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コーディの気づき



 コーディは、家族でランチに出かけると言うロナルドを見送って、執務室へと戻る。

もともと侯爵家でも見合いのあとはモニカとアランが騎士団にクラリスを迎えに来る予定で、ロナルドに特に急ぐ用事もないため、出かけて行ったのだ。

 帰りの馬車で何があったのかは知らないが、ロナルドは非常に浮かれていて、クラリスもふわふわしていたので、二人の仲がより一層、深まったのだと言う事だけは伝わってきた。


「あ、事務官様、本日の昼食はいかがいたしますか?」


 執務室の前で見習い騎士に声を掛けられる。最近はロナルドの魔力が安定しているので、これまでコーディが食堂から運んできていた食事を、見習い騎士に任せている。こう見えてコーディは多忙なのだ。


「悪いけど、こっちにお願いできるかな?」


「はい。二食でいいですか?」


「師団長はお出かけされているから、僕の分だけお願い」


「分かりました」


 見習い騎士は一礼して、踵を返す。

 昼食を食べるなら、先に手を洗うか、と隣の事務官室に行く。

 ロナルドの体調が落ち着いて、最近ではめっきり、ここで仕事をしなくなった。春までは、コーディは基本的にはここで仕事をし、執務室と繋がるドアを挟んでロナルドとやりとりをしていた。

 事務官室の奥には小さな給湯室があり、コーディはそこで手を洗う。

 革の手袋を外して傍らに置く。指先にのこる火傷痕。指先をすり合わせても、痛みだってもう感じない。

 これは本当にコーディのうっかり以外の何者でもない。血まみれで毒に冒されたロナルドを前に一瞬、冷静さを失って、素手で触れてしまったのだ。唯一、幸運だったのはロナルドの意識が朦朧としていて、コーディが怪我をしたと知らないことだ。その時の魔獣が炎系の魔獣だったので、そいつの遺骸に触れて火傷したということになっている。


『コーディ様、どうか約束を』


 細い手が、コーディの手にすがる力は痛いほどだった。

 まさか、クラリスとあんな約束をすることになろうとは考えたこともなかった。

 それでもコーディは、約束してしまった。破ることのできない騎士の誓いまで立てて、彼女に約束した。

 彼女の存在が第二師団長ロナルド・フェアクロフを脅かす時、彼女を遠くの修道院に連れ去ると。

 コーディにできたのは、せめて連れ去る先を自領の修道院と提案したことくらいだ。

 クラリスは言った。ロナルドと生きる覚悟をするのに必要な約束なのだと。

 もしかしたら、ロナルドよりもしっかりとクラリスの方が現実というものを、見ているのかもしれない。

 ロナルド・フェアクロフという男のこの国での立ち位置を、クラリスはきちんと分かってくれているのだ。彼は揺らぐわけにはいかない。彼が恐ろしい魔獣という存在を斃してくれる、という安心感は、国民たちの心を穏やかにしてくれる。それはこの平和な国を維持していく上で大切なものだ。

 前任の第二師団長は、コーディの領地の時、ロナルドに反旗を翻されたように本当に仕事ができず、国民の不安感をあおっていた。だが、ロナルドが師団長に就任し、的確に迅速に魔獣を討伐し、その後の支援も徹底して行ったおかげで、国民たちは第二師団を少しずつ、信頼してくれたのだ。

 そのロナルドが恋人を優先して、何もかもを投げ出してしまっては、大惨事だ。クラリスは、それを分かっているのだ。

 だが同時にクラリスは、自分自身をも恐れているように感じられた。もしかすると母親の人生を奪ったという父親に関係することなのかもしれない。

 だからこそ、彼女はこんな約束をコーディに願ったのだ。


「でも、きっとロナルド様なら大丈夫」


 初めての恋人に浮かれている節はあるけれど、それでもやはりロナルドは、責任感のある真面目で誠実な人だ。

 コーディがクラリスとの約束を果たす日は、来ないだろう。そういう自信が、彼の唯一の事務官であるコーディにはあるのだ。

 それでもこの約束が、クラリスの支えになればと思っている。どこもかしこも壁だらけで道もふさがれていては、苦しいけれど、ただ一つ、するりと抜け出せる道があることが分かっているだけで、「まあ、あそこに行けばなんとかなるし、まずは挑戦してみるか」と人間は頑張れるものなのだ。

 それを弱さと呼ぶ人もいるが、コーディは賢さだと思う。生存戦略だ。騎士にとって一番大事なのは、格好つけて死ぬことじゃない。生き延びること。それと同じだ。


「でっかい秘密が出来ちゃったなぁ……」


 ロナルドにバレたら、それこそクラリスを執務室にでも置いておかないと仕事ができなくなりそうな秘密だ。

 しかし、これは前進でもあるのだ。

 クラリスがロナルドとの未来を描いてくれる決意の表れでもあるのだから。


「僕もますます頑張らないと」


 手を洗いながら、敬愛するロナルドには絶対に幸せになって欲しい派閥のコーディは小さく笑みをこぼす。


「事務官様、お持ちしました」


「ありがとう。執務室の僕のデスクにお願いします」


 コーディは手を拭きながら慌てて給湯室を出て執務室へ向かう。

 デスクにお願いしますと言ったはいいが、出かける前はなかった積み上げられた書類に見習い騎士が戸惑っている。


「ごめんごめん、帰ったばかりで書類の整理をしていなかったね」


 コーディはとりあえず書類を片隅に寄せて、それ以外は隣のデスクに置いた。本来、師団長ともなれば三人ほど事務官がいてもいいのだが、ロナルドの病気の関係でコーディしかいないため、空いているデスクは書類置き場になっている。

 空いたスペースにトレーに乗ったランチが置かれた。今日はハンバーグだ。これは嬉しい。


「廊下にワゴンを置いておくので、食べ終わったらそこにお願いします」


「分かりました。ありがとうございます」


 見習い騎士は一礼して執務室を出ていく。

 ひとりきりになった部屋で、ジャケットを脱いで背もたれに掛け、椅子に腰を下ろし、ふうと息を吐く。

 ハンバーグはとびきり美味しくて、あっという間にコーディの胃袋におさまってしまった。おかわりが欲しいが、この時間に食堂に行っても何も残っていないだろう。


「夕食は絶対、おかわりしよ……」


 そのためにもこの書類をなんとかしなきゃなぁ、とコーディはちらりと隣を見る。

 ロナルドと直接やり取りが出来るようになったので、書類も大分、捌きやすくなったとはいえ、ロナルドが正常に仕事が出来るようになった分、書類もちゃんと増えた。


「やっぱりもうひとり、事務官は必要だよなぁ」


 そう零しながら、空になった食器が乗ったトレーを廊下のワゴンに乗せておく。あとで見習い騎士が片付けてくれるのだ。

 部屋に戻り、コーディは再び着席する。

 どこから手をつけようかなぁ、師団長を夜は家に帰してあげたいしなぁ、と隣の書類を見ながら考える。


「あ、そういえば……」


 コーディは背もたれにかけたままのジャケットのポケットを漁り、それを取り出す。

 ロナルドがシンディから受け取った手紙に入っていたメモだ。ロナルドが落としたものを拾ったはいいが、侯爵夫人の侍女が追いかけてきたので返しそびれてしまった。

 シンディに頼まれました、と少し角ばった文字で書かれた、なんの変哲もない紙だ。だが確かにシンディがロナルドに伝えたかったことの方が、重大そうではあった。


「シンディ嬢の手紙の内容も捜査するとして、まずはこれも師団長に返すのを忘れないようにしないと……」


 やれやれとデスクに肘をつき、それをひらひらさせた時だった。

 コーディはその紙を持った右手を止める。


「これ……」


 紙に鼻先を近づけ、においを嗅ぐ。

 この甘い匂いはシンディの匂いだ。彼女が書いた手紙と一緒に入っていたからおかしくはない。だが、その甘い匂いに交じって、違うにおいがする。

 肌がざわざわして、耳と尻尾の毛が逆立つ。


「なんだ……この感じ……?」


 シンディ以外のにおいなら、おそらくこれはジェフリーのにおいだ。コーディは直接会ったことはないが、ロナルド曰く「魔物生態学に長けた面白い青年」らしい。

 もう一度、鼻先を近づけて注意深く、においを確かめる。

 嫌悪感を抱くほどではないのだが、なんだか肌がざわざわして毛が逆立つ。


「どういう、ことだろう……?」


 新たに顔を出した問題にコーディは盛大に首を傾げる。


「でも、このにおい、どこかで……」


 記憶の中に確かにかするものがあって、コーディは眉間に皺をよせながら必死に脳内の記憶を呼び起こす。


「どこだ、どこで嗅いだにおいだ……?」


 町中ですれ違ったのだろうか。たまたま同じ店を利用したとか、まだ騎士団には呼んでいないはず。夜会に、いや、彼がこちらに来てから、コーディ自身が夜会に出ていない。

 だが、確かにこのにおいに近しい何かをコーディは知っている。


「……あの時だ……!」


 思い当たった記憶にコーディは立ち上がる。椅子が倒れてガタンと音を立てたが気にも留めずにコーディは執務室を飛び出した。

 自分のにおいの記憶の答え合わせをするために、コーディは研究棟へと駆け出したのだった。



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