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第152話 冷たい星ほどよく光る

 開始の笛と同時に、エレナは動かなかった。


 レガリアの選手たちも、すぐには走らない。


 普通の旗接触戦なら、最初の数秒で位置取りが始まる。


 ネルなら一瞬で隙間へ入る。


 ジャックなら撃つ場所を探す。


 ロイなら音を構える。


 でも、レガリアは違った。


 観客が見ている。


 だから、最初の一手すら演出になる。


 エレナは静かに右手を上げた。


 それだけで、観客席が息を飲む。


 白銀の魔力が、指先に灯る。


 小さい。


 でも、見える。


 見えるように出している。


 観客の視線が、その光へ集まる。


 集まった視線が、光をさらに強くする。


 白銀の線が床へ伸びた。


「来る」


 ネルが言った。


「どこ」


「正面じゃない。少し上」


 俺は風を見る。


 白銀の線が走る前に、空気が薄くなる。


 見られている場所ほど、風が重い。


 エレナの魔法は、ただの直線ではない。


 観客が見たい場所に、先に道を作る。


「上、右寄り」


 俺が言う。


「了解」


 ネルが一瞬だけ動く。


 見られている正面ではなく、右上へ抜ける。


 しかし、白銀の線はそこで曲がった。


 いや、曲がったように見えた。


 実際には、観客の視線がネルを追った瞬間、右上が見られる場所になったのだ。


 ネルの足が重くなる。


「っ」


 彼女が歯を食いしばる。


 白銀の線が足元をかすめた。


 ロイの短音が鳴る。


 こつ。


 注意合図。


 アルフの一方向結界が、ネルの左側にだけ出る。


 線を止めるのではなく、視線の流れを遮るように。


 白銀の線は結界へ触れ、薄く散った。


 観客がどよめく。


「今の、見ましたか! カルミア側、一方向防御で白銀線をいなしました!」


 解説の声が響く。


 その瞬間、観客の視線がアルフへ流れた。


 アルフの結界符が重く光る。


 彼は眉を少し動かす。


「視線が来た」


「大丈夫か」


「一方向だけなら」


 アルフは短く答えた。


 コレットの声が飛ぶ。


「視線移動確認。レイナさん、準備」


「わかっていますわ」


 レイナが一歩前に出る。


 彼女の役割は、失敗を宣言すること。


 観客がレガリアの美しい一手を見ている時に、別の見方を差し込む。


 恥を、目印にする。


「一度目、失敗しますわ!」


 レイナの声が、白い競技場に響いた。


 観客がざわつく。


 何を言っているのか。


 失敗を宣言する選手。


 レガリアの完璧な舞台には、不釣り合いな言葉。


 その不釣り合いさが、視線を割った。


 レイナの魔法は、本当に一度失敗した。


 白い床の上で、小さな赤い火花が散る。


 観客席の一部が笑う。


 レイナは笑われることを知っている。


 知っていて、背筋を伸ばす。


「二度目、成功します」


 今度は、魔法が通った。


 赤い火花が細い線になり、エレナの白銀線が通った跡へ印をつける。


 観客の視線が、白銀だけではなく赤い失敗跡にも向く。


 視線が割れる。


 クラウンの王冠の光が、ほんの少しだけ揺れた。


「軽くなった?」


 俺が聞く。


 ノルが頷く。


「少し」


 エレナの表情は変わらない。


 でも、彼女の魔力は変わった。


 白銀の線が、次の瞬間さらに冷たくなる。


 観客の視線を割られたから、彼女は別の嘘を積んだのだ。


 私は揺れない。


 たぶん、そんな嘘。


 エレナは口を開いた。


「面白い作戦ですね」


 声はよく通る。


 観客にも聞こえる。


 褒め言葉の形。


 でも、冷たい。


「ですが、王立の舞台では少し粗い」


 観客席が沸いた。


 白銀の星が、没落校を評した。


 冷静に。


 優雅に。


 少し遠くから。


 その冷たさが、エレナの魔力を強くする。


 クラウンの王冠が、また白く輝いた。


 ノルが小さく顔をしかめる。


「重い」


 俺の胸も重くなる。


 エレナは冷たく振る舞う。


 そのたびに、魔法が強くなる。


 記事に書かれた冷静な勝者。


 観客が期待する白銀の星。


 彼女はその像を完璧になぞっている。


 なぞるほど強くなる。


 強くなるほど、観客は喜ぶ。


 喜ぶほど、クラウンは重くなる。


 きれいな悪循環。


「腹立つな」


 ジャックが低く言った。


「言い返す?」


 ロイが聞く。


「いや」


 ジャックは手を開閉する。


「撃つ時じゃない」


 それが今のジャックだ。


 怒りだけで撃たない。


 撃たないことで、作戦を保つ。


 俺はエレナを見た。


 冷たい言葉。


 強くなる魔力。


 でも、昨日の夜の礼がある。


 ノルの夢がある。


 声は嘘じゃない、という記録がある。


 決めつけない。


 目の前の冷たさだけで、彼女を決めない。


 でも、冷たさが痛いことも事実だ。


 俺はその痛みを、無理に消さない。


「ルカ」


 ネルが言った。


「見てる?」


「見てる」


「本当に見てるのは?」


 その問いが、胸に刺さった。


 今、俺は何を見ている。


 エレナか。


 白銀の星か。


 昔の穴か。


 ネルの反応か。


 クラウンの重さか。


 全部を見ようとして、どれも中途半端になっていないか。


「まだ、わからない」


 俺は答えた。


 ネルは小さく頷く。


「じゃあ、今は風を見て」


「了解」


 その言葉で、少し戻る。


 今、俺が見るべきもの。


 風。


 試合の道。


 仲間の合図。


 エレナの本心を決めるのは後でいい。


 いや、決めない。


 聞く場所を作る。


 そのために、まず負け筋を潰す。


 レガリアの第二手が来た。


 ユリウスが前に出る。


 彼の魔法は、銀ではなく淡い青。


 整った防壁を三枚並べる。


 観客の視線はエレナに向いたままだが、ユリウスはその視線の外側で道を作る。


 レガリアは美しいだけではない。


 冷静に強い。


「左、壁三枚」


 アルフが言う。


「見えてる」


 ジャックが答える。


「撃つ?」


 ロイが聞く。


「まだ」


 ジャックは中央を見る。


 クラウンはエレナの横から離れない。


 カルミアの旗は、レガリアの視線誘導に押されて動きづらそうだ。


 白い観客席が、旗の逃げ道すら決めている。


「ロイくん」


 コレットの声。


「小音二連。観客の視線を左壁へ」


「了解っす」


 ロイが小さく鳴らす。


 こつ、こつ。


 大音量ではない。


 でも、白い競技場で不自然に響く音。


 観客の一部が左を見る。


 ユリウスの壁が見られる。


 視線が、エレナから少し剥がれる。


 その瞬間、ジャックが言った。


「撃つ」


「発射許可」


 コレットが即答する。


 ジャックの攻撃が走る。


 味方の近くを通る危険な軌道。


 でも、今は名前のある道だ。


 アルフの一方向結界が側面を受ける。


 ガレスが床の小さな支えを見る。


 攻撃はユリウスの三枚目の壁の支点へ逸れる。


 ばん、と音。


 壁が一枚だけ砕ける。


 観客席が驚く。


 解説が声を上げる。


「カルミア、危険な攻撃を制御! ラグエッジ戦で見せた連携です!」


 その言葉で、視線がこちらへ来た。


 重い。


 でも、レガリアだけに集まっていた視線が割れた。


 クラウンの王冠が、ほんの少し揺れる。


 ノルが言う。


「軽い」


 エレナの目が、こちらへ向いた。


 彼女は微笑んだ。


 冷たい。


 完璧な笑み。


「やはり、噂だけではありませんね」


 彼女は言った。


「けれど、危険を制御するだけでは、王冠には届きません」


 また冷たい言葉。


 観客が反応する。


 白銀の星が相手を認め、同時に突き放す。


 美しい構図。


 魔力が強くなる。


 クラウンが輝く。


 ノルが顔をしかめる。


「重い」


 俺は拳を握った。


 今すぐ何か言いたい。


 エレナに。


 その言葉は本当に言いたいことなのか。


 それとも、観客に求められている白銀の星を続けるための嘘なのか。


 そう聞きたい。


 でも、今はその場所ではない。


 コレットが監督席から言う。


「まだです。嘘をつかなくてもいい場所は、まだ作れていません」


「どう作る」


 俺が聞く。


「観客の視線を、エレナさんの完璧さから外します」


「失敗させる?」


 ネルが聞く。


「いいえ」


 コレットは首を横に振る。


「失敗させると、彼女はたぶん、もっと強い嘘で立て直します。完璧さを壊すのではなく、完璧以外のものを見せる必要があります」


「それは?」


 コレットは、少しだけ俺を見た。


「まだわかりません」


 部長がそう言う。


 勝ち筋は見えない。


 でも、負け筋を見た彼女が、まだわからないと言う。


 なら、ここから探すしかない。


 試合は進む。


 レガリアの白銀魔法が、観客の視線を集める。


 第七部が音と失敗と危険制御で、その視線を割る。


 割れば、クラウンは少し軽くなる。


 エレナは冷たく振る舞い、また強くなる。


 そのたびに、クラウンは重くなる。


 押して、戻される。


 軽くして、重くされる。


 まるで、王冠を少し持ち上げるたび、誰かが上からさらに手を置くようだった。


 中盤、エレナが初めて前に出た。


 観客席が一斉に沸く。


 彼女は白銀の線を床へ走らせる。


 今度は攻撃ではない。


 道だ。


 クラウンのための白い道。


 王冠旗がその道を走る。


 速い。


 美しい。


 重いのに、速い。


「来る!」


 ネルが叫ぶ。


「右下、見られてない!」


「風前確認、右下軽い!」


 俺が返す。


 ネルが一瞬で入る。


 クラウンの道へ、横から触れる。


 旗を止めるのではない。


 白い道の端をずらす。


 クラウンが少しだけ揺れた。


 観客が驚く。


 エレナの目が、ほんの少しだけ変わる。


 白銀の線が揺らいだ。


 初めて。


 ほんの少し。


 でも、揺れた。


 その瞬間、解説が叫ぶ。


「カルミアのネル選手、白銀の進路へ割り込みました!」


 視線がネルへ集まる。


 ネルの足が重くなる。


 コレットの幻視。


 ネルの一瞬が、観客の視線で止まる。


 それが来る。


「ネル!」


 俺は叫んだ。


 ネルは歯を食いしばる。


「見てるなら、見てろ!」


 彼女は観客席へ向かって叫んだ。


 観客がどよめく。


 ネルは続けた。


「一瞬で十分!」


 その言葉が、視線を変えた。


 見られているから止まるのではなく。


 見られている中で、一瞬を宣言する。


 ネルの魔力が、ほんの一瞬だけ爆ぜた。


 白銀の道の端が折れる。


 クラウンが足を止める。


 王冠が揺れる。


 ノルが言った。


「軽い!」


 その瞬間、エレナの微笑みがわずかに崩れた。


 誰にも見えないくらい。


 でも、俺には見えた。


 彼女はネルを見ていた。


 俺ではなく。


 自分の前で、一瞬しかない魔力を観客に晒して、それでも道を折ったネルを。


 エレナの目に、一瞬だけ感情が浮いた。


 羨望か。


 驚きか。


 痛みか。


 決めつけない。


 でも、冷たい星の光ではなかった。


 クラウンの王冠が、ほんの少しだけ軽く見えた。


 その一瞬を、レガリアの大人たちは見逃さなかった。


 ヴァイス総監督が、遠くで何かを言う。


 エレナの表情が戻る。


 冷たい微笑み。


 白銀の線がさらに強くなる。


「見事です」


 エレナが言った。


 ネルへ。


「ですが、一瞬は一瞬。王冠の道を止め続けることはできません」


 冷たい言葉。


 観客が沸く。


 魔力が戻る。


 クラウンが重くなる。


 ネルは肩で息をしている。


 でも、笑った。


「止め続ける気なんかない」


 彼女は言った。


「一瞬で、ずらす」


 その言葉に、第七部の全員が反応した。


 一瞬で十分。


 それがネルの魔法だ。


 持続しない。


 でも、変える。


 エレナの冷たさは強い。


 白銀は美しい。


 クラウンは重い。


 それでも、一瞬だけ揺れた。


 試合はまだ序盤を抜けたばかりだ。


 でも、俺たちは初めて、冷たい星の光に小さな影を入れた。


 影は、壊すためではない。


 光だけでは見えないものを、見るために。


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