第122話 修理班には置けない
フォルジア魔法工房学院の修理実習場は、きれいだった。
工房という言葉から、俺はもっと散らかった場所を想像していた。
工具が転がっていて、金属片が床に落ちていて、炉の熱で空気が揺れているような場所。
でも、実際は違った。
工具は種類ごとに壁へ掛けられている。
作業台は高さが揃っている。
床には細い溝が走り、削り屑や油が自然に流れるようになっている。
炉の熱は透明な結界で抑えられ、部屋全体は思ったより涼しい。
直すための場所。
壊れたものを、これ以上壊さないための場所。
そういう整い方をしていた。
ガレスは入口で少しだけ止まった。
工具箱を持つ手が、また強くなる。
ブラン・リベットが明るく言う。
「ここが修理実習場です。基礎修復から競技装備の応急処置まで、だいたいここでやります」
作業台の上には、壊れた魔道具が並んでいた。
割れた結界板。
歯車が欠けた小型搬送機。
競技用旗竿の折れた芯材。
魔力管の焼けた防壁発生器。
生徒たちがそれぞれの前に立ち、修復魔法を使っている。
光は柔らかい。
割れ目をなぞり、欠けた部分を引き寄せ、素材同士をゆっくり戻す。
音は小さい。
壊す音ではなく、合う音。
かちり。
すう。
きん。
そういう音がする。
ロイが目を輝かせた。
「すごいです。壊れた音まで小さく戻ってる感じがします」
「音でわかるの?」
ミラが聞く。
「少しだけ。修理が合う時って、音が丸いです」
「丸い音」
ノルが部誌に書く。
ガレスは黙って見ていた。
その顔は、いつもと同じに見える。
でも、俺には少しだけ違って見えた。
羨ましいのか。
苦しいのか。
懐かしいのか。
たぶん全部、短い顔の奥に押し込めている。
修理実習場の奥から、年配の女性教師が歩いてきた。
腕まくりした作業服。
灰色の髪を後ろで結んでいる。
片目に拡大鏡。
ブランが背筋を伸ばす。
「リューネ先生。カルミアの第七部の皆さんです」
「ああ、聞いてるよ」
リューネ教師は俺たちを見る。
視線は鋭いが、アストラムの研究員の目とは違う。
分類する目ではない。
工具の状態を見る目だ。
どこが減っているか。
どこが無理をしているか。
どこを持てば壊さずに済むか。
そういう目。
彼女の視線がガレスで止まった。
「あんたが修理好きの破壊魔法持ちかい」
直球だった。
リリィが一瞬だけ眉を上げる。
レイナも少し反応した。
でも、ガレスは頷いた。
「そうだ」
「工具箱、見せてもらえるかい」
ガレスは少しだけ迷った。
工具箱は、彼にとってかなり私物に近い。
ただの道具入れではない。
落ち着くための箱。
直せなかったものと、直したものの記憶が入っている箱。
でも、ガレスは机の上に置き、留め具を開けた。
リューネ教師は中を覗く。
手は出さない。
見るだけ。
その見方は、少し信用できた。
「よく使ってるね」
彼女は言った。
「手入れもしてる。針金の曲げ癖が一定。樹脂瓶は奥。金槌は軽い方を手前。壊す魔法持ちの箱にしちゃ、ずいぶん修理屋の箱だ」
ガレスの眉が、ほんの少し動いた。
「修理屋ではない」
「そうかい」
リューネ教師は工具箱から目を離す。
「魔法系統は破壊?」
「ああ」
「解体班向きだね」
その言葉が、実習場の音の中で妙にはっきり聞こえた。
解体班向き。
昨日ブランも言った。
修理班とは別。
壊すのは最初か最後。
ガレスは何も言わない。
工具箱を閉めるでもなく、ただ立っている。
リューネ教師は続ける。
「悪く取るんじゃないよ。解体班は大事だ。炉を止める時、暴走した魔道具を分解する時、失敗作を安全に砕く時。壊せる奴がいないと、修理屋は近づけない」
「でも、修理班ではない」
俺が思わず言った。
リューネ教師は俺を見る。
「修理班には置けない」
さらに強い言葉だった。
ジャックが椅子を引く音がした。
少し乱暴。
レイナが小さく「ジャック」と呼ぶ。
ジャックは止まった。
ガレスはまだ何も言わない。
リューネ教師は、厳しい声のまま続けた。
「修理中のものは弱い。割れ目を開いて、素材を緩めて、魔力を通してる。そこに破壊魔法が触れたら、直す前より悪くなる。だから、修理班には置けない」
正論だった。
だから、痛い。
悪意で言われた方が、まだ怒りやすい。
でも、これは安全の話だ。
工房のルール。
壊れたものをこれ以上壊さないための考え。
ガレスが一番よく知っていそうなこと。
だから、彼は反論しない。
「わかってる」
ガレスは言った。
短く。
とても短く。
リューネ教師は、少しだけ目を細めた。
「わかってる顔だね」
「壊れる」
「ああ」
「だから、手で直す」
ガレスは工具箱の中から、細い針金を一本取り出した。
それを指でまっすぐに伸ばす。
魔法は使わない。
ただ、手で。
「魔法だと、壊れる」
その言葉は、説明というより事実だった。
でも、その事実の中に、長い時間があった。
何度も直そうとして、壊した時間。
魔法を使うたびに、割れ目を広げた時間。
手で直すしかないと覚えた時間。
工具箱の中に、そういう時間が詰まっている。
ブランが少し困った顔をする。
「でも、手作業だと遅いですよね」
悪気はない。
たぶん、ない。
でも、また刺さる。
ガレスは頷く。
「遅い」
「競技中の応急修理だと、魔法修復が基本です。手作業だと間に合わないことが多くて」
「知ってる」
「だから、破壊系なら、やっぱり解体班か障害物処理の方が」
「知ってる」
二度目の「知ってる」は、少しだけ低かった。
ブランが口を閉じる。
気づいたらしい。
リューネ教師も、何も言わない。
ガレスは針金を戻す。
工具箱を閉める。
その手つきは、いつも通り丁寧だった。
「見学、続けるかい」
リューネ教師が聞いた。
「続ける」
ガレスは答えた。
逃げない。
でも、楽でもない。
修理実習場の奥では、応急修理の実演が始まっていた。
競技中に破損した防壁発生器を、三分以内に再稼働させる練習。
生徒二人が作業台の前に立つ。
一人が魔力管を支え、一人が修復魔法を流す。
割れた金属が、柔らかい光の中でつながる。
かちり。
ロイが小さく「丸い音」と呟く。
ガレスはじっと見ている。
「やってみるかい」
リューネ教師が言った。
全員が彼女を見る。
ガレスも見る。
「魔法は使わない」
ガレスが言う。
「わかってる。手作業でだ」
リューネ教師は、作業台の端に小さな結界具を置いた。
練習用のものらしい。
外枠が少し歪み、留め具が一つ外れかけている。
「五分。手で直せるところまで」
ガレスは結界具を見る。
それから工具箱を開ける。
動きが変わった。
さっきまでの硬さが消える。
代わりに、いつものガレスが出てくる。
物を見るガレス。
壊れ方を見るガレス。
どこを持てばいいか、どこを触ると悪くなるか、黙って判断するガレス。
彼はまず、結界具を持たなかった。
周囲を見た。
作業台の傾き。
光の向き。
部品の置き場。
それから、結界具の横に小さな布を敷いた。
外した部品を置く場所。
「周りから」
ノルが部誌に書く。
ガレスは細い工具で留め具の周りを少し緩める。
外れかけた留め具を無理に押し込まない。
周囲を緩め、歪みを少し逃がす。
それから、針金を短く切って仮止めする。
魔法は使わない。
手だけ。
速くはない。
でも、無駄が少ない。
リューネ教師の目が少し変わった。
ブランも口を閉じて見ている。
ガレスは歪んだ外枠を戻そうとしない。
完全な形へ戻すのではなく、動く範囲を確保する。
五分では完全修理は無理だと判断したのだろう。
だから、応急処置に切り替えている。
結界具の芯材に触れる前に、周りの圧を逃がす。
傷を直接持たない。
周りを持つ。
ガレスのやり方だった。
「あと一分」
リューネ教師が言う。
ガレスは頷く。
焦らない。
最後に、細い樹脂をほんの少しだけ流す。
少なすぎるくらい。
でも、留め具は動かなくなった。
結界具が小さく光る。
完全ではない。
でも、短時間なら動く。
「時間」
リューネ教師が言った。
ガレスは手を離す。
ロイが耳を澄ませる。
「音、丸くはないです」
少し正直すぎる。
ガレスは頷く。
「丸くない」
「でも、割れてない」
ロイが続ける。
「持ってます」
ガレスは少しだけ目を伏せる。
「応急だ」
リューネ教師が結界具を確認する。
拡大鏡を下ろし、留め具、芯材、樹脂の量を見る。
「遅い」
彼女は言った。
ガレスは頷く。
「でも、悪くない」
ガレスの手が止まる。
リューネ教師は続ける。
「完全修理は無理。魔法修復なら一分半。でも、魔力が切れた場や、修復魔法が使えない素材なら、この応急は生きる」
ブランが驚いた顔をする。
「先生」
「何だい」
「修理班には置けないって」
「置けないよ」
リューネ教師はあっさり言う。
ガレスの顔が少しだけ戻る。
やっぱり、という顔。
でも、リューネ教師は続けた。
「ただし、修理班の外に置くには惜しい」
ガレスが彼女を見る。
「どういう意味ですか」
俺が聞いた。
「壊す魔法持ちは、修理中のものに直接触れさせられない。でも、この子は壊れ方を見てる。直し方そのものより、壊れない持ち方を見てる」
リューネ教師は結界具を机に置く。
「修理班には置けない。でも、修理班の周りに置く価値がある」
周り。
その言葉に、俺たちは少し反応した。
ガレスの言葉。
周りを持つ。
リューネ教師は、知らずにそこへ触れた。
「解体班向きだとは思うよ」
彼女は言った。
「でも、ただ壊す解体じゃない。どこを壊せば残りが生きるか、見られるなら話は別だ」
ガレスは黙っている。
いつもより長い沈黙。
ジャックが少し苛立ったように息を吐いた。
「何か言えよ」
「ジャック」
レイナが止める。
でも、ジャックは止まらない。
「嫌なら嫌って言えばいいだろ。修理班には置けないとか、解体班とか、言われっぱなしで」
ガレスはジャックを見る。
怒ってはいない。
ただ、少し疲れている。
「言っても、変わらない」
「変わるかもしれないだろ」
「壊す魔法は、変わらない」
ジャックが言葉に詰まる。
ガレスは工具を拭く。
丁寧に。
会話から逃げるようにではなく、手を落ち着かせるように。
「修理班には置けない。合ってる」
「それでいいのかよ」
「いい、じゃない」
ガレスの声が、少しだけ低くなる。
「合ってる」
いいことと、合っていることは違う。
ガレスはそれを知っている。
だから苦しい。
リューネ教師は、二人のやり取りを黙って聞いていた。
それから、ガレスに言う。
「午後、解体実習場を見に来な」
ガレスは顔を上げる。
「解体」
「嫌なら来なくていい。ただ、あそこには壊すことで守る仕事がある」
壊すことで守る。
ガレスの章の中心に近い言葉が、ここで出た。
ガレスはすぐには答えない。
工具箱を閉める。
水筒を持つ。
飲む。
自分のために。
「行く」
短く、彼は言った。
修理実習場を出る時、ブランが小さく頭を下げた。
「さっき、すみません。手作業だと遅いって」
ガレスは首を横に振る。
「遅い」
「でも、必要な遅さもあるんですね」
ガレスは少しだけブランを見る。
それから頷いた。
「たぶん」
また、たぶん。
でも、今度のたぶんは、少しだけ軽かった。
ノルが部誌に書く。
ガレスは遅い。
でも、悪くない。
修理班には置けない。
でも、修理班の周りに置く価値がある。
ジャックがそれを覗き込み、顔をしかめる。
「そのまま書くのか」
「書く」
「もっと言い方あるだろ」
「あとで直す」
ノルは眠そうに答えた。
ガレスが少しだけ振り返る。
「直すなら、周りから」
その言葉に、みんなが一瞬止まった。
それから、リリィが笑った。
「ガレスさんが編集方針を出しました」
ガレスは真顔だった。
でも、ほんの少しだけ、さっきより呼吸が楽そうに見えた。
修理班には置けない。
その言葉は消えない。
でも、その周りに別の言葉が置かれ始めている。
修理班の周り。
壊すことで守る仕事。
必要な遅さ。
ガレスはまだ、自分の場所を見つけてはいない。
でも、完全に外へ追い出されたわけでもない。
午後の解体実習場へ向かう廊下で、彼は工具箱を一度だけ確認した。
今度は、一度だけだった。




