第159話 届いたのは全部ではない
最後の局面で、レガリアは王冠を隠さなかった。
むしろ、見せた。
クラウンを中央へ。
エレナをその横へ。
白銀の道をまっすぐ伸ばし、観客席の視線をもう一度すべて集める。
王立レガリア魔法学院。
白銀の星。
王冠旗クラウン。
公開試合の最後にふさわしい、美しい形。
その美しさが、重い。
王冠はまた輝いている。
さっきノルがつけた名前も、レイナが残した赤い失敗跡も、ロイの音も、観客のざわめきの中にまだある。
でも、レガリアは強い。
美しい形で押し戻してくる。
エレナの表情も戻っている。
冷たく、完璧で、遠い。
救済法の断片を渡そうとして失敗した人と、同じ人には見えないほど。
だからこそ、俺たちは見失ってはいけない。
届いたのは全部ではない。
でも、何も届かなかったわけではない。
「残り時間、二分」
アルフが言う。
「点差は?」
ジャックが聞く。
「レガリア優勢。通常の旗接触では追いつけない」
「つまり負けか」
「点数上は、かなり」
ロイが唇を噛む。
勝ちたい。
全員がそう思っている。
ここまで来て、負けるのは悔しい。
でも、コレットは言った。
「ここからは、勝敗ではなく条件達成を優先します」
その声は震えていない。
「旗媒介接触。名前遮断。エレナさんの嘘への亀裂。この三つを取りに行きます」
「旗接触点じゃなくて?」
ロイが聞く。
「点になればもちろん取ります。でも、点より条件です」
コレットは俺を見る。
「ルカくん、魔法は使いません」
「使わない」
今度は迷わない。
怖いからではなく、必要だから使わない。
ネルが隣で頷く。
「私が届かせる」
「一瞬だけ」
俺が言う。
「一瞬で十分」
ネルは返した。
その一言が、白い競技場の中で小さく強い。
ロイが指を構える。
「音、隠すっす」
「観客には聞こえないように?」
ジャックが聞く。
「観客には音だけ。近くには名前が届くように」
「できんのか」
「かなり難しいっす」
「作戦対象だな」
「その流れ、もう慣れたっす」
ガレスが床を見ている。
「壊す場所」
「ある?」
アルフが聞く。
「白い標識柱。根元じゃなく、影」
「影を壊すのか」
「標識の光を少し落とす。壊すのは光の支え」
クララがすぐに確認する。
「減点は?」
「小さい」
ガレスは短く答える。
「でも、観客の視線が一瞬切れる」
レイナが赤い失敗跡の位置を確認する。
「私の二度目の成功線を、そこへ重ねますわ。白い光を赤で汚します」
「言い方」
リリィが言う。
「いい意味ですわ」
「なら結構です」
ノルはクラウンを見ていた。
「王冠、待ってる」
「何を」
俺が聞く。
「軽い一瞬」
軽い一瞬。
それが、今から作る場所だ。
試合再開ではなく、試合継続中の最後の仕掛け。
レガリアがクラウンを中央へ走らせる。
エレナの白銀が道を作る。
観客席が一斉に見る。
王冠は落ちない。
その声はまだある。
でも、王冠は重いという声も消えていない。
ロイが最初の小音を鳴らす。
こつ。
観客には、ただの小さな音。
でも、俺たちには合図。
配置確認。
ネルが右前。
アルフが左側面。
ジャックが後方。
ガレスが標識柱の影。
レイナが赤い線の準備。
クララが欠片を握る。
ノルがクラウンを見る。
俺はエレナを見る。
見すぎない。
でも、見る。
エレナの白銀線が中央へ伸びる。
冷たい。
でも、どこか急いでいる。
彼女もわかっているのかもしれない。
これが最後の機会に近いことを。
決めつけない。
でも、そう見えた。
ロイの二音目。
こつ。
風前確認。
俺は空気を見る。
白い視線が重い。
でも、標識柱の影に小さな切れ目がある。
ガレスがそこを壊せば、光が落ちる。
光が落ちれば、観客の視線が一瞬迷う。
その迷いに、ネルが入る。
「影、軽い」
俺が言う。
「行く」
ネルが答える。
三音目。
ロイが音を少し変えた。
観客には聞こえにくい低い音。
近くの俺たちには、胸の奥で鳴るような音。
名前遮断の準備。
ガレスの魔法が走る。
白い標識柱の根元ではない。
光を支えていた小さな金具。
そこだけが砕ける。
魔法灯の角度がわずかにずれ、床に影が落ちた。
白い競技場に、一瞬だけ本物の影ができた。
レイナが叫ぶ。
「一度目、失敗しましたわ!」
赤い火花が影の端に散る。
観客が見る。
失敗。
影。
白い舞台に合わない赤。
「二度目、成功します!」
赤い線が伸び、影を固定する。
観客の視線が、白銀から赤い影へ割れる。
ジャックが言う。
「撃つ」
「発射許可。外してください」
コレットの声。
ジャックの攻撃が走る。
派手に。
危険に見える軌道で。
でも、実際には標識柱の影の外側を通る。
アルフの一方向結界が、その横腹を受ける。
攻撃は観客から見ればクラウンへ迫るように見え、実際には白銀の道の支えだけをかすめる。
観客の悲鳴。
視線がさらに割れる。
白銀の道に隙間ができる。
ネルが入った。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
彼女の魔力が白い競技場の影を踏む。
カルミアの旗が、その一瞬の後ろを走る。
クラウンが中央へ来る。
王冠は重い。
でも、影の中では少し軽い。
旗同士が近づく。
クラウンとカルミアの旗。
旗媒介接触。
必要な条件。
エレナが動く。
白銀の線が伸びる。
止めるためか。
届かせるためか。
わからない。
決めつけない。
ただ、彼女の目が俺を見た。
今だ。
ロイの四音目。
音が広がる。
観客には、ただの轟き。
俺たちの近くには、逆に静けさを作る音。
白い観客席の声が遠のく。
名前を観客に持っていかれない場所。
音の中の小さな空白。
旗同士が触れた。
カルミアの旗とクラウン。
接触。
点になるかどうかは、もう見ていなかった。
その瞬間、俺は声を出した。
「エレナ」
大きくない。
観客には、たぶん聞こえない。
ロイの音に隠れている。
でも、近くには届く。
旗には。
彼女には。
エレナの目が見開かれた。
クラウンの王冠が、強く揺れる。
白銀の線が一瞬止まる。
俺の胸の薄い道が、痛む。
痛い。
ちゃんと痛い。
戻ったわけではない。
失ったものが戻ったわけではない。
でも、名前が届いた感触があった。
エレナの唇が動く。
「ルカ」
今度は、観客の物語ではなく。
白銀の星の台詞でもなく。
音の空白の中で、近くにだけ届く声。
その声で、俺の中の道が一瞬だけ繋がった。
全部ではない。
思い出が戻るわけではない。
過去の感情が完全に戻るわけでもない。
でも、彼女が誰か、少しだけわかった。
白銀の星ではなく。
記事の写真でもなく。
俺を呼ぶ人。
俺が呼んだ人。
その程度の、しかし確かな接続。
クラウンの王冠が、ふっと軽くなった。
ノルが息を吐く。
「軽い」
その次の瞬間、レガリアの白銀線が戻ってきた。
ヴァイスの声。
観客の歓声。
王冠の光。
全部が一気に押し寄せる。
エレナの表情が戻る。
白銀の星へ。
でも、戻り切らない。
亀裂が残っている。
クラウンの王冠にも。
観客席にも。
俺の胸にも。
審判の笛が鳴った。
接触点。
ただし、同時にレガリア側も旗接触を成立させていた。
得点表示が変わる。
計算はすぐに出た。
レガリア勝利。
カルミア敗北。
観客席が沸いた。
白銀の星が勝った。
王立レガリアが、公開試合を制した。
物語としては、わかりやすい結末。
でも、俺たちは知っている。
届いた。
全部ではない。
勝利でもない。
救済でもない。
完全復元でもない。
ただ、名前が一瞬だけ、観客に奪われずに届いた。
クラウンが一瞬だけ軽くなった。
エレナの嘘に亀裂が残った。
それだけ。
でも、それだけを取りに来た。
ネルが俺の隣で膝に手をついている。
息が荒い。
足が震えている。
「届いた?」
彼女が聞いた。
「届いた」
「全部?」
「全部じゃない」
「そっか」
ネルは少しだけ目を伏せた。
「でも、届いたんだ」
「うん」
「なら、よかった」
その言葉は、簡単ではなかったはずだ。
エレナの名前が届いたことを、よかったと言う。
ネルにとって、どれだけ複雑か。
俺は先回りしない。
ただ、聞く。
「ネルは?」
「悔しい」
即答だった。
「負けたし。届かせたし。あんたがエレナって呼んだし。全部嫌で、全部必要だった」
彼女は顔を上げる。
汗で髪が頬に張り付いている。
でも、目はまっすぐだった。
「だから、私は隣にいる」
その言葉が、試合終了の歓声の中で届いた。
エレナの名前とは違う道で。
今の俺へ。
俺は頷いた。
「ありがとう」
「今はそれでいい」
ネルは小さく笑った。
その向こうで、エレナが立っていた。
レガリアの勝者として。
白銀の星として。
でも、クラウンの王冠はまだ少し揺れている。
彼女の目も、ほんの少しだけ揺れている。
届いたのは全部ではない。
でも、何も届かなかったわけではない。
公開試合は終わった。
勝者はレガリア。
けれど、白銀の星の嘘には、確かに小さな亀裂が入った。




