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第150話 言えない再会

 朝、俺は夜のことを話した。


 作戦室代わりに借りた宿舎の小会議室。


 朝食前。


 全員がまだ少し眠そうな時間。


 それでも、話すなら今だと思った。


 夜のレガリア。


 白い渡り廊下。


 エレナがいたこと。


 俺を見たかもしれないこと。


 何も言わずに頭を下げたこと。


 クラウンの幻が横にいたこと。


 俺が、窓を開けなかったこと。


 全部話した。


 途中でネルの顔を見るのを、少し我慢した。


 勝手に反応を読まない。


 ネルがどう思うかは、ネルのものだ。


 話し終えると、最初に口を開いたのはノルだった。


「王冠、行った」


「夢と同じ?」


 俺が聞く。


「似てる。でも昨日より軽い」


「軽い?」


「声はなかった。でも、挨拶は嘘じゃない」


 ノルは眠そうに言った。


 その言葉で、部屋の空気が少し変わる。


 嘘じゃない挨拶。


 声はない。


 言葉もない。


 それでも、嘘ではないものがあった。


「記録します」


 クララが言う。


「公式接触ではないため、扱いは慎重に。ただし、クラウンの夜間顕現とエレナさんの非公式行動は重要です」


「レガリア側に知られてる可能性は?」


 アルフが聞く。


「高いです」


 クララは即答した。


「あの宿舎周辺に記録装置がないとは考えにくい。ただ、声を交わしていないなら、公式には偶然の視認で処理される可能性があります」


「偶然、ね」


 リリィが言う。


「たいへん便利な言葉です」


 ジャックは腕を組んだ。


「で、エレナは何がしたかったんだ」


「決めつけない」


 ネルが即座に言った。


 全員が彼女を見る。


 ネルは少しだけ顔を赤くした。


「何」


「いや」


 ジャックが肩をすくめる。


「ちゃんと言うんだなと思って」


「うるさい」


 ネルは俺を見た。


「あんたも、決めつけてない?」


「たぶん」


「たぶんは禁止」


「決めつけてない」


「よし」


 短い。


 でも、その短さが助かった。


 コレットは作戦板に、夜の接触について三行だけ書いた。


 エレナ、非公式に視認。


 声なし。礼のみ。


 クラウン夜間顕現。王冠負荷軽減の可能性。


「今日の目的は変わりません」


 彼女は言った。


「公開試合では、見世物にされます。観客の視線、レガリアの演出、エレナさんの嘘魔法、クラウンの王冠負荷。その全部が重なります」


「やることは?」


 ロイが聞く。


「一つ。観客の視線をずらす。二つ。ルカくんは魔法を使わない。三つ。エレナさんの本心を決めつけず、嘘をつかなくてもいい一瞬を作る。四つ。クラウンの負荷を軽くする可能性を探る」


「勝つ、は?」


 ジャックが聞く。


 コレットは少しだけ笑った。


「勝つために、それをします」


「ならいい」


 ジャックは頷いた。


 ラグエッジ以降、彼はこういうところが少し変わった。


 勝つことを捨てない。


 でも、勝つために何を壊すかを考える。


 誰を道具にしないかも。


「ネルさん」


 コレットが言う。


「今日、ルカくんの隣に立つ場面が増えます」


「わかってる」


「無理なら言ってください」


「言う」


 ネルは少しだけ俺を見た。


「私の分は私が言う」


「わかった」


「あんたも言う」


「何を」


「自分の分」


 また、それだ。


 俺は少し苦笑した。


「訓練項目が増えるな」


「増やす」


 コレットが真面目に書き足そうとしたので、ネルが慌てて止めた。


「書かなくていい!」


「記録は大事」


 ノルが言う。


「全部書かなくていい!」


 少しだけ笑いが起きた。


 その笑いを持って、俺たちはレガリア公開競技場へ向かった。


 競技場は、白かった。


 王都の中心部に近い大きな施設。


 外壁は白石。


 柱には銀の旗模様。


 観客席はすり鉢状に広がり、どこからでも中央が見える。


 見えるように作られている。


 見られることを前提に作られている。


 その視線が、すでに重い。


「これは、きつい」


 ネルが小さく言った。


「まだ観客入ってないぞ」


 ジャックが言う。


「だからきつい。入ったらもっと重い」


 クララが観客席の構造を見上げる。


「視線誘導があります。座席の角度、魔法灯の反射、中央旗台への導線。観客の注意が自然に中央とレガリア側入場口へ集まるように設計されています」


「カルミア側は?」


 アルフが聞く。


「見えます。ただ、見られるというより、比較対象として置かれます」


「見世物ですね」


 リリィが言う。


「はい」


 クララは否定しなかった。


 公開競技場の下見は、レガリアの案内係がついた。


 白い制服。


 丁寧な言葉。


 必要以上に完璧な説明。


 こちらが質問すれば答える。


 ただし、答えられる範囲だけ。


 コレットは監督席制度のため、椅子を要求した。


 レガリア側はすぐに上等な椅子を用意した。


 その完璧さに、コレットは少し困った顔をした。


「座るしかありませんね」


「座りなさい」


 レイナが言う。


「はい」


 クラウンの外部観察は、規定距離からだった。


 中央旗台の奥。


 白い幻獣旗が、まだ薄い姿で待機している。


 王冠を持つ旗。


 昨日の夜に見た幻より、輪郭が濃い。


 観客はいない。


 それでも、競技場そのものがクラウンを見ているようだった。


 白い座席。


 銀の灯り。


 王冠の紋章。


 全部が、あの旗へ視線を集める。


 クラウンは美しい。


 そして、重そうだった。


 ノルが小さく言う。


「首、痛そう」


「旗に首はあるのか」


 ジャックが聞く。


「ある気がする」


「気かよ」


 クララはクラウンを見つめる。


「王冠の術式が、観客席の反射線とつながっています。やはり、見られるほど王冠へ負荷が集まる構造です」


「壊せる?」


 ガレスが聞く。


「壊してはいけません」


 クララが即答した。


「壊すなら、見せ方です。構造物ではなく、視線の流れ」


「視線の流れを壊す」


 ガレスは頷く。


「難しい」


「はい。とても」


 その時、競技場の反対側の扉が開いた。


 案内係が姿勢を正す。


 レガリアの生徒たちが入ってくる。


 白い競技服。


 銀の線。


 整った歩調。


 先頭に、ユリウス。


 その少し後ろに、エレナがいた。


 昨日の夜より近い。


 新聞の写真より生きている。


 記録映像より遠い。


 不思議な距離だった。


 白銀の髪飾り。


 冷たすぎない微笑み。


 背筋。


 視線。


 すべてが整っている。


 エレナ・フォルティス。


 俺の知識が、その名前を言う。


 俺の穴の縁が、遅れて痛む。


 中心は、まだ空白。


 でも、昨日より痛み方がはっきりしていた。


 エレナはこちらへ歩いてくる。


 レガリアの生徒たちが左右に少し開く。


 ヴァイス総監督もいる。


 公式の挨拶。


 これは記録される。


 観察される。


 だから、彼女は白銀の星として来る。


 それがわかる。


 コレットが立ち上がろうとして、レイナに肩を押さえられた。


「監督席です」


「今ですか」


「今です」


 コレットは座ったまま、背筋を伸ばした。


 レイナが一歩前に出る。


 部長代理のような姿勢。


 エレナは俺たちの前で止まった。


 最初にコレットを見る。


「カルミア魔法学園第七魔法競技部の皆様。王立レガリア魔法学院へようこそ」


 声は綺麗だった。


 遠くまで通る。


 誰が聞いても、代表候補として完璧な挨拶。


「本日の公開演習試合、良い競技にしましょう」


 コレットが答える。


「ご招待ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」


 形式通り。


 礼儀正しい。


 そして、重い。


 エレナの視線が、ゆっくりこちらへ来る。


 俺の前で止まる。


 時間にすれば、一秒もないかもしれない。


 でも、長く感じた。


「ルカ・ヴァレンさん」


 さん。


 昔もそう呼んでいたのか。


 違うのか。


 わからない。


 でも、その距離の取り方が、公式の場として完璧だった。


「お久しぶりです」


 お久しぶり。


 その言葉に、胸の奥が反応した。


 久しぶり。


 久しぶりであることは、知っている。


 でも、その間にあったはずの時間が、霧のように抜けている。


「お久しぶりです」


 俺は返した。


 敬語になった。


 そうするべきだと思ったから。


 そうしないと、何かを間違えそうだったから。


 エレナの微笑みは崩れない。


 でも、クラウンが少し揺れた。


 ノルが小さく息を飲む。


 クララがそれを見ている。


 エレナは続けた。


「ラグエッジ戦、拝見しました。見事な連携でした」


「ありがとうございます」


 言葉が硬い。


 自分でもわかる。


 本当は、もっと聞くべきことがあるのかもしれない。


 昨日の夜のこと。


 クラウンのこと。


 ルカ、と呼んでくれたかもしれない過去のこと。


 でも、ここは公式の場だ。


 彼女は白銀の星として立っている。


 俺は第七部の一員として立っている。


 本心を言う場所ではない。


 エレナも、それをわかっているのだろう。


「本日の試合、楽しみにしています」


 彼女は言った。


 嘘か。


 本当か。


 決めつけない。


 俺は少しだけ息を吸った。


「俺も」


 敬語が外れた。


 エレナの目が、ほんの少しだけ揺れた。


 ほんの少し。


 周囲には見えないかもしれない。


 でも、俺には見えた。


 風前確認ではない。


 魔法でもない。


 ただ、人の目の揺れ。


「楽しみにしています」


 俺は言い直した。


 エレナの微笑みが戻る。


「ええ」


 その一言だけ。


 それ以上は、言えなかった。


 互いに。


 ヴァイス総監督が会話を引き取る。


「では、下見を続けましょう。両校とも、準備時間は限られています」


 エレナは一歩下がる。


 レガリアの列へ戻る。


 その背中を、俺は見た。


 白銀の星。


 冷たい勝者。


 嘘つきエース。


 でも、昨日の夜、無言で頭を下げた人。


 クラウンに来てと言ったかもしれない人。


 俺がまだ決めつけてはいけない人。


 ネルが隣に来た。


 何も言わない。


 しばらくして、短く聞いた。


「どう?」


 俺は考えた。


 穴の縁。


 痛み。


 敬語。


 外れた一言。


 エレナの目の揺れ。


 クラウンの揺れ。


「痛い」


 俺は言った。


「朝より、ちゃんと痛い」


 ネルは少しだけ目を伏せた。


「そっか」


「ネルは?」


 聞く。


 先回りしないで。


 彼女に。


 ネルはエレナの背中を見た。


「嫌」


 短い。


「でも、あの人も、何か言えなかったんだと思う」


「そう見えた?」


「見えた。決めつけないけど」


 ネルは少しだけ笑った。


「嫌だけど、壊したいわけじゃない」


「うん」


「負けたくもない」


「それは俺も」


 ジャックが後ろから言う。


「そこは全員だろ」


 ロイが拳を握る。


「勝つっす」


 ガレスが短く言う。


「壊す場所を選ぶ」


 クララが資料を抱え直す。


「読む場所を選びます」


 ノルが部誌に書く。


「王冠、少し軽くなった」


 コレットが監督席から立ち上がろうとして、レイナに止められながら言った。


「では、負け筋を潰します」


 公開試合は、まもなく始まる。


 第15章は、ここで終わらない。


 いや、ここで一度終わる。


 エレナとルカは再会した。


 でも、本心は言えなかった。


 言えないまま、試合へ進む。


 それが、レガリアの白い競技場で与えられた最初の条件だった。


 白銀の星は、観客の前で微笑む。


 第七部は、その微笑みを決めつけない。


 そして俺は、自分の痛みを決めつけないまま、彼女の前に立つ。


 言えなかった言葉は、まだ残っている。


 試合の中で、それがどこへ行くのか。


 誰にも、まだわからなかった。


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