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4-4



「ガウ!」


 ベシンと後頭部をはたかれて、ロナルドははっと我に返った。


「グルルル!」


「ちゅんちゅんちゅん!」


 ロナルドの後頭部を前脚で殴ったシュティーに唸られ、シエルに頭をつつかれ、ロナルドは腕の中のクラリスが真っ赤な顔で目を回していることにようやく気付いた」。


「ク、クラリス!?」


 ぺちぺちと頬を叩くが、反応はない。完全に意識を飛ばしてしまっている。慌てて呼吸や脈拍、唇や口内を確認するが火傷をしている様子はなので、ただただ許容量を超えて、気を失っているようだった。

 ほっと息を吐いて意識のないクラリスを抱えなおす。


「……俺の部屋はまずいな」


 うっかりアランが来たら、それこそ大説教が始まるし、何よりその背後で笑う(※ただし目は略)モニカが怖い。

 ロナルドは相変わらず綿のように軽いクラリスを抱き上げて、屋根のふちに立つ。


「『水よ道となり凍れ』」


 呪文を唱えれば、クラリスの部屋の窓まで氷の道ができる。その上を慎重に歩いて、窓の前に立つ。


「『拡張せよ』」


 さらに呪文を唱えれば、クラリスだけなら余裕でもロナルドが潜るには小さな窓は、ロナルドと抱えるクラリスに合わせて、形を変えた。

 中へ入り、魔法を消せば屋根の上でシュティーが文句を言っているのが聞こえたが、普段から主の言うことを聞かないのでロナルドも聞かないことにする。

 クラリスの部屋に入るのは、彼女が来てからは初めてだ。

 この家を買った当初、モニカに頼まれてこの部屋の窓を開けるために入ったことがあった。その時、ついでに防熱防寒魔法を施した。その後は、時折、アランが掃除をしていた。

 元から備え付けの家具は以前のままで、小ぢんまりしたベッドも変わりない。

 ロナルドはクラリスをベッドの端に寝かせて、室内履きを脱がせる。そして自分もシャツのボタンを二、三個外し、靴を脱いで、彼女を抱きしめるように横になった。クラリス用のベッドは小さくてロナルドの足がはみ出ているが、何も気にならない。

 ベッドから足がはみ出ていようが、シュティーが屋根の上でキレていようが、今夜は絶対にクラリスと離れたくなかった。

 窓から入って来たシエルが枕元に置かれたクラリスに買ってもらった籠の中に着地し、嘴で器用に寝床を整えるとすやすやと眠り始めた。

 シュティーもぶつくさいいながら、屋根からロナルドの部屋のバルコニーへ降り、中へ入っていったようだ。

 ロナルドはクラリスを抱き寄せる。シュティーは前脚や口、尻尾、魔法を使って窓やドアは平気で開けるのだ。



「クラリス、ありがとう……」


 俺との未来を望んでくれて。

 その覚悟をしてくれて。

 そして何より、生きていてくれて。

 生まれた時から母娘二人きりで生きていて、それは愛し愛された世界だっただろう。母親の無償の愛の中で育った終焉が「いらない」という言葉によって訪れた時、まだ八歳だった少女はどれほど傷ついただろう。どれほど絶望しただろう。

 ロナルドは生まれた時から母にとって「いらない子」だった。ロナルドにとって母からの感情はそういうものであった。幼い頃はやはり傷ついたけれど、それでもロナルドにはモニカとアランがいて、そして、兄や姉、理解ある使用人が陰ながら支えてくれていた。

 でもクラリスは、ひとりぼっちだった。

 シンディは、もしかしたら違うのかもしれないけれど、心に深い傷を負った幼い少女が、分かりづらい優しさに気づくのは無理ではないだろうか。

 優しさなんて心に余裕がなければ見えないものである。

 出会った頃のクラリスは、控えめて物静かな女性だった。

 でも今はどうだろう。シエルと軽やかに歌いながら洗濯物を干して、モニカと楽しそうにおしゃべりをしながら料理をして、アランに褒められてくすぐったそうに笑う。ロナルドと出掛ければ、幼い子どものように辺りをきょろきょろと見回している。

 恋人になってからは無邪気に甘えてきてくれる。ロナルドのために歌を歌う時、その眼差しに込められた愛情に脳の奥が痺れるほどだ。

 お母上が生きていた頃は、きっと今のように明るく朗らかで無邪気な少女だったのだろうと想像できる。

 ロナルドとの未来を欠片も描くことができなかったクラリスが、どうして覚悟をしてくれたのかは分からないけれど、それでも色んなものを乗り越えて、クラリスは望んでくれた。

 ロナルドとの未来を、共に生きるその先を。


「愛してる、クラリス」


 その額にキスをして鼻先を彼女の髪に埋める。

 父親に見つからないようにするのなら、クラリスの身分は明かせない。だから、二人が乗り越えていかなければいけない壁は多々あるけれど、でも、クラリスがいるなら、ロナルドはなんだって出来る。


「まずは、あの母を領地にでも引っ込ませないとな」


 ついでに父にもさっさと退場願いたい。

 クラリスがともにあることを望んでくれただけで、心の奥でくすぐっていた焦りがあっけなく消えて、今はただただやる気に満ち溢れている。病気のせいで投げやりだった人生は希望が溢れて、胸が弾む。

 ロナルドの魔力を整えてくれる魔力を有するクラリスを抱きしめていると、驚くほど心が落ち着いて、眠気が襲って来る。今晩、眠れない覚悟もしていたのに、ロナルドはすんなりと睡魔に身を委ねたのだった。







「ん……ん?」


 クラリスは体が全く動かないことに気づいて目を開けた。目の前に何か壁がある。ゆっくりと視線を上に向ければ、そこに健やかなロナルドの寝顔があった。

 驚きすぎると人間が声が出なくなるらしい、とクラリスはぽかんと口を開けてその寝顔を見つめる。

 朝だからかロナルドの(ひげ)が伸びている。もぞもぞと動いて、ロナルドの顎を指先で撫でると、チクチクした。クラリスには髭が生えないので面白い。


「違うわ、そうじゃない。ええと、なんでかしら?」


 恋人の髭で遊んでいる場合じゃない、とクラリスは手を引っ込める。

 ロナルドはすやすやとびっくりするぐらい深く眠っている。

 そうだ。ロナルドに母との過去を話して、シンディに会いに行く約束して、そうしたら大人のキスをされた。前回より濃密なそれにクラリスは、混乱を極めて気絶し、どうやらそのまま眠ってしまったようだ。

 ロナルドがなぜここにいるかは分からないが、彼が運んでくれたのは間違いない。


「ロナルド様、ロナルド様」


 クラリスは窓の外がすでに明るいことに気づいて、ロナルドを起こそうと試みる。何度か呼びかけるが、クラリスを抱きしめる腕と、ついでに脚の力が強まっただけで起きない。


「ロナルド様、朝です!」


 少し声を大きくするとようやく彼の瞼が震えて、寝ぼけた紫色の瞳が顔を出す。


「おはよう、クラリス」


 寝起きのかすれた声はあまりに色っぽいがそれどころではない。

 そう、それどころではない声がクラリスには聞こえているのだ。


「ロナルド様、アランさんが探しています……!」


 その言葉にロナルドが文字通り、飛び起きた。それにびっくりしたシエルも「ちゅび!?」と籠の中で目を覚ます。


「クラリス、どうしたんですか? 具合でも悪いのですか?」


 クラリスの部屋には時計がないので分からないが、窓の外の様子からして間違いなく寝過ごしている。


「す、すみません、アランさん、大丈夫です!」


 クラリスはなんとか返事をする。


「無理はいけませんよ? ところでロナルド様を知りませんか? 部屋にはシュティーしかいなくて、裏庭にも屋敷のどこにもいないのです。まさか……そこにいたりしませんよね?」


 一段どころか三段ほど低くなった声に、まずい、と顔を見合わせる。

 未婚の男女が――たとえ愛し合う者同士で何もなかったとしても――一緒に寝ていたなどアランとモニカに知られたら、大事(おおごと)である。


「クラリス、俺は今から屋根の様子を見に行く。屋根の上で音がしたから見てもらってると言ってくれ」


 クラリスが「はい」と頷くとロナルドは言葉通り、窓から屋根の上へ行く。


「クラリス?」


 クラリスは部屋を出て廊下の梯子の方へ行く。そこから覗き込めばアランがこちらを見上げていて、目が合うとほっとしたように笑った。


「寝坊とは珍しいですね」


「すみません。あの、ロナルド様は屋根の上です」


「屋根の上?」


「はい。屋根の上で物音がして、気になってロナルド様にご相談したんです。それで今、様子を見に行ってくださっていて」


「でも外も見回りましたが梯子などはありませんでしたが……」


「ロナルド様は腕力で登って行かれました」


 嘘ではない。ロナルドは毎回、魔法も使わず騎士の腕力に物を言わせて屋根に上っている。


「全く、あの子は……! でも屋根の上に何が……そうだ、梯子をバルコニーに出すのでそこから降りるように言ってください」


「分かりました」


 アランがせわしなく去っていくので、クラリスは部屋に戻り窓の外に顔を出す。


「どうだった?」


「なんとか納得してくださいました。バルコニーに梯子を出すので、そこから降りるようにとのことです」


「分かった。屋根の音のなんたらは適当に言い訳しておく。君は朝の仕度を」


「はい」


「また二人の秘密が増えたな」


 にやりと笑ったロナルドはクラリスの鼻先にキスをすると窓から屋根へと出ていく。クラリスは「もう」と笑いながらその背を見送って、急ぎ、朝の仕度をするのだった。



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