第160話 隣に残る
公開試合の記録上の勝者は、王立レガリア魔法学院だった。
得点差は小さくない。
旗接触の最終判定も、レガリア優勢。
観客席の歓声も、白銀の星を讃えるものが一番大きかった。
王立レガリア、公開試合を制す。
白銀の星、揺らがず。
新聞が書くなら、たぶんそうなる。
それは間違いではない。
俺たちは負けた。
点数でも、試合の形でも。
勝ったとは言えない。
でも、終わった後の競技場には、勝敗だけでは片付かないものが残っていた。
王冠は重い。
王冠、痛い。
痛くない。
王冠は落ちない。
エレナ。
ルカ。
観客が聞いた言葉。
聞けなかった言葉。
ロイの音に隠された名前。
グレイが拾った白銀の欠片。
レイナの赤い失敗跡。
ノルの記録。
クララの震えた文字。
全部が、白い競技場のどこかに残っている。
試合後の整列で、俺たちはレガリアと向き合った。
エレナは先頭に立っている。
観客席へ向ける顔は、もう白銀の星だった。
冷たく、美しく、揺れない。
でも、俺は知っている。
揺れたことを。
ノルを守ったことを。
救済法の断片を渡そうとして失敗したことを。
名前が届いた瞬間、クラウンの王冠が軽くなったことを。
俺が知っている。
ネルも知っている。
第七部が知っている。
それだけで、白銀の星の像は少しだけ違うものになっていた。
「ありがとうございました」
エレナが言う。
公式の声。
観客に聞こえる声。
「カルミア魔法学園第七魔法競技部の皆様の健闘に、敬意を表します」
拍手が起きる。
観客は気持ちよく拍手する。
王立が勝った。
下位校も健闘した。
美しい公開試合だった。
そう受け取る人も多いだろう。
でも、拍手の中には別の音も混じっていた。
「王冠、重いって何だったんだ?」
「カルミアの記録係、旗と話せるのか」
「ルカって呼んだの、聞こえた?」
「聞こえなかった。でも、何かあった」
何かあった。
その曖昧な記憶が、観客席に残る。
それでいい。
全部わからなくていい。
完璧な物語にならなければ、それだけで亀裂になる。
コレットが一礼する。
「ありがとうございました」
声は少し弱い。
でも、立っている。
レイナが隣で支える準備をしているが、コレットは自分の足で立った。
彼女は負けた。
また、敗北を見た。
でも、倒れてはいない。
負け筋を一つ、潰したからだ。
整列が解ける。
選手たちは退場へ向かう。
その途中で、エレナが俺の横を通った。
レガリアの係員も、ヴァイス総監督も近い。
長く話せる距離ではない。
それでも、彼女はほんの少しだけ歩幅を緩めた。
俺も止まらない。
止まれば目立つ。
すれ違う一瞬。
エレナは、観客に聞こえない声で言った。
「全部では、ありません」
それだけ。
俺は一瞬、意味がわからなかった。
でも、すぐにわかった。
届いたのは全部ではない。
渡せたのも全部ではない。
戻ったのも全部ではない。
救えたのも全部ではない。
でも、ゼロではない。
俺は返した。
「わかってる」
声は小さい。
観客には届かない。
ロイの音もない。
でも、彼女には届いた。
エレナの目が、ほんの少し揺れた。
それから、彼女は前を向いた。
白銀の星として。
レガリアの列へ戻っていく。
俺はその背中を見た。
胸の道は、まだ薄い。
名前は、少し軽いままだ。
でも、さっきより痛みはある。
痛みがあることに、少し安心してしまう。
それもまた、変な話だ。
「ルカ」
ネルの声。
俺は振り返る。
彼女は隣にいた。
試合中と同じ距離。
近すぎず、遠すぎず。
でも、逃げない距離。
「今の、何か言われた?」
聞く。
先回りせずに。
俺は頷いた。
「全部ではない、って」
ネルは少しだけ目を伏せた。
「そっか」
「ネルは」
「嫌」
即答。
いつもの短さ。
でも、今日はそこに続きがあった。
「でも、言ってくれてよかった」
「エレナが?」
「あんたが。聞いたことを隠さなかったから」
俺は少し驚いた。
「そこか」
「そこ」
ネルは息を吐く。
「私、今かなり複雑」
「うん」
「エレナのことは嫌。嫌っていうか、怖いし、綺麗すぎて腹立つし、あんたがあの人の名前を呼んだ時、嫌だった」
「うん」
「でも、あの人が嘘だけじゃないのも見た。クラウンが軽くなったのも見た。助けようとしたのも見た」
「うん」
「だから、簡単に嫌いって置けない」
ネルは俺を見る。
「でも、簡単に応援もできない」
「それでいいと思う」
「あんたが決めないで」
「悪い」
「でも、今のは少しだけ合ってる」
難しい。
でも、ネルらしい。
彼女は自分の感情を自分で持つ。
嫌も、痛みも、理解しかけたものも。
俺に先回りさせない。
それが、今の隣の形だった。
控室へ戻ると、全員が一気に疲れた。
ロイは椅子に沈み込む。
「負けたっす」
「負けましたわね」
レイナが悔しそうに言う。
「でも、ただの見世物では終わりませんでした」
「そこは勝ちっすか?」
「勝ちではありません。負けの使い道です」
コレットが言った。
監督席から解放されたはずなのに、また椅子に座らされている。
本人ももう抵抗していない。
「点数では負けました。レガリアは強いです。エレナさんも、クラウンも、観客視線の使い方も、こちらより上でした」
「でも」
ジャックが促す。
「でも、エレナさんの嘘に亀裂は入りました。クラウンの負荷も観測できました。救済法の断片も拾えました。旗媒介接触も、一瞬成立しました」
クララが白銀の欠片を布に包む。
「欠片は壊れやすいです。帰ったらすぐ写しを作ります」
「今は?」
リリィが聞く。
「手で持つと消えそうなので、グレイに匂いを覚えてもらっています」
グレイが誇らしげに鳴いた。
「では八割です」
リリィが言う。
グレイがまだ不満そうに鳴く。
「九割は次回です」
ノルは部誌を書いていた。
王冠は重い。
王冠は痛い。
王冠は少し軽くなった。
エレナは全部ではないと言った。
ルカはわかってると言った。
ネルは隣にいた。
ノルの部誌は、いつも淡々としている。
でも、そこに残ると、消えにくくなる。
俺の記憶がまた薄れても、部誌には残る。
「ルカ先輩」
ロイが言った。
「大丈夫っすか」
「大丈夫かはわからない」
「言い直しなしでそれっすね」
「でも、戻ってる」
「何に?」
俺は少し考えた。
「第七部に」
ロイはぱっと笑った。
「それならよかったっす」
ジャックが言う。
「エレナには?」
ロイが「ジャック先輩!」と慌てる。
でも、俺は考えた。
エレナに戻っているか。
戻る、という言い方が正しいのかもわからない。
過去には戻れない。
完全復元はできない。
でも、一瞬つながった。
名前が届いた。
「戻ってはいない」
俺は言った。
「でも、道は見えた」
クララが頷く。
「それが正確だと思います」
ジャックは肩をすくめた。
「面倒だな」
「面倒だ」
俺が返すと、彼は少し笑った。
その日の夜、レガリア側から正式な試合記録の写しが届いた。
丁寧な文面。
王立らしい整理。
カルミアの健闘を称え、今後の交流を期待する言葉。
救済法の断片については、何も書かれていない。
エレナがノルを守った白銀線についても、特記事項なし。
王冠の負荷についても、もちろんなし。
公式記録は美しい。
美しく、何かを消している。
だから、俺たちは別の記録を残す。
部誌に。
作戦板に。
クララの写しに。
ノルの夢に。
ロイの音の記憶に。
ネルの隣に。
そして、俺の中に少しだけ戻った痛みに。
翌朝、レガリアを出る前に、エレナから正式な面会はなかった。
手紙もない。
当然だ。
彼女は監視されている。
渡そうとした断片は失敗した。
次に無理をすれば、もっと厳しくなる。
それでも、宿舎の窓辺に小さな白い花が置かれていた。
誰が置いたのかはわからない。
レガリアの庭によく咲く花らしい。
白く、中央だけが薄く銀色。
リリィは「証拠能力が低いです」と言った。
クララは「魔力反応はありません」と言った。
ノルは花を見て、少しだけ眠そうに笑った。
「王冠、知ってる匂い」
それ以上は、誰も聞かなかった。
俺は花を部誌の間に挟んだ。
押し花にするためではない。
すぐに枯れるかもしれない。
それでも、今ここにあることを記録するために。
ネルはそれを見ていた。
何も言わない。
ただ、隣に立っていた。
「嫌?」
俺が聞く。
「嫌」
ネルは答えた。
「でも、捨てろとは言わない」
「うん」
「私も、ここにいるし」
その言葉が、朝の白い光の中で残った。
エレナからのものかもしれない花。
ネルの隣。
失った過去。
今残っている痛み。
どれも、簡単に一つの答えにはならない。
恋愛軸が複雑化する、なんて作戦板に書いたらネルに怒られるだろう。
でも、実際に複雑だった。
そして、複雑なまま進むしかない。
レガリアの公開試合は終わった。
勝者はレガリア。
敗者はカルミア。
けれど、白銀の星の嘘には亀裂が入り、王冠は重いと記録され、名前は一瞬届いた。
そして俺の隣には、ネルが残った。
過去が戻らないまま。
今が消えないまま。




