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第112話 分類される欠陥たち

 アストラム高等魔法理論学院の校門をくぐった瞬間、俺たちは番号になった。


 もちろん、本当に名前が消えたわけではない。


 受付の魔法板には、ちゃんと俺たちの名前が表示されている。


 ルカ・ヴァレン。


 コレット。


 ネル。


 ロイ。


 ガレス。


 レイナ。


 ノル。


 ミラ。


 リリィ。


 クララ。


 アルフ。


 ジャック。


 十二人分の名前。


 でも、その横に、もっと大きな文字で分類番号が出ていた。


 C-07-WD。


 C-07-PR。


 C-07-BR。


 C-07-SD。


 名前より先に、番号が目に入る。


 カルミア第七魔法競技部。


 欠陥魔法観測対象群。


 受付の白い魔法板に、そう表示されていた。


「対象群」


 リリィが声を低くした。


「群れ扱いです」


「落ち着け」


 ジャックが言う。


「群れは嫌です。せめて個別に迷惑扱いしてください」


「それもどうなんだ」


 俺も正直、嫌だった。


 対象群。


 観測対象。


 リブランでは、欠けた名前をどう扱うかを慎重に考えた。


 ここでは、最初から分類される。


 名前はある。


 でも、番号の横に置かれている。


 忘れられたわけではない。


 ただ、測定しやすい形へ押し込まれている。


 それもまた、少し違う形の怖さだった。


 案内役のディオン・アルグレイ主任は、特に悪びれた様子もなく魔法板を操作している。


「入校記録です。研究校では、来訪者の魔法特性を事前分類します。安全管理のためですね」


「安全管理」


 アルフが繰り返す。


「はい。暴発、干渉、魔力漏出、観測誤差を防ぐためです」


「観測誤差」


 今度はクララが繰り返した。


 声は静かだ。


 でも、少し硬い。


 ディオン主任は板から目を上げる。


「ああ、失礼。人ではなく、計測側の誤差です。あなた方のような非標準魔法は、標準計測式では数値が乱れやすい」


「非標準」


「欠陥という語が好まれない場合、当校では非標準と呼ぶこともあります」


 好まれない場合。


 言葉を変えている。


 でも、見方はあまり変わっていない気がした。


 欠陥。


 非標準。


 観測対象。


 対象群。


 どの言葉も、俺たちを外から測るためのものだ。


 俺は水筒に触れた。


 最近、すぐ触る癖がついている。


 ガレスがそれを見て、少し頷いた。


 飲む必要はない。


 でも、待つ必要はある。


「入校記録に、第七部側条件を併記してください」


 俺は言った。


 ディオン主任は手を止める。


「昨日の、読む前手順のことですか」


「それも含めて。俺たちは試合参加者であって、無条件の研究対象ではありません」


 主任は少しだけ目を細めた。


「もちろん、同意なき実験は行いません」


「実験だけではなく、呼び方もです」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 リブランへ行く前なら、たぶんここまで言わなかった。


 嫌だと思っても、言葉にはしなかったかもしれない。


 でも、言葉は記録になる。


 嫌だった言葉も、消すだけではなく、違うと書ける。


 ノルの部誌にそうあった。


 だから、言う。


「対象群という表示は、俺たちへの説明前に出すには強すぎます」


 ディオン主任は受付板を見た。


 それから俺を見る。


「なるほど。では、試合参加団体、でよろしいですか」


「はい」


 主任は板を操作した。


 欠陥魔法観測対象群。


 その文字が消える。


 代わりに、試合参加団体と表示された。


 少しだけ、息がしやすくなる。


「こちらも記録します」


 ノルが部誌を開いた。


「入校時、対象群と表示。第七部が変更を求める。試合参加団体に修正」


「早いですね」


 ディオン主任が感心したように言う。


「記録係なので」


 ノルは眠そうに答えた。


「リブランの試合記録を拝見しました。睡眠状態での逃走意図読解。非常に興味深い」


 主任の目がまた研究者の目になる。


 ノルは部誌を少し閉じかける。


 止める合図ではない。


 警戒だ。


「寝てただけ」


「寝ていただけでは、旗の意図は読めません」


「たぶん」


 ノルはそれ以上答えない。


 ディオン主任はまだ聞きたそうだったが、俺たちの視線に気づいたのか、板へ戻った。


「では、施設案内へ進みましょう」


 研究校の廊下は、広くて白かった。


 壁には、授業予定や研究発表の掲示ではなく、魔法式が流れている。


 文字の川。


 式の川。


 図形と数字が、絶えず変化しながら壁を走る。


 ロイが目を輝かせる。


「すごいです。壁全体が板書みたいです」


「読めるのか」


 ジャックが聞く。


「少しだけ。基礎式なら」


「俺は無理だな」


「ジャックさんは、読まずに壊す側ですし」


「壊さない」


「最近は」


 ロイが小さく付け加えた。


 ジャックが睨む。


 でも、怒鳴らない。


 研究校の壁の魔法式は、クララの目にも入っているはずだ。


 けれど、クララはほとんど見ていなかった。


 見ているのに、読んでいない。


 いや、読めない。


 現代魔法式。


 彼女にとって、ここは文字だらけなのに意味が入ってこない場所だ。


 俺はそれが少し怖かった。


 本が好きな人を、読めない本だけの図書館に閉じ込めるようなものかもしれない。


 ディオン主任が廊下の途中で足を止めた。


「ここが欠陥魔法分類研究室です」


 白い扉。


 その上に、銀色の文字で研究室名が書かれている。


 欠陥魔法分類研究室。


 中に入ると、円形の机があり、その周囲に研究員たちが座っていた。


 全員、白い研究服。


 全員、手元に魔法板。


 全員、こちらを見る。


 観客席とは違う。


 リブランの観客は、記録するために見ていた。


 アストラムの研究員は、分類するために見ている。


 たぶん、そう感じるのは偏見かもしれない。


 でも、その視線の中に入ると、自分の形が少し削られる気がした。


「皆さん、こちらがカルミア魔法学園第七魔法競技部です」


 ディオン主任が紹介する。


「現在、地方校競技旗との複数接触例、古代旗反応例、欠陥魔法の再解釈例として注目されています」


 注目。


 研究価値。


 観測対象。


 似た言葉が続く。


 リリィが小声で言った。


「珍獣紹介みたいです」


「珍獣って言うな」


 ジャックが小声で返す。


 ノルが部誌に何かを書きかけた。


「珍獣は書かなくていい」


 俺が止めると、ノルは少し残念そうにペンを止めた。


 書く気だったのか。


 研究員の一人が立ち上がった。


 若い女性。


 髪をきっちりまとめている。


 板を見ながら言う。


「まず、各欠陥の分類確認を行います。代表者から順に」


「その前に」


 アルフが静かに言った。


 全員の視線が彼へ向く。


 アルフは動じない。


「分類確認は、試合準備のためですか。研究資料化のためですか」


 女性研究員が少し困った顔をした。


「両方です」


「では、研究資料化に関しては個別同意が必要です」


 ディオン主任が微笑む。


「もちろんです。アストラムでは同意手続きを重視しています」


「同意書は、読み上げますか」


 クララが聞いた。


 主任がクララを見る。


「書面を配布します」


「現代魔法式を含みますか」


「標準同意書ですので、一部に含みます」


 クララは青い栞に触れる。


「私は現代魔法式を読めません。文字としての同意書は読めても、魔法式部分を読解できません。その場合、説明を受ける権利はありますか」


 研究室が少し静かになった。


 ディオン主任は、初めて本当に感心したように見えた。


「あります。説明しましょう」


「全員分お願いします」


 クララは言った。


「読める人がいることと、全員が理解していることは別です」


 レイナが小さく頷く。


 ロイも背筋を伸ばした。


 この一言で、場の流れが変わった。


 研究校側が用意した標準手続き。


 それを、そのまま受け取らない。


 こちらの読めなさを、欠陥として黙って飲み込まない。


 読めないなら、説明を求める。


 クララの章が、始まっている。


「では、同意説明から始めます」


 ディオン主任は板を操作し、壁に同意書を投影した。


 文字が光る。


 文章。


 図式。


 小さな魔法印。


 クララには、どこまで読めているのだろう。


 彼女は背筋を伸ばし、青い栞を指で挟んだまま聞いている。


 主任は説明を始めた。


 試合準備のための基礎特性確認。


 魔力安全管理。


 公式戦中の観測記録。


 研究利用は匿名化したうえで、個別同意がある場合のみ。


 ただし、競技結果に関する公開記録は連盟規則に従う。


 説明自体は丁寧だった。


 意外なほど。


 でも、言葉が多い。


 長い。


 そして、ところどころに研究校の都合が混じる。


 匿名化。


 再分類。


 比較対象。


 魔法特性群。


 そのたびに、リリィが顔をしかめる。


 ノルが部誌に短く記録する。


 ガレスが水を置く。


 俺は、今すぐ反発する言葉と、後で聞くべき言葉を分ける。


 リブランでやったことだ。


 全部をその場で決めない。


 保留する。


「説明は以上です」


 主任が言った。


「質問は」


 クララがすぐ手を上げた。


「匿名化された場合でも、欠陥魔法の分類名から個人が推定される可能性があります。たとえば、睡眠状態で旗の意図を読む記録係は、匿名化してもノルさんだとわかります」


 ノルが眠そうに頷く。


「わかる」


「その場合、匿名化だけでは不十分ではありませんか」


 研究員たちが少しざわめいた。


 ディオン主任は板に何かを書き込む。


「指摘は妥当です。希少事例については、公開範囲を個別に制限する必要がありますね」


「記録してください」


 クララが言う。


「記録します」


 主任は即答した。


 彼は嫌な人なのか、誠実な人なのか、まだ判断できない。


 たぶん、どちらでもある。


 研究者として誠実。


 でも、研究者としての誠実さが、人への誠実さとずれる時がある。


 そのずれが、この章の相手なのだろう。


「では、分類確認へ」


 女性研究員が言った。


 彼女は板を見ながら、まずクララを見る。


「クララ・ヴェルム。現代魔法式読解不能。古代式偏向読解。分類案、読解対象偏向型欠陥。補足、非実用古代感応」


 非実用。


 その言葉に、クララの指が少しだけ動いた。


 青い栞を握る。


「非実用」


 俺が思わず繰り返す。


 女性研究員は当然のように頷いた。


「現代競技環境において、標準術式の読解不能は大きな不利です。古代式への感応は興味深いものの、現代魔法運用では限定的です」


「灰栞旗セリオの古代構文を読んだばかりですが」


 ロイが言った。


 普段より声が少し強い。


 女性研究員は板を確認する。


「特殊旗環境下の例外です」


「例外が続いたら?」


 ネルが聞く。


「再分類対象になります」


「じゃあ、今はまだ落ちこぼれ扱いってことね」


 ネルの言い方は少し鋭い。


 女性研究員は少し困惑する。


「落ちこぼれという表現は使用していません」


「分類で同じことをしてる」


 ネルは腕を組む。


 クララは静かに息を吐いた。


「大丈夫です」


「大丈夫じゃないでしょ」


「慣れています」


「それが大丈夫じゃないのよ」


 ネルの声には怒りがあった。


 クララの代わりに怒っている。


 クララは少し驚いたようにネルを見た。


 自分が言われ慣れている言葉に、他人が怒る。


 それは、たぶん不思議な感覚なのだろう。


 俺も腹が立っていた。


 非実用。


 特殊環境下の例外。


 落ちこぼれとは言わない。


 でも、同じ棚に置いている。


 ただ、ここで怒鳴れば研究校側は防御するだけだ。


 リブランで学んだ。


 嫌だった言葉も、消すだけではなく、違うと書ける。


 だから、違うと書く必要がある。


「分類に補足を入れてください」


 俺は言った。


 女性研究員がこちらを見る。


「補足?」


「古代式読解は、地方校の古代旗、地域魔法、旗記憶干渉記録に対して実用例があります。現代魔法運用のみを基準に非実用とするのは、範囲が狭い」


 言いながら、自分でも研究校っぽい言い方になっていると思った。


 でも、相手の言葉で返すのも必要だ。


 アルフが続ける。


「分類基準を明記すべきです。現代標準授業において不利、なのか、競技全般において非実用、なのかで意味が違う」


 女性研究員はディオン主任を見る。


 主任は少し笑った。


「その通りです。分類案を修正しましょう。『現代標準式読解において不利。古代式・旗術式環境では実用例あり』」


 クララが小さく息を止めた。


 その文字が、壁に表示される。


 非実用。


 その言葉が消える。


 代わりに、実用例あり。


 たったそれだけ。


 でも、クララの肩が少しだけ緩んだ。


「ありがとうございます」


 クララが言う。


 ディオン主任は首を横に振った。


「分類精度の向上です」


 やっぱり研究者の言い方だ。


 でも、今回は悪くない。


 分類を変えられるなら、まだ話せる。


 ノルが部誌に書く。


「非実用、消える。実用例あり、入る」


「消えたわけじゃない」


 クララが言う。


「元記録に残す?」


「はい。最初にそう分類されたことも、残してください」


 ノルは頷いた。


「残す」


 嫌だった言葉も、なかったことにはしない。


 ただ、違うと書く。


 リブランで得た一文が、ここでも働いている。


 分類確認は続いた。


 ネルは、瞬間発動型持続不能。


 ロイは、音声発動過大依存。


 ガレスは、破壊特化修復不能。


 レイナは、成功前失敗強制型。


 ノルは、睡眠時記録干渉。


 ミラは、筋力強化後硬直。


 リリィは、召喚結果不確定。


 アルフは、一方向結界限定。


 ジャックは、攻撃出力過剰。


 コレットは、敗北未来限定視。


 俺は、風属性反応薄化および存在認識欠落。


 それぞれが、短く分類される。


 短い言葉は便利だ。


 でも、やっぱり人を削る。


 レイナは、成功前失敗強制型と呼ばれた時、すぐに補足を求めた。


「失敗の配置による戦術例あり、と入れてください」


 ネルは、持続不能の横に非接触瞬間移動の実用例を入れさせた。


 ロイは、音声過大依存の横に「小音階制御訓練中」と入れた。


 ガレスは、自分からは何も言わなかったが、ミラが「周辺保持による支援実績あり」と言った。


 ガレスは少し照れた。


 リリィは召喚結果不確定の横に「迷惑とは限らない」と入れさせようとして、研究員に「表現を調整しましょう」と言われた。


 最終的に「低予測性召喚の戦術利用例あり」になった。


「硬いです」


 リリィは不満そうだった。


「でも、迷惑よりはいい」


 レイナが言うと、リリィは少し黙った。


「まあ、いいです」


 分類される。


 補足する。


 また分類される。


 また補足する。


 それを繰り返すうちに、研究室の空気が少し変わってきた。


 最初、研究員たちは俺たちを珍しい事例として見ていた。


 でも、途中から、事例が言い返してくることに気づき始めた。


 分類される側が、分類基準を問い返す。


 それは、研究校にとっても面白いことらしい。


 ディオン主任は明らかに楽しそうだった。


 それが少し怖くもある。


 楽しんでいるからこそ、どこまで踏み込んでくるかわからない。


「最後に、クララさん」


 主任が言った。


「実技確認として、簡単な読解試験を行っても?」


 クララの表情が固まる。


「対象は何ですか」


「現代魔法式と古代魔法式を混在させた比較板です。危険な内容ではありません」


「読む前手順を使います」


 クララはすぐに言った。


 主任は頷く。


「どうぞ」


 ノルが部誌を開く。


 読む前手順。


 一、クララが「読みます」と言う。


 二、誰の許可か確認する。


 三、読める範囲を決める。


 四、栞を挟んだら止まる。


 五、読んだ後は仮説として扱う。


 クララは青い栞を手に持った。


「読みます」


 声は少し震えていた。


 でも、はっきりしていた。


「対象は比較板。許可者はアストラム高等魔法理論学院、ディオン・アルグレイ主任。読解範囲は、表示された一枚分。ただし、個人情報、旗の反応、旧代表候補選抜戦関連の術式が含まれる場合は停止します」


 ディオン主任が目を見開いた。


「そこまで条件化しますか」


「します」


 クララは言った。


 俺たちも頷く。


 主任は少し考え、頷いた。


「承認します」


 壁に比較板が投影された。


 左側に現代魔法式。


 右側に古代魔法式。


 中央に、二つをつなぐ変換線。


 研究員たちがクララを見る。


 クララは左側を見る。


 現代魔法式。


 読めない。


 目が滑るのが、横からでもわかる。


 彼女の指が少し震える。


 落ちこぼれ扱い。


 標準授業で不利。


 読解不能。


 そういう言葉が、ここに詰まっている。


 クララは息を吐き、右側を見た。


 古代魔法式。


 その瞬間、彼女の目が変わった。


 読んでいる。


 文字ではなく、線の奥の意味を追っている。


 でも、勢いで全部は読まない。


 青い栞を指に挟んだまま、ゆっくり声に出す。


「右側、古代式。基礎構文は土地固定ではありません。旗媒体式に近いです。中央の変換線は、現代式から古代式への翻訳ではなく、古代式を現代式で上書きするための補助線に見えます」


 研究室がざわついた。


 ディオン主任の顔から、少し笑みが消える。


「上書き?」


「仮説です」


 クララはすぐ言った。


「まだ結論ではありません」


「続けてください」


 主任の声が少し早くなる。


 クララは青い栞を見る。


 読む前手順。


 読める範囲は一枚分。


 危険な内容なら停止。


 彼女は中央の変換線を見た。


 そして、眉を寄せる。


「この線」


「何ですか」


 主任が問う。


 クララは答えない。


 代わりに、青い栞を比較板の投影へ向けて掲げた。


 止まる合図。


「停止します」


 研究員たちが一斉に反応した。


「なぜ」


「まだ途中です」


「危険な内容ではありません」


 声が重なる。


 クララの顔が少し青くなる。


 でも、栞は下げない。


「旧代表候補選抜戦関連の術式に似た線があります」


 俺の胸が締まる。


 ディオン主任の目が光る。


「どの部分ですか」


「答えるには、許可範囲を超えます」


「クララさん」


 主任が一歩前に出る。


「それは非常に重要な観測です。比較板は安全教材ですが、あなたが関連を見たなら、確認する必要があります」


「必要かどうかを、今ここで私だけでは決めません」


 クララの声が震えた。


 でも、折れない。


「ルカさんに関わる可能性があります。エレナ・フォルティスさんに関わる可能性もあります。旗契約に類似する反応に関わる可能性もあります。だから、停止します」


 青い栞が、白い研究室の中で小さく光った。


 誰もすぐには何も言わなかった。


 俺は水筒を持つ。


 飲む。


 待つ。


 クララは俺を見ない。


 見たら、迷うと思ったのかもしれない。


 だから、栞を見ている。


 自分で決めた手順を見る。


 ノルが部誌を閉じた。


 ぱたん。


 停止の音。


「第七部側、停止」


 ノルが言う。


「理由。許可範囲超過の可能性」


 アルフが一歩前へ出た。


「読解試験はここまでです」


 ジャックも横に立つ。


 何も壊さない。


 ただ、そこにいる。


 ディオン主任は、しばらくクララを見ていた。


 それから、ゆっくり息を吐く。


「わかりました。停止を記録します」


 壁の比較板が消えた。


 クララの肩から、力が抜ける。


 倒れそうになったところを、ミラが支えた。


「大丈夫?」


「大丈夫、ではありません」


 クララは言った。


 正直だった。


「でも、止まれました」


「それは大丈夫より大事かも」


 ミラが言う。


 クララは小さく頷いた。


 ディオン主任は板に記録を入れている。


「読めるが、停止した」


 彼はそう呟いた。


「興味深い」


 リリィがすぐに言う。


「興味深いは禁止にしませんか」


「なぜです」


「嫌な予感がするので」


 主任は少し笑った。


「では、表現を変えましょう。重要です」


「もっと嫌です」


 緊張が少し緩む。


 でも、完全には緩まない。


 クララが見つけた線。


 旧代表候補選抜戦関連の術式に似たもの。


 それが安全教材に含まれていた。


 偶然か。


 研究校が知っていて入れたのか。


 それとも、現代魔法式の土台に、俺とエレナの欠落に近い古代式が広く使われているのか。


 まだ断定できない。


 断定できないが、見え始めた。


 連盟の隠しているもの。


 欠陥魔法の定義が揺らぐ何か。


「クララ」


 俺は声をかけた。


 クララはやっとこちらを見る。


「止まってくれてありがとう」


 彼女は少しだけ目を伏せた。


「読みたかったです」


「うん」


「今も、読みたいです」


「うん」


「でも、止まりました」


「うん」


 それ以上の言葉は、すぐにはいらなかった。


 クララは読める。


 そして、読めるのに止まれた。


 この研究校で、それがどれほど大きいことなのか、たぶん研究員たちはまだわかっていない。


 でも、第七部はわかっている。


 ノルが部誌を開き直し、一行を書いた。


 分類されても、補足できる。


 読めても、止まれる。


 クララはそれを見て、少しだけ笑った。


「その記録は、残してください」


「残す」


 ノルは頷く。


 研究校の白い部屋で、クララの青い栞はまだ彼女の指にあった。


 読めない現代魔法式の中で。


 読める古代術式の前で。


 それでも、今はここまでだと印をつけるために。


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