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第125話 合ってるから嫌だ

 翌朝、ジャックは機嫌が悪かった。


 正確には、機嫌が悪いように見えた。


 ジャックは普段から機嫌が良さそうには見えない。


 だから、見分けるには少し慣れがいる。


 声が低い。


 歩幅が大きい。


 腕を組む時間が長い。


 誰かが話しかけると、一拍置いてから返す。


 その一拍に、噛みつくかどうかを選んでいる気配がある。


 今日は、その一拍が短かった。


 つまり、噛みつきやすい。


 原因はたぶん、ガレスだった。


 昨夜の厨房で、ジャックはガレスに言った。


 今日は周りを持たれろ。


 ガレスはそれを受け取った。


 ほんの少しだけ。


 でも、受け取った。


 それで終わればよかったのかもしれない。


 けれど、ジャックは終われなかった。


 ガレスが修理班には置けないと言われたこと。


 それを「合ってる」と受け入れたこと。


 解体班向きだと言われても黙っていたこと。


 壊す手であることを、自分で納得しようとしていること。


 その全部が、ジャックには引っかかっているようだった。


 朝の訓練場は、宿舎の裏にあった。


 フォルジアらしく、地面には金属板が埋め込まれ、壊れても交換できる標的が並んでいる。


 今日は自由訓練の時間だった。


 リューネ教師は別件で不在。


 ブランは午前の授業。


 俺たちだけで、軽い確認をする予定だった。


 軽い確認。


 そのはずだった。


「ガレス」


 ジャックが言った。


 声が硬い。


 ガレスは工具箱から顔を上げる。


 彼は訓練場の端で、昨日の結界具の仮止めを見直していた。


 フォルジア側から、練習用として触っていいと言われたものだ。


 魔法は使っていない。


 手で、歪みを見ている。


「何だ」


「壊してみろ」


 空気が少し止まった。


 ネルが眉をひそめる。


 レイナが「ジャック」と呼びかける。


 でも、ジャックは止まらない。


「標的がある。壊すための訓練場だ。壊せよ」


 ガレスはジャックを見る。


「必要ない」


「必要ない?」


「直す途中だ」


「だから壊せって言ってる」


 ジャックの声が少し強くなる。


「壊す魔法でいいんだろ。壊す場所を間違えなければいいんだろ。だったら、試せよ」


 ガレスは工具を置いた。


 ゆっくり。


 怒っているわけではない。


 でも、少しだけ固い。


「今は違う」


「いつなら違わないんだよ」


 ジャックが一歩近づく。


「修理班には置けないって言われて、解体班向きだって言われて、合ってるから嫌だとか言って、それで終わりか」


「終わりじゃない」


「じゃあ言えよ」


 ジャックの声が、訓練場に響いた。


「嫌なら嫌だって。腹立つなら腹立つって。修理したいなら修理班に置けって。壊すだけじゃないって」


 ガレスは黙る。


 その沈黙が、ジャックをさらに苛立たせる。


 ジャックは、黙って耐えることが苦手だ。


 自分も散々、危険だ、問題児だ、攻撃過剰だと見られてきた。


 たぶん、言い返してきた。


 殴り返すように。


 睨み返すように。


 だから、ガレスの沈黙が理解できないのだろう。


 いや。


 理解できるから苛立つのかもしれない。


「言っても、変わらない」


 ガレスが言った。


 昨日も聞いた言葉。


 ジャックの目が鋭くなる。


「それが腹立つんだよ」


「何が」


「言っても変わらないって、最初から決めてるところだ」


 ジャックは標的を指した。


「俺は、壊すつもりで壊すってお前は言った。そうだよ。俺は壊すつもりで壊す。怒ってる時もある。止まれない時もある。だから危ないって言われる」


 彼は自分の拳を見る。


「でも、お前は違うって言う。直したくて壊すって。だったら、もっと怒れよ。直したいのに壊すしかないなら、もっと」


 言葉が詰まる。


 ジャックは、怒りの扱いがうまくない。


 強い言葉を投げることはできる。


 でも、相手の痛みをどう扱えばいいかは、まだ下手だ。


 だから、言葉が荒くなる。


「黙って飲み込むな」


 その一言は、荒かった。


 でも、心配の形をしていた。


 ガレスはしばらく黙っていた。


 風が、工房都市の煙の匂いを運んでくる。


 遠くで金属を叩く音がする。


 からん。


 かん。


 ばきん。


 訓練場の隅で、ノルが部誌を開いている。


 眠そうだが、目は閉じていない。


 ロイは口を結んでいる。


 ミラはいつでも二人の間に入れる位置。


 レイナは止めるべきか迷っている。


 アルフは境界を見る。


 クララは、二人の言葉の間にある古い傷を見るような顔をしている。


 リリィは、今日は毒舌を入れない。


 俺も、すぐには口を挟まなかった。


 これは、ガレスとジャックの話だ。


 でも、壊れすぎる前には止める。


 それが俺の位置だ。


「怒ってる」


 ガレスが言った。


 ジャックが少し目を見開く。


「なら」


「ずっと」


 ガレスは続けた。


 短い言葉。


 でも、とても重い。


 ずっと怒っている。


 修理班には置けないと言われたことだけではない。


 直したくて壊したこと。


 魔法を使うたびに壊れたこと。


 手で覚えるしかなかったこと。


 遅いと言われたこと。


 合っているから反論できないこと。


 全部に、ずっと怒っている。


「じゃあ、何で」


 ジャックが言いかける。


 ガレスは、自分の手を見る。


「怒って魔法を使うと、壊す」


 ジャックが黙った。


 その言葉は、彼にも刺さる。


 怒って魔法を使うと、壊す。


 ジャックはそれを知っている。


 誰よりも。


 自分の攻撃魔法で。


 止まれなかった過去で。


 ガレスは続ける。


「俺の魔法は、壊す。怒っても、静かでも、壊す」


「だから黙るのか」


「黙ると、少し遅くなる」


「遅く?」


「壊すのが」


 また、空気が止まった。


 黙ることで、壊すのを遅くする。


 それがガレスの沈黙だった。


 逃げではない。


 諦めでもない。


 壊す魔法を持つ自分が、壊すまでの時間を少し伸ばすための沈黙。


 必要な遅さ。


 ガレスの遅さ。


 ジャックは何も言えなくなった。


 拳を握る。


 開く。


 また握る。


「それでも、言え」


 彼は絞り出すように言った。


「黙るのが必要でも、全部黙るな。俺にはわかんねえ」


 ガレスはジャックを見る。


「わからなくていい」


「よくねえよ」


 ジャックの声が荒くなる。


「仲間だろ」


 その言葉は、ジャックらしくなく、まっすぐだった。


 言った本人が少し驚いた顔をするくらいに。


 ガレスも少しだけ動きを止めた。


 仲間。


 何度も聞いてきた言葉。


 でも、ジャックの口からこういう形で出ると、少し違う重さがある。


「わからなくていい、じゃ困る」


 ジャックは続けた。


「俺は、お前が何も言わないと、何を壊しそうなのかわからない」


 ガレスは黙る。


 今度の沈黙は、さっきと違った。


 壊すのを遅らせる沈黙ではなく、考える沈黙。


 やがて、ガレスは標的の方へ歩いた。


 訓練用の金属標的。


 中央に赤い印。


 壊していい場所。


 周囲に青い線。


 壊してはいけない範囲。


 フォルジアの訓練場らしい標的だ。


 ガレスはその前に立つ。


「見る」


 誰に向けたのかわからない言葉。


 自分へ。


 ジャックへ。


 標的へ。


 彼は手をかざした。


 黒い亀裂が、標的の赤い印に向かって走る。


 しかし、途中で止まった。


 壊さない。


 寸前で止める。


 ジャックが息を呑む。


 ガレスはもう一度手をかざす。


 今度は、赤い印の中心ではなく、その周囲。


 青い線へ触れない位置。


 かん。


 小さな音。


 標的の赤い印だけが外れた。


 周囲は壊れていない。


 壊した。


 でも、選んだ。


「今の」


 ガレスが言った。


「怒ってた」


 ジャックが彼を見る。


「怒って、壊した。でも、場所を選んだ」


「できるじゃねえか」


 ジャックが言う。


 少しだけ乱暴に。


 でも、嬉しそうでもある。


 ガレスは首を横に振った。


「毎回は無理」


「じゃあ、毎回言え」


「何を」


「無理かもしれないって」


 ガレスは少し考えた。


「言えるか、わからない」


「それも言え」


 ジャックは即答した。


 ガレスは、ほんの少しだけ口元を動かした。


 笑ったのかもしれない。


 かなり小さいが。


「面倒だな」


「お前の短さの方が面倒だ」


 ジャックが返す。


 今度は、少し笑いが起きた。


 張り詰めていた空気が緩む。


 でも、完全に軽くなったわけではない。


 大事なものは残っている。


 ガレスは、沈黙で壊すのを遅らせていた。


 ジャックは、沈黙ではわからないと怒った。


 どちらも正しい。


 どちらも足りない。


 だから、間に言葉を置く必要がある。


「合ってるから嫌だ」


 ガレスが言った。


 昨日の言葉。


 でも、今日は少し違う。


「修理班には置けない。合ってる。嫌だ」


 彼は続ける。


 短い。


 でも、昨日より一つ多い。


 合ってる。


 嫌だ。


 両方言った。


 ノルが部誌に書く。


 修理班には置けない。


 合ってる。


 嫌だ。


 両方。


「それでいい」


 ジャックが言った。


「たぶん」


 ガレスが返す。


 ジャックは少しだけ眉をひそめる。


「たぶんかよ」


「たぶん」


「まあ、いい」


 ジャックは標的を見る。


 赤い印だけが外れた標的。


 青い線は壊れていない。


「俺もやる」


 今度はガレスがジャックを見る。


「何を」


「壊す場所を選ぶ」


 ジャックは標的の前に立つ。


 彼の攻撃魔法は危ない。


 壊す力が強すぎる。


 だから、周りが少し緊張する。


 アルフが結界を薄く張る。


 ミラが足場を見る。


 レイナが失敗の位置を考える。


 ガレスが短く言う。


「中心を見るな」


 ジャックが振り返る。


「何で」


「中心を見ると、全部行く」


「じゃあ、どこ見るんだ」


 ガレスは標的の青い線を指す。


「壊したくないところ」


 ジャックが黙る。


 それは、彼にとって新しい見方だったのかもしれない。


 攻撃する時、標的の中心を見る。


 壊す場所を見る。


 でも、ガレスは壊したくないところを見る。


 残す場所を決めてから壊す。


 解体班の考え方。


 ガレスの考え方。


 ジャックは青い線を見る。


 拳を構える。


 魔力が荒く集まる。


 危ない。


 でも、彼はすぐ撃たない。


 青い線を見る。


 壊したくないところを見る。


 それから、赤い印の端へ小さく攻撃を落とした。


 ばきん。


 赤い印の半分が砕ける。


 青い線に、少しだけひびが入った。


 完全ではない。


 でも、全壊ではない。


 ジャックは息を吐く。


「駄目か」


「半分、残った」


 ガレスが言う。


「青い線、割れた」


「少し」


「少しでも駄目だろ」


「直せる」


 ガレスは工具箱を開ける。


 ジャックが目を丸くした。


「今?」


「今」


「訓練中だぞ」


「壊した後が訓練だ」


 その言葉は、リューネ教師が聞いたら頷きそうだった。


 ガレスは青い線のひびを見る。


 工具を出す。


 魔法ではなく、手で仮止めする。


 ジャックはその横に立っている。


 居心地悪そうに。


 でも、逃げない。


「俺が壊した」


 ジャックが言う。


「そうだ」


「悪い」


「直す」


「俺もやる」


 ガレスは少し考え、細い針金を渡した。


「持て」


「これを?」


「そこ。動かすな」


 ジャックは針金を持つ。


 大きな攻撃魔法を使う手で、小さな針金を押さえる。


 似合わない。


 でも、悪くない。


 ガレスはその周りを直す。


 傷を直接持たない。


 周りを持つ。


 ジャックはその周りの一部になる。


 ノルが部誌に書く。


 ジャック、壊した後を持つ。


 ガレス、直す。


 壊す力同士、少し面倒。


「最後の一文」


 リリィが覗き込む。


「かなり良いです」


 レイナが少し笑う。


 クララも頷く。


「壊す力の扱いは、古代旗術式でも分岐しそうですね。破壊そのものではなく、破壊後の道をどう扱うか」


「また難しいこと言ってる」


 ネルが言う。


 でも、嫌そうではない。


 標的の仮修理が終わる。


 完全ではない。


 でも、使える。


 ガレスは手を離す。


 ジャックも針金から手を離した。


「遅いな」


 ジャックが言う。


「遅い」


 ガレスは認める。


「でも、悪くない」


 ジャックが続けた。


 ガレスは少しだけ彼を見る。


「取るな」


「何を」


「それ」


「お前も水は大事を取られたろ」


 ガレスは黙る。


 少しだけ、不満そうだ。


 俺たちは笑った。


 訓練場の空気が、ようやく朝らしくなる。


 ガレスとジャックの衝突は、完全には解けていない。


 でも、壊れっぱなしではなくなった。


 ひびが入ったところを、二人で少し持った。


 それで十分な時もある。


 昼前、リューネ教師が訓練場へ顔を出した。


 赤い印だけが外れた標的と、ひびを仮止めされた青い線を見る。


 それから、ガレスとジャックを見る。


「勝手に実習したね」


 ガレスは頷く。


「壊した」


 ジャックも頷く。


「直した」


 リューネ教師は少しだけ笑った。


「順番が大事だよ。壊して、見て、直す。壊しっぱなしにしないなら、まあいい」


 ジャックが小さく息を吐く。


 ガレスは工具箱を閉める。


 確認は一度だけ。


 リューネ教師はガレスに言った。


「午後、クラムの正式観察がある。あんた、前に立ちな」


「俺が?」


「あの旗は、壊れたものを集める。あんたみたいな手を見る」


 ガレスはクラムがいる地下の方を見る。


 壊れたものを集める旗。


 守った破片を捨てない旗。


 ガレスの壊す手を、どう見るのか。


「わかった」


 ガレスは答えた。


 ジャックが横から言う。


「嫌なら嫌って言えよ」


 ガレスは少しだけ考える。


「嫌ではない」


「怖い?」


「たぶん」


「じゃあ、それでいい」


 ジャックはそう言って、標的のひびを見た。


 自分が壊した場所。


 ガレスと一緒に直した場所。


 壊す力を持つ者同士の会話は、まだ下手だ。


 でも、下手なりに一つ残った。


 壊した後を、放っておかない。


 その約束みたいなものが。


 ノルが部誌を閉じる。


 ぱたん。


「今日の記録」


 彼女は眠そうに言った。


「合ってる。嫌だ。両方」


 ガレスは頷いた。


「両方」


 ジャックも、渋々頷いた。


「両方だな」


 工房都市の空に、炉の煙が細く上がっている。


 壊す音と直す音が混ざる街で、ガレスの沈黙に少しだけ言葉が入った。


 それはまだ修理ではない。


 でも、ひびを広げないための仮止めにはなっていた。


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