表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
122/163

第121話 壊す手の工房都市

 アストラムを出る列車の中で、ガレスは工具箱を二度確認した。


 一度目は、いつものことだと思った。


 ガレス・モルンは、だいたいいつも何かを確認している。


 水筒。


 椅子の脚。


 壊れかけた留め具。


 ノルが寝落ちしそうな位置。


 ミラが止まった時に倒れない床。


 ロイが音を鳴らしすぎない距離。


 そういうものを、ガレスは黙って見る。


 壊れてから騒ぐのではなく、壊れる前に周りを持つ。


 だから、工具箱を確認するくらいは普通だ。


 でも、二度目は少し違った。


 ガレスは工具箱の留め具を開け、閉め、もう一度開けた。


 中の布を直す。


 小さな金槌の位置を変える。


 細い針金を束ねる。


 接着用の樹脂瓶を奥へ寄せる。


 それから、何も言わずに閉める。


 そして、少し時間を置いて、また手を伸ばしかけた。


「ガレス」


 俺が呼ぶと、彼は手を止めた。


「何だ」


「工具箱、落ち着かないのか」


 ガレスは工具箱を見る。


 それから俺を見る。


「落ち着く」


「落ち着くために触ってる?」


 ガレスは少し考えた。


「たぶん」


 珍しい答えだった。


 ガレスは、たぶんと言うことがあまりない。


 水は大事。


 周りを持つ。


 壊してない。


 そういう短い確定の人だ。


 そのガレスが、たぶんと言った。


 次の街が、彼にとって何かあるのだろう。


 俺たちが向かっているのは、工房都市フォルジア。


 競技校の名は、フォルジア魔法工房学院。


 魔道具、競技用装備、旗の仕掛け、修復技術、金属加工、魔力炉。


 そういうものを扱う街だと聞いている。


 壊れたものを直す街。


 作る街。


 組み立てる街。


 ガレスなら、むしろ好きそうな場所に思える。


 でも、彼の手は工具箱から離れない。


「工房都市、行ったことあるの?」


 ミラが聞いた。


 彼女は窓際で、荷物の紐を締め直している。


 山岳校の後から、ミラは足場や荷物の重さに少し敏感になった。


「ある」


 ガレスは答えた。


「前に?」


「昔」


「どんなところ?」


 ガレスは少し黙った。


 短い言葉を探している顔だ。


「うるさい」


 意外な答えだった。


 リリィが顔を上げる。


「工房都市ですからね。金属音とか炉の音とか」


「音じゃない」


「音じゃないうるささ?」


 ガレスは頷く。


「直せるものが多い」


 それは、普通なら良いことのように聞こえる。


 でも、ガレスの声では違った。


 直せるものが多い。


 壊れたものが多い。


 壊れそうなものが多い。


 直せる人が多い。


 そして、魔法では直せない自分がいる。


 そういう意味に聞こえた。


 クララが手帳から顔を上げる。


「フォルジアは、修復魔法の研究も盛んです。破損状態の解析、素材再結合、魔力炉の再調整。現代修復術の中心の一つですね」


「ガレス先輩の魔法は」


 ロイが言いかけて、止まった。


 言い方を探している。


 ガレスは自分で言った。


「壊すだけだ」


 車輪の音が、少し大きく聞こえた。


 壊すだけ。


 ガレスの欠陥魔法。


 物を壊す魔法しか使えない。


 本人は修理好きなのに、魔法では壊すことしかできない。


 だから、修理は手作業で覚えた。


 俺たちはそれを知っている。


 でも、工房都市ではどう見られるのだろう。


 修復魔法が中心の街で。


 魔道具を直すことが誇りの街で。


 壊す魔法しか使えない修理好きは、どう扱われるのだろう。


「嫌なら、俺が前に出る」


 ジャックが言った。


 かなり唐突だった。


 ガレスが彼を見る。


「何で」


「破壊なら俺の評判の方が悪いだろ。そっちに目を向けさせる」


 ジャックらしい。


 乱暴で、少し優しい。


 でも、ガレスは首を横に振った。


「違う」


「何が」


「お前は、壊すつもりで壊す」


 ジャックの眉が動く。


 少し危ない空気。


 でも、ガレスは続けた。


「俺は、直したくて壊す」


 列車の中が静かになった。


 直したくて壊す。


 それは矛盾している。


 でも、ガレスの魔法そのものだった。


 壊す魔法しか使えない。


 直したい時、魔法を使うと壊れる。


 だから、魔法を使わずに手で直す。


 でも、手で直せるものには時間がかかる。


 間に合わない時もある。


 壊していい場所を選ぶことでしか、守れない時もある。


「……悪かった」


 ジャックが低く言った。


「悪くない」


 ガレスは短く返す。


 それで会話が終わる。


 終わってしまう。


 俺は少しだけもどかしかった。


 ガレスはいつも短い。


 短いから伝わることもある。


 でも、短いから届かないこともある。


 今回の章は、そこへ踏み込むのかもしれない。


 ガレス自身が、あまり言葉にしてこなかった場所。


 フォルジアへ近づくにつれ、窓の外の景色が変わった。


 白いアストラムの塔は遠ざかり、丘陵地帯に入る。


 地面から煙突が生えているような建物が見え始めた。


 川沿いには水車。


 崖沿いには金属の足場。


 空には細い蒸気。


 遠くで、炉の赤い光が昼間でも見えた。


 工房都市フォルジア。


 街全体が大きな作業台のようだった。


 駅に近づくと、車内にも金属の匂いが入ってくる。


 油。


 熱い鉄。


 木屑。


 接着樹脂。


 ガレスの工具箱からする匂いに似ている。


 でも、もっと大きくて、濃い。


 ガレスは窓の外を見ていた。


 表情はあまり変わらない。


 でも、工具箱を持つ手が少し強い。


「ガレス」


 ノルが眠そうに声をかけた。


「ん」


「水、いる?」


 珍しい。


 いつも水を出す側のガレスに、ノルが水を聞いた。


 ガレスは少し驚いたようにノルを見る。


 それから、頷いた。


「いる」


 ノルは自分の水筒を差し出す。


 ガレスは受け取って、一口飲んだ。


「水は大事」


 ノルが言う。


 ガレスは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「大事だ」


 駅に着いた。


 フォルジア駅は、駅というより工場の入口だった。


 柱は鉄。


 床は厚い木材。


 天井には滑車と鎖。


 ホームの端では、小さな修理台が並び、旅人の壊れた鞄や車輪をその場で直している。


 職人たちが声をかけ合う。


 金槌の音。


 歯車の音。


 蒸気の音。


 確かにうるさい。


 音もうるさい。


 でも、ガレスが言ったうるささは、たぶんそれだけではない。


 目に入るものが多いのだ。


 曲がった金具。


 緩んだねじ。


 ひびの入った車輪。


 直しかけの魔道具。


 直せるもの。


 直されるのを待つもの。


 ガレスはそれらを見てしまう。


 見てしまうから、落ち着かない。


 ホームを出る前に、俺たちは迎えの生徒と合流した。


 フォルジア魔法工房学院の代表補助生。


 名前はブラン・リベット。


 小柄な男子生徒で、腕には工具帯を巻いている。


 髪には煤が少しついていた。


「カルミアの第七部ですね。ようこそフォルジアへ」


 ブランは明るく言った。


 それから、俺たちの荷物を見る。


 特に、ガレスの工具箱に目を留めた。


「へえ、いい箱ですね。誰のですか」


「俺のだ」


 ガレスが答える。


 ブランはにこっと笑った。


「修理係ですか?」


「そんなものだ」


「魔法系統は?」


 何気ない質問だった。


 工房都市では、たぶん挨拶の一部なのだろう。


 金属加工。


 再結合。


 炉調整。


 細工。


 修復。


 そういう分類を聞く感覚。


 ガレスは少しだけ黙った。


「破壊」


 ブランの笑顔が、一瞬止まった。


 本当に一瞬。


 でも、見えた。


「破壊、ですか」


「ああ」


「修理係で?」


 悪意はない。


 たぶん。


 でも、その問いは鋭い。


 ガレスは頷く。


「手で直す」


 ブランは慌てたように笑った。


「ああ、なるほど。手作業派ですね。うちにもいますよ。魔法修復より手癖がいい人」


 言い方は悪くない。


 でも、少しずれている。


 手作業派。


 好きで魔法を使わない人。


 ガレスは少し違う。


 使うと壊れるから、手で直す。


「工房では、破壊系は解体班が多いですね」


 ブランは歩きながら言った。


「古い炉を外すとか、失敗作を砕くとか。危険物処理とか。修理班とは別です」


 修理班とは別。


 その言葉に、ガレスの手が工具箱を握る。


 俺はそれに気づいた。


 たぶん、みんなも気づいた。


 ジャックが少し前へ出かける。


 レイナが目で止める。


 今はまだ、怒る場面ではない。


 ブランは気づいていない。


 悪意がないからこそ、刺さる言葉というものがある。


「フォルジアでは、壊す魔法は必要だけど、工房の中心には置かれません」


 ブランは続ける。


「壊すのは最初か最後ですから。材料を割る時、失敗作を処分する時。直す時には、できるだけ遠ざける」


 ガレスは何も言わない。


 ただ、歩く。


 工房都市の通りは、駅以上に騒がしかった。


 道の両側に工房が並び、扉は開け放たれている。


 中では、職人や生徒たちが魔道具を組み立てていた。


 壊れた競技用結界具を直す人。


 旗竿の芯材を磨く人。


 防壁発生器の魔力管を交換する人。


 小さな炉に手をかざし、割れた金属をゆっくりつなぐ人。


 修復魔法の光は、柔らかかった。


 割れ目をなぞり、形を戻し、傷を消す。


 ガレスはその光を見ている。


 黙って。


 工具箱を持ったまま。


「ガレス」


 俺は小さく呼んだ。


「ん」


「見たいなら、少し止まるか」


 ガレスは首を横に振った。


「いい」


「いいのか」


「見える」


 止まらなくても見える。


 見たくなくても見える。


 たぶん、そういう意味だった。


 宿舎は工房学院の敷地内にあった。


 木と鉄でできた建物。


 頑丈で、少し温かい。


 部屋に入ると、机の上に小さな歓迎品が置かれていた。


 工具型の焼き菓子。


 歯車の形をした砂糖菓子。


 そして、一枚の案内紙。


 工房都市フォルジアへようこそ。


 壊れたものは、工房へ。


 直せるものは、必ず直す。


 その一文を見て、ガレスが止まった。


 直せるものは、必ず直す。


 いい言葉だ。


 でも、ガレスには重い。


 必ず。


 その言葉が重い。


 直せないものはどうするのか。


 直したいのに壊す手は、どこへ行くのか。


「必ず、は強いわね」


 ネルが言った。


「強い」


 ノルが部誌に書く。


「工房都市、必ず直す」


 ガレスは案内紙から目を離した。


「直せないものもある」


 短い言葉。


 でも、部屋に沈む。


 ロイが慎重に聞く。


「ガレス先輩は、何を直したいんですか」


 ガレスは工具箱を机に置いた。


 留め具を開ける。


 中から、小さな金具を取り出した。


 黒い岩片をはめ込んだ古い補助具。


 山岳校の遠征で見たものに似ている。


 何度も直した跡がある。


 削った跡。


 磨いた跡。


 別の金属で継いだ跡。


 きれいではない。


 でも、手が入っている。


「壊れたもの」


 ガレスは言った。


「使う人が、まだ使うもの」


「人が使うなら、直したい?」


 俺が聞く。


 ガレスは頷く。


「使わないなら?」


 ガレスは少し考えた。


「休ませる」


 壊すでも、捨てるでもなく。


 休ませる。


 ガレスらしい言葉だった。


 その時、扉が叩かれた。


 ブランが顔を出す。


「すみません、ガレスさん。学院の修理実習場を見学しますか? 修理係なら興味あるかなと思って」


 ガレスは少しだけ動きを止めた。


 行きたいのか。


 行きたくないのか。


 俺にはわからない。


 でも、工具箱の中の金具を布で包み直す手が、少しだけ強かった。


「行く」


 ガレスは言った。


 短い。


 でも、決めた声だった。


 俺たちも立ち上がる。


 ガレスの章が始まった。


 壊す手のまま、修理の街へ入る章。


 工房都市の「必ず直す」という言葉の中で、直したくて壊す魔法を持つ先輩が、自分の居場所を探す章。


 廊下へ出る前に、ガレスは水筒を一本持った。


 いつものように。


 ただ今日は、誰かに渡すためだけではない気がした。


 自分が落ち着くためにも。


 水は大事。


 その短い言葉を、今度はガレス自身が必要としていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ