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4-1


 クラリスは、夏の日差しのおかげでさっぱりと乾いた洗濯物を取り込んでいく。

 ロナルドが魔獣討伐に出かけてから早いもので一週間が経った。

 お見合い茶会の後、騎士団でモニカとアランと合流し、レストランで昼食を楽しんだ。ロナルドが家まで送ってくれ、彼が「夕食前には帰って来る」と騎士団に戻ろうとした時、コーディがやって来た。


『緊急討伐依頼です』


 コーディがそう告げた瞬間、ロナルドは「膝枕!!」と叫んで崩れ落ちた。

 そして「膝枕のために頑張ったのに……! あいつは本当に空気を読まない! 真の敵だ!!」と嘆くロナルドをコーディがなだめすかしながら、連れて行ったのだ。

 帰ってきたら思う存分、膝枕をしてあげようとクラリスは見送りにいつもの騎士の歌を歌いながら決意した。

 だがしかし、久しぶりの遠方での討伐は後処理が長引いているようで、なかなか帰ってこない。昨日、一足先に帰って来たコーディがロナルドは怪我もなく無事と伝えてくれたので、安心して待っていられる。


「にゃー」


 日向ぼっこをしていたシュティーが起きて来て、クラリスの脚に体を擦り付けて来る。

 シュティーも連れて行くのかと思ったのだが、侯爵夫人に喧嘩を売ってしまった今、シュティーはクラリスとモニカを守ってくれとロナルドに言いつけられて、こうしていつも傍にいてくれる。

 シエルももちろんそばにいてくれるが、洗濯を干したり、取り込んだりしている時間は、自由に空を飛んでいることが多い。今日も頭上を楽しそうに囀りながら飛んでいる。


「いらっしゃい」


 よしよしと大きな頭を撫でる。ひんやりして気持ちがいい。

 ごろごろと喉の鳴る音は、シュティーは体が大きいからかとても響く。撫でる頭にもその振動が伝わって来て面白い。


「さあ、中へ入りましょう。シュティーが溶けちゃったら困るわ」


「にゃーん」


 溶けないよぅと笑うように鳴いて、シュティーは氷を操り、自分の背中に洗濯物が入った籠を固定するとのしのしと歩き出した。シュティーはいつもこうやって重い物を進んで運んでくる優しい子なのだ。(対クラリス&モニカだけだがな byロナルド)

 中へ入り、キッチンで食器を磨くモニカに戻りましたと声をかけ、キッチン横の休憩室に行き、テーブルの上で洗濯物を畳んでいく。

 今日は、昨日、コーディがロナルドの洗濯物を持って来てくれたのでたくさんだ。修繕が必要なものは脇によけてと思ったが、ほとんど全て下着以外は穴が開いたり、ほつれたりしている。今回は毒を持つ魔獣だったらしく、被害を受けた森の調査が難航しているそうだ。

 クラリスは裁縫箱を棚から取り出して、当て布や針と糸、はさみとあれこれ用意して、ロナルドの服を繕う。

 ふとロナルドのシャツに紛れて、一枚、一回り小さなサイズのシャツが入っているのに気づいた。裾を見れば、そこにはコーディのイニシャルが刺繍してある。

 騎士の制服は、基本全て同じなので個人を判別するために裾のほうにイニシャルが刺繍してある。ジャケットなら、内側の胸ポケットに、ズボンだと腰部分の内側に必ず名前が入れてあるのだ。

 報告に来てくれたコーディもげっそりして疲れた様子だったので、仕分けのときにうっかり混ざってしまったのだろう。彼の服も大分、酷い有様でクラリスは丁寧に修繕する。

 ロナルドの事務官であるコーディにとんでもない約束を持ち掛けてしまったが、それでも彼は騎士の誓いとともに約束をしてくれた。

 ロナルドの拗ねた言葉に覚悟はあっさり決まったが、それでも弱いクラリスが前へ、未来へ、進んでいくには必要な約束だった。

 ロナルドのために練習した歌の歌詞のように、恋に盲目になったクラリスは、ロナルドの大切なものを壊しても気づかないふりをして、彼の傍にいることを選んでしまうかもしれないから。

 だって、クラリスの父はそうだった。母の声も嘆きも全て無視して、母を閉じ込めていた。その父の血がクラリスには流れている。切ろうと思っても切れない血の鎖だ。

 だから、そうなった時、冷静な誰かに引き離して欲しいと思ったのだ。クラリスに甘すぎるモニカとアランではだめだ。ヴィムはロナルドを敬愛し過ぎている。

 コーディもヴィムに負けないくらいロナルドを敬愛し、大切にしてくれているけれど、彼は事務官として第二師団長を支える立場で物事を見ることの出来る人だと思っている。

 だからこそ、こんなひどい約束をクラリスは彼に持ちかけたのだ。

 それなのにコーディは、応えてくれた。真摯に応えて、約束してくれた。

 彼がロナルドを裏切ることにならないように、クラリスはより一層、気を引き締めた。


「ロナルド様が帰ってきたら、ちゃんと伝えないと、ちゃんと……ちゃん、とぉぉ……」


 かぁぁっと一気に熱くなった頬を針を持っていない方の手で押さえる。

 時間が経てば、経つだけ、ロナルドに教えられた『大人のキス』と思い出して、羞恥でどうしようもなくなってしまう。

 大人のキスは、なんというかとても、色んなことがすごかった。

 思い出すと生活に支障を来たしてしまうほどには、すごかった。

 クラリスは手に持っていた針を、とりあえず針山に戻してシャツも一緒に置き、両手で頬をもみもみして、ぱちんと叩く。

 このままでは大事なことを伝えるなんてことの前に、ロナルドの前で平常心を保てるかも分からない。クラリスはロナルドに膝枕もしてあげないといけないのに。

 クラリスは、冷静さを取り戻すため、別のことを考えることにする。

 そこで思い浮かんだのは、シンディのことだ。

 クラリスの母違いの姉。猫系獣人族で、金の髪に青い瞳のお人形さんのように綺麗な伯爵家の大切なご令嬢だ。

 ジェフリーとの昼食を経て、シンディのことを考える時間も増えた。とくに今はロナルドの大人のキスを思い出さないようにするためにも、シンディのことを考えることが多い。

 シンディは、とにかくクラリスにあれこれ押し付けた。勉強も掃除も洗濯もダンスのレッスン。果てはシンディが「食べてみたい」という理由で、料理も覚えさせられた。


 でも、とクラリスは思う。


 そのすべてが今、クラリスを助けてくれている。この家で働くことになった時、素性を話せないこと以外、仕事面で言えばクラリスは何も困らなかった。

 掃除も、洗濯も、料理も困らなかった。家を追い出された時だって、どこへ行けばいいかは分かっていたから、不安は大きかったけれど迷いはなかった。

 それに、ロナルドの病にクラリスの魔力が作用すると分かったのも、この裁縫の技術があったのがきっかけだ。

 もしも裁縫が出来なかったら、クラリスはロナルドの服をこうして繕うことはしなかっただろう。モニカを庇って怪我をしたクラリスの血液が付着したので、その時だけは元気になって、そしてまた病に苦しむことになっていたかもしれない。

 でもクラリスは、鼻歌交じりにこうして針と糸を操ることができほどには、慣れていた。

 一から教えてもらっていたら、まずは練習から始まるのだから主であるロナルドの服を任されることもなかっただろう。だって最初に試しにと任されたのは、アランの服だった。

 アランの服を綺麗に繕えたから、ロナルドのものを任せてもらえた。針仕事には慣れていたから、鼻歌交じりに手を動かし続けた。

 だから、ロナルドの病気にすぐに作用し、彼を救うことができたのだ。

 アシュリー伯爵家にいた頃、クラリスは生きているので精いっぱいだった。心に余裕などなく、ずっと母の死を引きずって、寂しさと孤独を持て余して、愛人の娘という負い目を抱え、「いらない」という言葉に勝手に傷つき続けていた。

 クラリスは自分の不幸に嘆くばかりで、他は何も見えていなかった、いや、見る気もなかった。

 でも、ここへ来て、モニカとアランに大切にしてもらって、ロナルドにたくさんの愛をもらって、ようやくクラリスは過去を振り返ることができた。

 姉に押し付けられたすべてが、クラリスを生かしてくれている。


「……何か、あるのかしら」


 クラリスが気づかなかった、気づこうともしなかった何かがあるような気がする。

 ふとコンコンとノックの音が聞こえて、顔を上げる。どうぞ、と返せばモニカが顔を出す。


「お茶の時間よ」


「え? もうですか?」


「ふふっ、集中しているとあっという間よね。……あら、これ」


 モニカがテーブルの上のコーディのシャツに気づいて、イニシャルを撫でた。


「コーディ様、お疲れの様子でしたから」


「そうね。目の下に大きなクマがあったもの。……多分、今夜もお忙しいでしょうから、何か差し入れでもしようかしら」


「お手伝いします」


「ありがとう。でもその前に、お茶にしましょう? この間、お土産に買ってきてくれたケーキを参考に、チーズケーキを焼いたのよ」


「楽しみです!」


「ふふっ、クラリスには砕いた木の実をたくさん、掛けてあげましょうねぇ」


 こくこくと頷けば、モニカの細い手が「良い子だもの」と頭を撫でてくれた。


「モニカー? クラリスー? まだですかー?」


 アランの呼ぶ声が聞こえてモニカが「どうぞ」と返事をする。

 クラリスはテーブルの上を片付ける。アランがワゴンを押しながら入って来て、テーブルの上にケーキと紅茶が用意される。

 美味しそうなチーズケーキにモニカが小さなポッドの蓋を開け、中に入っているローストした木の実を砕いたものを、クラリスのケーキにたくさんかけてくれる。


「ちゅん!」


 窓辺でお昼寝をしていたシエルが気づいて飛んでくる。


「ふふっ、これは味付けはしていないから、あなたも食べられるわよ」


 モニカがシエル用のお皿に木の実をひとさじ、入れてくれた。ちゅんちゅんと嬉しそうに鳴いて、小さな嘴が木の実をついばむ。シュティーはアランにミルクをもらって、ぺろぺろと味わっている。


「先ほど、伝令が来ましたよ。ロナルド様、明日には帰って来られそうだとのことですよ」


「まあ、本当ですか?」


「明日のいつですか?」


 モニカとクラリスが矢継ぎ早に尋ねると、アランがくすくすと笑いながら紅茶に角砂糖を一つ入れる。


「それはまだ分かりませんよ。また帰る時間が分かったら連絡をくれるそうです」


「そう? でも、あれこれ準備しないと」


 モニカの声が弾んでいる。だが、クラリスも自分の顔がしまりを失っているのは分かっているので一緒だ。


「良かったわね、シュティー。ロナルド様が帰って来るわ」


 ミルクを飲み終え、満足そうに顔を洗っているシュティーに声をかける。シュティーは、ちらりとこちらを一瞥しただけで、返事はなかった。


「素直じゃないわねぇ」


 モニカの言葉にもシュティーはそっぽを向いている。なかなか素直じゃない子だ。


「ロナルド様のお食事、何にしようかしら。あ、でもその前に、差し入れの内容を考えないと」


「お忙しいですから、片手で食べられるものがいいでしょうか」


「そうね」


「さすがはクラリス、気が利きますね!」


「コーディ様、お肉がお好きなようだから、お肉のサンドウィッチがいいかしらね」


「カップで飲める具のないポタージュ系のスープもいかがでしょうか」


「あら、いいわねぇ。ポタージュはじゃがいもにしようかしら。たくさん作って、わたしたちの夕食にも出しましょう」


「はい! あと何か甘いものとかあるといいですよね」


「そうですね。書類整理とか頭を使うと糖分が欲しくなるんですよ」


 クラリスの言葉にアランが頷く。

 片手で食べられて、あんまりぽろぽろ零れない甘いものは何がいいか、と話しながらお茶の時間はのんびりと過ぎていくのだった。



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