第119話 古い道を読む
作戦書は食べられた。
文字は消えた。
初期作戦は、字喰旗グラマの逃走路になった。
アストラム側の分類文字も、グラマの餌になった。
俺たちの欠陥は、空中で何度も文字にされた。
瞬間移動、持続不能。
音声合図依存。
成功前失敗強制型。
低予測性召喚。
破壊特化。
硬直。
一方向。
過剰攻撃。
敗北未来限定。
睡眠時記録干渉。
現代式読解不能。
存在認識欠落。
そのたびにグラマは食べた。
食べて、道を作った。
けれど、食べられても、俺たちは消えなかった。
分類された言葉より複雑に動いた。
文字になる前の音で動いた。
作戦書に書かれなかった足跡で動いた。
失敗を置いた。
迷いを隠さなかった。
重さを床へ残した。
そして今、競技場の中央でクララが立っている。
白い床。
銀の線。
上空の黒い旗。
彼女の手には、青い栞。
作戦書ではない。
教科書でもない。
読めない現代魔法式でもない。
ただ、途中で止まるための印。
「クララ」
俺が呼ぶ。
「いけるか」
クララはグラマを見上げたまま答えた。
「いける、とは言い切れません」
「そうか」
「でも、読めます」
その言葉は強かった。
今までのクララなら、ここで「たぶん」と付けたかもしれない。
もちろん、読解結果は仮説だ。
断定しない。
でも、自分が読めることまで否定しない。
それは、大きな違いだった。
「現代式は読めません」
クララが言う。
周囲の観客席にも聞こえる声だった。
「アストラムの予測式も、投射式も、私には読めません」
研究校の観客がざわつく。
公式戦の最中に、自分の弱点を口にする。
それは普通、危険だ。
アストラム側の選手たちもすぐ反応した。
クララ、現代式読解不能。
弱点固定。
グラマ誘導可能。
光の文字が投げられる。
グラマがそれを食べる。
黒い布がクララから離れるように動く。
しかし、クララは揺れなかった。
「でも」
彼女は続ける。
「グラマが食べた文字の後に残る古い道は、読めます」
青い栞が光を受ける。
グラマの黒い軌跡が、クララの目の中で別の形になっているのがわかった。
俺には見えない。
でも、彼女には見えている。
食べられた文字の痕跡。
作戦書の道。
分類の道。
白紙で止まった道。
レイナの失敗が開いた道。
グレイの低予測が細くした道。
ロイの生音で区切られた道。
ミラの重さで沈んだ道。
ガレスが周囲を持って曲げた道。
それらが、グラマの周りに見えない線として残っている。
「グラマは、文字を消していません」
クララが言う。
「食べた文字を、道にしています」
ディオン主任の声が補助席から聞こえる。
「観測記録、継続」
研究校の観客席の魔法板が一斉に光る。
彼らも今、クララの読解を追おうとしている。
でも、たぶん現代式では追えない。
クララは古い道を読んでいる。
「第七部」
クララが声を上げた。
「文字にしないで動いてください」
「了解」
俺は答える。
作戦名はない。
号令もない。
ただ、みんなが動く。
ロイが四つの音をもう一度鳴らす。
とん。
とん。
とん。
とん。
五つ目はまだ鳴らさない。
グラマは音を食べない。
でも、アストラム側がその音を文字化しようとする。
音声合図、四拍。
未完了。
グラマが食べる。
食べた瞬間、グラマの軌道が少しだけ未完了のまま止まる。
「今」
クララが言う。
ネルが動く。
一瞬だけ。
グラマの横ではない。
グラマが食べた未完了の道の横。
触れない。
道を折る。
グラマが進路を変える。
そこへレイナが失敗を置く。
二度目の失敗。
ただし、今度は成功を狙った失敗ではない。
古い道の切れ目に、未完了の試行痕跡を置く。
グラマがそれを食べようとして、少し沈む。
「レイナさんの失敗、道を広げます」
クララが言う。
「ネルさん、次は触れないで戻す」
「了解」
ネルが短く返す。
アストラム側が文字を投げる。
レイナ、失敗配置。
対策、失敗痕跡遮断。
グラマが食べる。
すると、遮断という文字が道に変わる。
つまり、遮断の形が見える。
アルフがその形を読んだように、一方向結界を置いた。
遮断を完全に防ぐのではない。
片側だけ受け流す。
グラマの逃走路が、また少し曲がる。
「アルフさん、合っています」
クララが言う。
アルフは頷くだけ。
余計な言葉を足さない。
アストラム側の選手たちが、明らかに焦り始めた。
文字を投げれば投げるほど、クララが道を読む。
しかし、文字を投げなければ、グラマの逃走を誘導できない。
研究校の強みが、少しずつ逆に使われている。
「分類をもっと細かく」
相手主将が言った。
彼らは魔法板へ大量の文字を打ち込む。
カルミア第七部。
即興連携。
低標準化反応。
非文字痕跡依存。
古代式読解者中心。
ルカ・ヴァレン、戻り言葉依存。
クララ・ヴェルム、読解停止手順あり。
青い栞、停止合図。
そこまで書くのか。
俺は少し呆れた。
でも、アストラムはそういう学校だ。
分類する。
書く。
投げる。
食べさせる。
グラマが、その大量の文字へ向かった。
食べる。
食べる。
食べる。
黒い布が膨らむ。
大量の分類が、道になる。
複雑すぎる道。
クララは一瞬、顔をしかめた。
読める。
でも、読みすぎると危ない。
青い栞が少し上がる。
俺は水筒に触れる。
止めるか。
続けるか。
クララは目を閉じた。
ほんの一秒。
そして言った。
「全部は読みません」
栞を下ろす。
「必要な道だけ読みます」
それは、彼女の勝利だった。
読めるから全部読むのではない。
大量の分類を押しつけられても、そのすべてを受け取らない。
必要な道だけ読む。
クララは大量の文字道の中から、一つだけ指さした。
「青い栞、停止合図。これを食べた道が、グラマの中で止まっています」
「止まってる?」
ロイが聞く。
「はい。停止合図は、食べられても停止の意味を持つ」
青い栞。
クララの止まるための印。
相手はそれを分類として投げた。
グラマは食べた。
でも、食べたことで、停止の道がグラマの中に生まれた。
相手の分類が、クララの手順を道にした。
「じゃあ、止められる?」
ネルが言う。
「一瞬だけ」
クララは頷く。
「でも、私だけでは足りません」
「誰がいる?」
「全員」
その答えに、俺たちは笑う暇もなかった。
全員。
文字にならない全員。
「ロイさん、五つ目はまだ。四つを維持」
「はい」
「レイナさん、失敗はもう一度だけ。今度は白紙の上に」
「わかりました」
「リリィさん、グレイを白紙の匂いへ。迷子一号は重しに」
「石がついに作戦書になりますね」
「作戦書ではありません。重しです」
「了解です」
「ミラさん、止まる場所を作ってください。捕まえる人ではなく、旗が止まる場所です」
「やる」
「ガレスさん、周囲の銀線を壊さず緩めてください」
「わかった」
「アルフさん、停止の道の片側だけ結界を」
「了解」
「ジャックさん」
ジャックが顔を上げる。
「壊すな、だろ」
「はい。でも、壊す前の圧は必要です」
ジャックは少し笑った。
「面倒な注文だな」
「できますか」
「できる可能性はある」
リブランで覚えた言い方だった。
クララは少しだけ笑う。
「お願いします」
「コレットさん」
コレットはすでに見ていた。
「負け方、変わる」
「どこで?」
「ルカが急ぐと負ける。クララが止まると勝ちに近づく」
「わかりました」
クララは最後に俺を見る。
「ルカさん」
「何だ?」
「捕まえるのは、最後です」
「わかってる」
「その前に、名前を呼ばれてください」
「戻り言葉か」
「はい。分類されたルカさんではなく、呼ばれたルカさんで触ってください」
胸の奥が熱くなる。
分類された俺。
存在認識欠落。
名の反射回避。
旗道預託。
そういう長い言葉ではなく。
ルカ。
戻り言葉。
「わかった」
俺は答えた。
クララは青い栞を掲げた。
「停止の道を開きます」
グラマが上空で旋回する。
黒い布が、大量の文字道をまとっている。
その中に、青い栞の停止道がある。
クララがそれを読む。
読める部分だけ。
読みすぎず。
閉じず。
「今」
ロイが四拍を維持する。
とん。
とん。
とん。
とん。
レイナが白紙の上に失敗を置く。
失敗は白紙を汚さない。
ただ、未完了の痕跡として端に残る。
グレイが白紙の匂いを追う。
迷子一号が、白紙を押さえる。
石として。
ミラが床を踏み、止まる場所を作る。
ガレスが銀線の周りを緩める。
アルフの一方向結界が、停止道の片側に立つ。
ジャックが拳を構える。
壊さない。
壊す前の圧だけを、道の外側へ置く。
グラマが下りてくる。
黒い布が、白紙の上の失敗痕跡へ向かう。
食べる。
しかし、迷子一号が重しになっている。
食べ切れない。
グレイが追い詰めない。
ミラの足場が沈まない。
ガレスの緩めた銀線が、逃げ道を壊さず曲げる。
アルフの片側結界が、閉じ込めず受け流す。
ジャックの圧が、逃げすぎる方向を嫌がらせる。
グラマの布が、一瞬だけ止まった。
完全な停止ではない。
食べた停止合図が、旗の中で働いた一瞬。
クララが叫ぶ。
「今です。でも急がないで」
急がないで。
そんな「今」があるのか。
でも、ある。
俺は走る。
速く。
でも、急がない。
風は出さない。
足で。
声を待つ。
「ルカ」
コレット。
「ルカさん」
クララ。
「ルカ」
ネル。
「ルカさん」
ロイ。
「ルカ」
ガレス。
「ルカさん」
レイナ。
「ルカ」
ノルの眠そうな声。
「ルカさん」
ミラ。
「ルカさん、外すと怒りますよ」
リリィ。
「ルカ」
アルフ。
「ルカ」
ジャック。
名前が重なる。
分類ではない。
戻り言葉。
呼ばれた俺。
俺は手を伸ばす。
グラマの黒い布が目の前にある。
文字を食べた旗。
作戦書を食べた旗。
分類を食べた旗。
白紙で止まった旗。
古い道を残した旗。
俺の指先が、その布の端に触れた。
今度は逃げない。
触れた瞬間、頭の中で何かが読まれるような感覚があった。
でも、記憶は戻らない。
エレナの顔も、過去の試合も見えない。
ただ、食べられた文字の道が、一瞬だけ足元に広がった。
声。
足跡。
失敗。
迷い。
重さ。
戻り言葉。
それらが全部、文字になる前のまま、そこにあった。
審判の声が響く。
「接触確認。旗捕獲判定。勝者、カルミア魔法学園第七魔法競技部」
歓声が起きた。
アストラムの歓声は、少し遅い。
最初に魔法板が光る。
それから、人の声が追いつく。
でも、確かに歓声だった。
ロイが五つ目の音を鳴らす。
とん。
完成の音。
グラマは逃げなかった。
黒い布は、俺の手から離れ、クララの前へ飛んだ。
クララは一瞬身構える。
でも、青い栞を上げない。
グラマは彼女の栞の前で止まり、白い文字の欠片を一つ落とした。
クララは、旗を見る。
「読んでもいいですか」
グラマが黒い布を小さく揺らす。
クララは欠片を読んだ。
「読まれなかったものも、道になる」
彼女の声が、少し震えた。
でも、泣いてはいない。
ただ、受け取っている。
読まれなかったものも、道になる。
クララの現代魔法式。
読めなかったもの。
落ちこぼれ扱いされたもの。
でも、それも道になる。
読める古代魔法だけではない。
読めなかった現代魔法も、彼女が止まったことも、全部、今日の勝ち筋の一部だった。
「勝った」
ネルが言った。
「ええ」
クララは頷いた。
「作戦書は食べられましたけど」
「食べられて勝った」
リリィが言う。
「なかなか嫌な勝ち方ですね」
「でも、うちらしい」
ミラが笑う。
ディオン主任が競技場へ降りてきた。
彼は魔法板を持っていない。
珍しい。
「おめでとうございます」
主任は言った。
「そして、認めます。当校の現代式予測では、今の勝ち筋を試合前に出せませんでした」
「研究校が認めた」
ノルが部誌に書く。
「そこ、書くんですね」
主任は少し苦笑した。
「書いてください。重要です」
リリィがすかさず見る。
主任は少し止まり、言い直した。
「重い記録です」
「よし」
なぜかリリィが許可を出した。
クララはグラマを見上げる。
黒い旗は、もう中央の箱へ戻ろうとしている。
文字を食べる旗。
でも、消すだけではなかった。
食べた文字を道にする旗。
読まれなかったものも道にする旗。
クララは青い栞を本に挟んだ。
ぱたん。
試合が終わった音。
でも、閉じた音ではない。
また開くための音だ。
「クララ」
俺は言った。
「助かった」
クララは、今度は困った顔をしなかった。
少しだけ笑って、頷いた。
「受け取ります」
その返事は、研究校の白い競技場の中で、どんな魔法式よりはっきり聞こえた。
現代魔法式を読めないクララが、古い道を読んで勝った。
作戦書を食べられた第七部が、文字になる前のものをつないで勝った。
欠陥と分類されたものが、分類より複雑に動いて勝った。
それは、ただの一勝ではない。
アストラムの白い観測塔に、少しだけひびを入れるような勝利だった。
もちろん、塔は壊れていない。
ジャックも壊していない。
でも、見方は少し変わった。
白い塔の影の中で、ノルが部誌に最後の一行を書く。
古い道を読んだ。
文字になる前の第七部で勝った。
クララはその一行を見て、青い栞をそっと押さえた。
「残してください」
「残す」
ノルは眠そうに頷いた。
字喰旗グラマの黒い布が、箱へ戻る直前、一度だけこちらへ揺れた。
食べた文字は消えない。
形を変えて、道になる。
その道を、今日はクララが読んだ。




