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第140話 ここに残る理由

 カルミアが旗接触点を取った後、ラグエッジは笑った。


 普通なら、焦る場面だ。


 点を取られ、旗の進路を塞がれ、こちらの危険利用を逆に使われた。


 けれど、ラグエッジの選手たちは笑った。


 観客も笑った。


 面白いものを見た時の笑いだった。


 危険が、ただの危険ではなくなった。


 その瞬間を見た者たちの笑い。


 サラ・ディーンは防護具の肩を叩き、こちらへ声を投げた。


「いいじゃん、ジャック・バーネル!」


 ジャックは顔をしかめる。


「試合中に呼ぶな」


「呼べって言ったの、そっちでしょ」


「うるせえ」


「褒めてる」


「褒め方が荒い」


「ラグエッジだから」


 サラは笑ったまま構え直した。


「でも、ここからだよ」


 その通りだった。


 試合はまだ残り三分。


 カルミアがわずかにリード。


 しかし、ラグエッジは終盤ほど強い。


 危険が増えるほど、イエロウは動きやすくなる。


 疲労が出るほど、こちらの線は乱れる。


 ロイの音も、アルフの結界も、ネルの一瞬も、ガレスの破片回収も、無限ではない。


 そしてジャックの攻撃も、撃つたびに怖さを残す。


 コレットが作戦板を見た。


「逃げ切りは難しいです」


「攻める?」


 ネルが聞く。


「攻めます。ただし、全部は取りに行きません」


「どういう意味だ」


 ジャックが聞く。


「イエロウは危険へ寄ります。最後にラグエッジは、最大の危険を作るはずです」


「最大?」


「こちらの旗台、相手の旗、ジャックくんの攻撃、全部が重なる場所」


 俺は競技場を見た。


 ラグエッジ側の配置が変わっている。


 中央右にサラ。


 左奥にベン。


 他の三人が三角形を作る。


 床の警告線はまだ光っていない。


 だが、嫌な空白がある。


 危険が起きる前の静けさ。


 風前確認をしなくてもわかる。


 あそこに何か来る。


「ルカ」


 アルフが言う。


「中央右、どう見える」


「空気が軽すぎる」


「軽い?」


「圧を抜いてる。たぶん、後で一気に戻す」


 クララが外から声を上げる。


「イエロウの術式が中央右を見ています。危険がまだないのに、旗の端が反応しています」


「予告危険か」


 ロイが呟く。


「嫌な言葉っす」


「ラグエッジらしい」


 アルフは結界符を確認した。


 残りは少ない。


 今の強度で受けられるのは、たぶん一回。


 ネルも肩で息をしている。


 ミラは交代枠の準備をしているが、ここで入るとネルの一瞬道が消える。


 ガレスは破片を拾い続けて、手袋の端が裂けていた。


 ロイの指も疲れている。


 それでも、誰も下がらない。


 ジャックは中央右を見ていた。


「来るな」


「来る」


 俺は言った。


「撃つか」


「まだわからねえ」


「それでいい」


 ジャックが少しだけこちらを見る。


 以前なら、今の言葉に苛立ったかもしれない。


 でも、今は違う。


 撃つか撃たないかを、先に決めない。


 決めるために見る。


 決めた後は、預ける。


 それが今日のジャックだ。


 ラグエッジが動いた。


 ベンが左奥の床へ魔力を撃つ。


 見せ危険。


 同時に、サラが中央右へ低く走る。


 彼女の足元で、今まで消えていた警告線が一気に赤く光った。


 中央右。


 予告危険が本物になる。


 イエロウが飛ぶ。


 速い。


 今までで一番速い。


 危険を待っていたのではない。


 危険が来る前から、そこへ向かう準備をしていた。


 危険へ寄る旗の本気。


 こちらの旗が追うが、遅れる。


「中央右、本命!」


 コレットが叫ぶ。


「ロイくん、長短二連! ネルさん、右前一瞬! アルフくん、最後の結界準備!」


 音が鳴る。


 長く、短く、短く。


 ロイの指が震えている。


 でも、音は通る。


 ネルが右前へ入る。


 一瞬だけ。


 アルフが最後の結界符を構える。


 ガレスが破片の流れを見る。


 俺は風前確認。


 重い。


 あまりにも重い。


 中央右には、危険が重なりすぎている。


 イエロウ。


 サラ。


 警告線。


 こちらの旗。


 崩れかけた防壁。


 観客席側へ流れかける魔力圧。


 そして、ジャックの攻撃が寄るであろう、壊してはいけないもの。


 多すぎる。


「風前確認」


 俺は言った。


 喉が乾く。


「危険過多。通常発射は不可」


 ジャックの顔が動いた。


 通常発射は不可。


 つまり、撃つな。


 でも、撃たなければイエロウに届かない。


 サラはその迷いを狙っている。


 危険を重ね、ジャックに撃たせない。


 撃たせても、壊してはいけないものへ寄らせる。


 どちらでもラグエッジが勝つ配置だ。


「停止?」


 コレットが俺を見る。


 俺は首を横に振った。


「通常発射は不可。でも、逸らす先を作れば撃てる」


「どこへ」


 アルフが聞く。


 俺は中央右を見る。


 壊してはいけないものが多すぎる。


 なら、壊していいものを増やすしかない。


 フォルジアでガレスがやったこと。


 壊す場所を選ぶ。


 今度は、壊す場所を作る。


「ガレス」


「いる」


「中央右の防壁、外側の支えを壊せるか」


「壊せる」


「壊したら?」


「防壁が内側へ倒れる。危ない」


「内側じゃなく、下へ落とせるか」


 ガレスは一瞬考えた。


「支え二つ。右を壊して、左を残す。倒れず沈む」


「それで壊していい場所になる」


 アルフが理解した。


「沈む防壁を、ジャックの攻撃の逸らし先にする」


「そう」


 コレットが即座に判断する。


「ガレスさん、防壁支え右を破壊。アルフくん、沈む防壁の左面を結界で受けてください。ネルさん、イエロウの前ではなく、こちらの旗の足場を一瞬ずらしてください」


「了解」


 ネルが低く答える。


 ジャックは黙っていた。


 全部を聞いている。


 全部を握ろうとしていない。


 聞いて、預け先を確認している。


「ジャックくん」


 コレットが言う。


「撃つかどうかは、あなたが決めてください」


 ジャックは中央右を見た。


 イエロウが迫る。


 サラが防壁の影へ入る。


 ベンが見せ危険をさらに光らせる。


 観客席の声が遠くなる。


 俺には、ジャックの息が聞こえた気がした。


「撃つ」


 彼は言った。


「撃った後は?」


 俺が聞く。


「預ける」


 コレットが頷く。


「発射許可」


 ロイの音が鳴った。


 今までで一番小さい。


 でも、一番通る音。


 ガレスの手が動く。


 黒い亀裂が中央右の防壁支えに走った。


 右支えだけが砕ける。


 防壁が傾く。


 倒れない。


 左支えが残り、下へ沈む。


 壊していい場所が生まれる。


 ジャックが撃つ。


 攻撃は激しく曲がった。


 イエロウへ。


 サラへ。


 こちらの旗へ。


 壊してはいけないもの全部へ寄ろうとする。


 俺の横を通る。


 怖い。


 でも、俺は動かない。


 ネルがこちらの旗の足場を一瞬だけずらす。


 旗が半歩分、危険から外れる。


 アルフの結界が沈む防壁の左面に重なる。


 ジャックの攻撃がその結界へ吸われる。


 結界が割れる。


 最後の一枚。


 割れた破片が、攻撃の横腹を押す。


 攻撃はサラでも、イエロウでも、こちらの旗でもなく、沈む防壁の支点へ逸れた。


 そこは壊していい場所。


 いや、今この瞬間、壊すべき場所になった。


 ばん、と音が鳴る。


 防壁が沈み切る。


 中央右の魔力圧が、防壁の下へ逃げる。


 イエロウが危険へ飛び込もうとして、危険が消えた。


 黄色い旗が空中で一瞬迷う。


 その一瞬。


 カルミアの旗が届いた。


 ネルの一瞬でずらされた足場を踏み、ロイの音を追い、ガレスが作った沈む防壁の上をかすめるようにして。


 旗同士が触れる。


 審判の笛。


 旗接触点。


 追加点。


 そして、終了の鐘。


 カルミア勝利。


 観客席が、爆発した。


 歓声。


 怒号。


 笑い声。


 床を踏む音。


 ラグエッジの観客は、負けても騒がしい。


 いや、負けたからこそ騒がしいのかもしれない。


 面白い危険を見た。


 だから騒ぐ。


 ジャックは撃った姿勢のまま、しばらく動かなかった。


 俺は横に立った。


「勝った」


「見ればわかる」


「預けたな」


「何回言うんだよ」


「必要な回数」


「コレットの真似すんな」


 彼は息を吐き、膝に手をついた。


 疲れた顔。


 でも、壊れた顔ではない。


 危険な攻撃を撃った後の顔ではなく、チームで勝った後の顔だった。


 サラがこちらへ歩いてきた。


 防護具に傷がある。


 頬にも小さな煤。


 でも、笑っている。


「負けた」


「そうだな」


 ジャックが言う。


「悔しい?」


「そっちが聞くのかよ」


「うちは聞く」


「悔しいだろ、そりゃ」


 サラは笑う。


「こっちも悔しい」


「負けたのそっちだろ」


「だから悔しい」


 彼女は手を差し出した。


 ジャックは少し迷ってから握った。


「危険砲じゃなかったね」


 サラが言う。


 ジャックの眉が動く。


「あ?」


「危険な攻撃役ではあるけど、危険砲じゃない。少なくとも今日は」


「じゃあ何だよ」


 サラは少し考えた。


「第七部の攻撃役」


 ジャックは黙った。


 観客席の騒音が続く。


 ロイが向こうで喜びすぎてコレットに止められている。


 ネルは疲れて座り込み、レイナに姿勢が悪いと注意されている。


 アルフは最後の結界符の欠片を拾い、ガレスに割れ方を説明している。


 リリィはグレイに「あなたの功績は三割です」と言い、グレイは不満そうだ。


 クララはイエロウの術式反応を記録し、ノルは半分寝ながら「危険は、名前をつけられて少し寝た」と書いている。


 その全部を、ジャックは見た。


 そして、サラの手を離した。


「第七部の攻撃役、ね」


 彼は小さく言った。


「悪くねえの?」


 俺が聞く。


「悪い」


「そうか」


「でも、危険砲よりはまし」


 ネルが遠くから声を飛ばす。


「それ、私が昨日言った」


「聞こえてねえ」


「聞こえてるでしょ」


「聞こえてねえ」


 ジャックは顔をそらした。


 耳が赤い。


 試合後の握手を終え、俺たちは競技場の端へ戻った。


 イエロウが、なぜかジャックの後ろをついてくる。


 ラグエッジの旗なのに。


 審判が少し困った顔をしている。


 サラは笑っていた。


「気に入られたね」


「やめろ」


 ジャックが本気で嫌そうな顔をする。


 イエロウは彼の足元で揺れる。


 危険へ寄る旗。


 でも今は、危険そのものではなく、危険を預けた攻撃役のそばにいる。


「お前、もう危なくねえぞ」


 ジャックが旗に言った。


 イエロウは揺れる。


「危ないもの探すなら、他行け」


 また揺れる。


 ジャックはため息をついた。


「嫌な旗」


 それはもう、悪口というより挨拶に近かった。


 控室に戻る途中、ジャックは一度だけ立ち止まった。


 外縁校の校門が見える場所。


 焼けた旗の切れ端が、風に揺れている。


 危険を忘れないための記録。


 その下で、ジャックは言った。


「俺さ」


 珍しく、自分から話し始めた。


 俺たちは足を止める。


「前の学校で、撃つなって言われたことはある」


 誰も口を挟まなかった。


「撃てって言われたこともある。危ないけど当たれば勝てるからって。どっちも嫌だった」


 彼は校門の旗を見上げる。


「撃つなって言われると、いらねえって言われてる気がした。撃てって言われると、壊してもいいって言われてる気がした」


 重い沈黙。


 でも、ジャックは続けた。


「ここは面倒だ」


「第七部?」


 俺が聞く。


「そう」


「今さらだな」


「うるせえ」


 彼は少し笑った。


「撃つなって言う。でも、いらねえって意味じゃない。撃てって言う。でも、壊してもいいって意味じゃない」


 それは、たぶんジャックにとって大きな発見だった。


 撃つな。


 撃て。


 同じ言葉でも、誰がどんな場所から言うかで意味が変わる。


 第七部では、撃つなは拒絶ではない。


 撃ては使い捨てではない。


 どちらも、作戦であり、信頼であり、面倒な確認だ。


「だから」


 ジャックは言った。


「残る」


 短い言葉だった。


 でも、はっきりしていた。


 誰かに引き止められたからではない。


 危険砲として使われるからでもない。


 問題児として置いてもらえるからでもない。


 第七部の攻撃役として、撃つ時は撃ち、撃たない時は撃たず、撃った後を預けられる場所だから。


 ジャックは自分で、ここに残る理由を認めた。


 コレットが静かに笑った。


「はい」


 それだけだった。


 部長の返事は短い。


 でも、十分だった。


 ロイが泣きそうな顔をしていた。


「ジャック先輩……」


「泣くな」


「まだ泣いてないっす」


「泣く前の顔だ」


「わかるんすか」


「うるさいからな」


「泣く前はうるさくないっす!」


 ネルが笑った。


 レイナが呆れた。


 ガレスが「水」と言って水筒を差し出した。


 リリィが「感動場面に水筒を出す人、初めて見ました」と毒づいた。


 クララが「水は古代儀礼でも重要です」と真面目に補足した。


 ノルが「水も大事」と記録した。


 ミラが全員の荷物を持とうとして、ガレスに止められた。


 いつもの第七部だった。


 ジャックはその真ん中で、嫌そうに顔をしかめている。


 でも、離れない。


 俺は思った。


 危険な攻撃は、危険なままだ。


 ジャックの魔法が完全に安全になったわけではない。


 一番壊してはいけないものへ寄る癖も消えていない。


 これからも怖い。


 これからも面倒だ。


 でも、彼はもう、危険砲という名前だけではない。


 第七魔法競技部のジャック・バーネル。


 その名前で、ここに残る。


 ラグエッジの校門で、焼けた旗の切れ端が揺れた。


 危険を忘れないための記録。


 俺たちの記録にも、今日の試合は残るだろう。


 撃ったこと。


 撃たなかったこと。


 預けたこと。


 そして、ジャックが自分で残ると言ったこと。


 それはきっと、忘れられない。


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