表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
130/166

第129話 残すものを決める

 フォルジアの競技場全体が、壊れかけていた。


 壊れているのではない。


 壊れかけている。


 その違いが、ここではとても大きい。


 床の金属板がわずかに浮く。


 可動橋の軸がきしむ。


 防壁発生器の圧力が上がる。


 四隅の炉が赤く光る。


 水槽の水が細かく震える。


 補助旗台の周りの留め具が、ひとつずつ鳴る。


 どれも、まだ壊れていない。


 でも、どこかを間違えて壊せば、全体が連鎖する。


 フォルジア側の本当の仕掛けは、罠ひとつひとつではなかった。


 競技場全体を、壊れる寸前の状態に置くこと。


 そして、こちらに壊す場所を選ばせること。


 オルド・ハースが向こう側で声を上げる。


「さあ、選べ。橋か、炉か、旗台か。どこかを落とさないと、全部歪むぞ」


 挑発ではない。


 事実だった。


 アルフが境界を見ている。


「このままだと、補助旗台の支えが先に歪む」


 クララが床の線を見る。


「工房式の連動です。現代式なので読めません。でも、圧の流れは見えます。四隅の炉から中央へ来ています」


 ロイが音を聞く。


「丸い音と尖った音が混じってます。守った破片の音だけじゃない」


 ノルが部誌を抱える。


「罠の破片、まだある」


 ミラは足場を踏み、体を低くする。


「止められる場所、少ない」


 ネルが舌打ちする。


「瞬間で入っても、触る場所を間違えると巻き込まれるわね」


 リリィがグレイを抱える。


「グレイが震えすぎています。これは相当嫌な匂いです」


 グレイは本当に震えていた。


 迷子一号は、リリィの鞄の底で石として沈黙している。


 ジャックがガレスを見る。


「嫌か」


 ガレスは競技場全体を見たまま答えた。


「嫌だ」


「怖いか」


「怖い」


「無理か」


 ガレスは少しだけ黙った。


 壊すのを遅らせる沈黙ではなく、見るための沈黙。


 やがて言う。


「一人なら」


 ジャックが頷く。


「一人じゃねえ」


 その言葉に、ガレスの肩が少しだけ動いた。


 俺は水筒を持っていた。


 ガレスのものではない。


 自分のだ。


 でも、今は全員の水筒が近くにある。


 水は大事。


 壊す前に待つために。


 壊した後に冷ますために。


「ガレス」


 俺は言った。


「残すものから決めよう」


 ガレスは頷いた。


「第七部の旗」


 最初に言った。


 迷いがなかった。


「補助旗台」


「水路」


「クラムの守った破片」


「ミラの足場」


「ロイの音」


「ノルの退避場所」


「クララの見る線」


「アルフの結界の片側」


「レイナの失敗を置く場所」


「リリィの鞄」


「ジャックの止まる場所」


 次々に出てくる。


 短い言葉。


 でも、多い。


 ガレスは、ちゃんと見ている。


 自分が守るべき周りを、ずっと見ている。


 オルドが笑う。


「多いな。そんなに残そうとしたら、壊せないぞ」


「壊す」


 ガレスは言った。


「残すために」


 その言葉に、観客席の工具音が少し止まった。


 ガレスは一歩前へ出る。


 魔力が手に集まる。


 黒い亀裂の気配。


 でも、まだ撃たない。


 彼はクラムを見る。


 破片旗クラム。


 壊れたものを集める旗。


 守った破片を捨てない旗。


 クラムは、昨日ガレスが外枠だけを壊して守った炉心固定具の欠片を鳴らしていた。


 からん。


 丸い音。


 ロイが叫ぶ。


「その音です。守った破片の音、右じゃなくて下です」


「下?」


 俺が聞く。


「床下の逃がし溝。音がそこへ落ちています」


 ガレスが床を見る。


 交換式金属板の隙間。


 そこに、細い逃がし溝がある。


 昨日は気づかなかった。


 競技場全体の圧を逃がすための溝。


 今は罠の連動で閉じかけている。


「残すもの」


 ガレスが言う。


「逃がし溝」


 クララが頷く。


「そこが生きれば、四隅の炉の圧が逃げます」


「でも、溝を開くには床板を壊す必要がある」


 アルフが言う。


「床板を壊しすぎれば、足場が崩れる」


 ミラが床を踏む。


「私が足場を持つ」


「止まるぞ」


 ガレスが言う。


「止まる」


 ミラは笑った。


「場所になる」


 レイナが前へ出る。


「私が先に失敗を置きます。壊す位置の一つ手前に」


「失敗があると?」


 ロイが聞く。


「ガレスさんの魔法が、そこへ行きすぎない目印になります」


 レイナは自分の魔法を出す。


 一度失敗する。


 光が床板の手前に落ちる。


 未完了の痕跡。


 アストラムで古代術式が示した、失敗の道。


 ガレスがそれを見る。


「助かる」


 レイナは少しだけ頷く。


 ネルが構える。


「私は壊した後に入る。破片がクラムへ行きすぎたらずらす」


 リリィが迷子一号を出す。


「石、重しです。今度こそ正真正銘、石が役に立ちます」


 迷子一号は当然のように重かった。


 グレイは逃がし溝の匂いを追っている。


 震えながら。


 ノルは部誌を閉じない。


 開いたまま、退避場所を確認している。


 ロイが四つの音を鳴らす。


 とん。


 とん。


 とん。


 とん。


 五つ目はまだ。


 ジャックはガレスの横に立つ。


「壊したくない場所を見るんだろ」


「そうだ」


「どこだ」


 ガレスは言う。


「旗。足場。水路。人」


「じゃあ、そこを見る」


 ジャックも見る。


 攻撃する場所ではなく、壊したくない場所を。


 ガレスが手をかざした。


 狙いは床板の中心ではない。


 逃がし溝を塞いでいる小さな固定板。


 その周り。


 周りを持つ。


 壊す場所を直接見るのではなく、残す場所を見て、壊していい端を選ぶ。


「壊す」


 ガレスが言った。


 黒い亀裂が走る。


 かん。


 固定板の端が割れる。


 床全体は落ちない。


 ミラが踏む足場も崩れない。


 逃がし溝が少し開く。


 四隅の炉の圧が、細い音を立てて下へ抜ける。


 しゅう。


 水槽が揺れる。


 ロイが叫ぶ。


「丸い音に変わりました」


 だが、オルドはすぐに次の仕掛けを動かす。


 可動橋の片側が跳ね上がる。


 クラムがそちらへ引かれる。


 橋を落とせば、守った破片ではなく罠の破片が増える。


 落とさなければ、クラムが上へ逃げる。


「二択」


 オルドが言う。


「選べ、ガレス」


 ガレスは橋を見ない。


 水路を見る。


 クラムを見る。


 橋の軸を見る。


「二択じゃない」


 彼は言った。


 その声は、少しだけ大きかった。


 ガレスの手が動く。


 黒い亀裂が、橋の落下軸ではなく、跳ね上げ用の補助ばねへ走る。


 ばきん。


 ばねだけが砕けた。


 橋は落ちない。


 跳ね上がらない。


 ただ、水平に戻る。


 クラムは橋へ引かれず、中央へ戻る。


「罠だけ」


 ガレスが言う。


 オルドの顔が、少し真剣になる。


「いいな」


 フォルジア側はさらに仕掛けを重ねる。


 防壁発生器の一つが、わざと第七部の旗台側へ傾く。


 壊せば圧が逃げる。


 壊さなければ旗台へぶつかる。


 今度は時間がない。


 ガレスの手が動く前に、ジャックが踏み出した。


「俺が圧を止める」


「壊すな」


 ガレスが言う。


「壊さない。壊す前の圧だけ」


 ジャックは拳を構える。


 攻撃魔法ではない。


 当てる直前の圧。


 発生器の傾きを一瞬だけ止める。


 その一瞬に、ガレスが背面ではなく、旗台へつながる支えの横にある罠ピンを砕いた。


 発生器は水槽側へ倒れる。


 じゅっ。


 蒸気。


 旗台は無事。


 ジャックが息を吐く。


「壊してない」


「助かる」


 ガレスが返す。


 短い。


 でも、昨日よりずっと届く。


 クラムが発生器の破片へ近づく。


 ロイが耳を澄ませる。


「守った破片です」


「拾わせる」


 ガレスが言う。


 クラムが破片を拾う。


 からん。


 丸い音。


 旗は重くなる。


 だが、その重さが、逃げ道を読みやすくする。


 罠の破片ではない。


 守った破片。


 クラムは、守ったものを抱えた分だけ、こちらに近づいているように見えた。


「ルカ」


 コレットが呼んだ。


「負け方が変わった」


「勝ち方は?」


「まだ遠い。でも、壊して負ける未来は薄くなった」


「十分」


 俺は前へ出る。


 まだ捕まえには行けない。


 クラムは重くなったが、中央の軌道は複雑だ。


 ガレスの破壊で罠は砕かれている。


 でも、フォルジア側はまだ壊させる材料を持っている。


 オルドが最後の仕掛けを動かした。


 中央床の下から、古い道具の山がせり上がる。


 壊れかけの工具。


 折れた旗竿。


 焦げた結界具。


 曲がった車輪。


 クラムが強く反応する。


 壊れたものを集める旗。


 それら全部へ向かおうとする。


 だが、その道具の山の中心に、第七部の補助旗台へつながる罠線がある。


 壊れたものを集めさせ、クラムを重くし、同時に第七部の旗台を巻き込む。


 オルドが声を張る。


「これが本命だ。壊れたものを全部救うか、旗を守るか。選べ」


 嫌な選択だった。


 ガレスの顔が固まる。


 壊れたものをそのまま置けない人。


 困るものを置けない人。


 そのガレスに、壊れた道具の山を見せる。


 全部を救いたくなる。


 でも、全部を救おうとすれば旗台が巻き込まれる。


 リリィが小さく言う。


「悪趣味の本気ですね」


「ガレス」


 俺は呼ぶ。


「全部は持てない」


 ガレスは黙っている。


 沈黙。


 壊すのを遅らせる沈黙。


 見るための沈黙。


 そして、選ぶための沈黙。


 ジャックが横で言う。


「言え」


 ガレスは水を飲んだ。


 そして言った。


「全部、嫌だ」


 声は低い。


 でも、聞こえた。


「全部、持ちたい」


 それも言った。


 フォルジアの観客席が静かになる。


 ガレスは続ける。


「でも、旗を残す」


 その言葉に、第七部の旗が揺れた。


 小さく。


 でも、確かに。


 クララが息を呑む。


「古代反応、少しあります」


 ノルが部誌を開く。


 ロイが音を聞く。


 ミラが足場を踏む。


 レイナが失敗の位置を探す。


 アルフが片側結界を張る。


 リリィがグレイと迷子一号を出す。


 ジャックが壊す前の圧を構える。


 俺は、クラムと第七部の旗の間を見る。


 ガレスは、壊れた道具の山を全部見た。


 それから、中心ではなく、罠線の根元を見た。


「壊す」


 彼は言った。


「罠だけ」


 黒い亀裂が走る。


 罠線の根元が砕ける。


 壊れた道具の山は崩れない。


 旗台にもつながらない。


 クラムは壊れた道具へ向かう。


 しかし、全部は持てない。


 重すぎる。


 ガレスは叫んだ。


「守った破片だけ持て」


 それは、ガレスにしては大きな声だった。


 クラムが止まる。


 旗が、道具の山の中からいくつかの破片だけを拾った。


 訓練で生徒を守って割れた結界板。


 炉心を逃がすために壊れた外枠。


 発生器から水槽へ圧を逃がした弁。


 守った破片。


 罠の破片ではない。


 捨てる破片でもない。


 クラムはそれだけを集める。


 旗は重くなる。


 だが、音は丸い。


 からん。


 からん。


 からん。


 ロイが叫ぶ。


「道が丸いです!」


「丸い道って何だ」


 ジャックが聞く。


「わかりません。でも、追えます!」


 ネルが瞬間移動する。


 ミラの足場。


 アルフの片側結界。


 リリィのグレイ。


 レイナの失敗痕跡。


 ジャックの圧。


 ガレスが壊さなかった場所。


 それらが、クラムの重い軌道を中央へ寄せる。


 俺は走る。


 まだ捕獲ではない。


 クラムの前へ出るのではなく、道をふさがない位置へ。


 ガレスが叫ぶ。


「まだ取るな」


 俺は止まる。


 取れると思った。


 手を伸ばせば届く距離だった。


 でも、止まる。


 ガレスが見ている。


 壊れた道具の山。


 第七部の旗台。


 クラムの重さ。


 まだ、壊す場所が残っている。


 試合は終盤へ入った。


 フォルジア側の罠は大きく崩れた。


 でも、勝利にはまだ届いていない。


 ガレスは息を吐く。


 手が少し震えている。


 でも、目は逸らさない。


「次で」


 彼は言った。


「居場所を残す」


 壊す力が、何を守るのか。


 その答えまで、あと一手だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ