第165話 閉じられた旗道
翌朝の部室は、紙の匂いが濃かった。
夜通し記録を整理したからだ。
正確に言うと、夜通し起きていたのはコレットとクララで、俺たちは何度か机に突っ伏した。
ネルに「寝ろ」と言われて寝た。
起きたら、ロイが椅子二つを並べて変な姿勢で寝ていた。
ジャックは壁際で目を閉じていただけらしい。
ガレスは途中で起きて、壊れかけの椅子を一つ直していた。
朝になってからそれに気づいたクララが、ものすごく小さな声で礼を言った。
ガレスは「座れないと困る」とだけ返した。
カルミアの朝は、レガリアより遅い。
鐘も少し鈍い音がする。
でも、その鈍さが今はありがたかった。
急かされていない気がしたからだ。
「整理します」
コレットが作戦板の前に立つ。
目の下に薄く疲労がある。
それでも、声は明瞭だった。
「現時点で、確定ではなく仮説として扱う情報です」
作戦板には、昨夜の内容が分類されていた。
一つ。
カルミアは標準型制度移行期に、欠陥魔法を再分類する研究拠点だった。
二つ。
第七運用班は、欠陥判定保留者を競技形式で観測する組織だった。
三つ。
標準型魔法制度を守ろうとする連盟側の一部勢力が、その研究を危険視した。
四つ。
古い公開試験で、忘却反応と虚像固定に似た事故が起きた。
五つ。
セイン家は第七運用班解体後、資料を分散保存した。
六つ。
今の第七部の魔法特性は、旧第七運用班の機能分類と重なる。
「七つ目」
コレットは少しだけ間を置いた。
「ルカさんの欠陥は、単なる事故や個人の魔法不調ではなく、過去の旗道契約と同系統の影響を受けている可能性があります」
全員が俺を見る。
見られることに慣れたくはない。
でも、レガリアの観客席とは違う。
第七部の視線は、俺を像にしない。
確認している。
持とうとしている。
「自覚は?」
ジャックが聞く。
「あるような、ないような」
「それ、答えか?」
「今の俺には一番正確」
ジャックは肩をすくめた。
「ならいい」
クララが紙を一枚持ち上げる。
「古い図とルカ先輩の反射回避の痕跡を比べました。完全一致ではありません。でも、構造が似ています」
「構造?」
ネルが聞く。
「名が本人に戻る前に、外側へ逃げる線があります。普通なら名前を呼ばれると本人へ届きます。でも、ルカ先輩の場合、特定の領域だけ名が外へ逸れる」
「特定の領域」
俺は言った。
「エレナのことか」
クララは少し迷ってから頷いた。
「現時点では、エレナさんに関する情動経路が最も薄いです。ただし、名前そのものは完全には失われていません」
完全には。
その言葉にも、もう慣れ始めている。
慣れていいのかはわからない。
「昔の事故では、戻り目印が置けなかった」
クララは続ける。
「だから、名を外へ逃がした人は戻れなかった可能性があります。ルカ先輩の場合、戻り言葉があります」
「ルカ」
ロイが小さく言う。
俺は頷いた。
「戻り言葉があるのに、戻らないのは?」
ネルが聞く。
その声には、責める響きはなかった。
ただ、必要な問いだった。
クララは作戦板に線を引く。
「戻り言葉は目印です。道そのものを修復するわけではありません。レガリア戦で旗媒介接触が一時補正になったのは、道を短時間だけ合わせたからだと思います」
「完全復元不可」
リリィが言う。
「レガリアの断片にもありましたね」
グレイが鳴く。
「はい。あなたが拾いました。えらいです」
グレイが満足そうに胸を張る。
その横で、ネルが作戦板を見ている。
「じゃあ、エレナを助ける方法はあっても、ルカの過去が全部戻る方法ではない」
「その可能性が高いです」
クララは正直に言った。
部室に沈黙が落ちる。
俺は自分の胸に手を置いた。
痛みはある。
レガリア戦の前より、少し戻った痛み。
でも、足りない。
足りないとわかる程度には、足りない。
「全部戻らなくても」
俺は言った。
言葉を選ぶ。
ネルがいる。
コレットがいる。
クララがいる。
第七部がいる。
エレナのことだけを見て話すと、また何かを間違える。
「今ある道を消さない方が大事だと思う」
ネルの目が少し動いた。
俺は続ける。
「過去を戻したい気持ちはある。エレナを助けたいとも思う。でも、戻すために今の誰かを壊すなら違う」
「誰かって?」
ネルが聞く。
意地悪ではない。
逃げ道を潰す問いだ。
「ネルも」
俺は答えた。
「俺も。エレナも。第七部も」
ネルはしばらく俺を見た。
「今のは、まあ、合ってる」
「よかった」
「でも、安心はしてない」
「うん」
「そこも合ってる」
難しい。
でも、言葉にできた。
作戦板の話に戻る。
クララは古い図を机に広げた。
「次に読むべきは、閉じられた旗道についてです」
「閉じられた旗道?」
アルフが、いつの間にか部室に来ていた。
ミラも一緒だ。
朝食を持っている。
パンと、温かいスープ。
「差し入れ」
ミラが言う。
「ありがたいっす!」
ロイが復活した。
食事をしながら、クララが説明を続ける。
「古い試合の後、連盟側は第七運用班を解体しただけではなく、旗道そのものを閉じた可能性があります」
「旗道を閉じるな、の逆」
ノルが言った。
昨夜の疲れでまだ眠そうだ。
「はい。閉じた結果、カルミアの旗は機能を失い、欠陥魔法を再分類する技術も断絶した」
「それがカルミア没落の原因?」
コレットが聞く。
「一因だと思います」
クララは慎重だった。
「ただ、学校経営や競技成績、政治的圧力も関係したはずです。旗道だけで全部は説明できません」
「全部を一つで説明しない」
コレットが書き留める。
「大事ですね」
俺は旧競技場図を見た。
旗道は複雑に絡んでいる。
その中心に、黒く塗られた線があった。
閉鎖。
封印。
回収。
同じ線に、複数の言葉が重なっている。
「これを開ければ、戻るのか?」
ジャックが聞く。
「単純には無理です」
クララが即答する。
「閉じられたものを無理に開けば、昔の事故を繰り返す可能性があります」
「じゃあ、どうする」
クララはしばらく図を見た。
「開ける、ではなく、通れる道を探す」
ガレスが頷いた。
「壊さずに、周りを持つ」
「はい」
クララは少し嬉しそうに頷く。
「ガレスさんの考え方に近いです。直接破るのではなく、残っている端を持つ」
「端」
レイナが言う。
「赤い失敗跡も端になりますか」
「なります」
「なら、私も役に立ちますわね」
「とても」
レイナは満足そうに胸を張った。
ロイがパンをかじりながら手を上げる。
「音も端っすか」
「道を広げる可能性があります」
「よし」
リリィが無表情で言う。
「召喚逸脱は?」
「閉じた道の外側から、予期しない接続を作る可能性があります」
「つまりグレイが優秀」
「はい」
グレイが鳴いた。
アルフが恐る恐る聞く。
「俺の一方向バリアは?」
「閉じた道に逆流しないための安全壁になると思います」
アルフは少し驚いた顔をした。
「守れる?」
「守れます」
その言葉で、彼の表情が少し明るくなる。
ミラはスープを配りながら言った。
「私は?」
「動けなくなる前提で、重いものを短時間固定できます」
「固定係」
「はい」
「わかった」
ミラは短く頷いた。
全員の欠陥が、少しずつ閉じられた旗道の周りに配置されていく。
勝つためだけではない。
過去を暴くためだけでもない。
閉じられた道の端を持つために。
その時、部室の扉が叩かれた。
全員が振り向く。
廊下に立っていたのは、事務局の職員だった。
顔色が悪い。
「セインさん」
職員はコレットを呼んだ。
「学園長室へ。連盟から文書が届いています」
コレットが立ち上がる。
「内容は」
職員は言いにくそうに紙封筒を見た。
「廃校審査の日程変更です」
部室の空気が止まった。
「変更?」
俺が聞く。
職員は頷く。
「前倒しです。後半リーグ終了時点で、存続判定を行うと」
ロイがパンを持ったまま固まる。
ネルの目が細くなる。
ジャックが低く舌打ちした。
コレットは、一度だけ目を閉じた。
そして、作戦板を見る。
カルミア没落の記録。
閉じられた旗道。
連盟。
廃校審査前倒し。
全部が、一本の線でつながった気がした。
「わかりました」
コレットは静かに言った。
「第七魔法競技部として、確認します」
彼女は部室を出る前に振り返った。
「皆さん、記録を保全してください。ここからは、読んだだけで終わらせる時間がありません」
部室の古い旗が、窓際で小さく揺れた。
旗道を閉じるな。
その文字が、朝の光の中でまだ残っているように見えた。




