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第166話 前倒し通達

 学園長室は、部室よりさらに古かった。


 ただし、古さの種類が違う。


 部室の古さは、使われ続けたものの古さだ。


 椅子は壊れ、机は削れ、作戦板は何度も消されて白くなっている。


 学園長室の古さは、残ったものをどうにか立派に見せようとしている古さだった。


 壁の額。


 歴代校長の肖像。


 磨かれてはいるが傷だらけの机。


 窓際の鉢植え。


 全部が、まだ終わっていないと言い張っている。


 校長は机の向こうで、連盟の封筒を見つめていた。


 小柄な老人だ。


 普段は穏やかで、どこか頼りなく見える。


 でも、今日の顔は違った。


 疲れている。


 怒ってもいる。


 ただ、その怒りをどこへ向ければいいのかわからない顔だった。


「来てくれてありがとう」


 校長が言った。


 部室から来たのは、コレット、俺、ネル、クララ、ノル。


 全員で押しかけるには、学園長室が狭すぎた。


 ロイは「廊下で聞くっす」と言い張ったが、レイナに連れて行かれた。


 廊下に全員が固まると職員が困るからだ。


 ジャックは「必要なら呼べ」とだけ言った。


 ガレスは「戸棚直してる」と言った。


 こういう時に本当に戸棚を直すのがガレスだ。


 校長の横には事務長が立っている。


 彼女は普段よりさらに表情が硬かった。


「連盟から正式通達です」


 事務長が紙を机に置く。


 封蝋は競技連盟のもの。


 二本の旗と、交差する月桂枝。


 初めて巡業リーグ参加通知を見た時と同じ印だ。


 でも、今はそれが少し違って見える。


 競技を支える印。


 同時に、何かを閉じる印。


「読み上げます」


 事務長の声は事務的だった。


 そうしないと崩れるのかもしれない。


「カルミア魔法学園の存続審査について、当初予定されていた年度末審査を巡業リーグ後半戦終了時点へ前倒しする」


 ネルが小さく息を吐いた。


 コレットは動かない。


「理由は」


 校長が続けた。


「巡業リーグ前半戦における特殊旗反応、非標準魔法運用、連盟資料接触履歴、ならびに王立レガリア魔法学院公開試合における観客視線干渉の発生」


「観客視線干渉」


 俺は思わず繰り返した。


 あの試合で観客視線を競技に使ったのは、レガリアの方だ。


 俺たちは、それをずらした。


 でも、通達の言葉だけ読むと、カルミアが危険な干渉を起こしたように見える。


「ずるい書き方」


 ネルが低く言った。


 事務長は否定しなかった。


「続きがあります。後半リーグ終了時点で、以下を満たさない場合、カルミア魔法学園は競技校資格を停止。翌年度より生徒募集を停止し、段階的閉校手続きに入る」


 段階的閉校。


 廃校という言葉より丁寧で、ずっと冷たい。


「条件は三つです」


 事務長は紙を指で押さえる。


「一、後半リーグにおいて公式勝利三勝以上、またはそれに相当する連盟評価点を取得すること」


「三勝」


 コレットが小さく言った。


 前半で一勝するだけでも、どれだけ大変だったか。


 後半で三勝。


 簡単ではない。


「二、重大事故ゼロ。観客、選手、旗、施設への重大損害を発生させないこと」


 ジャックの顔が頭に浮かぶ。


 ガレスの魔法も。


 ロイの音も。


 俺の風も。


 重大事故ゼロは、当然の条件に見える。


 でも、第七部にとっては、首に細い紐をかけられるような条件だった。


「三、非標準魔法運用に関する詳細報告書を後半リーグ各試合後四十八時間以内に提出すること」


 クララの顔が変わった。


「詳細報告書の提出先は」


「連盟標準化審査局」


 事務長が答える。


 部屋の温度が下がった気がした。


 標準化審査局。


 アストラムで通信板の向こうにいた連盟標準化部門。


 カルミア関連資料の欠落に触れた時、こちらを監査対象だと言った部署。


 コレットが静かに聞いた。


「通常の巡業管理部ではないのですね」


「はい」


 校長が答える。


「今回の通達は巡業管理部ではなく、標準化審査局名義です」


「競技成績の審査なのに」


 ネルの声が尖る。


「標準化審査局が?」


 校長は頷いた。


「そこが問題だ」


 事務長はさらに紙をめくった。


「担当者名も記載されています。標準化審査局、局長補佐ローエン・ミルツ」


 知らない名前だった。


 でも、クララは少しだけ反応した。


「アストラムの資料閲覧時、解除権限者一覧に近い名前がありました」


「近い?」


「ローエン・ミルツ。連盟標準化事業の現行監査担当。古代旗術式に関する部分解除権限を持っています」


 つまり、ただの事務担当ではない。


 カルミアの古い資料に関わる権限を持つ人物。


 その人間が、廃校審査を前倒しした。


「狙われてる」


 ネルが言った。


 単純な言葉。


 でも、今はそれが一番近い。


 校長は深く息を吐いた。


「私も、そう見ている」


 頼りない老人の口から出た言葉に、俺は少し驚いた。


 校長は俺たちを見る。


「君たちが王都で何を見たか、すべては知らない。だが、カルミアの古い記録に近づいたこと、連盟の一部がそれを警戒していることはわかる」


「校長先生は、知っていたんですか」


 コレットが聞いた。


「第七運用班について」


 校長は目を伏せた。


「名前だけは」


 コレットの指が動く。


 責めたい気持ちと、責めても仕方がない気持ちがぶつかっているように見えた。


「詳しくは?」


「知らなかった。いや、知ろうとしなかったと言うべきかもしれない」


 校長は自分の机の引き出しを開けた。


 そこから、古い鍵を取り出す。


「前任者から預かった鍵がある。旧旗倉庫の奥の鍵だ。何のための鍵かは、教えられなかった。ただ、カルミアが本当に終わりそうになったら、第七部へ渡せと言われていた」


 旧旗倉庫。


 部室の資料にもあった、分散保存先の一つ。


 コレットが鍵を見つめる。


「なぜ今まで」


 言いかけて、止まった。


 校長はその続きを自分で言った。


「渡さなかったのか。怖かったからだ」


 部屋が静かになる。


「古い記録を掘れば、連盟と正面からぶつかる。カルミアには、もうその体力がない。静かに耐えれば、年度末まで持つかもしれない。生徒を少しでも穏やかに卒業させられるかもしれない。そう思っていた」


 校長の声は苦かった。


「だが、前倒しされた。静かに耐えても、閉じられる」


 鍵が机の上に置かれる。


 小さな音がした。


「なら、閉じられる前に見るべきものを見るしかない」


 コレットは鍵に手を伸ばした。


 でも、触れる前に校長を見た。


「これは、第七部に渡すということでよろしいですか」


「正式には、競技部顧問と監督補佐の管理下に置く」


 校長は少しだけ笑った。


「実質は、君たちに任せる」


 コレットが鍵を受け取る。


 その瞬間、彼女の肩にまた重さが乗ったように見えた。


「背負いすぎるなよ」


 俺が言うと、コレットは苦笑した。


「では、持ち分を分けてください」


「そうする」


 ネルがすぐに言った。


「監督だけで持たない」


 ノルも頷く。


「部誌も持つ」


 クララが言う。


「記録は私が読める範囲で支えます」


 俺は鍵を見た。


 旧旗倉庫。


 閉じられた旗道。


 連盟標準化審査局。


 後半リーグ三勝。


 物語が急に一つへまとまっていく。


 まとまりすぎている。


 こういう時ほど、危ない。


「勝たないといけない」


 ネルが言った。


 誰も否定しなかった。


「でも、勝つためだけに動くと、昔と同じになる」


 俺が言うと、コレットが頷いた。


「勝敗は観測条件。目的ではない」


 古い資料の言葉。


 でも、今は少し違う意味を持つ。


 勝たなければ学校は閉じられる。


 勝つだけなら、何かを壊すかもしれない。


 その間を歩くしかない。


 校長は俺たちに頭を下げた。


「すまない」


 コレットが首を振る。


「謝罪は後でお願いします」


「後で?」


「はい。カルミアが残った後で」


 校長は一瞬、泣きそうな顔をした。


 それから、深く頷いた。


「わかった」


 学園長室を出ると、廊下の向こうでロイたちが待っていた。


 ロイは何か聞きたそうに口を開いたが、コレットが鍵を見せると黙った。


 ガレスが直したばかりらしい小さな戸棚の扉を持っている。


「これ、何」


 コレットが聞く。


「部室の戸棚、閉まりが悪かった」


「今、それを?」


「今、直せるものは直す」


 その言葉に、誰も笑わなかった。


 今、直せるものは直す。


 閉じられる前に。


 壊される前に。


 俺たちは旧旗倉庫の鍵を持って、部室へ戻った。



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