第132話 慣れている問題児
ラグエッジ外縁魔法学院の校門は、門というより検問所だった。
高い塀がある。
鉄の柵がある。
その上に、古い競技旗の切れ端が何枚も結びつけられている。
色はばらばら。
赤、黄、黒、灰色。
きれいな記念品ではない。
焼けた跡があるもの。
裂けたまま補修されていないもの。
端に魔法封印の印が残っているもの。
危険だった試合の痕跡を、そのまま吊るしているように見えた。
「趣味悪いな」
ジャックが言った。
いつも通りの声だ。
でも、校門を見上げる時間が他の奴より少し長い。
サラ・ディーンは先頭で歩きながら肩をすくめた。
「うちでは褒め言葉だよ」
「言ってねえ」
「じゃあ言い直しな。正確に言うと?」
「危ないものを片付ける気がない」
「惜しい」
サラは門柱を軽く叩いた。
こん、と鈍い音が返る。
「危ないものを、忘れる気がない」
その言い方に、ノルが少しだけ目を開けた。
「記録……」
「そう。記録。怪我した場所、壊れた防壁、失格になった攻撃、旗が逃げた方向。全部残す。隠すとまた同じところで転ぶからね」
「正論ですわ」
レイナが言った。
「ですが、校門に吊るす必要はありませんわ」
「あるよ。入る前に見るだろ」
「脅しですの?」
「確認」
サラは平然と答えた。
「ここに入るなら、危ないものを見る。見ない奴は入らない。そういう場所」
ラグエッジの校内は、整っていない。
でも、散らかってもいない。
どの壁にも補修跡がある。
どの床にも線が引いてある。
赤い線は立ち入り禁止。
黄色い線は魔力圧注意。
黒い線は防壁外。
白い線は、たぶん安全通路。
ただ、その白い線にもところどころ焦げ跡があるので、信用していいのかは怪しかった。
「白も危ないんすか」
ロイが聞く。
「白は、危なくなった時に逃げる場所」
サラが言う。
「安全な場所じゃないのか?」
「そんなもの競技場にはない」
アルフが少し頷いた。
「考え方は近い。全方位安全を前提にしないほうが、読み違いに強い」
「でしょ。ラグエッジ向きだね、あんた」
「一方向しか守れない」
「だから向いてる」
サラは笑った。
アルフは何も言わない。
たぶん、少しだけ嬉しいのかもしれない。
ラグエッジは、欠陥を先に否定しない。
危険なら危険。
弱いなら弱い。
使い道があるなら使う。
そういう学校なのだと思う。
だからこそ、俺はジャックが気になった。
ジャックはここへ来てから、ほとんど反発していない。
サラに危険砲と呼ばれても、少し笑っただけだった。
校門の旗を見ても、趣味が悪いと言っただけ。
校内の生徒がこちらを見ても、目を逸らさない代わりに、突っかかりもしない。
いつものジャックなら、もっと早い。
相手が一つ言えば二つ返す。
売られていない喧嘩まで探しに行く。
なのに、今日は違う。
この学校が荒いからではない。
荒い扱いが、自分に向いていると思っているからだ。
歓迎されているわけではない。
正しい場所へ置かれたと思っている。
危険な攻撃役。
問題児。
そう呼ばれることに、慣れすぎている。
「おい」
横の訓練場から声が飛んできた。
俺たちの足が止まる。
訓練場では、ラグエッジの生徒たちが防壁を張らずに近距離の打ち込み練習をしていた。
普通なら教師が止める距離だ。
でも、周りの教師らしき大人は腕を組んで見ているだけだった。
そのうちの一人、背の高い男子が柵に肘をかける。
「カルミアの危険砲って、そいつ?」
サラが舌打ちした。
「ベン、案内中」
「案内ならついでに見せてくれよ。味方の横を撃つって本当か?」
「ベン」
「いいだろ。うちの歓迎だ」
男子、ベンはにやにやしている。
悪意はある。
でも、貴族校の時のような見下しとは少し違う。
強いかどうかを試したい。
危ないかどうかを見たい。
そういう目だ。
「聞きたいなら本人に聞けよ」
ジャックが言った。
「本人に聞いてる」
「だったら答えは、本当だ」
あまりにもあっさり言うので、ベンのほうが少しだけ詰まった。
ネルが顔をしかめる。
「ジャック」
「本当のことだろ」
「言い方」
「味方の横を通る。狙ってなくても寄る。近いほど威力が跳ねる。強敵相手ほど暴れる。こんなもんでいいか」
ジャックは自分の欠陥を、訓練器具の説明みたいに並べた。
そこに恥はない。
でも、誇りもない。
諦めに近い整理だけがあった。
「へえ」
ベンは口角を上げる。
「じゃあ、今撃ってみろよ」
「やめなさい」
コレットが即座に言った。
声は小さいが、部長の声だった。
「公式練習手続きなしでの攻撃魔法使用はしません」
「手続きならここにある」
ベンは訓練場の板を蹴った。
「ラグエッジの自由練習場。参加者の同意があれば攻撃可。防護具は貸す」
「同意するわけありません」
「そいつは?」
ベンがジャックを顎で示す。
「危ないって言われ慣れてる顔してる。撃つだろ」
ジャックは笑った。
「いいぜ」
「よくありません」
コレットの声がさっきより少し強くなる。
ネルが一歩前に出た。
「あんた、何でそうなるの」
「売られた」
「全部買わなくていい」
「外縁校の歓迎なんだろ」
「歓迎の形が悪かったら、断ればいいでしょ」
「俺が断ったら、怖いから逃げたって言われる」
「言わせとけばいい」
ネルの声に苛立ちが混ざった。
「なんでそっちのほうが嫌なの。怪我より、そう言われるほうが嫌なわけ?」
ジャックは答えなかった。
答えないことが、答えになっていた。
ロイが困った顔で俺を見る。
レイナは唇を噛んでいる。
リリィは腕を組み、ベンを冷たい目で見ていた。
「安い挑発です」
リリィが言った。
「しかも相手の痛いところを調べずに投げてます。雑です。零点」
「毒舌ちゃん、きついね」
ベンが笑う。
「あなたの採点ですから」
「へえ。じゃあ、あんたらは危険砲を大事に箱に入れて使うわけだ」
「箱に入れるなら、まずあなたを入れます。口が危ないので」
グレイがリリィの足元で小さく鳴いた。
ベンは少し顔を引きつらせた。
だが、ジャックはそのやり取りを見ていなかった。
訓練場の的を見ている。
的は三つある。
正面。
右。
左。
その左側に、練習用の防護人形が置かれている。
味方役。
攻撃魔法が人形の横を通るように配置されている。
嫌な配置だった。
ジャックには撃ちやすい。
同時に、最悪の絵が作りやすい。
味方の横を撃つ問題児。
危険砲。
その通称を再確認するためだけの訓練。
「ジャック」
俺は名前を呼んだ。
ジャックは振り向かない。
「撃つな」
「命令か」
「確認だ」
「何を」
「お前が今、誰のために撃とうとしてるのか」
ジャックの肩が少し動いた。
「自分のためだよ」
「本当か」
「俺が馬鹿にされてる」
「それはそうだな」
「なら俺のためだ」
「俺には、馬鹿にされてもいい形を相手に見せようとしてるように見える」
ジャックが振り返った。
目が鋭くなっている。
「どういう意味だ」
「問題児として扱われるなら、その通りにしておけば楽なんだろ」
言った瞬間、空気が冷えた。
ネルが俺を見る。
言いすぎだ、という顔。
でも、俺は引かなかった。
ここでやわらかく言っても、ジャックには届かない気がした。
「ルカ」
コレットが小さく呼ぶ。
俺は頷いた。
わかっている。
危ない言い方だ。
でも、危ないところを見ないと、この学校では進めない。
ジャックは俺の前まで歩いてきた。
「楽だと思ってんのか」
「思ってない」
「じゃあ何だよ」
「慣れてると思ってる」
ジャックの拳が握られた。
殴られるかもしれない、と思った。
でも、殴られなかった。
ジャックは俺の胸ぐらを掴む代わりに、横の柵を蹴った。
がん、と音が鳴る。
ラグエッジの生徒たちが少し笑った。
サラは笑わなかった。
彼女は、ジャックを見ていた。
ラグエッジの副長としてではなく、危険なものを見逃さない生徒として。
「慣れるしかねえだろ」
ジャックの声は低かった。
「危ないって言われる。味方の近くを撃つなって言われる。撃たなきゃ役立たずって言われる。撃ったら危険って言われる。じゃあ、先に言っといたほうが早い」
「危険砲って?」
「そうだよ」
「問題児って?」
「そうだよ」
「それで楽になるのか」
「少なくとも、驚かれない」
その答えが、一番嫌だった。
驚かれない。
期待されない、ではない。
信じられない、でもない。
もっと手前だ。
失望される前に、最初からそういうものとして置いてもらう。
そうすれば、誰かの顔が変わるところを見なくて済む。
誰かが「そんなつもりじゃなかった」と言う瞬間を見なくて済む。
ジャックはそのために、問題児の名前を先に名乗る。
俺は、少しだけ自分の胸が痛んだ。
忘れられる前に距離を取ることと、似ているからだ。
「ジャック」
ガレスが言った。
珍しく、彼が先に口を開いた。
ジャックは振り向く。
「何だよ」
「工具箱」
「は?」
ガレスは自分の工具箱を足元に置いた。
「重い」
「知ってるって」
「持って」
ジャックは目を瞬かせた。
「今?」
「今」
「なんで」
「危ないところへ行くなら、両手を空ける」
ガレスの言葉は短い。
でも、意味ははっきりしていた。
訓練場へ撃ちに行くなら、工具箱は持てない。
持つなら、撃ちに行けない。
選ばせている。
危険砲として撃つか。
第七部の仲間として、ガレスの工具箱を持つか。
ジャックはしばらくガレスを見ていた。
それから、舌打ちをして工具箱を持ち上げた。
「重いんだよ、これ」
「知ってる」
ガレスが言う。
「落とすな」
「落とさねえ」
「壊すな」
「お前、俺を何だと思って」
そこまで言って、ジャックは止まった。
俺たちも止まった。
危険なもの。
壊すもの。
壊してはいけないものへ寄る攻撃役。
言葉がそこまで来て、ジャック自身が飲み込んだ。
ガレスは静かに言う。
「持てると思った」
ジャックは顔を逸らした。
「……あっそ」
ベンが柵の向こうでつまらなそうに舌打ちした。
「なんだ。撃たないのかよ」
ジャックは工具箱を片手で持ち直し、もう片方の手をひらひら振った。
「今は荷物持ちだ」
「危険砲が荷物持ち?」
「工具箱のほうが、お前より大事だからな」
ロイが今度こそ笑った。
ネルも笑いをこらえている。
リリィは当然です、という顔で頷いた。
ベンは不満そうだったが、サラが柵越しに睨むと引っ込んだ。
「悪かったね」
サラが言った。
「うちは荒い。荒いけど、今のは雑だった」
「副長が謝るんですの?」
レイナが聞く。
「うちの雑さは、うちで始末する」
サラはそう言ってから、ジャックを見た。
「でも、あんたも雑だよ」
「は?」
「危険って言われるのに慣れてるのは勝手だけど、慣れてる顔をすると、雑な奴が寄ってくる」
ジャックの眉が動いた。
「喧嘩売ってんのか」
「警告」
サラは笑わない。
「うちの旗イエロウは、危険なものに近づく。人間も似たようなもんだ。危ない顔をしてる奴には、危ない扱いをしたい奴が寄る」
彼女の視線が、少しだけ真面目になる。
「あんた、本当にそれでいいの」
ジャックは答えなかった。
今度の沈黙は、さっきの諦めとは違った。
怒っている。
でも、考えてもいる。
工具箱の取っ手を握る指に力が入っていた。
ガレスの工具箱は、重い。
中には修理道具が入っている。
壊れたものを直すための道具。
ガレスが魔法ではできないことを、手でやるための道具。
ジャックは今、それを持っている。
危険砲ではなく、荷物持ちとして。
問題児ではなく、仲間の道具を任された奴として。
その絵は、たぶん本人が思うよりずっと大事だった。
案内が再開された。
ラグエッジの競技棟へ向かう途中、黄色い旗イエロウが遠くでまた揺れていた。
危険な魔力火花へ近づき、触れる寸前で逃げる。
まるで、こちらを試しているみたいだった。
ジャックはそれを横目で見た。
「嫌な旗だな」
彼が言った。
「面白そうって言ってただろ」
俺が返す。
「嫌で面白いものもある」
「自分みたいだから?」
「うるせえ」
即答だった。
でも、さっきよりは少しだけ、いつものジャックに近かった。
校内の掲示板には、過去の事故記録が貼られていた。
その端に、ラグエッジの部誌の写しがある。
古い試合評。
そこに、あの通称があった。
危険砲。
文字は黒く、雑に太い。
ジャックは一度だけそれを見た。
そして、視線を外した。
俺は思った。
悪評を消すのは、たぶん難しい。
でも、上書きはできるかもしれない。
危険砲。
問題児。
味方の横を撃つやつ。
その横に、別の記録を置く。
ガレスの工具箱を落とさなかった奴。
挑発に乗らなかった奴。
名前で呼ばれるのを、まだ少し嫌がる奴。
ジャック・バーネル。
その名前を、俺たちが先に使い続ける。
ラグエッジの競技棟の扉が開いた。
中から、熱い風が吹く。
黄色い旗が、危険なほうへ揺れる。
ジャックは工具箱を持ったまま、小さく息を吐いた。
「で」
彼は言った。
「本当に俺の攻撃を、味方の近くで練習すんのか」
アルフが答える。
「する」
「馬鹿だな」
「たぶん、かなり」
同じやり取り。
けれど今度は、ジャックが少しだけ笑った。
「じゃあ、せいぜい死ぬなよ」
「死なない配置にする」
「できんのか」
「できるまで、撃たせない」
ジャックは工具箱を持ち直し、面倒くさそうに言った。
「なら、早く考えろ」
それは許可ではない。
信頼でも、まだない。
でも、拒絶ではなかった。
問題児扱いに慣れたジャックが、初めてその扱いから半歩だけずれた。
ラグエッジでの練習は、そこから始まった。




