第151話 白い観客席
観客が入る前のレガリア公開競技場は、白かった。
観客が入った後のレガリア公開競技場は、もっと白かった。
人が増えれば色も増えるはずだ。
服。
旗。
声。
動き。
それなのに、観客席全体が白く見える。
理由はすぐにわかった。
視線だ。
何千人もの視線が、白い競技場の中央へ集まっている。
その視線が、白い魔法灯と銀の装飾に反射して、場所そのものを一つの色にしていた。
レガリアは、見られるために作られた学校だ。
その意味を、俺は初めて体で理解した。
「重い」
ネルが隣で言った。
短い声。
昨日の下見でも、彼女は重いと言っていた。
でも、今日は違う。
観客がいる。
拍手がある。
ざわめきがある。
白銀の星を待つ期待がある。
その全部が、競技場の空気を重くしている。
「足、どうだ」
俺が聞く。
「動く」
ネルは答える。
「でも、見られてる場所は嫌。足が半歩遅れる感じ」
「半歩」
「一瞬魔法には致命的」
ネルは笑わなかった。
俺も笑えない。
一瞬しか出ない魔力。
その一瞬が、観客の視線で重くなる。
コレットの敗北幻視がよみがえる。
ネルの一瞬が、白銀の線に止められる。
「見られていない隙間を探す」
俺は言った。
「わかってる」
「勝手に決めない」
「それもわかってる」
ネルは少しだけ俺を見た。
「私が言う。あんたは風を見る」
「了解」
短い確認。
それだけで、少し立てる。
観客席のざわめきが大きくなった。
レガリア側の入場口に光が集まる。
魔法灯が一段明るくなる。
会場係の声が響いた。
「王立レガリア魔法学院、代表候補チーム入場」
歓声が起きた。
大きい。
ロイの大音量魔法とは違う。
ロイの音は一つの音だ。
これは、何千もの小さな声が同じ方向へ流れて、大きな壁になっている。
白い壁。
声の壁。
その中を、レガリアの選手たちが歩いてくる。
ユリウス。
代表候補生たち。
そして、エレナ。
歓声がさらに大きくなった。
「エレナ様!」
「白銀の星!」
「フォルティス!」
「王都の星!」
誰もが彼女を覚えている。
誰もが彼女を呼ぶ。
エレナ・フォルティス。
その名前が、観客席のあちこちから飛んでくる。
忘れられない少女。
その欠陥が、祝福のように鳴り響いている。
エレナは微笑んでいた。
完璧に。
昨日、近くで見た時と同じ。
いや、昨日よりもっと白い。
観客の期待が、彼女の輪郭を強くしている。
冷たく、遠く、美しい。
白銀の星。
新聞の言葉そのままの姿。
でも、俺は昨日の夜を見ている。
無言の礼。
クラウンの幻。
声にならない何か。
だから、決めつけない。
今ここにいる彼女が、全部嘘だとも、全部本当だとも決めつけない。
エレナの横に、クラウンが顕現した。
王冠を持つ白い幻獣旗。
観客席から感嘆が起きる。
クラウンの王冠が、歓声を受けて輝く。
銀白の光が、競技場の床へ落ちる。
美しい。
誰もがそう思うだろう。
でも、ノルが俺の後ろで小さく言った。
「重い」
その声は、歓声に消えそうだった。
でも、俺たちには聞こえた。
「王冠、すごく重い」
クララがすぐに記録する。
「観客入場後、クラウン王冠部の術式輝度上昇。負荷増大と推定」
「あれ、泣いてるのか」
ジャックが聞く。
ノルは少し目を細める。
「まだ泣いてない。泣く前」
「泣く前ってわかるのか」
「ロイもわかる」
「俺っすか」
ロイが驚く。
「泣く前うるさい」
「俺、そんな分類なんすか」
少しだけ笑いが起きた。
でも、すぐに消える。
今度は、こちらの入場が告げられたからだ。
「カルミア魔法学園、第七魔法競技部入場」
歓声ではない。
ざわめき。
好奇心。
笑い声。
拍手もある。
ただ、レガリアへのそれとは違う。
「あれが欠陥魔法の」
「下位校だろ」
「ラグエッジに勝ったって」
「ルカ・ヴァレンはどれ?」
「エレナ様に負けた人?」
「第七部って、人数多いな」
声が降ってくる。
見世物。
リリィの言った通りだった。
観客は、俺たちを応援しに来たわけではない。
もちろん、中にはラグエッジ戦の記事を読んで興味を持った人もいるだろう。
でも、多くは見に来たのだ。
白銀の星が、没落校をどう扱うか。
過去の相手と、どう再会するか。
欠陥魔法の部が、王立の舞台でどこまで壊れるか。
その視線が、レガリア側とは違う重さでこちらにかかる。
恥ずかしい、ではない。
腹立たしい、だけでもない。
分類される感じ。
綺麗な棚に置かれた、珍しいものとして。
「胸糞悪いな」
ジャックが言った。
「言葉を選びなさい」
レイナが注意する。
「不愉快ですわ」
「同じだろ」
「品位が違います」
レイナは背筋を伸ばした。
「見世物にされるとしても、こちらが見世物らしく振る舞う必要はありません」
「そういうの、今は助かるな」
ジャックが言う。
レイナは少しだけ驚いた顔をした。
「素直に言われると困りますわ」
「じゃあ取り消す」
「取り消さなくて結構です」
ロイが息を吸った。
大きな音を出す前の顔。
コレットがすぐに言う。
「まだです、ロイくん」
「わかってるっす」
ロイは拳を握った。
「最後まで取っとくっす」
彼の音は、観客の視線をずらすための大事な手段だ。
最初から鳴らせば、ただの騒音として処理される。
使う場所を選ぶ。
壊す場所を選ぶのと同じだ。
俺たちは競技場中央へ進んだ。
白い床が眩しい。
自分たちの足音が、観客席に吸われていく。
カルミアの古い練習旗が、補助旗台で揺れた。
レガリアのクラウンと比べると、地味だ。
古い。
少し擦れている。
でも、俺たちの旗は観客席を気にしていないように見えた。
誰に見られているかより、誰が近くにいるかを見ている。
ノルが小さく笑った。
「うちの旗、平気」
「ほんとに?」
ロイが聞く。
「ちょっと嫌。でも、平気」
「頼もしいっす」
クラウンが光る。
カルミアの旗が揺れる。
白い観客席が、二つの旗を見る。
審判が中央へ出た。
公開演習試合の説明が始まる。
形式は通常の旗接触戦を基礎とする。
ただし、演習要素として、両校の特色魔法使用を観客に見せるため、各局面の解説が入る。
解説。
その言葉に、リリィが目を細めた。
「見世物確定です」
「わかってた」
アルフが言う。
「解説が入るなら、観客の視線誘導はさらに強まる」
「つまり?」
ネルが聞く。
「解説が名前をつけた瞬間、その方向へ視線が集まる。白銀魔法も、クラウンも、エレナの虚像も強くなる可能性がある」
「こっちにも使える?」
ジャックが聞く。
「使える」
アルフは即答した。
「ただし、解説はレガリア側に寄るはずだ」
「なら、こっちで名前を出すしかない」
コレットが言う。
「ロイくんの音、レイナさんの失敗宣言、ジャックくんの発射同意、ネルさんの合図。観客に聞こえる形で出す場面を作ります」
「恥ずかしいんだけど」
ネルが言う。
「恥ずかしさも視線をずらす材料です」
「部長、倒れてから強くなった?」
「監督席なので」
「椅子は関係ない」
コレットは少しだけ笑った。
その笑いが、俺にはありがたかった。
白い観客席。
レガリアの熱狂。
見世物扱い。
クラウンの重さ。
全部がこちらを押してくる。
でも、第七部は押されっぱなしではなかった。
名前をつける。
音を選ぶ。
壊す場所を選ぶ。
読む場所を選ぶ。
隣にいる時間を覚える。
その全部を持って、白い競技場に立っている。
審判の説明が終わった。
両校が開始位置へ下がる。
エレナがレガリア側の中央に立つ。
クラウンがその横で輝く。
観客席が期待でざわめく。
俺は風前確認をする前に、彼女を見た。
冷たい微笑み。
完璧な姿勢。
白銀の星。
でも、その横のクラウンは重い。
ノルが言った。
泣く前。
俺は、決めつけない。
エレナが敵か味方か。
昔の感情が何だったか。
今の痛みが何か。
それを、今ここで決めない。
ただ、試合中に嘘をつかなくてもいい一瞬を作る。
それが、今の俺たちの作戦だった。
ネルが隣で短く言う。
「見るよ」
「どこを」
「私が行く場所」
俺は頷く。
「聞く」
ロイが指を構える。
アルフが結界符を確認する。
ジャックが肩を回す。
ガレスが床の支えを見る。
レイナが小さく深呼吸する。
リリィがグレイを抱え、クララが術式板を構える。
ノルが部誌を閉じる。
コレットが監督席から停止札を握る。
審判の笛が鳴った。
公開試合が始まる。
その瞬間、観客席の視線が一斉にエレナへ集まった。
クラウンの王冠が、まばゆく光った。
白い競技場が、さらに白くなる。
俺たちは、その白さの中へ踏み出した。




