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第10話 巡業リーグ参加通知

 巡業リーグ参加通知は、模擬戦の翌日に届いた。


 朝の授業が終わり、俺が昼食をどうするか考えていた時だった。廊下の向こうからロイ・キャベルが走ってくるのが見えた。


 見えた、というより聞こえた。


 足音が大きい。


 息も荒い。


 声を出す前から騒がしい。


 ロイは俺を見つけるなり声を上げた。


「ルカさん!」


「廊下で叫ぶな」


「すみません!」


「だから謝罪も」


「すみません……!」


 少し下がった。


 進歩だ。


 ロイは手に封筒を持っていた。厚手の白い封筒。王都の競技連盟で使われる封蝋が押されている。魔法旗奪競技連盟の紋章。二本の旗と、交差する月桂枝。


 見覚えがあった。


 なぜか、胸の奥が少し硬くなる。


 俺は封筒を指した。


「それ」


「部長が、みんなを部室に集めてって」


「俺も?」


「もちろんです」


「俺は仮入部で補助登録だ」


「でも昨日、補助でした」


「だから何だ」


「だから、もちろんです」


 ロイの理屈はよく分からない。


 だが、本人の中ではまっすぐつながっているらしい。


 俺は封筒を見た。


 巡業リーグ。


 昨日の模擬戦で、活動実態は認められた。


 なら次は申請の結果。


 通るか。


 落ちるか。


 それだけだ。


 それだけのはずなのに、足が勝手に部室へ向いていた。


「ルカさん?」


「行くぞ」


「はい!」


「声」


「はい」


 ロイは少し嬉しそうだった。


 廊下を歩いていると、昨日の模擬戦を見ていた生徒たちがこちらを見る。


 正確には、ロイを見る。


 その後、俺の方を見る。


 少しだけ。


 すぐに視線が滑っていく生徒もいる。


 だが、昨日よりは残る。


 あれ、第七部の。


 そんな声が聞こえた。


 名前ではない。


 でも、分類された。


 誰でもない透明な転入生ではなく、第七部の誰か。


 それが良いことなのか悪いことなのか、まだ分からない。


 ただ、足取りは少しだけ変だった。


 落ち着かない。


 部室に着くと、すでにほとんどの部員が揃っていた。


 コレット・セインは机の前に立ち、封筒を両手で持っている。


 ネル・アーレンは腕を組んで壁にもたれ、爪先で床を叩いていた。


 アルフ・メイナードは作戦盤ではなく、白紙の予定表を広げている。


 レイナ・オルコットは落ち着いた顔を作っているが、背筋がいつもより硬い。


 ノル・フェインは机に突っ伏している。寝ているように見えるが、手元には部誌が開かれていた。


 ミラ・ガルドはガレス・モルンが用意した椅子に座っている。昨日の筋力強化の副作用はもう抜けたらしいが、まだ少し足を気にしていた。


 リリィ・クロフトは召喚用の小さなポーチをいじっている。


 クララ・ヴェルムは連盟の封蝋を異様に真剣な目で見ていた。


 ジャック・バーネルは窓枠に座っていた。


 またそこか。


「来たわね」


 コレットが俺を見る。


「来た」


「ありがとう」


「ロイが廊下で叫んだからな」


「すみません……」


「役には立った」


 ロイの顔が少し明るくなる。


 この後輩は、褒めると本当に分かりやすい。


「では、開けます」


 コレットが封筒の封蝋に指をかけた。


 部室が静かになる。


 雨漏りの桶の音。


 遠くの教室のざわめき。


 青い練習旗が机の上で小さく揺れる音。


 封蝋が剥がれる。


 紙が開かれる。


 コレットの目が文面を追う。


 その表情は、最初は硬いままだった。


 そして、少しだけ揺れた。


 コレットは紙面から顔を上げないまま言った。


「……参加、承認」


 ロイが息を呑む。


 ネルの爪先が止まる。


 レイナの肩から、ほんの少し力が抜ける。


 ジャックが小さく口笛を吹いた。


「ただし」


 コレットが続ける。


 やはり来た。


 こういう通知には、ただし、が付く。


「カルミア魔法学園第七魔法競技部は、巡業リーグ予備参加枠として承認される。今期中、指定された交流試合および地方リーグ戦において一定以上の競技成績、活動報告、ならびに安全基準を満たすこと」


 彼女は一度息を吸った。


「条件未達の場合、次年度以降の競技部門登録は凍結。カルミア魔法学園の競技部門存続審査に影響する」


 部室の空気が変わった。


 参加は承認。


 だが予備参加枠。


 成績、活動報告、安全基準。


 条件未達なら、競技部門登録凍結。


 つまり、第七部だけの問題ではない。


 カルミアの競技部門そのものが消える。


 競技部門が消えれば、欠陥魔法持ちを受け入れる名目も弱くなる。


 学校そのものの存続にも関わる。


「一定以上って、具体的には?」


 ネルが聞いた。


 コレットは文面の下を読む。


「巡業リーグ前半戦終了時点で、評価点三十点以上。公式交流戦で一勝以上、または三試合以上の有効試合記録。重大事故ゼロ。連盟指定の旗管理報告提出」


「重大事故ゼロ」


 ジャックが笑った。


「うちに一番向いてねえ条件だな」


「笑い事ではありませんわ」


 レイナが言う。


「重大事故の定義次第では、ロイ君の音量事故も危ういです」


「僕、気をつけます」


 ロイの声は小さかった。


 それが余計に重く聞こえた。


 アルフが予定表に数字を書き込む。


「前半戦で三十点。一勝以上。安全基準。旗管理報告。かなり厳しいが、不可能ではない」


「不可能じゃない、は希望なのか?」


 俺が聞くと、アルフは真顔で答えた。


「希望として扱える」


「便利な言い換えだ」


「現実的な希望だ」


 コレットは通知を机に置いた。


 手が少し震えている。


 ガレスが黙って湯呑みを差し出した。


 いつ淹れた。


 相変わらず速い。


「ありがとう」


 コレットは湯呑みを受け取り、両手で包んだ。


「ごめんなさい。みんなに、重い条件を背負わせることになった」


「今さらですわ」


 レイナが言った。


 その声は、意外にも柔らかかった。


「第七部にいる時点で、軽い条件など期待していません」


「レイナさん」


「ただし、見苦しく負けるつもりもありませんわ。昨日の模擬戦で、多少は見られる形になりましたもの」


 ネルが鼻を鳴らす。


「多少、ね」


「あなたの滑り込みは、まあ、悪くありませんでしたわ」


「褒めてる?」


「評価しています」


「素直じゃない」


「あなたに言われたくありません」


 いつもの調子。


 だが、そこに少しだけ昨日とは違う熱がある。


 参加が決まった。


 条件も出た。


 もう、ただの部室の練習ではない。


 巡業リーグへ行く。


 外へ出る。


 他校と戦う。


 見られる。


 評価される。


 そして、失敗すれば終わる。


「旗管理報告」


 クララが通知のその部分を指差した。


「これは重要です。青旗の性質は標準競技旗と異なる可能性があります。報告内容によっては、連盟が旗の提出を求めるかもしれません」


「提出?」


 コレットの顔色が変わる。


「青旗を?」


「可能性です」


「それは困る」


 ネルが即座に言った。


「あの旗、第七部の旗でしょ」


「まだ正式登録旗ではありません」


 クララが言う。


「登録には、旗の由来、魔法系統、反応記録、危険性評価が必要です。現状では不明点が多すぎます」


 青い練習旗が机の上で小さく震えた。


 言葉が分かるのか。


 それとも、空気を読んでいるのか。


 ノルが顔を上げた。


「嫌がってる……」


 眠そうな声。


「提出、嫌だって」


 部室がまた静かになる。


 旗が嫌がる。


 当たり前のように言われると困る。


 でも、誰も笑わなかった。


 この数日で、青旗はただの練習用具ではなくなっている。


 怖がりで、逃げ癖があり、忘れられたものに反応し、俺の名前を叩く変な旗。


 第七部の一部だ。


 俺は青旗を見た。


「登録すればいい」


 全員がこちらを見る。


「連盟に提出される前に、第七部の正式旗として登録する。由来が不明なら、不明のまま報告する。反応記録はノルがある。魔法系統はクララが読む。危険性評価は……」


「ガレス先輩の修理記録と、アルフの安全配置記録を付けられるわ」


 コレットが続けた。


「ロイ君の音への反応、ネルさんの魔法への反応、ルカ君への反応も」


「俺への反応は書くな」


「重要です」


 クララが即答する。


「ルカさんの存在感低下と青旗の記憶保持反応には関連がある可能性があります」


「嫌な関連だな」


「有用な嫌な関連です」


「その分類、やめろ」


 リリィが笑う。


「つまり、青旗も正式に第七部員扱いですか」


「旗を部員にするな」


 ロイが真剣に手を上げる。


「でも、旗も一緒に戦います」


「そういう話じゃ」


 言いかけて、俺は止まった。


 旗も一緒に戦う。


 旗奪競技では、本来、旗は奪われる対象であり、守る対象であり、設計する道具だ。


 でも、この青旗は少し違う。


 逃げる。


 選ぶ。


 反応する。


 怖がる。


 見たいと思う。


 なら、一緒に戦う、という言い方も完全には間違っていないのかもしれない。


「……登録名は?」


 ミラが聞いた。


 全員が青旗を見る。


 そういえば、名前がない。


 ずっと青い練習旗、青旗、と呼んでいた。


「名前、必要か」


 俺が言うと、ノルが頷いた。


「旗は……名前を覚える……名前をもらうのも、たぶん好き……」


「たぶん」


「でも、嬉しそう……」


 青旗は机の上で、布の端を少し持ち上げた。


 期待しているように見える。


 困る。


 旗に期待されても困る。


「部長が決めればいい」


 俺は言った。


 コレットが驚いた顔をする。


「私?」


「部長だろ」


「でも」


「第七部の旗なら、部長が決めるのが自然だ」


 コレットは青旗を見る。


 しばらく。


 長く。


 部室の全員が待った。


 ジャックですら黙っていた。


 やがて、コレットは小さく言った。


「リメル」


「リメル?」


 ネルが繰り返す。


「古いカルミアの方言で、『残るもの』という意味。正確な発音は少し違うけれど」


 クララが目を輝かせる。


「古カルミア語ですか」


「祖母から聞いただけよ」


「記録します」


 ノルがすでに部誌に書いていた。


 第七魔法競技部登録予定旗。


 仮名、リメル。


 意味、残るもの。


 青旗、布の端を三回揺らす。


 備考、たぶん喜んでいる。


 青旗、いや、リメルが机の上で跳ねた。


 一回。


 二回。


 三回。


 部室に、自然と笑いが広がる。


 リメル。


 残るもの。


 忘れられたものに反応する旗。


 俺の名前を叩いた旗。


 その名前が、部誌に書かれた。


 少しだけ、胸の奥が痛んだ。


「さて」


 アルフが予定表を見た。


「巡業リーグ予備参加枠として承認された以上、次に必要なのは遠征準備だ。参加校との初回顔合わせ、列車登録、旗登録、部員登録、安全計画、活動報告書」


「急に現実を積み上げるな」


「現実だから」


「分かってる」


 コレットが通知の最後のページをめくる。


「初回の合同説明会は、十日後。場所は王都東駅、巡業リーグ専用列車ホーム」


 王都。


 その言葉で、俺の中の何かが止まった。


 王都東駅。


 巡業リーグ専用列車。


 昔、見たことがある。


 たぶん。


 白いホーム。


 旗の紋章。


 隣に立つ誰か。


 金色の髪。


 エレナ。


 名前が浮かぶ。


 それ以上は、また布の向こう。


「ルカ君」


 コレットが呼んだ。


 俺は瞬きをする。


「何だ」


「顔色が悪い」


「元からだ」


「そういう返事は便利ね」


「使うか?」


「遠慮しておくわ」


 前にも似た会話をした。


 今度は覚えている。


「王都に行く」


 ネルが言った。


 声に少し緊張が混じる。


 平民出身で貴族嫌いの彼女にとって、王都はあまり心地よい場所ではないのだろう。


 レイナは別の意味で背筋を伸ばした。


 王都。


 貴族校。


 名門。


 彼女にとっても、何かがある。


 ロイは期待と不安が半分ずつの顔。


 ミラは静か。


 リリィは皮肉を探している顔。


 クララは資料のことを考えている。


 アルフは予定を計算している。


 ジャックは面白そうに笑っている。


 ガレスは遠征用の修理道具を思い浮かべていそうだ。


 ノルは、もう半分寝ている。


 コレットは、全員を見た。


「第七魔法競技部は、巡業リーグへ行きます」


 その言葉は、思っていたより重く響いた。


 部室の古い壁。


 雨漏りの桶。


 作戦図。


 壊れかけた棚。


 名前をもらった青い旗、リメル。


 十二人の部員。


 そして俺。


 仮入部の俺。


「ルカ君」


 コレットがこちらを見る。


「あなたは、どうする?」


 全員の視線が集まる。


 昨日の模擬戦より、ずっと静かな視線。


 補助登録。


 仮入部。


 逃げ道はある。


 王都へ行けば、過去に近づくかもしれない。


 エレナの名前に近づくかもしれない。


 競技に戻ることになるかもしれない。


 魔法を使い、また何かを忘れるかもしれない。


 行かない理由はいくらでもある。


 行く理由は。


 俺は部誌を見た。


 ルカ・ヴァレン。


 仮入部。


 補助。


 リメルの登録名。


 昨日の模擬戦の記録。


 忘れた会話。


 残った言葉。


 それらが全部、紙の上にある。


「仮のままでいいなら」


 俺は言った。


 声は、思ったより落ち着いていた。


「同行する」


 ロイが何か叫びそうになり、両手で口を押さえた。


 ネルが小さく笑う。


 レイナが「煮え切りませんわね」と言いながら、少しだけ口元を緩める。


 ジャックが「いつまで仮で粘る気だよ」と笑う。


 アルフが予定表に俺の名前を書き込む。


 クララが「同行者として記録します」と言う。


 ノルが部誌に書く。


 ミラが頷く。


 ガレスが湯呑みをもう一つ置く。


 コレットは、泣かなかった。


 ただ、笑った。


「ありがとう。仮のまま、一緒に行きましょう」


 リメルが机の上で跳ねた。


 こつん。


 部誌の俺の名前を叩く。


 まるで、また印をつけるように。


 俺はその音を聞いた。


 覚えておこうと思った。


 第七魔法競技部は、巡業リーグへ行く。


 仮入部の俺も、行くらしい。


 まだ競技は嫌いだ。


 魔法も怖い。


 王都に何があるのかも分からない。


 それでも、この部室に残った名前と、残るものという名をもらった旗が、俺を少しだけ外へ押した。


 逃げ道は、まだある。


 でも今日は。


 その逃げ道を、使わないことにした。


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