みません」
「読まないのも仕事」
ノルが部誌に書きながら呟いた。
「はい」
クララは真面目に頷いた。
ガレスは木箱の角に薄い補強板を当てていた。
破壊魔法は使わない。
釘も最小限。
古い木の割れ目に合わせて、支える。
「直すんじゃないんだ」
俺が言うと、ガレスは頷いた。
「直すと、変わる。今は支える」
「なるほど」
「水もいる」
「紙に?」
「部屋に」
意味がわからなかったが、ガレスは湿度のことを言っていたらしい。
古い紙が乾きすぎると割れる。
彼はいつの間にか水を入れた器を部屋の端に置いていた。
レイナは赤い紐で資料の位置を示している。
失敗跡の再現で使っていた赤。
今は、触ってはいけない境界線になっていた。
「赤は失敗だけではありませんわ」
彼女は言う。
「踏んではいけない場所を、先に教える色でもあります」
アルフは扉側に立ち、一方向結界を張っていた。
部室の外から中へ向かう干渉だけを弱める。
中から外へは、声も人も通る。
「これ、便利だな」
ジャックが言う。
アルフは少し照れた。
「一方向だけだから」
「一方向だけだから便利なんだろ」
アルフは驚いたようにジャックを見た。
ジャックはもう別の方を見ていた。
短い言葉だったが、アルフには効いたらしい。
リリィとグレイは白銀の欠片を包んだ布の近くにいた。
グレイが鼻を鳴らす。
「反応あり」
リリィが言った。
「鍵と欠片ですか」
クララが聞く。
「いえ。鍵と、部誌の花」
全員の手が止まった。
白い花。
レガリアの宿舎の窓辺に置かれていたもの。
エレナか、クラウンか、それとも別の誰かか。
魔力反応はないはずだった。
「魔力ではありません」
リリィが先に言う。
「匂いです。グレイが言うには、鍵の内側に似た匂いがある」
グレイが鳴く。
「王冠の匂い?」
ノルが聞く。
グレイは首を傾げてから、もう一度鳴いた。
リリィが翻訳するように言う。
「王冠そのものではなく、王冠が知っている匂い、だそうです」
わからない。
でも、わからないまま重要そうだった。
クララが部誌の花を見た。
「クラウンは、旧旗道と関係があるのかもしれません」
「レガリアの旗が?」
ネルが眉を寄せる。
「はい。虚像固定が旧第七運用班の事故と同系統なら、クラウンもまったく無関係ではないはずです」
俺は白い花を見る。
エレナの顔が浮かぶ。
冷たい白銀の星。
ノルを守った線。
全部ではありません、という声。
胸の痛みは薄い。
でも、ゼロではない。
「持っていくか」
俺が言うと、ネルが俺を見た。
「旧旗倉庫に?」
「反応があるなら」
ネルは少し黙った。
「嫌」
「うん」
「でも、持っていくべきなら持っていく」
「ありがとう」
「感謝じゃなくて、記録して」
「わかった」
俺は主観記録に書いた。
白い花を持っていくことに、ネルは嫌だと言った。
でも、必要なら持っていくとも言った。
この一文が、今の俺には大事だった。
コレットは保全作業の最後に、資料を三つに分けた。
持っていくもの。
部室に残すもの。
まだ触らないもの。
「全部持っていくのは危険です」
彼女は言う。
「連盟に奪われる可能性も、旗道反応で失われる可能性もあります。分散します」
「セイン家蔵は?」
クララが聞く。
コレットは一瞬だけ表情を固くした。
「連絡します。ただし、家に頼る形にはしません。あくまで保存先の一つとして」
「それでいいと思う」
俺が言うと、コレットは頷いた。
「家の名誉ではなく、記録の保全です」
その言葉を、自分に言い聞かせているようだった。
作業が終わる頃には、昼を過ぎていた。
部室の中は前より整っている。
でも、軽くはなっていない。
むしろ、何を持っているのかがはっきりした分だけ重い。
コレットが旧旗倉庫の鍵を手に取る。
「行きましょう」
ノルが部誌を抱える。
クララが栞を持つ。
リリィがグレイを肩に乗せる。
ネルが俺の隣に立つ。
ロイが小さく音を鳴らし、廊下の反響を確認する。
ジャックは撃たないために手袋を締め直す。
ガレスは工具箱を持つ。
レイナは赤い紐を巻き取る。
ミラは一番重い資料箱を持つ。
アルフは扉の結界を解く。
部室を出る前に、俺は作戦板を見た。
閉じられた旗道。
後半リーグ三勝。
記録を保全する。
勝つ。
壊さない。
全部を同時にやる。
無茶だ。
でも、第七部はだいたい無茶な形でしか前に進めない。
俺たちは旧旗倉庫へ向かった。




