表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
134/166

第133話 危険へ寄る旗

 ラグエッジの競技棟は、音が近かった。


 天井が低いわけではない。


 壁が狭いわけでもない。


 むしろ、競技場そのものは広い。


 ただ、どこかで鳴った音が、逃げずに戻ってくる。


 防壁に当たった魔力弾の音。


 足場を踏む音。


 警告鐘。


 誰かの笑い声。


 教師の短い指示。


 全部が場内で跳ね返り、こちらの耳に届く。


 ロイが少し嫌そうな顔をした。


「ここで俺が鳴らしたら、めちゃくちゃ響きそうっす」


「響くよ」


 サラが答える。


「ラグエッジの競技棟は、危険音を拾いやすいように作ってる。壊れる音、圧が漏れる音、旗が急に走った音。聞こえないと遅れるから」


「俺の音、危険音扱いっすか」


「音量による」


「だいたい危険っすね」


「じゃあ便利」


 ロイは複雑そうに笑った。


「便利って言われると、ちょっと嬉しいっす」


「ロイ、すぐ懐く」


 ネルが呆れる。


「褒められたら懐くのは普通じゃないっすか?」


「危険音扱いは褒めてない」


「でも便利って」


「そこだけ拾うな」


 そのやり取りの間も、ジャックは競技場の中央を見ていた。


 黄色い旗、イエロウ。


 裂けた警告帯のような旗は、競技場の低い位置を漂っている。


 旗台から離れ、わざわざ危ない場所を選んで動く。


 右側の訓練区画では、二人のラグエッジ生が短い魔力刃を打ち合っていた。


 防壁は薄い。


 教師は止めない。


 刃が弾かれ、床に火花が散る。


 イエロウは、その火花へ近づいた。


 まるで興味を持った子供みたいに。


 いや、違う。


 子供というより、火傷した場所をもう一度指で触る人間に似ている。


 痛いと知っていて、確かめに行く。


 危ないと知っていて、目をそらさない。


「あれ、触れたら燃えるんじゃないの?」


 ネルが言った。


「燃えるよ」


 サラは平然と答えた。


「燃えるのかよ」


「少しならね。だから火に強い繊維で編んでる」


「そういう問題?」


「そういう問題。危ないものへ寄る旗だから、危ないものへ寄っても終わらないように作る」


 クララが静かに一歩前へ出た。


「近づく理由は、競技設計ですか。それとも旗の術式由来ですか」


「両方、らしい」


 サラが答える。


「詳しいことは顧問に聞いて。あたしらは、あれが危険なほうへ寄ることだけ知ってればいい」


「知っていればいい、では足りません」


 クララは少しむっとした。


「旗の性質が術式由来なら、危険への接近は逃走ではなく確認行動です。確認行動なら、誘導条件が違います」


「研究校みたいなこと言うね」


「研究校には残りませんでした」


「なんで?」


「人の許可なく読みそうな人がいたからです」


 サラは一瞬ぽかんとして、それから笑った。


「カルミア、変なの多いね」


「否定できませんわ」


 レイナがため息をつく。


 イエロウが火花の縁をかすめた。


 ぱち、と音がする。


 旗の端が小さく焦げる。


 それでも逃げない。


 焦げた場所を一度揺らし、今度は反対側の練習区画へ向かった。


 そこでは防壁の耐久試験が行われていた。


 魔力圧を上げ、壁がどこで割れるか見る訓練。


 普通の旗なら、割れる前に遠ざかる。


 イエロウは、割れそうな場所へ寄る。


 防壁のひびを覗き込むように。


「あれ、試合でもそう動くのか」


 俺が聞く。


「もちろん」


 サラは頷く。


「相手の危険な攻撃。味方の危ない癖。壊れかけの足場。暴発寸前の魔力圧。イエロウはそういうところへ行く。だから捕まえにくい」


「普通は危険から逃げる旗を追う」


 アルフが言う。


「あれは、危険へ向かう旗を止める必要がある」


「そう」


 サラは少し楽しそうに頷いた。


「逃げる相手じゃない。寄る相手。しかも、こっちが危険を消すと興味をなくして別の危険へ行く」


「厄介だな」


「ラグエッジの旗だからね」


 アルフは視線をイエロウから外さず、手帳を開いた。


 彼がこういう顔をする時は、もう作戦を組み始めている。


 だが、ジャックは違った。


 イエロウを見ているが、作戦を考えている顔ではない。


 嫌なものを見ている。


 でも、目を離せない。


「ジャック」


 俺が呼ぶ。


「何だ」


「嫌いか」


「嫌いだな」


「面白いんじゃなかったのか」


「嫌いで面白いって昨日言っただろ」


「昨日じゃない。さっきだ」


「細かい」


 ジャックはイエロウを睨んだまま言う。


「ああいうのが一番面倒なんだよ。危ないってわかってるところに自分から来るやつ」


「お前みたいだから?」


「二回目だぞ、それ」


「答えてない」


 ジャックは舌打ちした。


「俺は寄ってねえ。向こうが勝手に置く」


「危ない場所に?」


「問題児の席に」


 短い答え。


 俺は何も言わなかった。


 ジャックは少しだけ続けた。


「でも、あの旗は自分で行く。わざわざ火花に近づく。割れる壁を見に行く。馬鹿だろ」


「ラグエッジでは強いんだろ」


「強くても馬鹿だ」


「それもお前みたいだな」


「殴るぞ」


「工具箱を持ったままか?」


 ジャックは自分の手を見た。


 ガレスの工具箱。


 まだ持っている。


 ガレスはいつの間にか少し離れ、競技場の床の継ぎ目を見ていた。


 返せと言わない。


 持たせたままだ。


 ジャックはまた舌打ちした。


「これ、いつまで持つんだよ」


「落とすまで」


 ガレスが遠くから答える。


「落とさねえよ」


「じゃあ、しばらく」


「お前、意外と性格悪いな」


「少し」


 ガレスが真顔で認めたので、ロイが笑った。


 その時、競技場の奥で警告鐘が鳴った。


 短く二回。


 サラの表情が変わる。


「防壁割れる」


 その声と同時に、耐久試験区画の防壁に大きなひびが入った。


 教師が手を上げる。


 生徒が魔力を落とす。


 普通ならそれで終わる。


 だが、イエロウがひびへ寄った。


 速い。


 さっきまでの漂う動きではない。


 危険がはっきりした瞬間、旗はそちらへ走る。


 裂けた黄色が床すれすれを飛び、割れかけた防壁の内側へ潜り込もうとした。


「止めろ!」


 教師の声。


 ラグエッジの生徒が動く。


 でも、間に合わない。


 防壁が割れれば、内側に溜まった圧が外へ吐き出される。


 イエロウはその圧の真正面に行く。


 燃えるだけでは済まない。


 反射的にネルが踏み出した。


 ミラも動こうとする。


 だが、サラが叫ぶ。


「入るな! 訓練区画の圧が読めない!」


 足が止まる。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、全員が迷った。


 その時、ジャックが工具箱をガレスへ投げた。


「持て!」


 ガレスが受け取る。


 重い工具箱が、鈍い音を立てて彼の胸に収まる。


 同時に、ジャックの手が上がった。


「撃つな!」


 コレットが叫ぶ。


 だが、ジャックは撃った。


 魔力の弾が走る。


 真っ直ぐではない。


 いつも通り、味方の近くへ寄る癖を持った攻撃。


 その場にいた味方は、俺たちだ。


 ジャックの弾は、俺の肩の横をかすめるような軌道で走った。


 近い。


 近すぎる。


 風圧が頬を打った。


 ネルが息を呑む。


 アルフの手が動きかける。


 でも、結界は出なかった。


 間に合わなかったのではない。


 出せなかった。


 まだ配置が決まっていない。


 まだ、味方の近くを通る攻撃を受ける準備がない。


 魔力弾は俺の横を抜け、防壁のひびではなく、その手前の床に当たった。


 床の継ぎ目。


 そこにあった緊急排圧板が砕ける。


 圧が下へ逃げた。


 割れかけていた防壁が、ぎりぎりで崩れずに持ち直す。


 イエロウは圧の真正面へ入る前に、ふわりと跳ねた。


 危険が消えたからではない。


 危険の流れが変わったから、追う先を失ったのだ。


 黄色い旗は空中でくるりと回り、ジャックの魔力弾が通った跡へ寄ってきた。


 壊れた排圧板。


 俺の肩のすぐ横を抜けた軌道。


 危険だった場所。


 イエロウがそこへ近づく。


 場内が静まった。


 最初に声を出したのは、サラだった。


「今の、誰が許可した」


 低い声。


 さっきまでの荒っぽい笑いはない。


 ラグエッジの副長の声だった。


 ジャックは肩で息をしている。


「間に合っただろ」


「誰が許可したって聞いてる」


「旗が突っ込んだ」


「訓練区画の手順はこっちにある。あんたの攻撃じゃない」


 サラが一歩近づく。


「しかも、味方の横を通した」


 ジャックは答えない。


 俺は自分の肩に手を当てた。


 当たってはいない。


 でも、近かった。


 ものすごく近かった。


 頬にまだ風圧の感触がある。


 ネルが俺の前に出る。


「ルカ、大丈夫?」


「当たってない」


「そういう話じゃない」


 声が硬い。


 ロイも笑っていない。


 レイナは顔色が悪い。


 リリィはグレイを抱き上げて、ジャックを睨んでいた。


 コレットは震える手で資料を握っている。


 ガレスは工具箱を持ったまま、じっとジャックを見ていた。


 アルフだけが、床の壊れた排圧板と俺の位置を交互に見ている。


 怒っていないわけではない。


 ただ、怒る前に記録している。


「ジャック」


 俺は言った。


 声が少し遅れて出た。


「何だよ」


「今のは、助かった」


 ジャックの目が少し動いた。


「だろ」


「でも、怖かった」


 彼の顔が固まる。


 俺は続けた。


「当たらなかった。排圧板を壊した。旗も助かった。判断としては間違ってないかもしれない」


「なら」


「でも、俺はお前が俺の横を通すって知らなかった」


 場内の音が、遠くなった気がした。


 これは責めている。


 たぶん、責めるべきだ。


 助かったから終わりにしたら、次も同じことをする。


 次は、当たるかもしれない。


 あるいは、当たらなくても、誰かがジャックを信じられなくなる。


「信じる準備がないまま、撃たれた」


 俺は言った。


「それは、怖い」


 ジャックは何も言わない。


 言い返すと思った。


 いつもなら、言い返す。


 けれど彼は、俺の肩を見ていた。


 自分の攻撃がかすめた場所を。


 それから、床の排圧板を見る。


 壊すべき場所は壊した。


 一番壊してはいけないものには当てなかった。


 だが、近すぎた。


 近くを通ったのは、魔法の癖だけではない。


 彼が、俺たちに知らせなかったからだ。


「……悪い」


 ジャックが言った。


 小さな声だった。


 ロイが目を丸くする。


 ネルも少し驚いた顔をした。


 ジャックはすぐに顔をそらす。


「今のは、悪い」


 サラが息を吐いた。


「謝れるなら、まだまし」


「うるせえ」


「うるさいのはあんたの攻撃」


 ロイが小さく手を上げた。


「それ、俺の担当っす」


「張り合うな」


 ネルが突っ込む。


 少しだけ空気が戻った。


 でも、完全には戻らない。


 戻してはいけない。


 今の怖さを、なかったことにしてはいけない。


 イエロウが、壊れた排圧板の近くで揺れている。


 黄色い旗は、ジャックの攻撃跡に興味を持っていた。


 危険へ寄る旗。


 それは、ジャックの攻撃にも寄る。


 つまり、試合ではジャックが撃つたびに、イエロウは近づくかもしれない。


 危ない。


 ただし、利用できる。


 アルフが手帳を閉じた。


「ジャック」


「何だよ」


「今の軌道を、もう一度出せるか」


「は?」


 ネルが叫びかける。


 コレットも驚いた顔をした。


 アルフは続ける。


「撃てと言っていない。記録する。ルカの横を通った角度、排圧板に当たった位置、イエロウの反応。攻撃軌道をこちらで使うなら、まず危険を分解する必要がある」


「分解って」


「怖かった、で止めない。助かった、でも止めない。両方記録する」


 アルフの視線が俺に向く。


「ルカ、肩の位置を覚えているか」


「だいたい」


「ネル、風圧で動いた髪の向きは」


「見てた。嫌なくらい」


「ロイ、音は」


「最初の破裂音と、床に当たった音、別で覚えてるっす」


「ガレス、排圧板の壊れ方は」


「中心じゃない。端を抜いた」


「クララ、イエロウの動きは」


「危険発生点ではなく、危険経路へ移りました。攻撃跡を確認しています」


 アルフは頷いた。


「なら、練習できる」


 ジャックは呆れたように言った。


「お前ら、怖くなかったのかよ」


 ネルが即答した。


「怖かった」


 ロイも頷く。


「めちゃくちゃ怖かったっす」


 レイナは腕を組む。


「不愉快なほど怖かったですわ」


 リリィが続ける。


「二度と無許可でやったら、グレイに靴紐を全部噛ませます」


 グレイが任せろと言いたげに鳴いた。


 ガレスは短く言う。


「怖い」


 ジャックは言葉を失った。


 俺は肩を回しながら言った。


「だから、次は怖い理由を先に置く」


「意味わかんねえ」


「俺もまだわかってない」


 アルフが補足する。


「怖い場所を全員で知る。知らない怖さは、信頼を壊す。知っている怖さは、配置できる」


 サラが腕を組んだ。


「面白いね、カルミア」


「面白がる場面ではありませんわ」


 レイナが睨む。


「でも面白いよ」


 サラはイエロウを見た。


「危険へ寄る旗と、危険へ寄る攻撃。普通なら最悪。でも、あんたらはそれを分解するつもりなんだ」


「普通なら?」


 俺が聞く。


「普通の学校なら、ジャックを撃たせない」


 サラは言った。


「ラグエッジなら、撃たせてから痛い目を見る。カルミアは、怖いって言ってから使うんだね」


 その言い方が正しいのかは、わからない。


 でも、たぶん近い。


 俺たちは強いからジャックを使うのではない。


 怖くないから隣に立つのでもない。


 怖い。


 だから、怖い場所を記録する。


 怖いまま、信じる準備をする。


 イエロウが壊れた排圧板から離れた。


 今度はジャックへ近づく。


 黄色い旗が、彼の足元の少し前で揺れた。


 危険なものを見に来る旗。


 ジャックは嫌そうな顔をした。


「来んな」


 イエロウは来る。


「来んなって」


 さらに来る。


 ジャックは後ずさりしかけて、止まった。


 逃げると、旗は追うかもしれない。


 彼はその場に立ったまま、低く言った。


「俺を見ても、面白くねえぞ」


 イエロウは答えない。


 ただ、裂けた黄色を小さく揺らした。


 俺にはそれが、面白いかどうかを確かめているように見えた。


 危険。


 問題児。


 攻撃役。


 その表面だけではなく、今ここで謝ったジャックを。


 怖いと言われて、黙ったジャックを。


 工具箱を落とさなかったジャックを。


 イエロウが、見に来ている。


 ジャックはしばらく旗を睨み返していた。


 それから、小さく吐き捨てる。


「嫌な旗だ」


 今度は誰も、似ているとは言わなかった。


 アルフが手帳を開き直す。


「では、練習の前提を作る」


「今すぐかよ」


 ジャックが言う。


「今の怖さを忘れる前に」


 アルフは淡々と言った。


「ジャックの攻撃を、味方の近くへ通す。ただし、通る位置を味方が知っている状態で」


 コレットが深呼吸した。


「許可制にします。合図なしの攻撃は禁止。全員の配置確認、アルフくんの防御方向確認、ロイくんの音合図、ルカくんの風前確認。その後だけ」


「俺の風前確認まで入るのか」


「入れます」


 コレットは珍しく強く言った。


「ルカくんが近くに立つなら、絶対に必要です」


 俺は頷いた。


 魔法を使うわけではない。


 ただ、風の前を確認する。


 危険が来る前の、空気の揺れ。


 俺がまだ失わずに使える観察。


 ジャックは顔をしかめた。


「大げさだろ」


「大げさにする」


 俺は言った。


「お前を信じる準備だからな」


 ジャックは黙った。


 返事の代わりに、イエロウを見た。


 黄色い旗は、危険なもののそばで揺れている。


 俺たちは、その危険を見ないふりはしない。


 ジャックの攻撃を使うなら、怖さごと使う。


 その日の練習方針は、そこで決まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ