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第149話 公開試合前夜

 王都は、近づく前から王都だった。


 窓の外に見える建物が、少しずつ高くなる。


 線路脇の魔法灯が、地方のものより細く、明るく、等間隔になる。


 川に架かる橋には、王冠と旗の紋章が並んでいる。


 巡業列車の速度が落ちるたび、ホームにいる人たちがこちらを見る。


 カルミア魔法学園の巡業列車。


 第七魔法競技部。


 王立レガリアとの合同公開試合に招かれた没落校。


 その噂は、俺たちより先に王都へ入っていた。


「見られてますわね」


 レイナが窓の外を見ながら言った。


「当然ですわ。招待状が出た時点で、もう記事になっていますもの」


「うれしそう?」


 ネルが聞く。


「まさか」


 レイナは即答した。


「見世物扱いは不愉快です。ただ、見られるなら姿勢は整えるべきです」


「そこはブレないね」


「当たり前ですわ」


 彼女は自分の襟を直し、それからロイの襟を直した。


「ロイさん、そこ」


「え、俺もっすか」


「あなたの襟が乱れていると、第七部全体が騒がしく見えます」


「襟以外でも騒がしいって言われるっす」


「自覚があるなら直しなさい」


「襟で音量下がります?」


「気持ちの問題です」


 ロイは素直に直された。


 少し前なら、王都に入るだけで全員浮き足立っていたかもしれない。


 でも、今は違う。


 緊張している。


 王都の大きさより、レガリアの白さより、これから会う相手の重さが先に来ている。


 エレナ・フォルティス。


 白銀の星。


 嘘つきエース。


 俺の穴の中心にいたかもしれない人。


 俺は窓に映る自分の顔を見た。


 やはり、平気そうに見える。


 それが嫌だ。


 でも、少し前よりはわかる。


 平気そうな顔は、平気という証拠ではない。


 エレナの記事もそうだった。


 冷たく笑っている顔が、冷たい心の証拠とは限らない。


 決めつけない。


 それを、何度も自分に言い聞かせる。


「ルカくん」


 コレットが声をかけた。


 彼女はもう歩ける。


 ただ、まだ顔色が少し薄い。


 レイナが勝手に決めた監督席制度は続いていて、コレットは列車内でも椅子に座らされがちだった。


「今日の確認です」


「魔法は使わない」


「はい」


「風前確認はする」


「はい」


「エレナの本心を決めつけない」


「はい」


「ネルの反応も決めつけない」


「はい」


 ネルが隣で腕を組む。


「それ、毎回言うの?」


「必要なので」


 コレットが答える。


「私も言われる側なんだけど」


「ネルさんにも必要なので」


「う」


 ネルは少しだけ言葉に詰まった。


 最近、コレットは強い。


 倒れた後なのに、というより、倒れたからこそ何かを開き直った気がする。


「公開試合前夜の予定を確認します」


 アルフが手帳を開いた。


「王都駅到着後、レガリア指定の宿舎へ移動。競技場下見は明朝。今夜は公式挨拶のみ。エレナとの接触は、予定上はなし」


「予定上は、ね」


 リリィが言う。


「こういう時の予定は、だいたい美しい嘘です」


「レガリアだからな」


 ジャックが窓の外を見る。


「白くて綺麗な学校ほど、面倒なこと隠してそうだ」


「偏見ですわ」


 レイナが言う。


「でも、今回は否定しきれませんわね」


 クララは資料を抱えていた。


 レガリアから返答はあった。


 視線誘導装置の事前確認は一部許可。


 旗台構造は公開範囲のみ。


 クラウンの外部観察は、試合当日の規定距離からのみ許可。


 医務体制、交代枠、試合停止権限は確認可。


 こちらが求めた項目の半分ほどが、丁寧に拒否された。


 拒否されたこと自体が情報になる。


 クララはそう言った。


「クラウンに直接触れる許可はありません」


「そりゃそうだろ」


 ジャックが言う。


「ただし、試合中の旗接触は競技規則内です」


 クララは眼鏡を押し上げる。


「つまり、彼らは試合前の接触は拒みましたが、試合中の接触までは規則上拒めない」


「そこが、旗媒介接触の可能性」


 俺が言う。


 言った瞬間、コレットがこちらを見る。


「ルカくん」


「わかってる」


「魔法は」


「使わない前提」


「前提ではなく、今夜は使いません」


「今夜は使わない」


 コレットは頷いた。


 でも、俺は自分でもわかっている。


 試合中、絶対に使わないとまだ言えていない。


 その曖昧さが、全員に伝わっている。


 だからこそ、何度も確認される。


 王都駅に着いた。


 ホームは広い。


 高い天井。


 白い柱。


 魔法灯が昼のように明るい。


 記者がいた。


 下位校の巡業列車が到着するだけなら、普通はこんな人数はいない。


 レガリアとの公開試合。


 エレナ・フォルティスとルカ・ヴァレン。


 その物語が、人を集めている。


「第七魔法競技部ですか!」


「ラグエッジ戦の感想を!」


「レガリア戦への意気込みは!」


「ルカ・ヴァレン選手、エレナ・フォルティス選手との再戦について一言!」


 再戦。


 その言葉が飛んできた。


 俺の足が一瞬止まりかける。


 でも、コレットが前に出た。


 小柄な部長は、記者たちの前で背筋を伸ばす。


「取材は明日の公式受付を通してください。本日は移動日です」


「一言だけ」


「公式受付を通してください」


「ルカ選手に」


「第七魔法競技部への取材は、部を通してください」


 声は大きくない。


 でも、引かない。


 レイナがその横に立つ。


 姿勢が強い。


 ネルが俺の少し前に立つ。


 守るように。


 俺は、その背中を見ていた。


 ネルが自分で立った背中。


 俺が先回りして心配するものではない。


 でも、ありがたい背中。


 ジャックが記者の一人を睨む。


「道開けろ」


「ジャックさん、言い方」


 ロイが小声で注意する。


「丁寧に言えばいいのか」


「道を開けてください、っす」


「道を開けろください」


「混ざったっす」


 記者の何人かが笑い、空気が少し緩んだ。


 その隙に、駅職員とレガリアの案内係が道を作る。


 俺たちは宿舎へ向かった。


 王都の道は広い。


 夜なのに明るい。


 店の看板にも、競技旗の意匠がある。


 公開試合の告知が、すでに街角に貼られていた。


 王立レガリア魔法学院合同公開試合。


 白銀の星エレナ・フォルティス。


 カルミア第七魔法競技部。


 過去と現在が交差する特別演習。


「過去と現在」


 ネルがポスターを見上げる。


「勝手に書くね」


「書きやすいんだろ」


 俺が言う。


「あんたは?」


「何が」


「過去と現在が交差するって言われて、どう?」


 俺はポスターを見る。


 エレナの絵は大きい。


 俺の名前は小さい。


 第七部の名前は、それより大きい。


 過去と現在。


 便利な言葉だ。


 でも、俺の過去はところどころ抜けている。


 現在も、まだ安定していない。


 交差するというより、穴の空いた道と未完成の道がぶつかる感じだ。


「雑だと思う」


 俺は答えた。


 ネルは少しだけ笑った。


「いい答え」


「いいのか」


「うん。かっこつけてないから」


 宿舎はレガリアの外部来賓棟だった。


 白い壁。


 整った庭。


 部屋は広い。


 広すぎて落ち着かない。


 ラグエッジの鉄板床やフォルジアの工具音が少し恋しくなる。


 夕食後、公式挨拶があった。


 レガリア側から来たのは、ヴァイス総監督とユリウス・ヴェイン。


 エレナはいない。


 予定通り。


 でも、いないことにも意味がある。


「長旅お疲れさまでした」


 ヴァイスは穏やかに言った。


「明日の公開試合は、王都の多くの観客が注目しています。カルミアの近頃の成長を、ぜひ見せていただきたい」


「ご招待ありがとうございます」


 コレットが答える。


 椅子ではなく立っている。


 レイナが少し心配そうに見ていた。


「ただ、試合前確認について、いくつか追加で伺いたいことがあります」


「もちろん」


 ヴァイスは微笑む。


「安全確認は重要です」


 その言葉は正しい。


 でも、どこか白い。


 正しすぎて、触る場所がない。


 クララが許可範囲について質問する。


 アルフが旗台構造を確認する。


 コレットが停止権限の文面を再確認する。


 ヴァイスはすべてに丁寧に答えた。


 丁寧に答えながら、重要なところは少しずつ閉じている。


 隠しているというより、公開しない形を整えている。


 これがレガリアの大人か。


 そう思った。


 ユリウスはその横で、俺を見ていた。


 話が一通り終わった後、彼が近づいてくる。


「ルカ・ヴァレン」


「はい」


「会うのは初めて、でいいのかな」


「たぶん」


 ユリウスは少しだけ眉を上げた。


「たぶん?」


「俺の記憶が信用できない」


「正直だね」


「最近、そうすることにしてる」


 ユリウスは静かに笑った。


「エレナは、明日の試合前まで公式には会わない予定だ」


 その名前が出る。


 俺の中の穴の縁が痛む。


「公式には?」


「予定は予定だから」


 彼は俺を測るように見た。


 嫌な見方ではない。


 でも、レガリアの人間らしい目だ。


 形を見て、言葉を選び、踏み込みすぎない。


「彼女は強い」


 ユリウスが言う。


「知ってる」


「でも、強い人がいつも平気とは限らない」


 その言葉で、俺は彼を見た。


 ユリウスは、少しだけ困ったように笑う。


「僕が言えるのは、そのくらいだ」


「それは、忠告?」


「たぶん」


「誰への」


 彼は少し考えた。


「君へ。彼女へ。あと、僕自身へ」


 意味が全部わかったわけではない。


 でも、彼の言葉は完全なレガリアの白さだけではなかった。


「ありがとう」


 俺は言った。


 ユリウスは頷き、去っていった。


 その夜、俺は眠れなかった。


 窓の外には、レガリアの高塔が見える。


 白い石。


 銀の魔法灯。


 そのどこかに、エレナがいる。


 会う予定はない。


 公式には。


 俺はベッドに座ったまま、部誌の写しを開いた。


 ノルの一行。


 王冠は重い。


 でも、待っている。


 その下に、今日のポスターから切り取った小さな文字が貼られている。


 過去と現在が交差する。


 雑な言葉だ。


 でも、完全に間違いでもない。


 俺は自分の胸に手を当てた。


 感情の道は、まだ細い。


 エレナの名前を見ても、全部は戻らない。


 ネルの言葉は、今の場所に残っている。


 隣にいる時間。


 その二つは、同じ場所に置いていいのか。


 まだわからない。


 でも、決めつけない。


 そう思った時、窓の外で白い光が揺れた。


 俺は立ち上がる。


 カーテンの隙間。


 庭の向こう。


 高塔へ続く渡り廊下の端。


 白い影が見えた。


 王冠のような光。


 クラウンかと思った。


 でも、違う。


 人影だ。


 白銀の髪ではない。


 薄い月明かりに照らされた、銀の髪飾り。


 エレナ・フォルティスが、そこに立っていた。


 遠い。


 窓越し。


 庭越し。


 夜のレガリアの静けさ越し。


 それでも、わかった。


 写真ではない。


 記事ではない。


 記録映像でもない。


 エレナ本人だ。


 胸の穴の縁が、今までで一番強く痛んだ。


 中心は、まだ空白だった。


 でも、空白がそこにあると、はっきりわかった。


 エレナはこちらを見ていた。


 たぶん。


 距離がある。


 表情までは見えない。


 でも、逃げてはいない。


 俺も逃げなかった。


 窓を開けようとして、手を止める。


 公式には会わない予定。


 ここで声をかければ、何かが記録されるかもしれない。


 彼女にも不利になるかもしれない。


 俺は、勝手に決めつけない。


 でも、何もしないことも選択だ。


 迷っているうちに、エレナが少しだけ頭を下げた。


 挨拶。


 それだけ。


 遠い、短い、誰にも聞こえない挨拶。


 俺は、同じように頭を下げた。


 その瞬間、エレナの横に白い幻が一瞬だけ揺れた。


 王冠旗クラウン。


 夜の幻。


 ノルが見たものと同じかもしれない。


 クラウンは、エレナの横で小さく王冠を揺らした。


 重そうに。


 でも、少しだけ軽そうに。


 次の瞬間、エレナは背を向けた。


 白い渡り廊下の奥へ消える。


 クラウンの幻も消えた。


 俺は窓の前に立ったまま、しばらく動けなかった。


 再会した。


 いや、言葉も交わしていない。


 公式には会っていない。


 でも、見た。


 彼女がそこにいることを。


 俺を見たかもしれないことを。


 そして、何も言わずに頭を下げたことを。


 胸の空白は埋まらない。


 それでも、穴の縁に新しい記録が触れた。


 夜のレガリア。


 白い渡り廊下。


 エレナの短い礼。


 王冠旗の幻。


 それは、誰にも見られていないかもしれない。


 でも、俺は見た。


 忘れないように、部誌へ書こうと思った。


 いや。


 まずは、朝になったらみんなに話そう。


 勝手に一人で持たない。


 そう決めて、俺は窓から離れた。


 公開試合前夜。


 エレナとの再会は、声のない挨拶から始まった。


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