第162話 欠陥判定保留
木箱を開ける前に、コレットは全員を座らせた。
「まず確認します」
彼女の声は、いつもの監督の声に戻っていた。
ただ、指先だけが少し震えている。
「これは部室の戸棚から出てきた資料です。所有権、閲覧権限、保存状態、すべて不明です。ですが、第七運用班、欠陥判定保留、旗道を閉じるなという文言が確認されています。現在の私たちの状況と強く関連する可能性があります」
「読むしかないっすね」
ロイが言う。
「読むしかない、で読むと危ないから確認してるんです」
ネルが返す。
「はいっす」
ロイはすぐに姿勢を正した。
クララが箱の前に座る。
「読みます」
今度は全員に向けて言った。
「私は文字と術式の読解をします。所有者不明資料なので、断定は避けます。読める範囲だけ読みます。危険な反応があれば栞を挟みます」
「栞って、実物いる?」
ミラが聞く。
「あります」
クララは鞄から栞を出した。
前より少し厚い。
アストラムで作った読解用の栞だ。
古代術式の流れを止めるための、簡易的な止め具。
ノルがそれを見て、眠そうに頷いた。
「栞、強くなった」
「はい。前より少し」
「よかった」
短いやり取りなのに、妙に安心した。
木箱の蓋を完全に開ける。
中には、紙束が入っていた。
古い革紐で縛られた記録。
折り畳まれた競技場図。
旗布の切れ端。
割れた認識測定具。
それから、小さな金属札。
金属札には、番号が刻まれていた。
第七運用班 試験用。
欠陥判定保留者に貸与。
「保留者」
レイナが呟く。
「欠陥者ではなく、保留者ですのね」
「そこ、重要かも」
クララが言う。
彼女は紙束の一つを慎重に開いた。
文字は古いが、読めないほどではない。
ただし、ところどころ抜けている。
墨で塗られた跡ではない。
紙ごと、文字だけが食べられたような空白。
「字喰旗グラマの痕跡と似ています」
クララが言った。
「食べられた文字は消えない。形を変えて道になる、でしたわね」
レイナがアストラムで聞いた言葉をなぞる。
「はい。だから、空白も情報です」
クララは一枚目を読み上げた。
「標準型魔法制度移行期、カルミア魔法学園は偏差魔法保有者の再分類試験を担当する」
部室が静かになる。
再分類。
それは、俺たちがずっと受けてきた欠陥という言葉とは違う。
欠陥だと決めて終わりではない。
分類し直す。
何かの機能として見直す。
「次」
クララは紙をめくる。
「現代標準式に適合しない魔法の一部は、古代旗術式上では保持、迂回、遅延、反射、預託、破損選別、失敗蓄積、瞬間接続、召喚逸脱、遮断方向固定、音声経路拡張等の機能として働く可能性がある」
言葉が並ぶたびに、誰かの顔が浮かぶ。
保持。
コレット。
迂回。
俺。
遅延。
ノルの夢。
反射。
俺の名の反射回避。
預託。
旗道。
破損選別。
ガレス。
失敗蓄積。
レイナ。
瞬間接続。
ネル。
召喚逸脱。
リリィ。
遮断方向固定。
アルフ。
音声経路拡張。
ロイ。
危険の明示は、ジャックかもしれない。
標準式に合わないものを、別の機能として見る。
それは、今の第七部そのものだった。
「カルミア、前からそれを知ってたのか?」
ジャックが低く言う。
「知っていた、というより、研究していたようです」
クララが答える。
「でも、今の学園には残ってない」
ネルが言う。
「だから潰れかけてる」
リリィの言い方は冷たい。
でも、間違ってはいない。
もしカルミアがそういう研究の中心だったなら、今の落ちぶれ方は不自然だった。
ただ弱くなっただけではない。
何かを失った。
あるいは、失わされた。
コレットは黙って紙束を見ていた。
「次、読めますか」
声は静かだった。
クララは頷く。
「第二項。第七運用班は、欠陥判定保留者を競技形式で運用し、標準型制度では測定不能な旗道機能を観測する」
「競技形式」
アルフが呟く。
「つまり、昔の第七部?」
「可能性があります」
クララは読み続ける。
「注意。保留者を勝利目的のみに投入してはならない。勝敗は観測条件であり、目的ではない」
俺たちは顔を見合わせた。
勝敗は観測条件。
目的ではない。
負けの使い道。
コレットがレガリア戦で言った言葉に近い。
「何か、嫌ですね」
コレットが言った。
「私が自分で考えたと思っていたものが、昔からここにあったみたいで」
「自分で考えたのは本当だろ」
俺は言った。
「同じ場所で、同じように考えた人が前にもいただけだ」
コレットは少しだけ笑った。
「それは慰めですか」
「たぶん」
「下手です」
「悪い」
「でも、少し効きました」
その言い方に、部室の空気が少しだけ緩んだ。
クララは次の紙を開く。
そこには、競技場図が描かれていた。
円形ではない。
複数の旗道が重なり、観客席の視線経路まで記されている。
白い競技場ではない。
でも、レガリアの公開競技場と似ている箇所があった。
視線を集める中央。
名前を通す線。
旗に触れる点。
そして、外へ逃がすための抜け道。
「これ」
クララの声が固くなる。
「忘却契約と虚像固定の、前段階かもしれません」
俺の胸が、薄く痛んだ。
名前。
エレナ。
ルカ。
完全には戻らない道。
「断定は?」
コレットが聞く。
「できません。でも、似ています。アストラムの記録、レガリアの断片、ルカ先輩の反射回避、エレナさんの虚像固定。全部に共通する線がある」
クララは図の端を指す。
そこには小さく、こう書かれていた。
名を外へ逃がす場合、戻り目印を置くこと。
戻り目印。
俺は無意識に言った。
「ルカ」
誰も笑わなかった。
レガリアでエレナが呼んだ名前。
それが戻り言葉になった瞬間を、全員が覚えている。
「次のページ」
クララがめくろうとした時、栞が震えた。
紙の空白が、少しだけ黒く滲む。
クララはすぐに栞を挟んだ。
「止めます」
声が鋭い。
「ここから先は、何かが反応しています」
「何かって?」
ロイが小声で聞く。
クララはしばらく栞を押さえていた。
やがて、息を吐く。
「読まれたくない記録、だと思います」
部室の窓が鳴った。
風ではない。
外の風でもない。
俺は手を握る。
使うな。
今は、使うな。
ネルが俺の手首を軽く押さえた。
「見てる」
「うん」
それだけで、風は出なかった。
コレットが別の紙束を手に取る。
革紐の結び目には、見覚えのない印が押されていた。
細い羽根と、閉じかけた旗。
「この印」
コレットの声が変わった。
俺は彼女を見る。
「知ってるのか」
「家の古い蔵に、似た印があります」
部室の空気がまた重くなる。
「コレットの家?」
ノルが聞く。
コレットは頷いた。
「セイン家の旧印です。今は使っていません」
紙束の表紙には、署名があった。
セイン管理記録。
第七運用班保存担当。
コレットはその文字を見つめていた。
自分の敗北を見る時より、ずっと苦しそうな顔で。
「私の家が」
彼女は小さく言った。
「カルミアの存続記録に、関わっていたのかもしれません」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
古い箱の中で、欠陥判定保留という文字だけが、やけにはっきり見えていた。




