表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
149/166

第148話 泣く王冠旗

 ノルは、朝まで眠った。


 作戦車両の長椅子で。


 部誌を胸に抱えたまま。


 途中で医務係が一度様子を見に来て、起こしたほうがいいか迷った。


 でも、クララが止めた。


「夢の途中です」


 その一言で、医務係は困った顔をした。


 普通なら理由にならない。


 ただ、第七部では理由になる。


 夢の中で試合を再生できる記録係。


 眠っている間だけ旗と会話できる少女。


 ノル・フェインが深く眠っている時、そこにはだいたい何かがある。


 だから、誰も起こさなかった。


 夜の間、俺たちは交代で作戦車両に残った。


 コレットは医務室で眠っている。


 魔力消耗は大きいが、命に別状はない。


 レイナが付き添い、ガレスが水を置き、ロイが静かにする努力をした。


 静かにする努力というのは、ロイの場合かなり大きな努力だ。


 ジャックは「寝ろ」と言って一度部屋へ戻ったが、結局一時間後には戻ってきた。


 ネルは作戦板の前で、白銀の線を何度も描き直していた。


 アルフは、観客視線の仮想固定を図にしている。


 クララは、ノルの寝言を一言も逃さず書き留めた。


 俺は、何度も同じ行を見た。


 王冠は重い。


 泣いてる。けど、泣き方を知らない。


 夜に、窓へ行った。


 来てって言われた。


 声は嘘じゃない。


 エレナの声。


 嘘ではない可能性。


 その言葉を見るたびに、穴の縁が少しだけ痛んだ。


 記事の写真を見た時とは違う痛み。


 もっと細い。


 でも、奥まで入る。


 朝の列車は、王都へ向かう支線に入っていた。


 窓の外の景色が変わる。


 乾いた外縁から、整った石橋へ。


 広い用水路。


 遠くの高塔。


 標識の魔法灯。


 王都圏が近い。


 レガリアも近い。


 ノルが目を覚ましたのは、朝食の少し前だった。


 彼女は目を開け、最初に言った。


「王冠、首が痛いって」


 ジャックが顔をしかめる。


「第一声がそれか」


「重いから」


 ノルは起き上がり、部誌を開いた。


「書く」


「先に水」


 ガレスが水筒を差し出す。


「水も大事」


 ノルは素直に飲んだ。


 それから、部誌にゆっくり書き始める。


 寝起きなのに、字はきれいだ。


 眠っている時のほうが、彼女の記録は正確になる。


「見たものを順番に話してください」


 クララが言う。


「うん」


 ノルは少し考えた。


「白いところ。高いところ。みんなが見てる。王冠旗クラウンは、見られるほど光る。でも、光るほど重い」


「重いというのは、旗の物理的重さですか。術式負荷ですか」


「両方。たぶん、気持ちも」


 クララは頷いて書く。


「クラウンは泣いていましたか」


「泣いてた。でも、涙は出ない。旗だから」


「泣き方を知らない、という寝言がありました」


「うん。泣いてるって誰も気づかない。光ってるって思う」


 食堂車から朝食の匂いがしてきた。


 でも、誰も動かない。


 ノルの言葉を聞いている。


「エレナさんは?」


 コレットが医務室から戻ってきていた。


 顔色はまだ悪い。


 でも、立っている。


 レイナがすぐ横にいて、椅子へ座らせる気満々の顔をしている。


「部長、寝てなくていいんすか」


 ロイが小声で聞く。


「寝ていました」


「足りてないっす」


「足りていないのはわかっています。でも、聞きます」


 コレットは椅子に座った。


 ガレスが水を置く。


 レイナが毛布を肩にかける。


 コレットは少しだけ困った顔をしたが、拒まなかった。


 ノルは彼女を見て、続けた。


「エレナは、昼は白い。夜は暗い」


「どういう意味ですの」


 レイナが聞く。


「昼は見られてる。白く光る。夜は見られてない。暗いところで、クラウンに来てって言った」


 俺は息を止めた。


「その声は」


 ノルは俺を見る。


「嘘じゃない」


「どうしてわかる」


「旗が重くならなかった」


 クララがすぐに反応する。


「クラウンは嘘で重く、または光る。エレナさんの本音に近い声では、王冠負荷が変わらない?」


「うん。少し軽くなった」


「軽く」


 クララは書き込みながら、目を輝かせた。


「重要です。クラウンは嘘だけでなく、本音に近い呼びかけで負荷が軽減する可能性があります」


「でも、公開試合だと観客がいる」


 アルフが言う。


「昼。見られる。白い。重い」


 ノルが頷く。


「だから泣く」


 コレットは作戦板を見つめた。


「私の幻視で、エレナさんが冷たく笑って、クラウンが泣いていました。観客の前で、彼女が嘘を強めるほど、クラウンの負荷も増える」


「だったら、クラウンを軽くするには?」


 ネルが聞く。


「本音を言わせる?」


 ロイが言う。


「公開試合中に?」


 ジャックが眉を寄せる。


「無理だろ」


「無理とは限りません」


 クララが言った。


「ただし、エレナさんの本音をこちらが勝手に決めて言わせようとすると、逆に虚像を強める可能性があります」


 ネルがこちらを見た。


 昨日の話がよみがえる。


 感情を勝手に読むな。


 エレナにも同じことが言える。


 彼女の本音を、こちらが決めてはいけない。


「じゃあ、どうする」


 ジャックが聞く。


「本音を言わせるんじゃなくて」


 俺は考えながら言った。


「嘘をつかなくてもいい場所を作る」


 全員がこちらを見る。


 自分で言って、少し驚いた。


 でも、たぶん近い。


 エレナが何を言いたいかはわからない。


 俺が決めてはいけない。


 ただ、嘘をつくほど強くなるなら。


 嘘をつかなければ立てない場所にいるなら。


 必要なのは、本音を引きずり出すことではなく、嘘をつかなくても一瞬立てる場所だ。


「場所」


 ガレスが言う。


「そう。場所」


 フォルジアでガレスが言った。


 ここは壊させない。


 ラグエッジでジャックが学んだ。


 撃った後を預ける。


 ネルが言った。


 隣にいる。


 全部、場所の話だったのかもしれない。


 壊さない場所。


 預ける場所。


 隣にいる場所。


 エレナにも、それが必要なのかもしれない。


「試合中に、そんな場所を作れるの?」


 ネルが聞く。


「わからない」


「また」


「でも、作る方向なら考えられる」


 コレットが作戦板に新しい項目を書いた。


 クラウン軽減条件。


 一、嘘を強める観客視線をずらす。


 二、エレナの本音を決めつけない。


 三、嘘をつかなくても成立する一瞬の場を作る。


 四、ルカは魔法を使わない前提。


 四つ目を、コレットは強く丸で囲んだ。


「今は、です」


 彼女は俺を見た。


「今は、魔法を使わない前提で負け筋を潰します」


「わかってる」


「本当に?」


「本当に」


 コレットは少しだけ頷いた。


 彼女の顔色はまだ悪い。


 それでも、負け筋を書き換え始めると、少しだけいつもの部長に戻る。


 倒れた後でも、負け筋を潰す。


 その姿に、胸が痛む。


「部長も、無理しすぎないで」


 ロイが言った。


「はい」


 コレットは素直に頷いた。


 全員が少し驚く。


「何ですか」


「いや、反論すると思ったっす」


「倒れたので」


「倒れたので」


 ロイが繰り返す。


「説得力が強いっす」


 レイナが毛布を直しながら言った。


「今日は午前中、作戦指示は私たちで分担しますわ。コレットさんは監督席です」


「監督席?」


「椅子です」


「普通に椅子と言ってください」


「逃げないように名前をつけました」


 レイナは真顔だ。


 コレットは少し笑った。


「では、監督席にいます」


 少しだけ空気が柔らかくなった。


 朝食後、正式な通知が届いた。


 封蝋は王立レガリア魔法学院。


 白と銀。


 王冠の印。


 列車の管理室から、コレット宛に届けられた。


 コレットは椅子に座ったまま封を開ける。


 全員が見守る。


 紙は厚い。


 文字は美しい。


 内容は、予想通りだった。


 王立レガリア魔法学院より、カルミア魔法学園第七魔法競技部へ。


 巡業リーグ特別日程として、合同公開試合への招待。


 会場は王都レガリア公開競技場。


 形式は公開演習試合。


 参加目的は、代表選抜前の競技交流および下位校成長事例の公開。


 下位校成長事例。


 その文字に、リリィが露骨に顔をしかめた。


「たいへん丁寧な見下しです」


「交流試合ではありませんの?」


 レイナが紙を覗く。


「交流という名の展示会ですわね」


「見世物か」


 ジャックが言う。


「でしょうね」


 アルフが答える。


 ロイは少し不安そうに俺を見る。


「ルカ先輩」


「大丈夫」


 言ってから、自分で苦笑した。


「いや、大丈夫かはわからない」


「言い直したっす」


「でも、行く」


 それは決まっていた。


 逃げても、穴は残る。


 エレナの記事も、コレットの幻視も、クラウンの夢も、全部残る。


 なら、向き合うしかない。


 ただし、魔法を使わない前提で。


 感情を勝手に決めないで。


 エレナの本音も、ネルの感情も、自分の穴も。


 全部を一人で持とうとしないで。


「行きます」


 コレットが正式に言った。


「ただし、こちらから条件を返します」


「条件?」


 ジャックが聞く。


「公開演習試合なら、こちらにも安全確認と記録確認の権利があります。観客視線の魔法固定が疑われるため、競技場の視線誘導装置、旗台構造、医務体制、交代枠、試合停止権限を事前確認します」


 クララが頷く。


「古代旗術式の読み取り許可も求めるべきです。少なくとも、クラウンの外部観察許可」


「レガリアが許すか?」


 アルフが言う。


「全部は無理でしょう」


 コレットは答える。


「でも、求めた記録が残ります。拒否された項目も、後で意味を持ちます」


「部長、戻ってきたっす」


 ロイが少し安心した顔をする。


「監督席から指示します」


「椅子っすね」


「監督席です」


 ノルが招待状を見て、ぽつりと言った。


「王冠、待ってる」


 俺は彼女を見る。


「クラウンが?」


「うん。重いから、誰かが来るのを待ってる」


「エレナは?」


 聞いてしまった。


 ノルは少しだけ眠そうに首を傾げる。


「エレナも、たぶん待ってる。でも、自分が待ってるって言えない」


 その言葉で、胸の穴の縁がまた痛んだ。


 待っている。


 誰を。


 俺を。


 そう決めてはいけない。


 でも、その可能性を完全に消すこともできない。


 ネルが隣に立った。


 何も言わない。


 ただ、立つ。


 俺はその存在を、先回りして読まないようにした。


 感じるだけにする。


「ルカ」


 彼女が言った。


「何」


「今、決めつけないで」


「エレナのこと?」


「うん」


「わかってる」


「あと、自分のことも」


 痛いところを突かれた。


 俺は少し笑った。


「訓練成果が出てるな」


「私の?」


「俺の」


「まだまだ」


 ネルはいつもの調子で言った。


 でも、声は少し優しかった。


 午後、返答文を作った。


 コレットが監督席から指示し、クララが術式確認項目を追加し、レイナが文面の礼儀を整え、リリィが嫌味を削った。


「削りすぎです」


 リリィが不満そうに言う。


「公文書ですわ」


 レイナが言う。


「公文書にも毒は必要です」


「不要です」


「では一滴だけ」


「一滴も不要です」


 そのやり取りを聞きながら、俺は招待状の王冠印を見ていた。


 白銀の星。


 王冠旗クラウン。


 嘘つきエース。


 忘れられない少女。


 そして、忘れられた部分を抱えた俺。


 公開試合は、見世物になる。


 レガリアはそれを望んでいる。


 連盟も、観客も、新聞も。


 でも、第七部は見世物で終わらない。


 観客の視線をずらす。


 嘘をつかなくてもいい場所を作る。


 クラウンの重さを軽くする。


 コレットの敗北幻視を潰す。


 魔法を使わない前提で、エレナの前へ行く。


 やることは多い。


 多すぎる。


 でも、ラグエッジでジャックは言った。


 残る。


 ガレスは言った。


 ここは壊させない。


 ネルは言った。


 隣にいる。


 なら、俺も言わなければならないのかもしれない。


 まだ、うまく言葉にはできない。


 ただ、招待状を畳む時、俺は思った。


 行く。


 魔法を使うためではない。


 過去を取り戻すためだけでもない。


 エレナが本当に何を言うのか、俺が勝手に決めないために。


 そして、俺自身が何を感じるのか、逃げずに聞くために。


 王都行きの線路は、夕方の光の中でまっすぐ伸びていた。


 レガリアからの招待状は、部誌の間に挟まれた。


 ノルがその横に、小さく書いた。


 王冠は重い。


 でも、待っている。


 その一行を見て、誰も笑わなかった。


 公開試合は、もう避けられなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ